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第五夜
義弟は人を呼んでほしくない
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「カオル」
「……なに?」
カオルは教科書に目を落としたまま声だけで返事をした。その瞳は教科書を一心に見つめていて、勉強に集中していることが窺える。
あれだけべったりと甘えていても、集中して取り組んでいることを邪魔されたくはないらしい。素っ気なささえ感じられるような気がする。
「今日俺の大学の友人が家に来ることになった」
「…………え?」
カオルの首がゆっくりと捩じられて、瞳に俺の姿を映した。動揺しているのか、その瞳はゆらゆらと揺れている。
「な、なんで……? なんで、うちに?」
「まあ、ちょっとした野暮用でな」
本当はカオルに外との接点を作ってもらうためだが、これは本人には伝えるべきではないだろう。カオルは言っても嫌がるだろうし、変に身構えてしまうかもしれない。理想はあくまで、自然とカオルが俺以外の人間とコミュニケーションを取ることだ。
「えっ、えっ……いっ、いつ……?」
「それはこっちに合わせてくれるらしい。カオルは何時だと都合がいい?」
「? ど、どうしてオレの都合を訊くの? ケン君に用事があるんでしょ?」
「あー……一応リビングで用事を済ませようと思ってるんだ。カオルがリビングを使いたい時間とは被らせない方がいいだろ?」
咄嗟にした言い訳だったが、カオルは納得したらしい。表情から怪訝の色は消えている。以前として暗い影が落ちたままだが。
「……た、大した用事じゃないなら、わざわざ家じゃなくても……」
直接は口にしないが、やはりカオルはこの家に他人が来るのは嫌なようだ。カオルの心情を考えれば当然だろう。この家は文字通りカオルを守ってくれる場所だ。人の目から、外部の干渉から。
「ああっと、会いたくなかったらカオルは部屋に籠ってて大丈夫だぞ。時間もそんなかからないだろうけど……それでもやっぱり嫌か?」
「っ……い、嫌っていうか……」
嫌なのだろう。口から吐き出される言葉以外のカオルの全てが、この家に他者を呼ばないでくれと言っている。
時期尚早だったかもしれない。カオルの怯えるような嫌がり方を見ているとその思いが沸々と湧いてきた。
俺とカオルの関係は後戻りが難しい位置まで来てしまっているが、だからといってカオルの心のリハビリを焦っていいことにはならない。無茶をすれば、二度と直せないヒビが入ってしまうこともありえる。
「……そうだな。確かに外でも用事は済ませられる。テキトーにファミレスでも行くことにするかな」
今回はカオルに外を意識させただけでも十分としよう。一条には悪いことをしたが、確か話をしたがっていたはずだ。今日は雑談に付き合うこととしよう。
「で、出かけちゃうの?」
「そうなるな」
「……げ、玄関の外でパパっととか、無理なの?」
朝もカオルは俺が出かけるのを嫌がっていた。その時は生クリームと拮抗する程度の執着だったが、今は絶対に譲れないという様子だ。
「ああ、できるけど……確かヒールを履いてたからな。立ちっぱなしにするのはちょっと酷だな」
「ヒール……? おっ、女の人なの⁉」
「ああ、だから最低でも座れる場所じゃないと――」
「っ、じゃ、じゃあっ、いいよ!」
「えっ?」
友人が女性だとわかった途端に、カオルの様子が一転した。家に呼ぶのを嫌がるどころか、むしろそうしてほしいと懇願しているようにも見える。女性だと知って下心で喜んでいるというわけではなさそうだが、どういった心情の変化があったのだろうか。
「い、いいよ、この家に呼んで。そ、そしたら……ケン君も外には行かないよね?」
「ま、まあそうだけど。それじゃあ、何時頃にするか」
「……いっ、いまは?」
「いまって、今すぐか?」
「だ、だめ……?」
「どうだろうな。とりあえず、それで打診してみる」
「う、うん……」
とにかく、これでカオルと一条の接点を作る機会を作ることができた。顔を合わせるのは難しいかもしれないが、カオルの世界は必ず広がるはずだ。
「っ……」
