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第二章 血と粛清の嵐の中で

第二十一話 二五五年 楽嘉城の前の攻防

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「しかし、女性も侮れないものですね」

 杜預は次の準備を整えながら、鄧艾に言う。

 今回鄧艾の妻である媛が淮南に先立ってやって来ていたのは、元を正せば杜預の妻である司馬氏の入れ知恵だったらしい。
 それも最初に提案してきたのは司馬氏ではなく、司馬師の妻であり羊祜の姉である羊徽瑜ようきゆからの提案だったと言う。

 媛と羊徽瑜に面識は無かったが、彼女は弟の羊祜や夫の司馬師から鄧艾の話を聞いていた事から、今回の情報封鎖を思い付いたらしい。

 媛はその時に、今回の戦で必ずしも鄧艾が選ばれるとは限らないと質問したのだが、羊徽瑜は笑顔で媛に必ず鄧艾が選ばれると答えた。

「今の魏の参謀では、若手でありながら鍾会の発言力が極めて強くなっています。彼は非常に優秀ですが、それ以上に野心家でもありますので、司馬一族に重用されているのに情報の少ない鄧艾将軍の事を気にかけているはず。淮南が戦場になると言うのであれば、鍾会は必ず鄧艾将軍を推挙する事でしょう」

 その言葉を入れた媛は、息子の鄧忠や淮南出身の側近の兵達を連れて情報封鎖に乗り出したと言う。

 その効果は絶大で、名将毌丘倹であっても鄧艾の接近を知る事が出来なかっただけでなく、各地に出した密使達からも情報を得られなかった事もあって各地で蜂起させると言う戦略も崩れる事となった。

 大軍を相手にする際に、後手に回ると言う事がどれほど危険な事かは毌丘倹でなくても分かる事である。

 そこで何かしら強い一手を打ってくる事も考えられるので、鄧艾はそれより先に手を打つ事にした。

 反乱を起こした毌丘倹と文欽は共に攻勢に定評があり、特に文欽は武将と言うにはあまりにも獰猛なところがある。

 それは攻め手としては有用な性格と言えなくもないが、守勢においては弱点になり得る性格だったので、それを利用しない手は無い。

 鄧艾は引き続き淮南の知人達のつてを使って情報封鎖を行う一方で、楽嘉城の前に兵を配して、こちらから攻める構えを見せた。

 攻勢に優れた人物と言うのは、劣勢に立たされた時に一旦退いて態勢を立て直すより、自らの力で強引に流れを取り返そうとする傾向がある。

 それが毌丘倹であればこちらの策を見抜いて、敢えて退いて態勢を立て直す事も行うかも知れないが、文欽であれば行動を予測し易いと言える。

 鄧艾は派手に旗を立ててあからさまな布陣を敷くが、それはいかにも戦に慣れていないかの様な、露骨な陣形を立てる。

 それはわざを隙と作ると言うより、徹底的に基本に忠実、盾と槍兵を前面に並べて後方に弓兵を配置した。

 非常に基本的な布陣で歩兵同士ならば攻撃にも迎撃にも適した布陣と言えるのだが、騎馬を相手にする場合には必ずしも有効な布陣とは言えないところもある。

 例えば長槍を構えた兵を並べた場合、前からのぶつかり合いには強いものの、左右、特に左側に転身するのが極めて難しいと言う問題があり、騎馬の機動力を追うには後手になってしまう。

 また、複数の方向からの攻撃にさらされた場合や、左右の端からの攻撃に対しても正面からの攻撃ほど強く当たる事が難しい。

「これで釣れますかね?」

 配置を終えた杜預が、鄧艾に尋ねる。

「まぁ、大丈夫だと思いますよ? 文欽将軍は私を文官だと侮っていましたし。せっかくなので、もう少し侮ってもらっていましょう」

「だとすると、もう少し隙を作った方が良かったですか?」

「いえいえ、文欽将軍がこちらを侮っているからと言って、こちらが文欽将軍を侮る訳にはいきません。あまりに露骨に隙を見せれば、返って警戒されてしまいます。向こうが文官だと思っているのなら、向こうの想像通りの文官でなければ侮ってもらえなくなりますから」

 文欽とは東興の戦いの折に顔を合わせているが、こちらが驚くほど露骨に文官を侮る態度を取っていた。

 合肥新城での苦戦でよほど意識が変わっていない限り、この短期間でその態度を改める様な事は無いだろう。

 しかも鄧艾は何故か、まともに戦闘の経験が無いと思われている。

 それは先の羊徽瑜の言葉からも分かる。

 鄧艾は近年の大戦の多くに参加しているのだが、その多くが後方部隊や予備戦力としての参加であり、また殊勲を挙げた武将の影に隠れてさほど目立った働きはしていないと言う事になっていた。

 鍾会が興味を示したのも、目立った武勲の無い鄧艾が高く評価されている事が不可解だった為の様だが、文欽であればそこを警戒するよりその人選の甘さを突いて劣勢を覆しに来る。

