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第三章 泥塗れの龍と手負いの麒麟は

第八話 二五八年 麒麟児との対面

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 諸葛誕が反乱を起こしたところを見計らって、姜維が軍を率いて攻め込んできた。

「姜維め、よほどヒマを持て余しているらしい」

 師纂は大口を叩いて笑うが、若年兵達にはウケが良くても鄧艾や司馬望などは笑っていられない。

 姜維も暇を持て余しているから兵を率いて攻めてきた、と言う訳ではないのは分かりそうなものだ。

 あの軍略の天才は、僅かな綻びがあればそれを機に一気に切り崩そうと狙っている。

 今回は諸葛誕の乱に便乗する形で兵を率いてきたのだが、もし戦が長引いた場合、あるいは司馬昭の軍が敗れた場合にはこの雍州への援軍は期待できなくなる。

 姜維はそれを待っているのだ。

 それが確定したところで、姜維は自らが率いる大軍を進めてくる。

 だが、それは陽動で本命は別働隊を送り込んできて雍州方面軍を挟撃するつもりだろう、と鄧艾は読んでいた。

 問題は、それを止める手立てが無い、と言う事である。

 今でも雍州方面軍の兵は、以前援軍として送られてきた少年兵が中心であった。

 あくまでも姜維を食い止めると言うのであれば、鄧艾には守る自信はある。

 しかし、別働隊にまで備えねばならないとなると、この少年兵達では心許ない。

 姜維の撃退には、本国からの援軍は必須だと言う事は鄧艾にも姜維にも分かっているからこそ、お互いににらみ合いを続けていた。



 先に動いたのは姜維だった。

「一見すると魏軍の守りは固く見える。実際に固く守るところは、おそらく抜く事も出来ないほどに堅い守りであろう。だが、戦い方は他にもある。そこで傅僉ふせんよ、困難ではあるが一仕事してみるつもりは無いか?」

「はっ! 大将軍のご命令とあらば、喜んで!」

 姜維は鄧艾の正面に構えていたが、狙いを司馬望に変えたらしく新たに登用した武将である傅僉を差し向けてきた。

「傅僉で良いので? 失敗が許されないのであれば、俺が行っても良いのですが」

 夏侯覇が立候補するのを、姜維は首を振って止める。

「いえ、将軍であれば司馬望は一切の油断を排する事でしょう。若く無名ではありますが、実力は充分に持つ傅僉こそ適任なのです」

 それに対して司馬望は、こちらも新たに登用した王真おうしん李鵬りほうを出して迎撃しようとする。

 王真にしても李鵬にしても、司馬望の目に止まるほどに将来有望だった。

「蜀の凡将の如きに用はない! 姜維を出せぃ!」

 王真は傅僉に向かって挑発する様に怒鳴る。

「ほほう、魏の武将は付き人がいるうちは威勢が良いらしい。だが、一騎討ちに応じる度胸が無いからこそ、大将軍を名指しするのだろう。それとも、どうせ負けるのであれば大将軍に切られる栄誉を望んでいるのか。なるほど、大将軍に切られたとあらば末代まで語る事の出来る武門の誉れであろうな!」

「ほざくな、凡将め! 名乗らずとも良い! この王真の槍で貫いてくれよう!」

 先に挑発したにも関わらず挑発に乗った王真は、槍を手に傅僉に襲いかかる。

 それを傅僉は大刀を持って迎え撃つ。

 数回打ち合った後に、傅僉は王真の槍を躱すと腹帯を掴み、そのまま王真を生け捕ってしまう。

「王真! おのれ、そうはさせんぞ!」

 王真を生け捕って自陣に引き返そうとする傅僉を、李鵬が追う。

 少なくとも王真を脇に抱えた状態で傅僉が大刀を振る事は出来ない、と李鵬は考えていた。

 確かにそれは間違っていなかった。

 が、傅僉は大刀を馬の鞍にくくりつけると、相手からの反撃は無いと思っている李鵬の頭を脇に下げていた鉄鞭を抜いて、李鵬の頭に振り下ろす。

 異常な轟音が響くと、李鵬の兜は割られ、眼球が飛び出し、元の人相が分からないほどに頭の形を変形させられて、李鵬は落馬して絶命する。

 無名の武将傅僉によって、王真は生け捕られ李鵬は鉄鞭にて打ち据えられて絶命させられると言う結果になったのは、派遣した姜維を含めて誰も予想出来ないほどの武勲となった。

