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第一章 武勲までの長い道のり

第二話 二三七年 望外の出世

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「何で?」

「いや、俺に聞かれても」

「ここまできて慌てないの」

 都に来て、着なれない朝服を着た鄧艾と石苞は緊張でガチガチになっている。

 そんな二人を見かねてついてきたのが、彼らの上司の娘であり、二人がお嬢さんと呼んでいた少女、えんである。

 媛も都に来た事は無いのだが、思い切りの良さと肝っ玉の大きさで同い年でありながら姐御肌の彼女に、鄧艾も石苞も頭が上がらない状態だった。

「それに呼ばれて来たって言っても、あんた達昇進なんでしょ? 胸張って堂々としてなさい!」

「……はい」

 二人は何故か堂々としている媛に連れられて、城に参内する。

 媛が言う様に今回の参内は、鄧艾と石苞の昇進であり、しかもその昇進はかなり上層部からのお声掛りと言われている。

 が、その人物の正体は鄧艾達には知らされていない。

 そもそも地方の一農政官である鄧艾達は、都の上層部に知己がいないのだから予想もつかなかった。

「とはいえ、あんた達ビビり過ぎ。もっとどーんと構えなさい! 前に賊が出た時には頼りになったんだから、こんなところ気にならないでしょ?」

「なりますよ、お嬢さん」

「なぁ。お嬢の肝っ玉が尋常じゃ無いんだって。お嬢ならあの趙子龍とも戦えますって」

「あ? 仲容、昇進の前に死にたいの?」

「え? いやいや褒め言葉! 褒め言葉ですって! 最上級の褒め言葉!」

「死にたいの?」

「士載、行こう!」

 満面の笑顔でとんでもない事を言う媛から逃げる様に、石苞は鄧艾を連れて城に入る。

「じゃ、しっかりねー」

 媛はにこやかに二人を送り出す。

「ありゃ大物になるな」

「すでに大物だと思うよ」

 石苞や鄧艾と年も変わらない媛なのだが、二人にとっては姉の様な存在で頭が上がらない存在である。
 上司の娘、と言う立場がそうさせるのだろう。

 二人は案内役について行く。

 二人にとって昇進の挨拶でわざわざ都まで来る事は初めてだったので、都の大きな部屋に武将や文官などが集まっている事は普通の事なのだろうと思っていた。

 が、それは通常では有り得ない光景だったと分かるのは、その後何度も昇進した時に最初と違うと分かった時だった。
 この時の二人の昇進に関わった人物が問題だったのである。

「二人とも、顔をあげよ」

 その声は壇上からかけられた。

 この場でもっとも上位の者と言うのがわかり、二人は顔を上げる。

 そこに立っていたのは壮年の男性で、朝服こそ着ているものの背筋は伸び、その迫力は年齢を感じさせない、知性と武力を兼ね備えた将軍の中の将軍と言う様な人物だった。

 が、不思議と見覚えがある。

「大将軍の司馬懿である」

 そう名乗られて、石苞と鄧艾は慌てて頭を下げる。

 大将軍はその名の通り、将軍の最高位であり、その人物より上となるともはや皇帝しかいない。
 二人は形式に則って挨拶を済ませ官職をもらうと、あからさまに場違いなところから早く退出しようとする。

「まあ、待たれよ」

 そそくさと出ていこうとする二人を、司馬懿が引き止める。

「その方ら二人を呼んだのは他でもない。君ら二人はその程度の官職に収まる者ではない。石苞、そなたは毌丘倹かんきゅうけんの元で学ぶが良い」

 毌丘倹と言う武将の名前は、石苞や鄧艾さえも聞いた事がある。

 父親は武帝の時代より認められた人物であり、その息子である毌丘倹も若くしてその実力を高く評価されている。
 現皇帝である曹叡そうえいにも近しい人物であり、若手将軍の中ではもっとも有望とされている人物の一人だった。

