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第二章 血と粛清の嵐の中で
第十二話 二五三年 智将同士の駆け引き
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「魏軍の援軍が? 早いな」
姜維は眉を寄せる。
本来の戦略であれば、廖化は伏兵として伏せたところに魏軍の先鋒を叩きその勢いを削ぐ予定だった。
しかし、魏軍の援軍の動きは姜維の予想を遥かに超えて早く、伏兵に伏せるはずの廖化が魏軍の先鋒軍徐質と当たってしまったのである。
偶発的な遭遇戦だったのだが、徐質の軍は圧倒的な攻撃力を示し、廖化は消耗を避ける為にもすぐに戦を収めると即座に撤退して本隊である姜維の元へと戻ってきた。
その判断は間違っていないと姜維は思う。
蜀の本陣に姜維とその副将である廖化の他、夏侯覇や張翼、張嶷といった蜀の武将達が集められた。
「しかし弱ったな。今ここで魏軍の援軍に介入されては戦線が崩壊してしまう。何らかの手を打たなければならないのだが、私は司馬昭と言う男をほとんど知らない。どの様な策を取ってくるのか、見当もつかない」
姜維は悩みながら言う。
「司馬昭、か。陰険なヤツだが、司馬仲達の息子と言うだけあって、戦上手であると言ってもいい実力者ではある」
「夏侯覇将軍は司馬昭を知っているので?」
「少なからず」
姜維の質問に、夏侯覇は頷く。
「将器で言うのならば、おそらく兄である司馬師の方が大器ではあります。しかし、型にはまらない兄と違って、決められた事を決められた通りに行う司馬昭ならではの強さはあります」
「ほう、かつての幼常殿の様だな」
姜維は思い出しながら呟く。
幼常と言うのは諸葛亮の補佐であった参謀の一人であり、後継者として期待されていた馬謖の字である。
非常に優秀な人物であり、最初の北伐に際して当時の魏の皇帝であった曹叡と司馬懿に対して離間の計を成功させるほど秀逸な策士でもあった。
しかし司馬懿の奇計によって蜀軍は窮地に立たされ、その時に急所である街亭を守れなかったと言う事で責任を取って切られ、その一生を終えた。
また、この時の失態こそが今の蜀の苦境にも繋がっている。
「しかし、それはそれで油断ならないな。幼常殿も想定している通りであればそれは相当な実力者であった事は疑いない。司馬昭が同等と仮定するならば、相手の想定を超えた何かを用意しなければ型に嵌められて消耗させられる事になる」
蜀では必ずしも馬謖の評価は高くないのだが、姜維は同じ諸葛亮の後継者として評価していた。
先帝である劉備が諸葛亮に、
「馬謖は答えのある問題を解く事にかけては優秀だが、その場の判断が必要な時にも理論を優先させる傾向が強すぎる。今のままでは大きな仕事を任せた際に、必ず大きな失敗を招く事になるから重職を担う事は出来ない」
と言う話が伝わったせいでもあるが、だからと言って馬謖が無能であった訳ではない事を姜維は目の当たりにしてきた。
「……司馬昭とは文官の印象が強いのですが、戦場の経験もあるのですか?」
廖化が不思議そうに質問する。
「それはもちろん。司馬昭は特に敵の糧道を断つのが好む戦術です」
「道理ですね。いかにも……」
姜維は途中で言葉を区切る。
「どうされました?」
夏侯覇が尋ねても姜維は反応せず、何かを考え込んでいる。
「廖化、これは?」
「時々あるんです。思考に没頭すると、答えが出るまでこのままです」
姜維の副将を長らく務める廖化だからこそ、姜維の癖と言うのも見てきた。
その時の姜維は、妙策を出す前兆でもある。