「これは、ちょっと予想外ですね。ここまでやってくれるとは思っていませんでした」

 姜維の想像以上の武勇を傅僉が示した事によって司馬望は固く城を守ったのだが、本隊から姜維が少数の兵を率いて策を用いて来たのである。

 姜維は傅僉に城攻めをさせる一方で枯れ木や芝を集めさせ、司馬望を城ごと焼き払おうというとんでもない事をやろうとしていた。

 そこへ『鄧』の旗を掲げた小隊が救援に来る。

「ほう、鄧艾が来たか。慎重な智将と思っていたが、勇猛さも持ち合わせていたらしい。手間が省けるというものだな」

 姜維はそう言うと、自ら槍を手に迎え撃つ。

 先頭を駆ける武将は、問答無用に姜維に向かってくる。

 その槍の突きは鋭く、かなりの実力である事が一目で分かった。

 だが、姜維が思っていた鄧艾の印象とは随分違っていた。

 今、目の前にいる武将は随分と若い感じがする。

 鎧を身にまとい、兜の上に面まで被っているのだから見た目にと言う訳ではないのだが、全体から受ける印象が若いのだ。

 とは言え、油断の出来ない武勇である事は認められる。

 この者が鄧艾かは分からないが、ここで討ち取っておくのも悪くない。

 姜維はそう判断すると、その武将の鋭い突きを紙一重で躱すと、その槍を掴む。

「一つ確認しておこうか。お前が鄧艾か?」

 姜維は尋ねるが、その武将は答えようとせずに槍を引こうとするものの、姜維はそれを許さない。

「答えないのか? このままでは名無しのまま屍を晒す事になるぞ」

 姜維は右手で槍を掴んだまま左手で剣を抜くと、その武将は槍を手放して逃げ出す。

「はっはっは! 良い判断だ!」

 敵将の槍を投げ捨てると、姜維はその武将を追う。

 やはり若い。しかも、相当に。おそらく十代の少年だろう。

 姜維がその武将を捉えようとしたまさにその時、『鄧』の旗を掲げる一団が待ち構えていた。

「姜維将軍、我が子を見逃してはもらえないか」

「ほう、それでは貴将が鄧艾か?」

「いかにも。お初にお目にかかる」

 鄧艾はそう言うと、逃げてきた鄧忠の兜を槍の柄で軽く叩く。

「勝手な事をするな。だが、司馬望将軍を救った事は助かった。その武勲によって今回の命令違反には目を瞑ろう。ただし、謹慎処分とする」

 鄧艾は有無を言わさず鄧忠にそう言うと、改めて姜維の方を見る。

「姜維将軍、此度の進軍、全ては淮南での乱の結果を期待するものとお見受け致す。しかし、司馬昭閣下は戦上手であり、その旗下には勇将猛将が数多控え、いかに諸葛誕将軍であったとしても勝利する事は難しいはず。姜維将軍の勝機も失われます」

「なるほど、鄧艾将軍は確かな智将であると見える。しかし、諸葛誕が勝利した場合にはそちらにとっては窮地となります。そうなる前であれば、こちらに投降の意思を示されれば厚遇を約束しますが、いかがですか?」

「将軍はかつては魏の武将であったはず。将軍こそ故郷に戻られては? 今ならその名声においても厚遇は約束されているものを」

「私はすでに一度国に捨てられた身。その身を拾っていただいた恩も返さず、私の方から国を捨てる不義は出来ない。将軍こそ、蜀には私や夏侯覇将軍といった魏からの投降者であるにも関わらず出世出来ている者もいます。今と同じ、あるいはそれ以上の待遇を約束します」