「……は? は、はい! か、かしこまりました!」

 石苞は慌てて言う。

「そして鄧艾、そなたは私の属官として、ここに留まるが良い」

「……は?」

 きょとんとして鄧艾は司馬懿の方を見る。

 いかに鶴の一声とは言え、あまりにも有り得ない人事に鄧艾は理解が追いつかなかった。

 鄧艾も石苞もただの地方官に過ぎない。
 その人事に大将軍が口出しする事がまず有り得ないのだが、なにより鄧艾にしても石苞にしても、大将軍と知り合う様なきっかけは無かった。

 それは鄧艾だけでなく、集まっている文官武将達も同様に驚いていた。

 あまりにも脈絡の無い大抜擢だったからである。

「では解散だな。後はそこの二人と話がある」

 司馬懿に言われ、石苞と鄧艾はわけもわからないままその場に残る。

「話が終わったら私のところにも顔を出してもらえるかな? こちらも色々と紹介しておきたいからね」

 退出する時、毌丘倹が石苞に向かって言う。

「は、はい。わかりました」

 若き名将の呼び声高い毌丘倹の元で働けると言うだけでも凄いのだが、その本人からそうやって直接声をかけられると言う事が、石苞にとっては想像もしない事だった。

 もっとも、それ以上に大将軍が自らこの二人を呼んだと言う事の方が大事だったのだが。

「さて、何故自分達が、と思っている様だから説明しておこうか」

 司馬懿はそう言うと、二人を自分のところに呼ぶのではなく、自ら二人の方へ歩み寄ってくる。

「で、二人とも、私が誰だかわかっていないようだが、何度も顔を合わせていると言うのに寂しい限りだなぁ」

 苦笑い気味に司馬懿は言う。

 そう、どこかで会った事があると言うのは鄧艾も感じているのだが、会える様なきっかけが無いのだから思い当たりようがない。

「……あ」

 思わず声が出たのは、鄧艾ではなく石苞だった。

「爺様?」

「ああ、そうだった。最初に私に声をかけてきたのは君だったな。正直に言うと誠実そうな鄧艾はともかく、軽薄そうな君の事は好きになれなかったのだが、いやいや、私もまだまだ人を見る目が育っていないと言う事だな」

 全ては知らなかったから、と言う事もあったが講談師の元に正体を隠していた司馬懿を見つけて、最初に親しげに話しかけたのは石苞だった。

 講談師の元に来るのは比較的若い人物が多かった中で、一人年配の人物がいたので好奇心からだったのだが、もし大将軍だったと知っていたらさすがにそこまで気楽に声をかける事は出来なかっただろう。

「大将軍の楽しげな声を久方振りに聞いた気がするな」

 そう言って、奥からやって来たのは色白の美男子だった。

 見るからに高貴な雰囲気をまとった男性で、その見る者を魅了する外見もさる事ながら、特に目を引くのは高く結い上げているにも関わらず足元まで伸びた長い髪である。

「これは陛下」

「また毌丘倹から怒られたよ。余計な出費は控えて、今は農政に力を入れるべきだとな」

「ふむ。言い分には一理ありますが、陛下には陛下のお考えがあっての事。陛下の方から毌丘倹にその事をお話にはなられていないので?」

「朕は皇帝である。朕の行いは一将軍に左右されるものではない」

 冷たく言い放った後、ニコッと笑って見せる。

「と言ってみたものの、毌丘倹はあれで頑固でなぁ。大将軍の方からも口添えしてもらえぬか?」

「陛下のご要望とあらば」

 司馬懿はそう言うと、美男子は笑顔で石苞と鄧艾の二人の方へ来る。

 話の流れから、この人物が魏の二代目皇帝曹叡だと言う事は分かる。
 見るからに高貴な雰囲気と、大将軍が頭を下げる人物。
 さらに自らが皇帝と名乗った事など、もしかしたら影武者かも知れないが、それでも一目見て只者ではない事は分かる人物だった。