「夏侯覇将軍、司馬昭の好みは間違いなく糧道を断つと言う戦術なのですか?」
「少なくとも俺の記憶の中では。道理や理屈を好む司馬昭であれば、大軍の弱点である糧道を狙うのは間違いなく道理である事から、今回もおそらくその手を選んでくるでしょう」
「ならば、それを逆手に取る事も出来るのでは?」
「確かに。ですが、それは相手を誘導する事が出来れば、と言う条件が付きますが」
「ごもっとも。では各将軍達にこの陣営の防備を固める事を命じます。逆茂木を配し、不退転の姿を魏に見せて下さい。ただし、絶対に相手にしない事。それで徐質はもちろん、司馬昭を討ち取る事を狙います」
もちろんそのやり取りを魏軍が知る術は無く、徐質は蜀軍に攻撃を仕掛けるものの、徹底的に守りを固めた蜀軍はそれに応える気配は無い。
「蜀軍に戦う意志無く、こちらの足止めのみを考えている様子、いかがしましょうか」
徐質は打開策を求める為に、司馬昭の本陣に来て意見を仰ぐ。
「ふむ。こちらの足止めに注力し、南安の包囲に全てを注ぐと言うつもりか。なるほど、それならば確かにこちらの援軍を無力化出来ると踏んだか」
「ここは一軍を残し迂回しますか? 敵の足止めに付き合う必要は無いでしょう」
鄧艾は司馬昭に提案する。
「いや、それでは弱い。奴らもこちらの足止めを試みると言う事は、どこかに兵糧を貯めているはず。その糧道を断てば、ここの蜀軍はもちろん、南安の包囲軍にとっても軍を維持する事も出来なくなるであろう。徐質、今のまま戦いを挑む事を続けるのだ。今の軍を維持する為にもどこからか物資を輸送してくるはず。そこから敵の糧道を掴む」
「御意に。必ず蜀軍の者共に思い知らせてやりましょう!」
徐質の軍は士気も高く、司馬昭から必勝の策を授かった事もあり、その意気も上がっている。
「士載」
「はっ」
「糧道が急所であるのはこちらとて同じ事。貴軍を持ってこちらの物資を守る事に注力して欲しい。直接の武勲には繋がらないと思うかもしれんが、この任は決して軽くない」
「分かっております。蜀軍が狙ってこようものなら、必ず返り討ちにします」
鄧艾はそう言って後方に待機する。
東興の戦いの時、鄧艾は予備軍でありながら前線に出るのが早すぎたと言う経緯がある。
それによって魏軍は全滅を免れたので功績はあるのだが、あの時に予備軍として後方にいれば呉軍の別動隊である朱異の動きは止められたはずだった。
その思いがあった為に、今回は後方待機を任じられた事でその失態を取り返すつもりでもあった。
「将軍、また武勲から見放されましたね」
「そんな事は無いさ。司馬昭様も言っていた通り、物資の守りは前線で戦う事と同等以上に重要な任務だ。それを任されたのであれば、それは大任ではないか」
杜預と鄧艾では、まったく違う考え方だった。
鄧艾の一軍は後方に下げられ、司馬昭は胡奮を伴って徐質の援護に向かう。
徐質は司馬昭に言われた通りに戦いを挑むが、蜀軍はそれに応えようとはせず守りに徹している。
しかし、今回はただ躱された訳ではなく蜀軍の動きを見る事も目的だったので、徐質としても頭に血が上る事も無く蜀軍の同行を見ていた。
改めて蜀軍の動きを見ていると、蜀軍の輸送を担っていると思われる木牛流馬の一団を見かける事も出来た。
徐質はすぐに司馬昭に報告する。
「徐質、此度の事は貴将にとっても良い機会となっただろう。戦とは腕力だけで行うものではないと言う事が分かったはず。して、敵の物資はどこから来ていた」
「おそらくは近くの山である鉄籠山の後方より。いかがいたしますか?」
「徐質、何故私が無駄とも思われる攻撃を命じたか分かるか?」
