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第二十二話 俊樹の元同僚たちと声優二人の思い

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篠永俊樹、享年五十五歳、死因縊首による自死。
トシPと名乗り、アイパイプに登録して早々にアイパイパーとして頭角を現していた人物。
どういう組み合わせかと謎とされていた歌い手あずきは彼の妻であり、俊樹は最後の動画投稿で自分とあずきは夫婦であり、そのあずきは交通事故で亡くなったことを告げた。
多くの哀悼のコメントが寄せられたが俊樹がそれに返信することはなく、間もなく俊樹と彼の妻梨穂が立てたチャンネル『トシPと歌い手あずき』は閉鎖された。もう彼らの動画をネット上で見ることは出来ない。ダウンロードをした者もいるのだろうが、やはり故人とその夫の気持ちを思うと再アップロードする気も起きないのかもしれない。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

「はい、南消防署、一課長の長島です」
この日、かつて俊樹が所属していた東海消防局南消防署に一つの電話が入った。京都府警からである。
「えっ…!篠永主査が…!?」
激しく動揺する長島に事務所内にいた消防職員たちが何事かと振り返った。
「わ、分かりました…」
電話を終えると
「長島課長、ト、トシさん、どうしたんですか?」
元篠永俊樹の上司だった鈴木和夫消防司令を始め、同じ隊だった消防士たちが長島の机に歩んだ。
「篠永主査が亡くなった。自損…縊首だったそうだ」
「「え…っ!」」
「あの馬鹿野郎が…!」

篠永俊樹は高校を卒業すると浜松に本部を置く、東海消防局に任官。昭和の終わりのころだった。以来三十年以上、消火隊、救助隊、救急隊と歴任し多くの人命を救助してきた。
阪神淡路大震災、東日本大震災にも緊急消防援助隊として臨場している。

彼は現場活動しか出来ない消防士だった。だが消防士の仕事は現場活動だけじゃない。火災調査、予防査察、危険物、消防設備と、それらの消防法令を始め、多くの関連知識を身に付けなくてはならない。だが俊樹には無理だった。
しかし彼は同僚たちに慕われた。裏表がなく、絶対に人の悪口を言わない男。
愛嬌もあって冗談も上手い。

現場では優秀な機関員、レスキュー隊員として活躍した。
しかし糖尿病と高血圧、さらに腰痛と五十肩により局は事務方への異動を勧めたが、このころには早期退職制度を利用できる年齢に達していたため退職を決意する。

親しい同僚もいたものの、俊樹は退職後元同僚に連絡を取ろうとはしなかった。
そして、かつての職場に届いた俊樹の情報は、あまりにも悲惨なものだった。
「あの…」
女性消防士の小川恵がスマホの画面を見せた。ネット上には残っていない『トシPと歌い手あずき』の動画。小川自身がピアノを趣味にしていることから保存していたようだ。
「これ、篠永主査ですよね…」

長島と元同僚たちは動画を見て驚いた。俊樹がピアノを弾けるなんて誰も聴いたことがないからだ。
しかも素人が聴いても分かるほど、その腕前がプロ級と分かる。
「この歌手、あずきという人なのですが篠永主査の奥さんのようで…交通事故で亡くなったそうです」
「では…」
「課長、この動画も」
俊樹が妻の訃報とチャンネル閉鎖を告知した動画も小川は保存していたようだ。
憔悴しきった顔、全員現役の消防士である彼らは一目でわかる。何度も現場で見てきたからだ。『死のう』と考えている人間の顔を。鈴木は
「…耐えられなかったのか。奥さんを亡くした悲しみに…」
「「トシさん…」」
『トシさん』彼はこう呼ばれていた。若い消防士たちにも慕われていた俊樹。
事務方は苦手でも訓練は率先して指揮を取り、若手にいつも口癖のように『訓練で出来ないことは現場でも絶対に出来ない。現場に一発勝負はない』と教えていた。
彼自身、消防士として負け犬だと自嘲していたが、俊樹は東海消防局の消防学校で教官の経験もしている。優秀な消防官である証だ。彼の同僚たちは負け犬なんて思ってはいない。

「京都府警の話によると、もうあちらで火葬されたらしい。遺骨はどうするかと連絡があった。篠永主査には身寄りがない。元の勤め先である東海消防局が引き取らないのであれば、あちらで無縁仏として葬られると」
と、長島。鈴木は
「三十年以上、当局に貢献してきたのですから、せめて葬儀だけは行いましょう。私が遺骨を引き取りにまいります」
「行ってくれるか、鈴木係長」
「上司として、トシさんに最後にしてやれることです」

鈴木を始め、同じ隊から二人名乗り出て俊樹の遺骨を京都まで引き取りに赴いた。
死してから知ること。篠永俊樹は負け犬ではなく、こうして元同僚たちに慕われていたと。
東海消防局南消防署近くの寺で葬儀が行われることに。自死した仲間の葬儀、俊樹の元同僚たちが制服を着て参列した。遺影はレスキューの誇り、オレンジを着ている俊樹、訓練中に撮った一枚だった。

葬儀が始まり、しばらく経ったころタクシーが寺の前に停まった。車内からは喪服を着た美女二人が降りてきた。アイドル声優の川澄ゆずり葉と紺野リナだった。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

「お願い、電話に出て!」
妻の訃報とチャンネル閉鎖を知らせる告知動画を見て、川澄ゆずり葉は強烈な胸騒ぎを覚えた。
彼女は篠永俊樹がトシPと名乗り、アイパイプデビューしたことを知っていた。
あずきという歌い手、セイラシアから戻った俊樹が『いい仲になれた子がいるんだ』と言っていたけれど、この女性のことだったのだと思った。セイラシアでゆずり葉とリナを救い、令和日本に戻してくれた大恩人、心から二人を応援したいと思い、第一作目となった『探偵少女アイカ空港』の動画を即『高評価』と『チャンネル登録』をした。リナも同じだった。さらにセイラシアで俊樹が作曲も出来ることも知っていた彼女たちは、いずれ俊樹に自分たちの楽曲も作ってもらおうと期待に胸を膨らませた。