「して、二人が大将軍の目に止まった者か?」

「御意に。二人共有望な者です」

「そうか、それは可哀想に」

 と、曹叡は意地悪い笑顔を浮かべて言う。

「大将軍の人使いの粗さは有名だからな。毌丘倹は育成に力を入れる方だからまだマシだが、大将軍は厳しいから覚悟しておいた方が良い」

「陛下、あまり脅かしては可哀想です」

「いやいや、前もって知っておくべきだろう。何も知らずにこき使われるのは目に余る故に」

 曹叡の言葉に、司馬懿は苦笑いするしかなかった。

「して、どちらが大将軍の属官かな?」

「私です」

 鄧艾が答える。

「ほう、では大将軍に代わって朕が宿題を与えよう」

「宿題、ですか?」

「うむ。対呉との戦略を手土産に大将軍に採点してもらうと良い。いかに大将軍の目に止まったとはいえ、実力が伴わなければこの先厳しい目にあう事だろう」

「対、呉でございますか? 蜀ではなく?」

「蜀は大将軍存命中に何とかするだろう。なぁ、大将軍?」

 曹叡はニヤリと笑って司馬懿を見る。

「しかし、いかな大将軍とはいえ年には勝てぬ。そこを若手が支えずしてどうする?」

「分かりました」

 鄧艾はそう答える。

 と言うより、それ以外の答えの出しようがない。
 今目の前にいるのは、皇帝と大将軍なのだ。

「陛下に全て説明していただいたので、こちらから補足する事も少なくなってしまったが、他の若手も同じ宿題を出されていてな。書庫にて討議している事だろう。君にもその利用を許可する故、何かしら戦略の一つを持ってくるが良い。そこから私の属官として任命する事とする」

「はっ。かしこまりました」

 鄧艾はそう答えると、石苞と共に城から退出する。

「……良かったのか、士載」

「良かったも何も、大将軍の属官だなんてこれ以上は無い役職じゃないか」

「いや、そうじゃなくて。対呉の戦略の採点の結果によって属官って条件だっただろう? それって、それに任命されるまで無職って事だろ? 生活費とか、お袋さんに仕送りとか、その辺の事だよ」

「……しまった。その問題があったか」

「それなら大丈夫!」

 二人の後ろから突然声をかけられる。

「うぉあ! お、お嬢? 何で?」

「ぬっふっふー。この媛、どこにいてもあんた達の行動はお見通しよ!」

「お嬢、かなり怖いッス」

「ま、それは冗談よ。せっかく都に来たんだから都見物してたの。で、そろそろ帰ろうかなと思った時にあんた達がブツブツ言いながら出てきただけで、別に私があんた達をずっと監視してた訳じゃないのよ」

 冷静に考えればそんなところなのだろうが、あまりに良いところで現れたので驚かされたのだ。

「士載にだったら私が貸してあげるわよ。出世払いって事で。それなら文句無いでしょ?」

 媛は意地悪な笑顔を浮かべる。

 媛の父は鄧艾を早くから評価していた。
 その高い能力に対して極めて貧しい鄧艾の為に施しをした事があったのだが、その事に対して鄧艾は一切礼を言わなかったと言う。

 媛の父親は特に気を悪くした様子も無かったのだが、媛は恐ろしく生意気な少年にどう言うつもりかと詰め寄った。
 だが、鄧艾は毅然と答えた。

「その施しは私の能力に対してではなく、私の貧しさに対する同情であり、蔑みによる行為。それを受け取る事に礼など言えません」

 その堂々たる返答に母は驚き、媛は怒り心頭になったのだが、媛の父親はますます鄧艾の事を気に入ったようで、翌日から一農夫だった鄧艾は下官とはいえ役所勤めを認められ、今に至っているのである。

「文句ないわよね?」

 しかし、当時と今では違い過ぎる。

「……はい、よろしくお願いします」

「うむ、素直でよろしい」

 満足そうに頷く媛の支援もあって、鄧艾は都に残る事が出来た。
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