司馬昭の質問に、徐質は首を振る。
「私如きには、まだ将軍の智謀を説明無しに理解するには届きません」
「素直な事は決して悪い事ではない。胡奮、徐質と交代だ」
「将軍! 俺が何か及ばなかったのですか!」
突然役割の交代を告げられ、徐質は前のめりに司馬昭に詰め寄る。
「ふむ、まだ分かっていなかったか。徐質、これからが本当の貴将の本分である」
司馬昭はそう言うが、徐質も胡奮も首を傾げる。
「士載を下げたのは早急だったか。士載は兄上の直轄である故に遠慮もあっただけでなく、私は我が直轄である貴将等にこそ武勲を立てさせたかったのだが、まあ、良い。私は無駄が好きではないが、これまで徐質に無駄な事をさせてきた事には意味がある。蜀軍が守りに徹しているところにひたすら攻めさせたのは、何も敵の補給路を確認する為だけではない。奴らの足止めが上手くいっていると信じさせ、本格的に長期戦の構えを取らせる為である。こちらが敵の策を見抜いたのが分かれば敵も別の手を打ってこよう。だが、功を奏している間はそこから考えを進展させる事は容易ではないのだ。徐質が攻めあぐねて足止めされていると言う実績を与えた事により、蜀軍は本格的に足止めに入る。つまり、敵の補給基地に物資を集めさせる事が私の目的だった」
ここで敵の糧道を断つ事が出来れば、それは蜀軍の命脈を断つ事にもなる。
その為にも蜀軍には、最初の戦術に拘ってもらう必要があった。
そこで司馬昭は徐質に攻め続ける事を命じたのである。
「蜀軍の補給基地が分かったのであれば、これ以上長引かせる必要も無い。これまでの徐質の役割を胡奮に引き継がせるのは、徐質に別の仕事を与える為である」
司馬昭はそこで言葉を区切り、徐質を見る。
「徐質、貴将は五千の兵を率いて蜀軍の命脈を断て。これまで不本意な戦いを強いられた鬱憤を、蜀軍で思う存分晴らすが良い」
「御意!」
武将と一言で言ってもそれぞれに得意な戦い方があり、徐質は攻撃型の武将である。
空回りさせられる戦いを続けてきた徐質にとって、それは不本意な戦いであったのだが、ここでついに本来の実力を示す機会が巡ってきた事に、その士気は最高潮となっていた。
胡奮も代役とは言え、武勲を上げる機会に恵まれた。
徐質が蜀軍の糧道を断った後に来る、総攻撃の機会に備える。
「徐質。蜀軍はおそらく夜の闇に紛れて物資を運ぶと思われる故、今宵さっそく動く事を許す。存分に励め」
「蜀軍の骸で鉄籠山の道を塞いでみせましょう」
徐質は司馬昭の期待に応えるべく、その日の夜に出撃する。
魏と蜀の陣を迂回して、鉄籠山方面に向かったところにちょうど蜀の補給部隊に遭遇する。
徐質はすぐにその補給部隊を補足し、自身の五千の部隊で囲い込む。
「蜀の者共、そこで止まれ」
徐質が呼び止めると、蜀の補給部隊の面々は足を止めた。
蜀の補給部隊の総数はおよそ二百前後であり、五千の徐質の部隊とはとても戦闘出来る様なものではない事は分かっていたらしく、徐質の言葉に素直に従う。
「お前らに問う。その物資は前線へ向かうモノか。死にたくなければ、正直に答えるが良い」
「いえ、これは前線の物資をより安全な後方の鉄籠山の補給基地へ移すところです」
兵の一人が恐怖に耐えられなくなったのか、すぐに答える。
その兵士は別の者に咎められそうになるが、徐質がその兵士だけを隔離する。
「正直に答える気があるのは分かった。構わないぞ。お前達の命を取ろうと言うつもりはない。だが、我らの邪魔をすると言うのであればたとえこの様な小隊であっても武功の足しにさせてもらうが、お前は答える気はあるんだろう?」
