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第二十五話 魔王アグリッサ
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南大陸を南下する旅を続けているうち、俺は十八歳になっていた。
魔物と戦い、時に交渉して利を得る。各地の冒険者ギルドに立ち寄りクエストを達成する。どこの町も復興作業中だったので土木工事のクエストで汗を流した。
人の病や怪我を治し、その地の男たちと酒を酌み交わし、一夜の花を抱く。そんな充実した旅だ。
そしてついに南大陸南端の国、ディアラバ王国に到着した。
「本当に暑い大陸だが、ここはさらにだな」
『まあのぅ、南大陸の人間は一生雪を見ることはないからの』
港について、水平線を見る。
「あの水平線の向こうに魔大陸があるのか」
『ふむ…』
「東大陸から南大陸に渡ってきた時と同様に飛行魔法を使い、途中船で休みながら海を横断だ。結界を張っていたとはいえ何度か海棲モンスターに襲撃されたし、一応この町の船工房に行き点検メンテナンスをしてもらおうと思う」
『賛成じゃ』
点検メンテナンスには数日かかる。俺は船を工房に任せて、この町の神殿へと歩いた。
例によって寄進と町来訪の証を信徒カードに記録してもらうためだ。寄進する金は海棲モンスターの亡骸を売った金だ。内陸の町で高値で売れた。
神殿に着いて門番を務める教会騎士に信徒カードを見せると
「おお、貴方が僧都トシ様ですか。名声はここディアラバ王国にも届いておりますよ」
ほぼ南大陸を北から南に縦断する旅だったからな。色々と伝わっているかもしれない。そしてブルムフルト王国の神殿と同じくシスターが案内担当として就いてくれた。
「僧都トシ様、私はディアラバ王国のハイゼル教神殿のシスター、リンダと言います。お会いできて光栄です」
「シスターリンダ、僧都のトシです。寄進と町来訪の記録をお願いいたします」
「承知しました。こちらへ」
神殿内を歩いていると
「僧都様のお噂は聴いております。『ゴッドハンド』そう呼ばれているとか」
南大陸で、俺はいつしかそう呼ばれることになった。
「大層な二つ名で照れくさいですけどね」
「神殿でのご用向きが終えられたら併設している孤児院の子供たちの治療をお願いできますか」
「ええ、いいですよ」
「ありがとうございます。さ、こちらが本殿になります」
守護神ハイゼルの大きな神像があった。
「見事だ…。ここ南大陸のあちこちの国に立ち寄りましたが、国によって神像も異なりますね。常夏の国ゆえかハイゼル神も情熱的に見えます」
「はい、私もそのように思っております」
常夏の国だからシスターも薄着なんだよね。たまりませんけど今は慎んでおこう。
「しかし、よく魔王軍の攻撃から守り切れましたね」
「はい、あの日のことはよく覚えています。私は当時孤児院に住んでいたのですが、私たちも駆り出されて、分解した神像の一部をもって戦火から逃げました。神殿は魔王軍に破壊されてしまいましたが何とか神像は守ったのです。ですから誇りでもあるのです。ハイゼル神を守ったと」
『……』
シゲさんも思うことあるだろうな。魔大陸から一番近い人間の国がここだ。真っ先に攻撃を受けて、当時の国王も討たれたと聞く。
魔王ゼインだったシゲさんの罪はこの世界の人々から永遠に消えないかもしれないが…友として俺は少しでも彼の罪を償いたい。
それから数日、俺は神殿を拠点として臨時診療所を設置して町の人々の治療にあたり、自力で神殿に来られない場合は往診に赴いた。
そして船の点検が終わり、そろそろ魔大陸に飛んでいく準備をしなければならない。食料と水を買っておかないとね。魔大陸まで四泊くらい船で泊まりそうだし。
臨時診療所をシスターと共に片付けているとシスターリンダが
「僧都様、明日この町を出て行かれると」
と、声をかけてきた。
「ええ、私の治癒を待つ人々は多いので一箇所に長くはいられないのですよ」
「確かに…。あの…」
「なんです?」
顔を赤めているシスターリンダ
「あの…僧都様は大陸を旅している間、多くの女性と交わったと聞いております。未亡人を始め、体を壊して子を生めなくなった女の体も治して子種を与えたとか」
「ああ…」
その通りだ。俺はこの大陸に来てサウスレッド王国を皮切りに多くの女性を抱いてきた。
そう望まれたからだ。俺は治療代として女の体を絶対に求めなかったけれど、セイラシアの女なら闘気もしくは魔力が豊富な男の子種がレアだと本能的に知っているので、そんなことは関係なかった。毎夜複数の女性から夜這いされて、全員ありがたく抱かせてもらった。
シスターリンダが言った後者の方は、元は患者であっても快癒後に俺の子種を欲した女性もまた多かったことから伝わったのだろう。
ハーレムを持つぞ!なんていきがっていたけれど、俺は拠点を持っていないだけの話で、この望みは十分に叶ったと言えるかもしれない。
でも、みんな名前と顔を覚えているよ!ちゃんと当面の生活費も渡しているよ!
