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第二章 血と粛清の嵐の中で
第八話 二五三年 その時、呉では
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呉軍はすぐにでも北上してくると司馬師は予想し、魏の重臣達も十分に有り得る事と警戒していたが、呉軍の侵攻は年を明けた二五三年になってからだった。
一つには厳しい冬の行軍は、いくら勝利の余勢を借りると言っても非常識に過ぎた事。
特にこの年の冬の寒さは厳しく、呉の軍は東興郡の城から出る事が出来なかった。
だが、より深刻な問題が起きていた。
呉軍の足並みが揃わなかったのである。
司馬師が呉軍の攻勢を予想したのは、呉軍の力と言うより諸葛恪の性格を考慮した上での判断だった。
東興の戦いにおいて敗れた司馬師だが、その時の諸葛恪の取った策の分析は司馬昭や鄧艾と共に行っていた。
あの策は魏軍の侵攻を防ぐと言う守りの策ではなく、敵を倒すと言う明確な目的を持った攻めの策であり、それは諸葛恪の性格を表していると言うのが司馬師、司馬昭、鄧艾の一致した見解だった。
それであれば、今の時期を逃す理由は無いと判断したのだったが、それはあくまでも諸葛恪に対する見解であり、呉軍全軍の統一見解では無かった。
事実、鄧艾は諸葛恪なら有り得るだろうがもし自分なら侵攻しない、と司馬師に説いたほどである。
理由はやはり冬の行軍は無理が過ぎると言う事と、撤退時には総崩れ気味になっていたものの、それは魏軍本隊のみの話であり、司馬師の指示で合肥新城に入った毌丘倹はほぼ無傷である事。
また被害が出たと言っても、それが魏軍の全軍と言う訳ではなく、そもそも魏と呉では国力に差がありすぎるので同数の被害が出ても影響の出方が違うと言う事。
呉軍も勝利したが、相当な無茶をした作戦であった事による疲労を考慮する事などが挙げられた。
そしてそれは、呉軍の宿将丁奉もまったく同意見を諸葛恪に進言して彼を諌めていた。
「戦と言うものは勢いでやるべきものではない。確かに此度の戦、我ら呉軍が勝利した。その事実は明らかに諸葛恪殿の手腕によるもの。それによって丞相に任ぜられた事は正当な事である。だが、丞相とは国の内事を第一として捉え、まずはそこを安定させるべし。丞相に任じられた矢先に出征など、勢い任せにも程がある」
丁奉はそう言って諸葛恪を諌める。
ただ、この時は丁奉の言葉が強かった。
丁奉は長らく呉の戦場に立ち続け、周瑜が呉の大都督であった頃から戦場を知っている。
そして周瑜から魯粛、呂蒙、陸遜と受け継がれていった軍権を共に戦場で見てきたと言う自負もあった。
彼らは大局を見る目を持ち、勝つ為の戦いを目指し、耐えるべきを耐えてきた。
それに対し、今回の諸葛恪の大勝利は確かに歴代の大都督達と並び賞されるべき戦果かもしれないが、その先の出征と言うのは余りに勢い任せに過ぎる。
事実、今回の戦はあくまでも魏軍の侵攻を防ぐ戦であると言われてきたし、丁奉もそのつもりで準備してきた。
これに勝ってそのまま魏に侵攻する、と言う作戦では無かったのである。
「……将軍、それはつまり丞相となったこの私に従えないと言う事かな?」
諸葛恪は、あくまでも冷静を装いながら丁奉に尋ねる。
丞相と言う位人臣を極めた地位をもらった直後と言う事もあって、機嫌が良かったからこそ冷静を装う事も出来たが、これまでの人生の中で挫折を知らず、それどころか自分より優れた人物はいなかったと豪語出来る様な諸葛恪である。
この丁奉の態度は、不愉快極まりなかった。
少なくとも、諸葛恪にはそう感じていた。
「将軍、戦に重要なのは機を見て逃さない事であると考えます。その観点から言うのであれば、丞相の言、あながち勢い任せとも言えないのでは?」
丁奉と諸葛恪の間の緊張感を察し、朱異が間に入る。
彼の父親である朱桓はかなり気難しい偏屈者であったが、多大な武勲によって皇帝である孫権から重用された将軍である。
