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第一章 武勲までの長い道のり
第十二話 二四一年 芍陂の役
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鄧艾達はすぐさま淮南へと戻る事になったのだが、その道すがら聞いた話では司馬懿は気楽そうだったが、それは司馬懿が異常なだけで、大将軍曹爽の狼狽ぶりが物語る様に事態は深刻だった。
文帝の死と言う大事もそうなのだが、その後を継いだのが若年の曹芳だった事が呉軍の侵攻の決め手となったらしい。
しかもそれは大軍、多方面と言うものであり、人員も警戒されている荊州方面には朱然や諸葛瑾といった実戦経験豊かな者達を、兵力が少ない揚州方面には大都督を務める全琮や諸葛恪と言った中堅や若く勢いのある者を中心として軍を進めてきた。
一方の魏軍は諸葛恪に対しては文欽と言う猛将を当てて対策しているが、どうしても淮南の防備が厳しい。
この時の魏は合肥を最前線として兵力を集中させていた事もあり、淮南の防備が弱まっていた事は事実だった。
司馬懿は王凌を援軍に送る事を約束したものの、淮南の寡兵のみで今の呉軍を止める事は、いかに優れた武将であったとしても難しいだろう。
「何か策を用いるのですか?」
羊祜が鄧艾に尋ねる。
「そうしたいのは山々ですが、戻って孫礼殿の許可を得てからでは間に合わなくなる恐れがあります。後で罰せられる恐れはありますが、ここは独断で動く事にしましょう」
「独断で動けば、何か手があるの?」
媛が不思議そうに言う。
「まず、運河造りの人夫達に声をかけます。といっても、こちらにも物資は無いので、有志のみで、多くても五百前後。場合によっては命を落とす事も有りうる事を承知してくれた者のみを集めましょう。こちらが勝手に動くと言っても、私達四人ではどうする事も出来ません」
「それは私も当たってみようか」
と、媛が名乗り出る。
「姐さんが? 女性一人では危ないですよ」
「じゃ、君が護衛ね。士載と叔子もそれぞれで当たれば、二、三日で何とかなるでしょう?」
「有難いです」
鄧艾は素直に言う。
出来る事なら全員に武装してもらって州兵に協力して欲しいところなのだが、それこそ独断で行った場合には武装蜂起とも見られる恐れがある。
それに運河作りと言う名目で集めた人夫達であり、しかもそれが完成したと言う事で与えられた休養である。
それを切り上げさせ、さらにいきなり戦場へ送るとあっては人員の不安と不満は急激に膨れ上がり、今後魏全体で人夫を集める事が困難になりかねない。
どうしてもそれは避けたかった。
また、無理に集めた兵では士気が低く、また態度も怠慢になる事も多く、場合によっては少数精鋭の方が動きやすいと言う場合もある。
新任太守である孫礼が無理矢理にでも人員を集めていないところを見ると、孫礼もその事を嫌ったのかもしれない。
が、それもこれも敵軍を撃退出来なければ意味がない。
敵軍が若いと言っても、全琮は孫権の娘を娶りその一族に名を連ねる者であり陸遜の後任として大都督に上り詰めた男であり、その者が無能であるはずもない。
また諸葛恪にしても、諸葛瑾の息子でありその後を継ぐ者である。
「士載、何であんたそんなに呉の武将に詳しいの? さては呉の回し者?」
「そんな訳無いでしょう」
媛の軽口に、鄧艾は呆れ気味に答える。
鄧艾は対呉戦略を考えて運河を作る事を提案したが、その時に魏と呉の戦いを調べていた経緯があり、その流れで呉の武将が頭の中に入っていたのである。
もちろん杜預や羊祜も同様なのだが、あの時にはあくまでも将来の軍略と言う事だったので、鄧艾ほど詳細に呉の武将について調べていなかった。
「ま、士載はちょっとアレなところがあるからね」