徐質は一人隔離した兵の肩を抱いて、無駄に優しく言う。
「選ばせてやろう。お前を含む、補給部隊全員がこの場で殺されるか、情報を与えて生き延びるか。どちらが良いと思う?」
姜維は眉を寄せる。
本来の戦略であれば、廖化は伏兵として伏せたところに魏軍の先鋒を叩きその勢いを削ぐ予定だった。
しかし、魏軍の援軍の動きは姜維の予想を遥かに超えて早く、伏兵に伏せるはずの廖化が魏軍の先鋒軍徐質と当たってしまったのである。
偶発的な遭遇戦だったのだが、徐質の軍は圧倒的な攻撃力を示し、廖化は消耗を避ける為にもすぐに戦を収めると即座に撤退して本隊である姜維の元へと戻ってきた。
その判断は間違っていないと姜維は思う。
蜀の本陣に姜維とその副将である廖化の他、夏侯覇や張翼、張嶷といった蜀の武将達が集められた。
「しかし弱ったな。今ここで魏軍の援軍に介入されては戦線が崩壊してしまう。何らかの手を打たなければならないのだが、私は司馬昭と言う男をほとんど知らない。どの様な策を取ってくるのか、見当もつかない」
姜維は悩みながら言う。
「司馬昭、か。陰険なヤツだが、司馬仲達の息子と言うだけあって、戦上手であると言ってもいい実力者ではある」
「夏侯覇将軍は司馬昭を知っているので?」
「少なからず」
姜維の質問に、夏侯覇は頷く。
「将器で言うのならば、おそらく兄である司馬師の方が大器ではあります。しかし、型にはまらない兄と違って、決められた事を決められた通りに行う司馬昭ならではの強さはあります」
「ほう、かつての幼常殿の様だな」
姜維は思い出しながら呟く。
幼常と言うのは諸葛亮の補佐であった参謀の一人であり、後継者として期待されていた馬謖の字である。
非常に優秀な人物であり、最初の北伐に際して当時の魏の皇帝であった曹叡と司馬懿に対して離間の計を成功させるほど秀逸な策士でもあった。
しかし司馬懿の奇計によって蜀軍は窮地に立たされ、その時に急所である街亭を守れなかったと言う事で責任を取って切られ、その一生を終えた。
また、この時の失態こそが今の蜀の苦境にも繋がっている。
「しかし、それはそれで油断ならないな。幼常殿も想定している通りであればそれは相当な実力者であった事は疑いない。司馬昭が同等と仮定するならば、相手の想定を超えた何かを用意しなければ型に嵌められて消耗させられる事になる」
蜀では必ずしも馬謖の評価は高くないのだが、姜維は同じ諸葛亮の後継者として評価していた。
先帝である劉備が諸葛亮に、
「馬謖は答えのある問題を解く事にかけては優秀だが、その場の判断が必要な時にも理論を優先させる傾向が強すぎる。今のままでは大きな仕事を任せた際に、必ず大きな失敗を招く事になるから重職を担う事は出来ない」
と言う話が伝わったせいでもあるが、だからと言って馬謖が無能であった訳ではない事を姜維は目の当たりにしてきた。
「……司馬昭とは文官の印象が強いのですが、戦場の経験もあるのですか?」
廖化が不思議そうに質問する。
「それはもちろん。司馬昭は特に敵の糧道を断つのが好む戦術です」
「道理ですね。いかにも……」
姜維は途中で言葉を区切る。
「どうされました?」
夏侯覇が尋ねても姜維は反応せず、何かを考え込んでいる。
「廖化、これは?」
「時々あるんです。思考に没頭すると、答えが出るまでこのままです」
姜維の副将を長らく務める廖化だからこそ、姜維の癖と言うのも見てきた。
その時の姜維は、妙策を出す前兆でもある。
「夏侯覇将軍、司馬昭の好みは間違いなく糧道を断つと言う戦術なのですか?」