絶対に驕らないと梨穂に誓ったのだから。
東大陸の神殿では多くのシスターと交わったけれど南大陸ではまだだった。
『ゴッドハンド』という二つ名、そして臨時診療所において魔法と闘気の治癒の数々を自分の目で見て、この大陸のシスターたちも子種が欲しくなってきたのかもしれない。
シスターリンダの上司ヒルダさんが歩んできて
「僧都トシ様…。あの、この国を発たれる前に私たちにも子種をいただけたら…」
「いや、私は構いませんけど…今夜いきなり大丈夫ですか?」
「は、はい!あとの片づけは私たちに任せて入浴を!そのあとは部屋でお待ちください!」
シスターたちは大喜びしている。改めて思うけれど、この世界の女性は本当に子供を欲しがる気持ちが強い。それが本能なのだろうな。だから性欲も強いし行為も情熱的だ。
さて、今宵も頑張るとしましょうか。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
翌朝、俺はシスターたちに見送られて神殿をあとにした。
船工房から点検メンテナンスを終えた船を受け取り、そして港へと。いよいよ魔大陸へと向かう。港から見えもしない魔大陸の方を見つめた。
「ここに至るまで色々と分かったけれど…まさかシゲさんが切り取った土地全てを放棄していたとは思わなかったな」
『ふむ…』
以前はシゲさんのちょっとした先入観もあり、娘のアグリッサは魔王ゼインが切り取った土地を統治していると考えていた。
しかし、旅を続けていくうちに全く違っていたことが分かり、アグリッサは父のゼインが破壊した国や町を放棄しており、現魔王軍は侵略などしていないと。今は魔大陸最大国家エビルパレスに女帝として君臨していることが分かった。
サウスレッド王国、そして今いるディアラバ王国も魔王ゼインが破壊した国だけれど、町のあちこちで復興作業中。追われた人々が戻ってきたのだ。ここに魔王ゼインの弟子がいると分かれば袋叩きだろうな。
ちなみに言うと勇者軍の情報はブルムフルト王都ギルドで知った通りだった。
現魔王アグリッサが行った唯一の軍事行動、それは父のゼインを討った勇者たちへの報復。勇者と聖女は死に、魔王ゼインとの戦いに生き残った他の勇者軍のメンバーすべて死亡。その直後に魔王軍は魔大陸に撤収してしまい、以来人間と魔族の戦いは休戦状態となっている。特に約定も交わされていないので、いつまた戦争が起こるか分からないという状態だ。
「まあ、この南大陸は人間の国しかなかったし、魔族がいれば再び戦争になると見込んだんじゃなかろうか。英邁な女帝様じゃないか」
『そうじゃな…。しかしこのディアラバ王国、かなり破壊したと思うが、まさかここまで復興していたとはのう。魔族ではこうはいかんだろう。改めて人間の力に思い知らされるのう』
「ああ、言っていたな。魔族は人間の何倍も生きられるから目的もなく無気力に生きている者も多いと。確かにそういう性質なら町の復興なんて中々進まないかもしれないな」
『その通りじゃ。そのうち誰かやるだろうと、そんな感じじゃの。魔族が人間より勝るのは個人的な戦闘力だけかもしれんて』
町のあちこちから聞こえる復興の音、ハンマーが木材を叩く響きを俺とシゲさんは心地よく聞いていた。しばらくして
「さてと…準備はいいか、シゲさん」
『OKじゃ』
俺は魔力を体にまとい、宙に舞い、魔大陸の方向へと飛んでいった。
びゅううううん
早朝から夕刻までひたすら飛んでいく。いや、空を飛べるって気持ちいいものだな。
たまに鯨が海面から出てきて潮を噴いている。イルカの群れも。令和日本では中々見られないな。海も綺麗で海中のサンゴ礁や色鮮やかな魚が海上からもよく見える。
「シゲさん、今日はこのくらいにしておくよ」
『そうじゃな。トシ、お疲れさん』
空中に停止し、収納魔法から船を出して海へと。甲板に降りて結界を張る。
「んんん~!」
思い切り体を伸ばして夕暮れを見つめる。何とも美しい光景だ。
「梨穂にも見せてやりたかったな…」
夕暮れ時の海を見るたびに、そう思う。こんな船に乗って彼女の肩を抱きながら見ることが出来たならと。
「さて、夕食の準備をするか」