媛は杜預や羊祜に言う。
「それは否定しませんが、そんなアレなおかげでこうやって情報が手に入る事もあるので、悪い事ばかりでは無いでしょう。とりあえず我々はそれぞれ別行動して、それぞれが百から二百程度の人手を集める様にしましょう。三日後の夕刻、この場に集まると言う事で」
「それまで魏軍が持たなかったら?」
「その時は今から何をやっても間に合いませんから、援軍の王凌将軍と合流して手立てを考えましょう」
「姐さん、わりと悲観的?」
杜預が媛に尋ねると、媛は首を振る。
「あえて士載の言葉を否定しているのよ。そうやって反対意見を出して、皆にそれに対する答えもありますよ、と聴かせる事が大事なの。よね?」
「はい。感謝してます。では杜預殿、お嬢様を頼みますよ」
「もちろんです」
「いい加減、お嬢様はやめい言うてるでしょうが」
そう抗議する媛を置いて、鄧艾はさっそく行動に移る。
この時、鄧艾達に運があったとすれば、それは正しく鄧艾や羊祜、媛と言った面々がそれぞれに人夫達と面識があり、いい関係を築いていたと言う事だった。
淮南での作業の始めに豪族であった者達を追放し、人夫達に還元すると宣言し、実際にそれを行った鄧艾を人夫達は認めていた。
鄧艾はそんな中で、今ひとつ作業が進まなかったところに目をつけた。
最終的には他のところの助けもあって運河は完成するに至ったが、その作業が遅れていた区画は、人夫に多少の問題があった。
荒くれ者が他の区画より多く、何かと問題が多かったのである。
その時の解決法だが、実は力技だった。
文句があるならかかってこいと言う具合に荒くれ者たちを相手にして、それぞれを叩き伏せて一目を置かれたと言う経緯があったからこそ、作業の遅れはあっても大きな混乱もなく作業を終える事が出来たのである。
その区画近くに行ってみると、やはりと言うべきか荒くれ者たちが数人たむろしていた。
「あ、鄧艾さん。ちーっす」
いかにもな挨拶をされて、鄧艾は苦笑いする。
「今日は。ところで……」
「了解っス。何でも言ってください!」
何か言う前に、荒くれ者の一人がそんな事を言う。
「まだ何も言っていないのですが」
「呉の連中とやり合うんしょ? もちろん、手ぇ貸しますぁ」
荒くれ者の一人が、そう言って腕を振り回している。
話が早いのは助かるが、ここまで調子の良い返事が来るとかえって心配になる。
「何故呉と戦うと?」
「とぼけんのは無しにしましょうや。俺らもバカじゃねえ。そう言う話はすぐに聞こえてくるんでさぁ。ぶっちゃけ俺らは河造りの時は役立たずだったのはわかりやす。鄧艾さんにやられてから目が覚めたんスけど、俺らは荒事専門スわ。こういう時こそ働き時だってのに、太守からは門前払いされましてね。訓練を受けていない兵はいらんってなモンですわ」
司馬懿が、
「孫礼は正直者ではあるが、妥協を知らない頑固なところがあってそれが曹爽の気に障ったのだろう」
と言っていたが、まさにそう言う人らしい。
「鄧艾さん、俺らを上手い事使ってみて下さいや。多少は役に立ちやすぜ?」
「ですが、呉の大軍と戦うのですよ? 命の保障はありません」
「そんなモン、いつもの事ですぁ。戦以外でも命を落とす事は珍しくないってのに、俺らはそこにこそ働き場を求めているんスよ」
調子が良いは良いが、彼らは彼らなりに真面目に考えての事のようだった。
「……分かりました。では明日、またここに来て下さい。もう一度言いますが、命の保障はありません。別れを言うべき人には別れを告げ、命を落としても後悔しない人だけがここに来て下さい。決して強制したりしませんし、あなた方も強制して人を連れてくる様な事はしないで下さい。分かりましたか?」
「了解ですぁ」
大丈夫かは不安が残ったが、鄧艾はその言葉を信じる事にした。
翌日に集まったのは三百人ほどで、鄧艾の予想を遥かに上回る数だったのだが、その理由はすぐに分かった。