「少なくとも俺の記憶の中では。道理や理屈を好む司馬昭であれば、大軍の弱点である糧道を狙うのは間違いなく道理である事から、今回もおそらくその手を選んでくるでしょう」
「ならば、それを逆手に取る事も出来るのでは?」
「確かに。ですが、それは相手を誘導する事が出来れば、と言う条件が付きますが」
「ごもっとも。では各将軍達にこの陣営の防備を固める事を命じます。逆茂木を配し、不退転の姿を魏に見せて下さい。ただし、絶対に相手にしない事。それで徐質はもちろん、司馬昭を討ち取る事を狙います」
もちろんそのやり取りを魏軍が知る術は無く、徐質は蜀軍に攻撃を仕掛けるものの、徹底的に守りを固めた蜀軍はそれに応える気配は無い。
「蜀軍に戦う意志無く、こちらの足止めのみを考えている様子、いかがしましょうか」
徐質は打開策を求める為に、司馬昭の本陣に来て意見を仰ぐ。
「ふむ。こちらの足止めに注力し、南安の包囲に全てを注ぐと言うつもりか。なるほど、それならば確かにこちらの援軍を無力化出来ると踏んだか」
「ここは一軍を残し迂回しますか? 敵の足止めに付き合う必要は無いでしょう」
鄧艾は司馬昭に提案する。
「いや、それでは弱い。奴らもこちらの足止めを試みると言う事は、どこかに兵糧を貯めているはず。その糧道を断てば、ここの蜀軍はもちろん、南安の包囲軍にとっても軍を維持する事も出来なくなるであろう。徐質、今のまま戦いを挑む事を続けるのだ。今の軍を維持する為にもどこからか物資を輸送してくるはず。そこから敵の糧道を掴む」
「御意に。必ず蜀軍の者共に思い知らせてやりましょう!」
徐質の軍は士気も高く、司馬昭から必勝の策を授かった事もあり、その意気も上がっている。
「士載」
「はっ」
「糧道が急所であるのはこちらとて同じ事。貴軍を持ってこちらの物資を守る事に注力して欲しい。直接の武勲には繋がらないと思うかもしれんが、この任は決して軽くない」
「分かっております。蜀軍が狙ってこようものなら、必ず返り討ちにします」
鄧艾はそう言って後方に待機する。
東興の戦いの時、鄧艾は予備軍でありながら前線に出るのが早すぎたと言う経緯がある。
それによって魏軍は全滅を免れたので功績はあるのだが、あの時に予備軍として後方にいれば呉軍の別動隊である朱異の動きは止められたはずだった。
その思いがあった為に、今回は後方待機を任じられた事でその失態を取り返すつもりでもあった。
「将軍、また武勲から見放されましたね」
「そんな事は無いさ。司馬昭様も言っていた通り、物資の守りは前線で戦う事と同等以上に重要な任務だ。それを任されたのであれば、それは大任ではないか」
杜預と鄧艾では、まったく違う考え方だった。
鄧艾の一軍は後方に下げられ、司馬昭は胡奮を伴って徐質の援護に向かう。
徐質は司馬昭に言われた通りに戦いを挑むが、蜀軍はそれに応えようとはせず守りに徹している。
しかし、今回はただ躱された訳ではなく蜀軍の動きを見る事も目的だったので、徐質としても頭に血が上る事も無く蜀軍の同行を見ていた。
改めて蜀軍の動きを見ていると、蜀軍の輸送を担っていると思われる木牛流馬の一団を見かける事も出来た。
徐質はすぐに司馬昭に報告する。
「徐質、此度の事は貴将にとっても良い機会となっただろう。戦とは腕力だけで行うものではないと言う事が分かったはず。して、敵の物資はどこから来ていた」
「おそらくは近くの山である鉄籠山の後方より。いかがいたしますか?」
「徐質、何故私が無駄とも思われる攻撃を命じたか分かるか?」
司馬昭の質問に、徐質は首を振る。
「私如きには、まだ将軍の智謀を説明無しに理解するには届きません」
「素直な事は決して悪い事ではない。胡奮、徐質と交代だ」