後を継いだ朱異は父親ほど偏屈ではなく聡明で、皇帝である孫権にすら物怖じしない剛直さから今回の様に補佐役として間に入る事も多い。
「丁将軍の言われる事はもっとも。ですが、魏軍は本隊に大打撃を受け、物資や兵具も大量に失っています。まして大将軍に就任したばかりの司馬師が敗れたとあっては、士気も乱れる事でしょう。多少の準備不足は否めませんが、それでもまたとない好機である事も事実。私もどちらかといえば丞相の意見に賛成です」
目立たないとは言え、今回の奇襲攻撃で重要な役割を果たした呂拠も、控えめとは言え諸葛恪の意見に賛成している。
「どぉーうかなー? いーまの世代のー意見がー一致―しているー」
「歌うな、留賛。ここは戦場では無い」
歳は留賛の方が上だが、将軍位としては丁奉の方が上である。
また軍歴も丁奉の方が長いと言う事もあって、留賛も年下の丁奉を先輩として敬っていた。
「では、丁将軍。ここまで今の世代の者達の意見が一致しているのであれば、ここは任せるのも良いのでは? 我々老将は、その補佐に徹すると言うのも悪くないと思うのだが」
「若者……と言うほど若くもないが、その者達が誤った方に進もうとしているのを止めるのが年長者の務め。大将軍を撤退させたのは確かに大きいが、司馬一族は負け戦の処理に慣れている。あの司馬懿が何度諸葛亮にしてやられたと思っている? それでも司馬懿は大将軍で有り続けたのだぞ? 司馬師にその才がわずかでも受け継がれていたのであれば、此度の敗戦如きでその人望を失墜させるとは思えん」
だが丁奉は、徹底して侵攻に反対していた。
朱異や呂拠も一応は諸葛恪に賛成しているものの、それは積極的に賛同していると言う訳ではなく、二人共どちらかといえば諸葛恪と言う程度でしかない。
ここまで強く丁奉が反対するのであれば、遠征は見送っても良いのではないかとも思える。
「将軍、一つ確認しておくが、この私が本当にただの勢い任せで魏に攻め込むと思っているのかな?」
諸葛恪は一度深呼吸して、丁奉に言う。
諸葛恪自身は今回の勝利に浮かれ、全面的に魏への侵攻を受け入れられると思っていたのだが、丁奉から横槍を入れられ、さらに他の諸将もそこまで積極的に自分に賛同していない事は、かなりの計算外だった。
これまで全面的な賛同と賞賛に囲まれてきた諸葛恪にとって、今までに経験の無い事だったので戸惑い苛立ちもあったが、ここで武将の反感を買うのは良くないと言う事くらい分かっている。
基本的に策とは秘中の秘であり、諸将に前もって説明する必要は無いと諸葛恪は考えていた。
諸将を信用していないのではなく、知らない限り情報漏洩は有り得ないからである。
先に諸将に策を説明して信用を得るより、そこから情報が漏れて対策される事の方が危険であり、得るものより失うものの方が大きいと言うのが、諸葛恪の考えだった。
しかし、戦と言うものは一人では勝てない事もよく知っている。
今のような消極的賛同程度では、万が一苦境に立たされるような事があった場合、と言うより早く、わずかな劣勢になった途端にこちらの策に従わなくなる恐れも出てくる。
「確かに今の我らに勢いはある。それが戦において極めて重要である事。それは将軍もご存知だろう。だが、私とて戦は前もっての準備が重要である事は知っている。その上で、今が最大の好機であると見た、その理由を説明しよう」
「是非伺いたい」
丁奉にそのつもりは無いのだが、武将特有の威圧的に見える態度も、諸葛恪には不愉快だった。
「まず、今であれば魏は呉の侵攻に備える事が出来ないと言う、最大の利点を活かせるのだ」
「どう言う事だ?」
それは丁奉ではなく留賛からの質問だった。
丁奉からだけでも不愉快なのに、それより下位の将軍位でしかない留賛の態度が大きい事は、諸葛恪にとって強い忍耐力を必要とする事だった。
怒鳴りつけようかとも思ったが、諸葛恪はこの様な不快感とはこれまで縁がなかった事もあり、ここで経験しておくのも今後の役に立つかもしれないと我慢する。