「なるほど、同じところに目をつけていた訳ですか」
「そうみたいですね」
羊祜も戦力を集めるならここだ、と思っていたらしく、鄧艾とは別の人物に声をかけていたらしい。
そこで人数の確認をしていると、さらに二百人ほどが流れてきた。
「ありゃ? 結局考える事は一緒だったって事?」
媛と杜預もこの近くにいたらしく、この近辺に声をかけていたらしい。
「これなら別行動の意味が無かったわね」
媛が笑いながら言う。
あの場で話し合い、三日で人を集めて集まれそうなところ、と言う条件で言うのならこの区画が最適だと判断した鄧艾だったが、それは同じように人夫達と接していた羊祜や媛も同じ様に考えていたらしかった。
「いえ、まったく無駄と言う訳ではありません。日数を短縮する事が出来ましたから」
鄧艾はそう言うと、さっそく集まった面々を確認する。
いかにも腕力自慢な面々が揃っているのは頼もしい。
その上、強制されて来た者もいなさそうなのは、さらに有難かった。
「集まってもらって、有難いと思っているが、一つ皆に言っておく事がある」
鄧艾は集まった者達に向かって言う。
「私達は州の正規兵では無いので、この戦いにおいて得られるモノは何もない。もし命を落としてもそこに名誉はなく、誰も讃えてくれる者もいない。それでも良いと思う者だけが、この場に残ってくれ」
鄧艾の言葉に、その場を去る者はいなかった。
「我らは義勇兵として、呉軍と戦う事になる。もし魏が敗れた場合、この戦いに参加しなかった者達を、おそらく呉は丁重に扱ってくれるだろう。だが、戦った我らはその許しを得る事は出来ない。それでも良いのか?」
それでも、そこから去る者はいなかった。
「士載さんよ、いや、鄧艾殿。ここに集まった者はあんたの呼びかけだから集まった者達だ。あんたの為に命をかける者達だ」
荒くれ者の中でも頭領格の男が、鄧艾の言葉に応える様に言う。
「そう言って頂ければ有難い。では、今から気休めとはいえ、訓練を行う。多少厳しくなるが、皆、付いてきてほしい」
「……それは聞いてなかったなぁ」
いきなり尻込みする荒くれ者の頭領格の言葉に、笑いが起きる。
鄧艾が有言実行なのは、豪族を追放したり期日内に運河を完成させた事からも皆が知っている。
本来であればすぐにでも行動したいところではあったが、いかに腕っ節自慢が集まっていると言っても、集団行動となると話は変わってくる。
腕っ節自慢ともなると、自分の判断だけで行動したがる傾向が強く、集団として機能しない事も多い。
それでは何の意味も無い。
それどころか、戦場においては戦線を崩壊させる危険もある。
そうならない為にも、兵は徹底的に訓練を繰り返すのである。
完璧を目指すと言うのであれば数日の訓練など何の意味も無いのだが、一戦のみに関して言えば訓練を行っているかいないかは雲泥の差だった。
そういう点では一日でも訓練に当てられるのは有難かった。
「何か策があるのですね?」
羊祜が尋ねると、鄧艾は頷く。
「あるにはありますが、これはかなり危険な賭けの要素を複数含みます。まったく連携を取れない状況なのですが、全員の呼吸を合わせる必要がありますから。ですが、十分に勝算はあります」
「何それ。妖術か何か使うつもり?」
媛は疑わしげに言うが、当然鄧艾は首を振る。
「まったくそう言うモノではありません。ですが、兵法と言うものは妖術などより確実に勝利をもたらします。それは遼東で太傅が見せてくれました」
鄧艾はそう言うものの、一緒に遼東の戦いに参加した杜預ですら首を傾げていた。
「とにかく必要なのが三つ。一つはこの兵力が私の策通りに動ける様になる事。一つは孫礼将軍の協力を得る事。一つは王凌将軍の援軍の正確な移動距離。ここの訓練は私が行いますので、お嬢様と羊祜殿には孫礼将軍の元に。杜預殿は王凌将軍の詳細な位置情報を」