昨日仕込んでおいたビーフシチューが入った鍋を収納魔法から取り出して船内のキッチンで温める。我ながら上出来、いい香りだ。パン一斤、わかめスープ、自家製のドレッシングをかけた生野菜も用意して
「いただきまーす」
昨日まではシスターたちと共に食べていたから一人の食事は少し寂しく感じるな。
夕食を終えて片づけをしつつ
「シゲさん、娘さんと会った後はどうするんだ?まあ、娘さんとの話の内容にもよるだろうけど」
『そうじゃな…。まずは現状の魔王軍についてあれこれと…ん?』
この船にまっすぐ近づいてくる者がいる。南大陸からではなく、魔大陸方面から。
かなりの速さの飛行魔法だ。
「シゲさん…」
『まさか…』
パリン…
俺が船に張った結界はあっさりと砕かれた。ご丁寧に甲板に立ったあと張り直してくれている。俺より密度の濃い高度な結界を。船室の扉を『コン、コン、コン』とノック。
「どうぞ」
こちらへの害意は感じない。そのまま入れることに。入ってきたのは一人の女だった。
『アグリッサ…』
「マジかよ…」
全身が薄い水色の肌、鍬形の角、流れるような赤くて長い髪の女がそこに。これが魔族の女…。すごい美人じゃないか。
黒いローブがまた赤い髪に調和しているな。だが鼻の下を伸ばしている場合じゃない。護衛がいる。彼女の影の下に潜んでいる。かなりの強さの魔族だ。
「おぬしが父の魂を体に宿す者か」
「その通りだ。名はトシ。銅級冒険者であり、ハイゼル教の僧都でもある」
「そうか。私の名はアグリッサ、先代魔王ゼインの長女で現魔王じゃ」
とんでもない強さだが…勝てない相手じゃない。それに、こんな美女と戦いたくないな。
「父と直接話したい。出来るか?」
「分かった」
船室内のソファーに腰かけてもらい、彼女に茶を出したあと意識を手放し、シゲさんと入れ替わった。
【魔王ゼイン視点】
「久しぶりじゃのう、アグリッサ」
「父上も御霊の状態とはいえお元気そうで。しかし、ずいぶんと年寄りくさい話しようになったものですね」
「色々と事情があってのう。儂の妻たちは元気か」
「母上は病死。父上と共に出征していたウルカ、ミランダ、ナディアは勇者軍の追撃で討たれ、ルビーノ、セネカは行方知れず。その他の父上の元妻たちは無事です」
「そうか…」
「父上が討たれて一年後に東大陸に御霊として降り立ったことは全世界に散らばせている同朋により掴んでいました。そしてトシという少年の中にあると」
「では儂の事情から話そうかの。その前にジャグア、席を外せ」
アグリッサの影から長身の魔族が姿を現す。かつて我が軍の切り込み隊長だった男。
「お懐かしゅうございます、魔王様」
「ふむ、そちも元気そうで何よりじゃ」
「ジャグア、かまわぬ。外せ」
「御意」
アグリッサの指示に従い、ジャグアは船室から出て行った。
儂は勇者スレイブに討たれたあと、地球の昭和日本に人間として生まれ変わり、八十歳近くまで生きたことを娘に話した。
現在、依り代となっている若者は晩年に出来た年の離れた友人で本当は五十五歳の男、この世界で生きていくため若返らせ、荒行を課して過酷なこの世界で旅が出来るように仕込んだこと。以来、共にセイラシアを旅してきたことを話す。自分が亡き後、セイラシアはどうなったのか、魔王軍はどうなったか知りたかった。
「それで魔大陸のエビルパレスを目指したわけですね。私は父上より弱い魔族ですが、同族の気配くらいは察することは出来ます。それでこちらから出向いた次第です」
「ふむ、会ってどうこうというわけではなかったが、現在のエビルパレスがどうなっているか見たかったゆえな。儂の妻たちにも会いたかった」
「父上は外征中に勇者軍に討たれたのです。我らの本拠地エビルパレスそのものにダメージはありません。元々私が留守を預かっていたのですから大した混乱も生じていません。それと存命している父上の元妻たちは全員再婚していますから、今更御霊とはいえ現れるのは迷惑ではないかと」
「そうなのか…」
「ええ、父上は死んだのですから」
「そうだな…」
「父上の御霊を宿した人間の若者がエビルパレスに来れば混乱も生じるでしょうし、討たねばならない状況になるかもしれません。だから、このまま魔大陸には訪れず、お帰り下さい」
「お前たちが勇者軍を討ったと言うのは…」