「すでに手は打っている。我々が魏を攻めると同時に、蜀の姜維も動く事になっているのだ。確かに我々は魏の軍を全滅させた訳ではないが、今であれば合肥新城に援軍を送るにしても、その送るべき軍が無いのだ。今の合肥新城にはもとより駐屯していた魏の防衛兵と後から入った毌丘倹と文欽の部隊のみ。いや、今回の戦で合肥新城の兵も動員していた事や、かろうじて逃げ切った文欽の部隊を除くと、実際には毌丘倹の軍のみ。呉の大軍を防げる兵ではない」
語っている内に気分も良くなり、諸葛恪は冷静さを取り戻す。
丁奉は十分な実績のある武将で、なるほど凡将という訳ではないだろうと諸葛恪は改めて思う。
だが、それでもまだ自分と張り合えるような人物では無い、と改めて判断した。
丁奉でその程度なので、他の武将など論じるに足りない。
諸葛恪は常々思う事がある。
父と自分は生まれる順序が逆だった、と。
もし自分が父の代に生まれていれば、周瑜、魯粛はともかく陸遜如きを敬う必要など無かったものを。
陸遜は会うたびに諸葛恪に苦言を呈していた。
諸葛恪はそれを、若い自分の才能に嫉妬した醜い老人の世迷言だと聞き流していた。
それどころか、彼は陸遜をその地位にふさわしくない人物だと見下していた。
彼は若くして病没した呂蒙のあと、人材の隙間にたまたまいただけの人物である、と言うのが諸葛恪の陸遜評だった。
そんな人物から、「その大雑把な性格では兵糧管理には向かず、軍権を握るべきではない」や「人を人とも思わない性格は、上に立つ者のそれではない」などと言われたところで、まったく響かない。
響くはずもない。
今、諸葛恪は丞相になって、尚の事陸遜の言葉など思い出す事も無かった。
何しろ自分は軍権を握り、位人臣を極めている。
上に立つ者ではないなど、陸遜の見る目が無かったと言うだけの結果である。
「蜀の手を借りる、か」
丁奉は眉を寄せる。
「将軍には異論がおありですか?」
「いや、先の芍陂の事を思い出していた。貴殿も参加していたであろう」
「あれは蜀の大将軍蒋琬の病によるもので、それを蜀軍の落ち度とするのはあまりに酷なのでは?」
諸葛恪はここぞとばかりに、丁奉を抑えに入る。
「もしあれが我が軍に起きた状況であれば、私でも攻勢を中断して大都督であった全琮殿の元へ駆け寄った事でしょう。いかに蜀が約束を破ったからと言って、それを責めると言うのは人としての器を問われますから」
「そこまでは言っておらん。だが、どんな形であっても蜀が兵を出さなかった事は事実。今回もそうならないと言えるのか」
「病がちであった蒋琬と違い、姜維は頑強で、此度の事もすでに了承を得ています。また、蜀は先頃魏からの投降者として夏侯覇を得ています。夏侯覇は司馬一族の打倒を目指し、我らの目的とも一致する。兵を出さない理由がどこにあると言うのですか」
諸葛恪はそう言うと、机を叩く。
「これ以上の議論は不要! 丁奉将軍にはここに残って頂く。私と共に戦うと言う事にそこまで不満をお持ちであれば、これは致し方ない事でしょう」
諸葛恪は周囲を見る。
「かつて大都督であった陸遜殿は、烈帝の宝剣を持って違反する者は切ると脅したそうですが、賢明な将軍であれば当然退いて頂けるでしょうな」
これ以上は無駄と思っていたのは丁奉も同じだったので、甘んじて留守居役を受ける。
「丁奉将軍、ここは休養と思って我らの戦いを見物下され。将軍は十分に武勲を立てておいでなのだから」
「留賛、この戦、思うほど簡単ではないぞ」
諸葛恪の必勝の策を聞いてから、他の武将達も遠征に乗り気になっているのだが、それでも丁奉は不安を消せずにいた。
「陸遜殿の名を出していたが、かつてその陸遜殿が諸葛恪に言われたそうだ。『私の前に在る者には、私は必ず同じく昇るよう奉じ、私の下に在る者には、これを扶持している。今、観たところ君の気は上を凌ぎ、意は下を蔑ろにしている。安徳の基とはならない』とな。諸葛恪はそれを声高に吹聴して陸遜殿に同意したそうだが、今のを見る限りでは、とてもそれに同意していたとは思えない」