セイラシアで肉体関係はあったものの、こちらではそれは許されないこと。
アイドル声優二人と、その二人を推すファン、それだけだ。
しかし俊樹はピアニスト、音楽家としてゆずり葉とリナと同じ土俵に上がってこられる存在になりつつあった。

愛媛で撮影した動画を皮切りに、西日本各地にあるストリートピアノで撮影された動画、破格の再生数とチャンネル登録者数、時の人になりかけていた矢先に歌い手であるあずきの訃報、チャンネル閉鎖、そしてその告知動画で見た俊樹の憔悴しきった顔。ゆずり葉とリナは絶句した。セイラシアで出会った時は十五歳の少年だった俊樹、奴隷落ちして絶望しきっていた自分たちに優しい言葉をかけて助けてくれた時の顔は忘れない。
三島で再会した時、五十五歳の俊樹を見ても、すぐにセイラシアで出会ったトシと同一人物と分かった。筋肉質の逞しい体つき、精悍な顔立ち、口には出さなかったものの惚れ惚れしたものだ。イケオジとは篠永俊樹のためにある言葉だと思ったくらいに。

それがどうだ。告知動画の俊樹の顔には絶望しかない。
そう、セイラシアでトシに出会うまでの自分たちの顔だ。希望もない。リナは死ねば令和日本に帰れると虚しい希望を抱いていた、あの時の顔だ。
申し合わせてもいないのに、ゆずり葉とリナは俊樹に電話をかけた。しまいには連絡先を交換した時に知りえた住所、ゆずり葉は俊樹の自宅へと。
インターホンを鳴らすも反応はない。庭に入ってみたけれど室内に電気は点いておらず、人の気配もない。

「トシさん!トシさん!ゆずり葉です、出てきて!」
「ゆずり葉!」
「リナ、貴女も三島に?」
「うん、もう居ても立っても居られなくて。やっぱり自宅にいないの?」
「そうなの…。早く見つけないと…。どこにいったの、トシさん…。短気を起こさないで…」
俊樹の自宅前で鉢合わせた二人は、あらゆる伝手を使って俊樹を探したが、願いは虚しく

『人気アイパイパーであるトシPが京都府内の山中で死亡しているところが発見されました。彼は首を吊った状態で発見されており、地元警察は自殺と…』

最悪の知らせがテレビで流れたのだった。これをアイドル☆レボリューションのコミュ収録のスタジオで知ったゆずり葉とリナはその場で泣き崩れたのであった。
忘れるはずがない。セイラシアで奴隷に落ちた自分たちを買い、心身ともに治療してくれたうえ、ステージに立てるようになるまでリハビリに付き合ってくれたトシ。令和日本に送られる前日に抱かれたのは恩返しではない。二人はトシを心から愛していたから。だから同時に抱かれた。

令和日本に戻ってきたトシこと俊樹と再会し、私たちの二人のうち、どちらかを伴侶と思っていた。
しかし、彼女たちが戻ってきたのは令和二年のゴールデンウィーク。俊樹が戻るのは令和四年四月だ。その間に二人には出会いがあった。奇縁にも俊樹の前職である消防士の若者と。

俊樹とは結ばれない。だけど結ばれるだけが恋じゃない。
再会した俊樹は二人に婚約者がいることを喜んでくれたし、自分にも『いい仲になれた子がいる』と嬉しそうだった。
しかし俊樹の伴侶の梨穂は事故死。何もかもに絶望した俊樹の顔を動画で見て何とかしてあげたいと思い連絡を試みるも俊樹は出ない。自宅に向かっても不在、どうしようもなかった。やがて俊樹は伴侶を失った悲しみに耐えきれずに自死。最悪の結末となったのだ。

二人は後日、浜松市内で俊樹の葬儀が東海消防局によって行われることを知り、東京から訪れたのだった。参列していた俊樹の同僚たちは『誰だ、あの美人は』と思ったことだろう。
ご焼香を終えた二人は喪主を務める俊樹の元上司鈴木の元へと歩み、リナが言った。
「私たち二人は、かつて篠永消防士に命を助けられた者です」
合点がいった鈴木は
「そうでしたか…。彼は多くの人命を助けた、我が局の誇りでした」
ゆずり葉が訊ねる。
「篠永消防士の御霊はこれからどうなるのでしょうか」
「退職後で、かつ死因から消防の殉職者碑に名が連ねられることはありません。我ら同僚も葬儀をあげるまでが彼への義理です。気の毒ですが無縁仏として…」
「ならば私たちに篠永消防士の御霊を託して下さいませんか。納骨堂で弔い、今後も彼のお墓を守りたいと思いますので」
ゆずり葉の申し出に鈴木は驚いたが、無縁仏になるよりはと思い、最上位の役職にある長島同意の元、ゆずり葉とリナに俊樹の遺骨は託されたのだった。

ゆずり葉とリナは、三島市内の納骨堂に俊樹の遺骨を納めて手を合わせた。
その後、二人は何も言わず俊樹とデートをした思い出の地スカイウォークへと。吊り橋をゆっくり渡りながら、リナが
「ねえ、ゆずり葉…。私思うんだ。もしかしてトシPはいまセイラシアに戻って元気にやっているんじゃないかって」
「私もそんなこと思っていた。十六歳の少年に戻って、また多くの人の命を助けているんじゃないかって」
冠雪した富士山を見つめて二人は言った。
「「そうだといいな…」」
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