「私たちではありません。彼らはそれまで後ろ盾であった北大陸最大国家ノースランド王国に討たれました」
「なんじゃと?」
「生還した英雄など為政者にとって邪魔者でしかなかったのでしょう。馬鹿な連中です。我ら魔王軍を倒した者を討ってしまったのですから」
「『狡兎捕えて走狗煮られる』ということか…。哀れよの」
「それは?上手い言いようですが」
「儂のいた世界にある故事じゃよ。必要であるうちは重宝されるが用なしになったら殺されると言うもの」
「まさにそれでした。ノースランド王室はそれを公にせず、私たち魔王軍の報復により討ち死にしたと喧伝しております」
「そうか…。今後、人間の国に侵略する予定は…?」
「今さら父上に言うことではないですが、人間と魔族は相容れない存在です。私たちが不戦を通してもあちらから仕掛けてくることもあり得ますので、その時は戦うしかありません。されど私たち魔王軍の立て直しにもう少し時間を要します。私たち魔族が先に仕掛けるとしても今すぐではありません」
「そうか…」
「少なくとも父上が時を止める修行の間を用いて仕込んだ、その若者トシの死後となるでしょう。よく育て上げたものです。十分に脅威となります」
「今のうちに討つと?」
「父上がそのままトシの体に住み着いたままなら討ちます。父上の御霊を宿したまま我らの敵になるかもしれませんから。しかし、このまま父上が消えるのなら見逃しましょう。その若者には英雄願望も無ければ世界のために魔王を討つという義侠心もまたありません。いくら脅威になる力を有していようと我らは彼の死後に動けばいいだけの話です。たかだか五十年ちょっとのことですから」
「今も儂の耳を経てトシが聴いていると分かったうえで言っているのか」
「もちろん」
儂は大きくため息をついた。
「儂の我が儘でトシを死なせるわけにもいかん。ここらでいいかもしれんの…」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
『シゲさん…』
「話は聞いていたな。ちょうどいい頃合いでもあろう。ここらで消えることにするよ」
『……』
「さて、亡き妻に会いに行くか…。あの世が地球と同じなら良いのだがな」
『本当に逝くのか…!梨穂を失い絶望していた俺をシゲさんは…』
「もう大丈夫じゃろう。こんな年寄りにいつまでも頼るな、洟垂れ」
洟垂れ、東尋坊で会った時にシゲさんは俺をそう呼んだ。ああ、何か懐かしい。
「さらばじゃ、トシ…。お前との旅、楽しかったぞ」
『シゲさん…!』
俺の体の中からシゲさんが消えて、俺が意識を取り戻しトシ本人となった。
「父上との別れは終わったか」
「…ああ」
「…礼を言う。よく父をここまで連れてきてくれた」
「……」
「安心せよ。先の言葉は守る。我ら魔王軍が人間の国々に侵攻するとしても、それはおぬしの死後だ。それにたとえおぬしが魔大陸に乗り込んできて我らを倒したとしても守った人間に討たれる。そんな馬鹿をやる気か?」
「そんな気持ちはない」
地球でもセイラシアでも英雄が討たれる理由は変わらないようだ。
俺はシゲさんを討った勇者と同じ轍は踏みたくない。俺の死後、魔王軍がセイラシア全土に侵攻を開始したとしても、その世界に生きるセイラシアの人々が立ち向かうべきで、元々イレギュラーな存在である俺がしゃしゃり出ることじゃない。
「では邪魔をしたな。私は魔大陸に引き返す。おぬしも人間の国に帰った方がいい」
「…そうさせてもらう」
「もう会うこともあるまい。さらばだ、人間の強き者よ」
アグリッサは船から出ていき、魔大陸へと飛んでいった。
「シゲさん…。安らかにな…」
俺はセイラシアで独りぼっちとなった。
魔物と戦い、時に交渉して利を得る。各地の冒険者ギルドに立ち寄りクエストを達成する。どこの町も復興作業中だったので土木工事のクエストで汗を流した。
人の病や怪我を治し、その地の男たちと酒を酌み交わし、一夜の花を抱く。そんな充実した旅だ。
そしてついに南大陸南端の国、ディアラバ王国に到着した。
「本当に暑い大陸だが、ここはさらにだな」
『まあのぅ、南大陸の人間は一生雪を見ることはないからの』
港について、水平線を見る。