「……面白そうね、私は乗るわ。二人はどうする?」
「俺はその為に来ました。叔子もそうだよな?」
「後学の為にも、是非勉強させていただきます」
杜預と羊祜も乗り気だった。
文帝の死と言う大事もそうなのだが、その後を継いだのが若年の曹芳だった事が呉軍の侵攻の決め手となったらしい。
しかもそれは大軍、多方面と言うものであり、人員も警戒されている荊州方面には朱然や諸葛瑾といった実戦経験豊かな者達を、兵力が少ない揚州方面には大都督を務める全琮や諸葛恪と言った中堅や若く勢いのある者を中心として軍を進めてきた。
一方の魏軍は諸葛恪に対しては文欽と言う猛将を当てて対策しているが、どうしても淮南の防備が厳しい。
この時の魏は合肥を最前線として兵力を集中させていた事もあり、淮南の防備が弱まっていた事は事実だった。
司馬懿は王凌を援軍に送る事を約束したものの、淮南の寡兵のみで今の呉軍を止める事は、いかに優れた武将であったとしても難しいだろう。
「何か策を用いるのですか?」
羊祜が鄧艾に尋ねる。
「そうしたいのは山々ですが、戻って孫礼殿の許可を得てからでは間に合わなくなる恐れがあります。後で罰せられる恐れはありますが、ここは独断で動く事にしましょう」
「独断で動けば、何か手があるの?」
媛が不思議そうに言う。
「まず、運河造りの人夫達に声をかけます。といっても、こちらにも物資は無いので、有志のみで、多くても五百前後。場合によっては命を落とす事も有りうる事を承知してくれた者のみを集めましょう。こちらが勝手に動くと言っても、私達四人ではどうする事も出来ません」
「それは私も当たってみようか」
と、媛が名乗り出る。
「姐さんが? 女性一人では危ないですよ」
「じゃ、君が護衛ね。士載と叔子もそれぞれで当たれば、二、三日で何とかなるでしょう?」
「有難いです」
鄧艾は素直に言う。
出来る事なら全員に武装してもらって州兵に協力して欲しいところなのだが、それこそ独断で行った場合には武装蜂起とも見られる恐れがある。
それに運河作りと言う名目で集めた人夫達であり、しかもそれが完成したと言う事で与えられた休養である。
それを切り上げさせ、さらにいきなり戦場へ送るとあっては人員の不安と不満は急激に膨れ上がり、今後魏全体で人夫を集める事が困難になりかねない。
どうしてもそれは避けたかった。
また、無理に集めた兵では士気が低く、また態度も怠慢になる事も多く、場合によっては少数精鋭の方が動きやすいと言う場合もある。
新任太守である孫礼が無理矢理にでも人員を集めていないところを見ると、孫礼もその事を嫌ったのかもしれない。
が、それもこれも敵軍を撃退出来なければ意味がない。
敵軍が若いと言っても、全琮は孫権の娘を娶りその一族に名を連ねる者であり陸遜の後任として大都督に上り詰めた男であり、その者が無能であるはずもない。
また諸葛恪にしても、諸葛瑾の息子でありその後を継ぐ者である。
「士載、何であんたそんなに呉の武将に詳しいの? さては呉の回し者?」
「そんな訳無いでしょう」
媛の軽口に、鄧艾は呆れ気味に答える。
鄧艾は対呉戦略を考えて運河を作る事を提案したが、その時に魏と呉の戦いを調べていた経緯があり、その流れで呉の武将が頭の中に入っていたのである。
もちろん杜預や羊祜も同様なのだが、あの時にはあくまでも将来の軍略と言う事だったので、鄧艾ほど詳細に呉の武将について調べていなかった。
「ま、士載はちょっとアレなところがあるからね」
媛は杜預や羊祜に言う。
「それは否定しませんが、そんなアレなおかげでこうやって情報が手に入る事もあるので、悪い事ばかりでは無いでしょう。とりあえず我々はそれぞれ別行動して、それぞれが百から二百程度の人手を集める様にしましょう。三日後の夕刻、この場に集まると言う事で」