「聞き及んでおります。父君であった諸葛瑾殿も、息子が家を滅ぼすと危惧されていたとか。ですが、才気と言うのはそう見えるものでは?」
「そうならない事を祈るばかりだ」
丁奉は溜息をつきながら、留賛に答えた。
一つには厳しい冬の行軍は、いくら勝利の余勢を借りると言っても非常識に過ぎた事。
特にこの年の冬の寒さは厳しく、呉の軍は東興郡の城から出る事が出来なかった。
だが、より深刻な問題が起きていた。
呉軍の足並みが揃わなかったのである。
司馬師が呉軍の攻勢を予想したのは、呉軍の力と言うより諸葛恪の性格を考慮した上での判断だった。
東興の戦いにおいて敗れた司馬師だが、その時の諸葛恪の取った策の分析は司馬昭や鄧艾と共に行っていた。
あの策は魏軍の侵攻を防ぐと言う守りの策ではなく、敵を倒すと言う明確な目的を持った攻めの策であり、それは諸葛恪の性格を表していると言うのが司馬師、司馬昭、鄧艾の一致した見解だった。
それであれば、今の時期を逃す理由は無いと判断したのだったが、それはあくまでも諸葛恪に対する見解であり、呉軍全軍の統一見解では無かった。
事実、鄧艾は諸葛恪なら有り得るだろうがもし自分なら侵攻しない、と司馬師に説いたほどである。
理由はやはり冬の行軍は無理が過ぎると言う事と、撤退時には総崩れ気味になっていたものの、それは魏軍本隊のみの話であり、司馬師の指示で合肥新城に入った毌丘倹はほぼ無傷である事。
また被害が出たと言っても、それが魏軍の全軍と言う訳ではなく、そもそも魏と呉では国力に差がありすぎるので同数の被害が出ても影響の出方が違うと言う事。
呉軍も勝利したが、相当な無茶をした作戦であった事による疲労を考慮する事などが挙げられた。
そしてそれは、呉軍の宿将丁奉もまったく同意見を諸葛恪に進言して彼を諌めていた。
「戦と言うものは勢いでやるべきものではない。確かに此度の戦、我ら呉軍が勝利した。その事実は明らかに諸葛恪殿の手腕によるもの。それによって丞相に任ぜられた事は正当な事である。だが、丞相とは国の内事を第一として捉え、まずはそこを安定させるべし。丞相に任じられた矢先に出征など、勢い任せにも程がある」
丁奉はそう言って諸葛恪を諌める。
ただ、この時は丁奉の言葉が強かった。
丁奉は長らく呉の戦場に立ち続け、周瑜が呉の大都督であった頃から戦場を知っている。
そして周瑜から魯粛、呂蒙、陸遜と受け継がれていった軍権を共に戦場で見てきたと言う自負もあった。
彼らは大局を見る目を持ち、勝つ為の戦いを目指し、耐えるべきを耐えてきた。
それに対し、今回の諸葛恪の大勝利は確かに歴代の大都督達と並び賞されるべき戦果かもしれないが、その先の出征と言うのは余りに勢い任せに過ぎる。
事実、今回の戦はあくまでも魏軍の侵攻を防ぐ戦であると言われてきたし、丁奉もそのつもりで準備してきた。
これに勝ってそのまま魏に侵攻する、と言う作戦では無かったのである。
「……将軍、それはつまり丞相となったこの私に従えないと言う事かな?」
諸葛恪は、あくまでも冷静を装いながら丁奉に尋ねる。
丞相と言う位人臣を極めた地位をもらった直後と言う事もあって、機嫌が良かったからこそ冷静を装う事も出来たが、これまでの人生の中で挫折を知らず、それどころか自分より優れた人物はいなかったと豪語出来る様な諸葛恪である。
この丁奉の態度は、不愉快極まりなかった。
少なくとも、諸葛恪にはそう感じていた。
「将軍、戦に重要なのは機を見て逃さない事であると考えます。その観点から言うのであれば、丞相の言、あながち勢い任せとも言えないのでは?」
丁奉と諸葛恪の間の緊張感を察し、朱異が間に入る。
彼の父親である朱桓はかなり気難しい偏屈者であったが、多大な武勲によって皇帝である孫権から重用された将軍である。
後を継いだ朱異は父親ほど偏屈ではなく聡明で、皇帝である孫権にすら物怖じしない剛直さから今回の様に補佐役として間に入る事も多い。