「あの水平線の向こうに魔大陸があるのか」
『ふむ…』
「東大陸から南大陸に渡ってきた時と同様に飛行魔法を使い、途中船で休みながら海を横断だ。結界を張っていたとはいえ何度か海棲モンスターに襲撃されたし、一応この町の船工房に行き点検メンテナンスをしてもらおうと思う」
『賛成じゃ』
点検メンテナンスには数日かかる。俺は船を工房に任せて、この町の神殿へと歩いた。
例によって寄進と町来訪の証を信徒カードに記録してもらうためだ。寄進する金は海棲モンスターの亡骸を売った金だ。内陸の町で高値で売れた。
神殿に着いて門番を務める教会騎士に信徒カードを見せると
「おお、貴方が僧都トシ様ですか。名声はここディアラバ王国にも届いておりますよ」
ほぼ南大陸を北から南に縦断する旅だったからな。色々と伝わっているかもしれない。そしてブルムフルト王国の神殿と同じくシスターが案内担当として就いてくれた。
「僧都トシ様、私はディアラバ王国のハイゼル教神殿のシスター、リンダと言います。お会いできて光栄です」
「シスターリンダ、僧都のトシです。寄進と町来訪の記録をお願いいたします」
「承知しました。こちらへ」
神殿内を歩いていると
「僧都様のお噂は聴いております。『ゴッドハンド』そう呼ばれているとか」
南大陸で、俺はいつしかそう呼ばれることになった。
「大層な二つ名で照れくさいですけどね」
「神殿でのご用向きが終えられたら併設している孤児院の子供たちの治療をお願いできますか」
「ええ、いいですよ」
「ありがとうございます。さ、こちらが本殿になります」
守護神ハイゼルの大きな神像があった。
「見事だ…。ここ南大陸のあちこちの国に立ち寄りましたが、国によって神像も異なりますね。常夏の国ゆえかハイゼル神も情熱的に見えます」
「はい、私もそのように思っております」
常夏の国だからシスターも薄着なんだよね。たまりませんけど今は慎んでおこう。
「しかし、よく魔王軍の攻撃から守り切れましたね」
「はい、あの日のことはよく覚えています。私は当時孤児院に住んでいたのですが、私たちも駆り出されて、分解した神像の一部をもって戦火から逃げました。神殿は魔王軍に破壊されてしまいましたが何とか神像は守ったのです。ですから誇りでもあるのです。ハイゼル神を守ったと」
『……』
シゲさんも思うことあるだろうな。魔大陸から一番近い人間の国がここだ。真っ先に攻撃を受けて、当時の国王も討たれたと聞く。
魔王ゼインだったシゲさんの罪はこの世界の人々から永遠に消えないかもしれないが…友として俺は少しでも彼の罪を償いたい。
それから数日、俺は神殿を拠点として臨時診療所を設置して町の人々の治療にあたり、自力で神殿に来られない場合は往診に赴いた。
そして船の点検が終わり、そろそろ魔大陸に飛んでいく準備をしなければならない。食料と水を買っておかないとね。魔大陸まで四泊くらい船で泊まりそうだし。
臨時診療所をシスターと共に片付けているとシスターリンダが
「僧都様、明日この町を出て行かれると」
と、声をかけてきた。
「ええ、私の治癒を待つ人々は多いので一箇所に長くはいられないのですよ」
「確かに…。あの…」
「なんです?」
顔を赤めているシスターリンダ
「あの…僧都様は大陸を旅している間、多くの女性と交わったと聞いております。未亡人を始め、体を壊して子を生めなくなった女の体も治して子種を与えたとか」
「ああ…」
その通りだ。俺はこの大陸に来てサウスレッド王国を皮切りに多くの女性を抱いてきた。
そう望まれたからだ。俺は治療代として女の体を絶対に求めなかったけれど、セイラシアの女なら闘気もしくは魔力が豊富な男の子種がレアだと本能的に知っているので、そんなことは関係なかった。毎夜複数の女性から夜這いされて、全員ありがたく抱かせてもらった。
シスターリンダが言った後者の方は、元は患者であっても快癒後に俺の子種を欲した女性もまた多かったことから伝わったのだろう。
ハーレムを持つぞ!なんていきがっていたけれど、俺は拠点を持っていないだけの話で、この望みは十分に叶ったと言えるかもしれない。
でも、みんな名前と顔を覚えているよ!ちゃんと当面の生活費も渡しているよ!