「それまで魏軍が持たなかったら?」
「その時は今から何をやっても間に合いませんから、援軍の王凌将軍と合流して手立てを考えましょう」
「姐さん、わりと悲観的?」
杜預が媛に尋ねると、媛は首を振る。
「あえて士載の言葉を否定しているのよ。そうやって反対意見を出して、皆にそれに対する答えもありますよ、と聴かせる事が大事なの。よね?」
「はい。感謝してます。では杜預殿、お嬢様を頼みますよ」
「もちろんです」
「いい加減、お嬢様はやめい言うてるでしょうが」
そう抗議する媛を置いて、鄧艾はさっそく行動に移る。
この時、鄧艾達に運があったとすれば、それは正しく鄧艾や羊祜、媛と言った面々がそれぞれに人夫達と面識があり、いい関係を築いていたと言う事だった。
淮南での作業の始めに豪族であった者達を追放し、人夫達に還元すると宣言し、実際にそれを行った鄧艾を人夫達は認めていた。
鄧艾はそんな中で、今ひとつ作業が進まなかったところに目をつけた。
最終的には他のところの助けもあって運河は完成するに至ったが、その作業が遅れていた区画は、人夫に多少の問題があった。
荒くれ者が他の区画より多く、何かと問題が多かったのである。
その時の解決法だが、実は力技だった。
文句があるならかかってこいと言う具合に荒くれ者たちを相手にして、それぞれを叩き伏せて一目を置かれたと言う経緯があったからこそ、作業の遅れはあっても大きな混乱もなく作業を終える事が出来たのである。
その区画近くに行ってみると、やはりと言うべきか荒くれ者たちが数人たむろしていた。
「あ、鄧艾さん。ちーっす」
いかにもな挨拶をされて、鄧艾は苦笑いする。
「今日は。ところで……」
「了解っス。何でも言ってください!」
何か言う前に、荒くれ者の一人がそんな事を言う。
「まだ何も言っていないのですが」
「呉の連中とやり合うんしょ? もちろん、手ぇ貸しますぁ」
荒くれ者の一人が、そう言って腕を振り回している。
話が早いのは助かるが、ここまで調子の良い返事が来るとかえって心配になる。
「何故呉と戦うと?」
「とぼけんのは無しにしましょうや。俺らもバカじゃねえ。そう言う話はすぐに聞こえてくるんでさぁ。ぶっちゃけ俺らは河造りの時は役立たずだったのはわかりやす。鄧艾さんにやられてから目が覚めたんスけど、俺らは荒事専門スわ。こういう時こそ働き時だってのに、太守からは門前払いされましてね。訓練を受けていない兵はいらんってなモンですわ」
司馬懿が、
「孫礼は正直者ではあるが、妥協を知らない頑固なところがあってそれが曹爽の気に障ったのだろう」
と言っていたが、まさにそう言う人らしい。
「鄧艾さん、俺らを上手い事使ってみて下さいや。多少は役に立ちやすぜ?」
「ですが、呉の大軍と戦うのですよ? 命の保障はありません」
「そんなモン、いつもの事ですぁ。戦以外でも命を落とす事は珍しくないってのに、俺らはそこにこそ働き場を求めているんスよ」
調子が良いは良いが、彼らは彼らなりに真面目に考えての事のようだった。
「……分かりました。では明日、またここに来て下さい。もう一度言いますが、命の保障はありません。別れを言うべき人には別れを告げ、命を落としても後悔しない人だけがここに来て下さい。決して強制したりしませんし、あなた方も強制して人を連れてくる様な事はしないで下さい。分かりましたか?」
「了解ですぁ」
大丈夫かは不安が残ったが、鄧艾はその言葉を信じる事にした。
翌日に集まったのは三百人ほどで、鄧艾の予想を遥かに上回る数だったのだが、その理由はすぐに分かった。
「なるほど、同じところに目をつけていた訳ですか」
「そうみたいですね」
羊祜も戦力を集めるならここだ、と思っていたらしく、鄧艾とは別の人物に声をかけていたらしい。
そこで人数の確認をしていると、さらに二百人ほどが流れてきた。