「丁将軍の言われる事はもっとも。ですが、魏軍は本隊に大打撃を受け、物資や兵具も大量に失っています。まして大将軍に就任したばかりの司馬師が敗れたとあっては、士気も乱れる事でしょう。多少の準備不足は否めませんが、それでもまたとない好機である事も事実。私もどちらかといえば丞相の意見に賛成です」
目立たないとは言え、今回の奇襲攻撃で重要な役割を果たした呂拠も、控えめとは言え諸葛恪の意見に賛成している。
「どぉーうかなー? いーまの世代のー意見がー一致―しているー」
「歌うな、留賛。ここは戦場では無い」
歳は留賛の方が上だが、将軍位としては丁奉の方が上である。
また軍歴も丁奉の方が長いと言う事もあって、留賛も年下の丁奉を先輩として敬っていた。
「では、丁将軍。ここまで今の世代の者達の意見が一致しているのであれば、ここは任せるのも良いのでは? 我々老将は、その補佐に徹すると言うのも悪くないと思うのだが」
「若者……と言うほど若くもないが、その者達が誤った方に進もうとしているのを止めるのが年長者の務め。大将軍を撤退させたのは確かに大きいが、司馬一族は負け戦の処理に慣れている。あの司馬懿が何度諸葛亮にしてやられたと思っている? それでも司馬懿は大将軍で有り続けたのだぞ? 司馬師にその才がわずかでも受け継がれていたのであれば、此度の敗戦如きでその人望を失墜させるとは思えん」
だが丁奉は、徹底して侵攻に反対していた。
朱異や呂拠も一応は諸葛恪に賛成しているものの、それは積極的に賛同していると言う訳ではなく、二人共どちらかといえば諸葛恪と言う程度でしかない。
ここまで強く丁奉が反対するのであれば、遠征は見送っても良いのではないかとも思える。
「将軍、一つ確認しておくが、この私が本当にただの勢い任せで魏に攻め込むと思っているのかな?」
諸葛恪は一度深呼吸して、丁奉に言う。
諸葛恪自身は今回の勝利に浮かれ、全面的に魏への侵攻を受け入れられると思っていたのだが、丁奉から横槍を入れられ、さらに他の諸将もそこまで積極的に自分に賛同していない事は、かなりの計算外だった。
これまで全面的な賛同と賞賛に囲まれてきた諸葛恪にとって、今までに経験の無い事だったので戸惑い苛立ちもあったが、ここで武将の反感を買うのは良くないと言う事くらい分かっている。
基本的に策とは秘中の秘であり、諸将に前もって説明する必要は無いと諸葛恪は考えていた。
諸将を信用していないのではなく、知らない限り情報漏洩は有り得ないからである。
先に諸将に策を説明して信用を得るより、そこから情報が漏れて対策される事の方が危険であり、得るものより失うものの方が大きいと言うのが、諸葛恪の考えだった。
しかし、戦と言うものは一人では勝てない事もよく知っている。
今のような消極的賛同程度では、万が一苦境に立たされるような事があった場合、と言うより早く、わずかな劣勢になった途端にこちらの策に従わなくなる恐れも出てくる。
「確かに今の我らに勢いはある。それが戦において極めて重要である事。それは将軍もご存知だろう。だが、私とて戦は前もっての準備が重要である事は知っている。その上で、今が最大の好機であると見た、その理由を説明しよう」
「是非伺いたい」
丁奉にそのつもりは無いのだが、武将特有の威圧的に見える態度も、諸葛恪には不愉快だった。
「まず、今であれば魏は呉の侵攻に備える事が出来ないと言う、最大の利点を活かせるのだ」
「どう言う事だ?」
それは丁奉ではなく留賛からの質問だった。
丁奉からだけでも不愉快なのに、それより下位の将軍位でしかない留賛の態度が大きい事は、諸葛恪にとって強い忍耐力を必要とする事だった。
怒鳴りつけようかとも思ったが、諸葛恪はこの様な不快感とはこれまで縁がなかった事もあり、ここで経験しておくのも今後の役に立つかもしれないと我慢する。
「すでに手は打っている。我々が魏を攻めると同時に、蜀の姜維も動く事になっているのだ。確かに我々は魏の軍を全滅させた訳ではないが、今であれば合肥新城に援軍を送るにしても、その送るべき軍が無いのだ。今の合肥新城にはもとより駐屯していた魏の防衛兵と後から入った毌丘倹と文欽の部隊のみ。いや、今回の戦で合肥新城の兵も動員していた事や、かろうじて逃げ切った文欽の部隊を除くと、実際には毌丘倹の軍のみ。呉の大軍を防げる兵ではない」