絶対に驕らないと梨穂に誓ったのだから。
東大陸の神殿では多くのシスターと交わったけれど南大陸ではまだだった。
『ゴッドハンド』という二つ名、そして臨時診療所において魔法と闘気の治癒の数々を自分の目で見て、この大陸のシスターたちも子種が欲しくなってきたのかもしれない。
シスターリンダの上司ヒルダさんが歩んできて
「僧都トシ様…。あの、この国を発たれる前に私たちにも子種をいただけたら…」
「いや、私は構いませんけど…今夜いきなり大丈夫ですか?」
「は、はい!あとの片づけは私たちに任せて入浴を!そのあとは部屋でお待ちください!」
シスターたちは大喜びしている。改めて思うけれど、この世界の女性は本当に子供を欲しがる気持ちが強い。それが本能なのだろうな。だから性欲も強いし行為も情熱的だ。
さて、今宵も頑張るとしましょうか。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
翌朝、俺はシスターたちに見送られて神殿をあとにした。
船工房から点検メンテナンスを終えた船を受け取り、そして港へと。いよいよ魔大陸へと向かう。港から見えもしない魔大陸の方を見つめた。
「ここに至るまで色々と分かったけれど…まさかシゲさんが切り取った土地全てを放棄していたとは思わなかったな」
『ふむ…』
以前はシゲさんのちょっとした先入観もあり、娘のアグリッサは魔王ゼインが切り取った土地を統治していると考えていた。
しかし、旅を続けていくうちに全く違っていたことが分かり、アグリッサは父のゼインが破壊した国や町を放棄しており、現魔王軍は侵略などしていないと。今は魔大陸最大国家エビルパレスに女帝として君臨していることが分かった。
サウスレッド王国、そして今いるディアラバ王国も魔王ゼインが破壊した国だけれど、町のあちこちで復興作業中。追われた人々が戻ってきたのだ。ここに魔王ゼインの弟子がいると分かれば袋叩きだろうな。
ちなみに言うと勇者軍の情報はブルムフルト王都ギルドで知った通りだった。
現魔王アグリッサが行った唯一の軍事行動、それは父のゼインを討った勇者たちへの報復。勇者と聖女は死に、魔王ゼインとの戦いに生き残った他の勇者軍のメンバーすべて死亡。その直後に魔王軍は魔大陸に撤収してしまい、以来人間と魔族の戦いは休戦状態となっている。特に約定も交わされていないので、いつまた戦争が起こるか分からないという状態だ。
「まあ、この南大陸は人間の国しかなかったし、魔族がいれば再び戦争になると見込んだんじゃなかろうか。英邁な女帝様じゃないか」
『そうじゃな…。しかしこのディアラバ王国、かなり破壊したと思うが、まさかここまで復興していたとはのう。魔族ではこうはいかんだろう。改めて人間の力に思い知らされるのう』
「ああ、言っていたな。魔族は人間の何倍も生きられるから目的もなく無気力に生きている者も多いと。確かにそういう性質なら町の復興なんて中々進まないかもしれないな」
『その通りじゃ。そのうち誰かやるだろうと、そんな感じじゃの。魔族が人間より勝るのは個人的な戦闘力だけかもしれんて』
町のあちこちから聞こえる復興の音、ハンマーが木材を叩く響きを俺とシゲさんは心地よく聞いていた。しばらくして
「さてと…準備はいいか、シゲさん」
『OKじゃ』
俺は魔力を体にまとい、宙に舞い、魔大陸の方向へと飛んでいった。
びゅううううん
早朝から夕刻までひたすら飛んでいく。いや、空を飛べるって気持ちいいものだな。
たまに鯨が海面から出てきて潮を噴いている。イルカの群れも。令和日本では中々見られないな。海も綺麗で海中のサンゴ礁や色鮮やかな魚が海上からもよく見える。
「シゲさん、今日はこのくらいにしておくよ」
『そうじゃな。トシ、お疲れさん』
空中に停止し、収納魔法から船を出して海へと。甲板に降りて結界を張る。
「んんん~!」
思い切り体を伸ばして夕暮れを見つめる。何とも美しい光景だ。
「梨穂にも見せてやりたかったな…」
夕暮れ時の海を見るたびに、そう思う。こんな船に乗って彼女の肩を抱きながら見ることが出来たならと。