「ありゃ? 結局考える事は一緒だったって事?」
媛と杜預もこの近くにいたらしく、この近辺に声をかけていたらしい。
「これなら別行動の意味が無かったわね」
媛が笑いながら言う。
あの場で話し合い、三日で人を集めて集まれそうなところ、と言う条件で言うのならこの区画が最適だと判断した鄧艾だったが、それは同じように人夫達と接していた羊祜や媛も同じ様に考えていたらしかった。
「いえ、まったく無駄と言う訳ではありません。日数を短縮する事が出来ましたから」
鄧艾はそう言うと、さっそく集まった面々を確認する。
いかにも腕力自慢な面々が揃っているのは頼もしい。
その上、強制されて来た者もいなさそうなのは、さらに有難かった。
「集まってもらって、有難いと思っているが、一つ皆に言っておく事がある」
鄧艾は集まった者達に向かって言う。
「私達は州の正規兵では無いので、この戦いにおいて得られるモノは何もない。もし命を落としてもそこに名誉はなく、誰も讃えてくれる者もいない。それでも良いと思う者だけが、この場に残ってくれ」
鄧艾の言葉に、その場を去る者はいなかった。
「我らは義勇兵として、呉軍と戦う事になる。もし魏が敗れた場合、この戦いに参加しなかった者達を、おそらく呉は丁重に扱ってくれるだろう。だが、戦った我らはその許しを得る事は出来ない。それでも良いのか?」
それでも、そこから去る者はいなかった。
「士載さんよ、いや、鄧艾殿。ここに集まった者はあんたの呼びかけだから集まった者達だ。あんたの為に命をかける者達だ」
荒くれ者の中でも頭領格の男が、鄧艾の言葉に応える様に言う。
「そう言って頂ければ有難い。では、今から気休めとはいえ、訓練を行う。多少厳しくなるが、皆、付いてきてほしい」
「……それは聞いてなかったなぁ」
いきなり尻込みする荒くれ者の頭領格の言葉に、笑いが起きる。
鄧艾が有言実行なのは、豪族を追放したり期日内に運河を完成させた事からも皆が知っている。
本来であればすぐにでも行動したいところではあったが、いかに腕っ節自慢が集まっていると言っても、集団行動となると話は変わってくる。
腕っ節自慢ともなると、自分の判断だけで行動したがる傾向が強く、集団として機能しない事も多い。
それでは何の意味も無い。
それどころか、戦場においては戦線を崩壊させる危険もある。
そうならない為にも、兵は徹底的に訓練を繰り返すのである。
完璧を目指すと言うのであれば数日の訓練など何の意味も無いのだが、一戦のみに関して言えば訓練を行っているかいないかは雲泥の差だった。
そういう点では一日でも訓練に当てられるのは有難かった。
「何か策があるのですね?」
羊祜が尋ねると、鄧艾は頷く。
「あるにはありますが、これはかなり危険な賭けの要素を複数含みます。まったく連携を取れない状況なのですが、全員の呼吸を合わせる必要がありますから。ですが、十分に勝算はあります」
「何それ。妖術か何か使うつもり?」
媛は疑わしげに言うが、当然鄧艾は首を振る。
「まったくそう言うモノではありません。ですが、兵法と言うものは妖術などより確実に勝利をもたらします。それは遼東で太傅が見せてくれました」
鄧艾はそう言うものの、一緒に遼東の戦いに参加した杜預ですら首を傾げていた。
「とにかく必要なのが三つ。一つはこの兵力が私の策通りに動ける様になる事。一つは孫礼将軍の協力を得る事。一つは王凌将軍の援軍の正確な移動距離。ここの訓練は私が行いますので、お嬢様と羊祜殿には孫礼将軍の元に。杜預殿は王凌将軍の詳細な位置情報を」
「……面白そうね、私は乗るわ。二人はどうする?」
「俺はその為に来ました。叔子もそうだよな?」
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