 それこそが、猛将の猛将たる所以である。

 この戦は長期戦に持ち込まれてはならないと言うのは、司馬師からの厳命でもあるのだが、言われるまでもなく分かっている事だった。

 それ故に、鄧艾はこの一戦で毌丘倹の戦意を挫こうと考えていた。

 その為にも、危険を承知の上でこちらに隙があると思わせて、向こうから兵を出させなければならなかった。

 そんな鄧艾達の元に、敵将文欽動くの方が伝わってきた時には思わず歓声が上がったほどである。

「待て、歓声はまずい。何とかして鬨の声としてごまかそう」

 慌てて鄧艾は乱立する旗を振って、士気を高めようとしている様に見せる。

 そもそも不必要に旗を乱立させているのも、実際の兵より多く見せる為の小細工なのだが、それもあまり意味は無かった。

 いかにも戦慣れしていなさそうな軍師が、生兵法で対抗している様に見せる為の演出だったのだが、ここではそれが幸いしたと言える。

 鄧艾は文欽が動き始めたと言う情報が入ってから、すぐに陣形を動かし始めた。

 文欽から向かって右側の部隊を少し前に出す。

 長槍では左右の転身に不都合が生じる場合が多いので、出来るだけ正面からぶつかり合う必要があり、陣の端を攻められると瓦解する恐れがある。

 端の部隊が少し前進したのは、いかにもそれを嫌っての事に見えたのだろう。

 文欽の騎馬隊は長槍部隊の弱点でもある陣の端を狙うべく、大回りに移動し始める。

「よし、かかった。この一戦で文欽を討つ」

 鄧艾は文欽に気付かれない様に、陣形を少しづつ動かす。

 敢えて楽嘉城の前に布陣したのは、十分な理由と必勝の策があっての事である。

 文欽は迎撃部隊を壊滅させようと考えた為に、陣形の側面へと回り込んだ。

 その事自体は何ら間違った用兵ではない。
 むしろ歩兵を相手にするのであれば、それは正解だとも言えた。

 そこに相手の意図が無ければ、と言う前提で。

 鄧艾がそういうふうに誘導したのだが、文欽にはその意図を掴む事が出来なかった。

 鄧艾はいかにも文欽の騎馬隊に恐れ、押されている様に少しずつ部隊を横に流し、大きな被害と混乱を起こさない様にしながら文欽の騎馬隊を城の前に誘導する。

 まさに文欽の騎馬隊が鄧艾の部隊と接触しようとした時、文欽の騎馬隊は楽嘉城の城門前にいた。

 そこを見計らって城門が開き、すでに城内に入って待機していた諸葛誕の騎馬隊が文欽の騎馬隊の側面に向かって突撃したのである。

 それに合わせて鄧艾の部隊も大きく動く。

 文欽に狙われた右側の部隊は動きを停止して、文欽の騎馬隊に槍と盾を向ける。

 そこからの部隊は前進を始め、文欽騎馬隊に対して壁を作って退路を塞いだのである。

 これも情報遮断の効果だった。

 いかにも時間稼ぎですと言うように布陣した鄧艾だったが、この時にはすでに本隊でも前方に位置していた諸葛誕の部隊は楽嘉城に到着していたのである。

 そこで鄧艾は今回の策を話したのだが、諸葛誕はこの戦が始まる前に司馬昭からあらぬ疑いを持たれた事を気にしていた。

 確かに諸葛誕は毌丘倹とは旧知の間柄であり、かつて曹爽によって拾い上げられた経緯はあるが、それでも彼は魏の臣下である事に誇りを持っている。

 いかに旧知の間柄であるとは言え、国の大事を前に私事を優先させる事などない。

 それを言葉ではなく、行動で示したいと諸葛誕は思っていた。
 その相手に文欽はうってつけだった。

 確かに諸葛誕にしても文欽にしても、今は亡き曹爽によって引き立てられた経緯はあるが、この二人はとにかくソリが合わず、同じ勢力に所属しながらも協力的とは言えずむしろ敵対しているとさえ言えるくらいにお互いに嫌っていた。

 それだけに諸葛誕の文欽に対する攻撃は苛烈を極め、文欽は一気に窮地に立たされる事となった。

 文欽に取れる行動は二つ。

 今すぐ撤退するか、無理にでも徹底抗戦するか。

 と言っても、徹底抗戦したところで文欽に勝目は無い。

 となればどれほどの犠牲を払ってでも撤退と言う事になるが、どの様な撤退経路をとるか。

 今すぐ反転して全力で逃げるか、イチかバチか鄧艾の歩兵の陣を突き破って撤退するか。

 もし鄧艾であれば、例え背後を諸葛誕に攻められるとしても今すぐ反転して全軍撤退を命じる。
 勝ちの目が無くなったのであれば、戦い続ける事そのものに意味が無い。

 が、文欽はその手を取らない事は予想出来た。

 どこまでも腕自慢の猛将である文欽であれば、すぐさま撤退ではなく鄧艾の部隊を貫く方を選ぶだろう。

 そこで鄧艾は敢えて強く抵抗せずに、あくまでも文欽の騎馬隊を受け流し、側面から圧力をかける。

 それはただ被害が出る事を嫌ったと言う訳ではなく、より辛辣な一手だった。

 文欽は鄧艾の空けた逃走経路を走るしかなく、その結果諸葛誕と鄧艾に兵力を削られ続け、その先に見たのは司馬師の本隊十万の大軍だった。

 これによって、毌丘倹が短期間で勝利を得る機会は無くなったと言うのを、文欽に思い知らせる為に鄧艾は道を空けたのである。

 これで勝負あり。

 この後、毌丘倹に出来る事と言えば罪を認めて降伏するか、故郷を捨てて逃亡するかだろう。

 それは鄧艾だけではなく、諸葛誕も司馬師も、敵である文欽ですらそう思っていた。

 しかし、この戦場の中で、この絶望的な状況の中にこそ勝機を見出している人物がいた事に、鄧艾も司馬師も気付いていなかった。
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