「さて、夕食の準備をするか」
昨日仕込んでおいたビーフシチューが入った鍋を収納魔法から取り出して船内のキッチンで温める。我ながら上出来、いい香りだ。パン一斤、わかめスープ、自家製のドレッシングをかけた生野菜も用意して
「いただきまーす」
昨日まではシスターたちと共に食べていたから一人の食事は少し寂しく感じるな。
夕食を終えて片づけをしつつ
「シゲさん、娘さんと会った後はどうするんだ?まあ、娘さんとの話の内容にもよるだろうけど」
『そうじゃな…。まずは現状の魔王軍についてあれこれと…ん?』
この船にまっすぐ近づいてくる者がいる。南大陸からではなく、魔大陸方面から。
かなりの速さの飛行魔法だ。
「シゲさん…」
『まさか…』
パリン…
俺が船に張った結界はあっさりと砕かれた。ご丁寧に甲板に立ったあと張り直してくれている。俺より密度の濃い高度な結界を。船室の扉を『コン、コン、コン』とノック。
「どうぞ」
こちらへの害意は感じない。そのまま入れることに。入ってきたのは一人の女だった。
『アグリッサ…』
「マジかよ…」
全身が薄い水色の肌、鍬形の角、流れるような赤くて長い髪の女がそこに。これが魔族の女…。すごい美人じゃないか。
黒いローブがまた赤い髪に調和しているな。だが鼻の下を伸ばしている場合じゃない。護衛がいる。彼女の影の下に潜んでいる。かなりの強さの魔族だ。
「おぬしが父の魂を体に宿す者か」
「その通りだ。名はトシ。銅級冒険者であり、ハイゼル教の僧都でもある」
「そうか。私の名はアグリッサ、先代魔王ゼインの長女で現魔王じゃ」
とんでもない強さだが…勝てない相手じゃない。それに、こんな美女と戦いたくないな。
「父と直接話したい。出来るか?」
「分かった」
船室内のソファーに腰かけてもらい、彼女に茶を出したあと意識を手放し、シゲさんと入れ替わった。
【魔王ゼイン視点】
「久しぶりじゃのう、アグリッサ」
「父上も御霊の状態とはいえお元気そうで。しかし、ずいぶんと年寄りくさい話しようになったものですね」
「色々と事情があってのう。儂の妻たちは元気か」
「母上は病死。父上と共に出征していたウルカ、ミランダ、ナディアは勇者軍の追撃で討たれ、ルビーノ、セネカは行方知れず。その他の父上の元妻たちは無事です」
「そうか…」
「父上が討たれて一年後に東大陸に御霊として降り立ったことは全世界に散らばせている同朋により掴んでいました。そしてトシという少年の中にあると」
「では儂の事情から話そうかの。その前にジャグア、席を外せ」
アグリッサの影から長身の魔族が姿を現す。かつて我が軍の切り込み隊長だった男。
「お懐かしゅうございます、魔王様」
「ふむ、そちも元気そうで何よりじゃ」
「ジャグア、かまわぬ。外せ」
「御意」
アグリッサの指示に従い、ジャグアは船室から出て行った。
儂は勇者スレイブに討たれたあと、地球の昭和日本に人間として生まれ変わり、八十歳近くまで生きたことを娘に話した。
現在、依り代となっている若者は晩年に出来た年の離れた友人で本当は五十五歳の男、この世界で生きていくため若返らせ、荒行を課して過酷なこの世界で旅が出来るように仕込んだこと。以来、共にセイラシアを旅してきたことを話す。自分が亡き後、セイラシアはどうなったのか、魔王軍はどうなったか知りたかった。
「それで魔大陸のエビルパレスを目指したわけですね。私は父上より弱い魔族ですが、同族の気配くらいは察することは出来ます。それでこちらから出向いた次第です」
「ふむ、会ってどうこうというわけではなかったが、現在のエビルパレスがどうなっているか見たかったゆえな。儂の妻たちにも会いたかった」
「父上は外征中に勇者軍に討たれたのです。我らの本拠地エビルパレスそのものにダメージはありません。元々私が留守を預かっていたのですから大した混乱も生じていません。それと存命している父上の元妻たちは全員再婚していますから、今更御霊とはいえ現れるのは迷惑ではないかと」
「そうなのか…」
「ええ、父上は死んだのですから」