語っている内に気分も良くなり、諸葛恪は冷静さを取り戻す。
丁奉は十分な実績のある武将で、なるほど凡将という訳ではないだろうと諸葛恪は改めて思う。
だが、それでもまだ自分と張り合えるような人物では無い、と改めて判断した。
丁奉でその程度なので、他の武将など論じるに足りない。
諸葛恪は常々思う事がある。
父と自分は生まれる順序が逆だった、と。
もし自分が父の代に生まれていれば、周瑜、魯粛はともかく陸遜如きを敬う必要など無かったものを。
陸遜は会うたびに諸葛恪に苦言を呈していた。
諸葛恪はそれを、若い自分の才能に嫉妬した醜い老人の世迷言だと聞き流していた。
それどころか、彼は陸遜をその地位にふさわしくない人物だと見下していた。
彼は若くして病没した呂蒙のあと、人材の隙間にたまたまいただけの人物である、と言うのが諸葛恪の陸遜評だった。
そんな人物から、「その大雑把な性格では兵糧管理には向かず、軍権を握るべきではない」や「人を人とも思わない性格は、上に立つ者のそれではない」などと言われたところで、まったく響かない。
響くはずもない。
今、諸葛恪は丞相になって、尚の事陸遜の言葉など思い出す事も無かった。
何しろ自分は軍権を握り、位人臣を極めている。
上に立つ者ではないなど、陸遜の見る目が無かったと言うだけの結果である。
「蜀の手を借りる、か」
丁奉は眉を寄せる。
「将軍には異論がおありですか?」
「いや、先の芍陂の事を思い出していた。貴殿も参加していたであろう」
「あれは蜀の大将軍蒋琬の病によるもので、それを蜀軍の落ち度とするのはあまりに酷なのでは?」
諸葛恪はここぞとばかりに、丁奉を抑えに入る。
「もしあれが我が軍に起きた状況であれば、私でも攻勢を中断して大都督であった全琮殿の元へ駆け寄った事でしょう。いかに蜀が約束を破ったからと言って、それを責めると言うのは人としての器を問われますから」
「そこまでは言っておらん。だが、どんな形であっても蜀が兵を出さなかった事は事実。今回もそうならないと言えるのか」
「病がちであった蒋琬と違い、姜維は頑強で、此度の事もすでに了承を得ています。また、蜀は先頃魏からの投降者として夏侯覇を得ています。夏侯覇は司馬一族の打倒を目指し、我らの目的とも一致する。兵を出さない理由がどこにあると言うのですか」
諸葛恪はそう言うと、机を叩く。
「これ以上の議論は不要! 丁奉将軍にはここに残って頂く。私と共に戦うと言う事にそこまで不満をお持ちであれば、これは致し方ない事でしょう」
諸葛恪は周囲を見る。
「かつて大都督であった陸遜殿は、烈帝の宝剣を持って違反する者は切ると脅したそうですが、賢明な将軍であれば当然退いて頂けるでしょうな」
これ以上は無駄と思っていたのは丁奉も同じだったので、甘んじて留守居役を受ける。
「丁奉将軍、ここは休養と思って我らの戦いを見物下され。将軍は十分に武勲を立てておいでなのだから」
「留賛、この戦、思うほど簡単ではないぞ」
諸葛恪の必勝の策を聞いてから、他の武将達も遠征に乗り気になっているのだが、それでも丁奉は不安を消せずにいた。
「陸遜殿の名を出していたが、かつてその陸遜殿が諸葛恪に言われたそうだ。『私の前に在る者には、私は必ず同じく昇るよう奉じ、私の下に在る者には、これを扶持している。今、観たところ君の気は上を凌ぎ、意は下を蔑ろにしている。安徳の基とはならない』とな。諸葛恪はそれを声高に吹聴して陸遜殿に同意したそうだが、今のを見る限りでは、とてもそれに同意していたとは思えない」
「聞き及んでおります。父君であった諸葛瑾殿も、息子が家を滅ぼすと危惧されていたとか。ですが、才気と言うのはそう見えるものでは?」
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