スマホにチャットを打ち込みながらカオルの様子を窺うと、思いつめたように教科書と向き合っていた。
「……なに?」
カオルは教科書に目を落としたまま声だけで返事をした。その瞳は教科書を一心に見つめていて、勉強に集中していることが窺える。
あれだけべったりと甘えていても、集中して取り組んでいることを邪魔されたくはないらしい。素っ気なささえ感じられるような気がする。
「今日俺の大学の友人が家に来ることになった」
「…………え?」
カオルの首がゆっくりと捩じられて、瞳に俺の姿を映した。動揺しているのか、その瞳はゆらゆらと揺れている。
「な、なんで……? なんで、うちに?」
「まあ、ちょっとした野暮用でな」
本当はカオルに外との接点を作ってもらうためだが、これは本人には伝えるべきではないだろう。カオルは言っても嫌がるだろうし、変に身構えてしまうかもしれない。理想はあくまで、自然とカオルが俺以外の人間とコミュニケーションを取ることだ。
「えっ、えっ……いっ、いつ……?」
「それはこっちに合わせてくれるらしい。カオルは何時だと都合がいい?」
「? ど、どうしてオレの都合を訊くの? ケン君に用事があるんでしょ?」
「あー……一応リビングで用事を済ませようと思ってるんだ。カオルがリビングを使いたい時間とは被らせない方がいいだろ?」
咄嗟にした言い訳だったが、カオルは納得したらしい。表情から怪訝の色は消えている。以前として暗い影が落ちたままだが。
「……た、大した用事じゃないなら、わざわざ家じゃなくても……」
直接は口にしないが、やはりカオルはこの家に他人が来るのは嫌なようだ。カオルの心情を考えれば当然だろう。この家は文字通りカオルを守ってくれる場所だ。人の目から、外部の干渉から。
「ああっと、会いたくなかったらカオルは部屋に籠ってて大丈夫だぞ。時間もそんなかからないだろうけど……それでもやっぱり嫌か?」
「っ……い、嫌っていうか……」
嫌なのだろう。口から吐き出される言葉以外のカオルの全てが、この家に他者を呼ばないでくれと言っている。
時期尚早だったかもしれない。カオルの怯えるような嫌がり方を見ているとその思いが沸々と湧いてきた。
俺とカオルの関係は後戻りが難しい位置まで来てしまっているが、だからといってカオルの心のリハビリを焦っていいことにはならない。無茶をすれば、二度と直せないヒビが入ってしまうこともありえる。
「……そうだな。確かに外でも用事は済ませられる。テキトーにファミレスでも行くことにするかな」
今回はカオルに外を意識させただけでも十分としよう。一条には悪いことをしたが、確か話をしたがっていたはずだ。今日は雑談に付き合うこととしよう。
「で、出かけちゃうの?」
「そうなるな」
「……げ、玄関の外でパパっととか、無理なの?」
朝もカオルは俺が出かけるのを嫌がっていた。その時は生クリームと拮抗する程度の執着だったが、今は絶対に譲れないという様子だ。
「ああ、できるけど……確かヒールを履いてたからな。立ちっぱなしにするのはちょっと酷だな」
「ヒール……? おっ、女の人なの⁉」
「ああ、だから最低でも座れる場所じゃないと――」
「っ、じゃ、じゃあっ、いいよ!」
「えっ?」
友人が女性だとわかった途端に、カオルの様子が一転した。家に呼ぶのを嫌がるどころか、むしろそうしてほしいと懇願しているようにも見える。女性だと知って下心で喜んでいるというわけではなさそうだが、どういった心情の変化があったのだろうか。
「い、いいよ、この家に呼んで。そ、そしたら……ケン君も外には行かないよね?」
「ま、まあそうだけど。それじゃあ、何時頃にするか」
「……いっ、いまは?」
「いまって、今すぐか?」
「だ、だめ……?」
「どうだろうな。とりあえず、それで打診してみる」
「う、うん……」
とにかく、これでカオルと一条の接点を作る機会を作ることができた。顔を合わせるのは難しいかもしれないが、カオルの世界は必ず広がるはずだ。
「っ……」
スマホにチャットを打ち込みながらカオルの様子を窺うと、思いつめたように教科書と向き合っていた。
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