「そうだな…」
「父上の御霊を宿した人間の若者がエビルパレスに来れば混乱も生じるでしょうし、討たねばならない状況になるかもしれません。だから、このまま魔大陸には訪れず、お帰り下さい」
「お前たちが勇者軍を討ったと言うのは…」
「私たちではありません。彼らはそれまで後ろ盾であった北大陸最大国家ノースランド王国に討たれました」
「なんじゃと?」
「生還した英雄など為政者にとって邪魔者でしかなかったのでしょう。馬鹿な連中です。我ら魔王軍を倒した者を討ってしまったのですから」
「『狡兎捕えて走狗煮られる』ということか…。哀れよの」
「それは?上手い言いようですが」
「儂のいた世界にある故事じゃよ。必要であるうちは重宝されるが用なしになったら殺されると言うもの」
「まさにそれでした。ノースランド王室はそれを公にせず、私たち魔王軍の報復により討ち死にしたと喧伝しております」
「そうか…。今後、人間の国に侵略する予定は…?」
「今さら父上に言うことではないですが、人間と魔族は相容れない存在です。私たちが不戦を通してもあちらから仕掛けてくることもあり得ますので、その時は戦うしかありません。されど私たち魔王軍の立て直しにもう少し時間を要します。私たち魔族が先に仕掛けるとしても今すぐではありません」
「そうか…」
「少なくとも父上が時を止める修行の間を用いて仕込んだ、その若者トシの死後となるでしょう。よく育て上げたものです。十分に脅威となります」
「今のうちに討つと?」
「父上がそのままトシの体に住み着いたままなら討ちます。父上の御霊を宿したまま我らの敵になるかもしれませんから。しかし、このまま父上が消えるのなら見逃しましょう。その若者には英雄願望も無ければ世界のために魔王を討つという義侠心もまたありません。いくら脅威になる力を有していようと我らは彼の死後に動けばいいだけの話です。たかだか五十年ちょっとのことですから」
「今も儂の耳を経てトシが聴いていると分かったうえで言っているのか」
「もちろん」
儂は大きくため息をついた。
「儂の我が儘でトシを死なせるわけにもいかん。ここらでいいかもしれんの…」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
『シゲさん…』
「話は聞いていたな。ちょうどいい頃合いでもあろう。ここらで消えることにするよ」
『……』
「さて、亡き妻に会いに行くか…。あの世が地球と同じなら良いのだがな」
『本当に逝くのか…!梨穂を失い絶望していた俺をシゲさんは…』
「もう大丈夫じゃろう。こんな年寄りにいつまでも頼るな、洟垂れ」
洟垂れ、東尋坊で会った時にシゲさんは俺をそう呼んだ。ああ、何か懐かしい。
「さらばじゃ、トシ…。お前との旅、楽しかったぞ」
『シゲさん…!』
俺の体の中からシゲさんが消えて、俺が意識を取り戻しトシ本人となった。
「父上との別れは終わったか」
「…ああ」
「…礼を言う。よく父をここまで連れてきてくれた」
「……」
「安心せよ。先の言葉は守る。我ら魔王軍が人間の国々に侵攻するとしても、それはおぬしの死後だ。それにたとえおぬしが魔大陸に乗り込んできて我らを倒したとしても守った人間に討たれる。そんな馬鹿をやる気か?」
「そんな気持ちはない」
地球でもセイラシアでも英雄が討たれる理由は変わらないようだ。
俺はシゲさんを討った勇者と同じ轍は踏みたくない。俺の死後、魔王軍がセイラシア全土に侵攻を開始したとしても、その世界に生きるセイラシアの人々が立ち向かうべきで、元々イレギュラーな存在である俺がしゃしゃり出ることじゃない。
「では邪魔をしたな。私は魔大陸に引き返す。おぬしも人間の国に帰った方がいい」
「…そうさせてもらう」
「もう会うこともあるまい。さらばだ、人間の強き者よ」
アグリッサは船から出ていき、魔大陸へと飛んでいった。
「シゲさん…。安らかにな…」
俺はセイラシアで独りぼっちとなった。
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