「将軍! 俺が何か及ばなかったのですか!」
突然役割の交代を告げられ、徐質は前のめりに司馬昭に詰め寄る。
「ふむ、まだ分かっていなかったか。徐質、これからが本当の貴将の本分である」
司馬昭はそう言うが、徐質も胡奮も首を傾げる。
「士載を下げたのは早急だったか。士載は兄上の直轄である故に遠慮もあっただけでなく、私は我が直轄である貴将等にこそ武勲を立てさせたかったのだが、まあ、良い。私は無駄が好きではないが、これまで徐質に無駄な事をさせてきた事には意味がある。蜀軍が守りに徹しているところにひたすら攻めさせたのは、何も敵の補給路を確認する為だけではない。奴らの足止めが上手くいっていると信じさせ、本格的に長期戦の構えを取らせる為である。こちらが敵の策を見抜いたのが分かれば敵も別の手を打ってこよう。だが、功を奏している間はそこから考えを進展させる事は容易ではないのだ。徐質が攻めあぐねて足止めされていると言う実績を与えた事により、蜀軍は本格的に足止めに入る。つまり、敵の補給基地に物資を集めさせる事が私の目的だった」
ここで敵の糧道を断つ事が出来れば、それは蜀軍の命脈を断つ事にもなる。
その為にも蜀軍には、最初の戦術に拘ってもらう必要があった。
そこで司馬昭は徐質に攻め続ける事を命じたのである。
「蜀軍の補給基地が分かったのであれば、これ以上長引かせる必要も無い。これまでの徐質の役割を胡奮に引き継がせるのは、徐質に別の仕事を与える為である」
司馬昭はそこで言葉を区切り、徐質を見る。
「徐質、貴将は五千の兵を率いて蜀軍の命脈を断て。これまで不本意な戦いを強いられた鬱憤を、蜀軍で思う存分晴らすが良い」
「御意!」
武将と一言で言ってもそれぞれに得意な戦い方があり、徐質は攻撃型の武将である。
空回りさせられる戦いを続けてきた徐質にとって、それは不本意な戦いであったのだが、ここでついに本来の実力を示す機会が巡ってきた事に、その士気は最高潮となっていた。
胡奮も代役とは言え、武勲を上げる機会に恵まれた。
徐質が蜀軍の糧道を断った後に来る、総攻撃の機会に備える。
「徐質。蜀軍はおそらく夜の闇に紛れて物資を運ぶと思われる故、今宵さっそく動く事を許す。存分に励め」
「蜀軍の骸で鉄籠山の道を塞いでみせましょう」
徐質は司馬昭の期待に応えるべく、その日の夜に出撃する。
魏と蜀の陣を迂回して、鉄籠山方面に向かったところにちょうど蜀の補給部隊に遭遇する。
徐質はすぐにその補給部隊を補足し、自身の五千の部隊で囲い込む。
「蜀の者共、そこで止まれ」
徐質が呼び止めると、蜀の補給部隊の面々は足を止めた。
蜀の補給部隊の総数はおよそ二百前後であり、五千の徐質の部隊とはとても戦闘出来る様なものではない事は分かっていたらしく、徐質の言葉に素直に従う。
「お前らに問う。その物資は前線へ向かうモノか。死にたくなければ、正直に答えるが良い」
「いえ、これは前線の物資をより安全な後方の鉄籠山の補給基地へ移すところです」
兵の一人が恐怖に耐えられなくなったのか、すぐに答える。
その兵士は別の者に咎められそうになるが、徐質がその兵士だけを隔離する。
「正直に答える気があるのは分かった。構わないぞ。お前達の命を取ろうと言うつもりはない。だが、我らの邪魔をすると言うのであればたとえこの様な小隊であっても武功の足しにさせてもらうが、お前は答える気はあるんだろう?」
徐質は一人隔離した兵の肩を抱いて、無駄に優しく言う。
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