 二人はそう言うと、笑い合う。

 二人共最初からお互いが降伏して投降するなど、考えてもいない。

 いわばこれはお互いに命をかけた戦いをすると言う決意表明の為の、儀式とも言うべき事だった。

「ならば鄧艾将軍。今ここで決戦といきますか?」

「それこそ望むところ。とくに今であれば将軍の馬は疲れているでしょうから、この凡骨でも勝負出来るかもしれませんからな」

「はっはっは! この姜維、多少馬が疲れていようとも、その腕が衰える事は無い。では、鄧艾将軍。正々堂々と大将同士の一騎討ちといこうではないか」

「随分と血気にはやっておられる様子。分かりました、後日改めて決戦と行きましょう。それこそ、正々堂々と」

 鄧艾の言葉に、姜維はもちろん、魏の武将達も驚く。

 鄧艾は徹底した防御を指示していたので、姜維と戦うつもりは無いのだと皆が思っていたのである。

「良いだろう、では後日雌雄を決するとしよう」

 姜維はそう言うと、悠々と自陣に戻っていく。



「将軍、良かったのですか?」

 諸葛緒は不思議そうに鄧艾に尋ねる。

「良くはないですね。ですが、ここで姜維と戦うと言ってもおそらく姜維はわざと敗れるフリをして我々を蜀の自陣にまで引っ張ろうとしたでしょう。今であれば我々は小隊。姜維は単騎と言っても、道中に伏兵を伏せられていてはこちらが不利。ここは追い返すのが一番ですよ」

「父上! 姜維は俺を追って単騎で走り出したのです! 伏兵など配する暇は無かったはず! 今こそ姜維を討つ好機!」

「抜け駆けの言い訳としては悪くないな、鄧忠。だが、それはまだ浅い」

「将軍が臆病風に吹かれたのでは?」

 戦おうとしない鄧艾に、鄧忠だけでなく師纂も不満だったらしい。

「ガキ共。残念ながら、お前ら死んだぞ」

 そう言うと、どこからか杜預がやって来て言う。

「元凱兄、どう言う事だよ!」

 幼い頃から師事していた鄧忠は、突然やって来た杜預に向かって言う。

「忠、普段は構わないが、軍にいる時は杜預将軍だぞ」

「杜預殿、どう言う事だ!」

「お前も中途半端に言葉遣いがなってないな、師纂」

 杜預は眉を寄せる。

「鄧艾将軍の予想通り、蜀軍は既に伏兵を配していた。大体姜維が単騎で追ってきた事がおかしいだろう。蜀軍の大将軍だぞ? その大将軍を誰も追ってこない事が不自然なんだって。姜維はどうしても鄧艾将軍に自分を追わせたかったのだが、それに乗ってこないと分かったからこそ、後日の決戦に乗ったと言う事だ」

 杜預は既に鄧艾の密命を受けて様子を見に行ったのだが、そこには鄧艾の予想通り伏兵があったのを確認したのである。

 もし鄧艾が挑発に乗った場合には、止めてくれと言う事まで杜預に伝えていたのだが、それはその息子達に効果が現れる事になった。

 後日、姜維から決戦の日付が指定された書状が送られてきた。

「承った。姜維将軍にその日、雌雄を決しようと伝えてくだされ」

 鄧艾は蜀からの使者にそう答えたが、決戦の当日になっても動かなかった。

「まさか、約束を反故にされるとは。魏と言う国の信頼を貶める行為です!」

 蜀からの使者は、鄧艾に対して批難の言葉を投げかけてくる。

「いや、誠に申し訳ない。どうしても体調が優れなくてな。姜維将軍に伝えて欲しい。後日必ず再戦致すので、改めて日取りを決めて欲しいとな」

 鄧艾はそう言って使者を追い返したが、その後も様々な理由を付けて決戦の日を伸ばし続けた。



「鄧艾! 武将の風上に置けぬ、不義不忠の臆病者め!」

 何度も決戦をはぐらかされて傅僉は激怒したが、姜維は苦笑いして肩を竦める。

「どうやら鄧艾将軍はよほど司馬昭を信頼しているらしい」

「士載が臆病と言う事は無い。その智謀も疑う余地無し。その男が手段を選ばず時間稼ぎしていると言う事は、おそらくそう言う事でしょうな」

 姜維の言葉に、夏侯覇も頷く。

 そうしている内に、諸葛誕は敗れ乱は終結し、魏軍本隊の大軍が都に引き返していると言う情報も届いてきた。

「またしてもダメだったか。毌丘倹、諸葛誕共に蜀にまで聞こえた名将だったのだが、司馬一族はそこまでの力を付けたと言う事か」

 けっきょく姜維は今回の遠征でもさしたる成果を上げる事は出来ず、蜀へ戻る事になった。
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