不倫した挙句に離婚、借金抱えた嬢にまでなってしまった私、だけど人生あきらめません！

第三話 乾彩希、ストリートピアニストデビュー！

「水原さん、演奏する曲はどういうものがいいのでしょうか」
「展望台にいる人たちを見て決めることも多いけれど…りんごちゃん、アニメソングに暗譜で弾けるものある？」
「そうですね…。『魔法のお姫様☆ロゼアンナ』と『探偵少女アイカ』のメインテーマなら暗譜で弾けます」
「すごいじゃないか。『探偵少女アイカ』のメインテーマはだいたいの人が知っているからな。それで行こう！」
「水原さんは？」
「僕もアニソンで行くよ。宇宙軍艦ムサシ」
「名曲ですね。楽しみです」

　都庁内に入り、エレベーターで展望台フロアへと向かう。わくわくしてきた。
　人に聴いてもらうことなんて久しぶりだ。ストリートピアノ…。
　多額の慰謝料を抱えて嬢をしている私にとって救いになるかも！

　都庁の展望台に着いた。フロア中央にあるグランドピアノ。鮮やかな彩色がされていて、すごく綺麗なピアノだ。
「水原さん」
　カメラを持つ二人組の人が声をかけてきた。

「りんちゃん、紹介するよ。カメラマンの伊藤茂樹くんと、周防美鈴さん」
「よろしく、りん…いえ、乾彩希です」
　水原さんは驚いていた。大事な上客である水原さんにも本名を明かすのは初めて。人前でピアノを弾く時まで嬢の名前は嫌だったのだ。それを察したか水原さんは
「たまたま仕事先で出会ってね。趣味程度と本人は言うけれど埋もれさせるの勿体ないなと思って誘ってみたんだ」
「よろしく、伊藤です」
「周防です」

　高そうなデジタルカメラ…。いいのかな、こんなすごいカメラで撮ってもらって。
　しかも二人とも素人目にもプロと何となく分かるオーラを発している。
「彼らは僕がバンドメンバーを務めるライブにも呼ばれるプロカメラマンだよ」
「何とも、勿体なきこと…。よろしくお願いします。ストリートピアニストにならないかと水原さんに勧められたのも、ほんのついさっきの話ですから緊張しています」
「大丈夫です。普通に演奏していれば十分、動画は私たちで撮り、編集しますから」
　男性だと緊張すると思ったのか、周防さんが優しく言ってくれた。私のピアノ演奏をプロが撮影する日が来るなんて…。こんなことなら、もっといい服…。いや、そんなの持ってないか。

　いまも弾いている人がいる。『月光』か…。上手だな…。
　私と水原さんは順番待ちの用紙に名前を書いた。周りを見渡せば外国の人も多い。観光客のよう。
　都庁の展望台は観光の場所ともなっているようだ。私も初めて来たけれど窓から見る東京の景色は格別だもの。

　景色を見つめる私に周防さんが歩み寄り、スマートフォンの画面を見せてくれた。水原さんの過去動画だ。
「すごい…。昭和ポップス、洋画のメインテーマ、何でも暗譜で弾いちゃうのですね」
「だいたいの曲は耳コピして弾けてしまうみたいです。乾さんはどうです？」
「私も簡単なメロディーなら耳コピは出来ますが、難易度の高いものは譜面を見ながら何度か弾いて、それから暗譜ということになりますね」
「すごいじゃないですか。それならコージを抜くのもすぐですよ。まだ動画投稿サイトとしてアイパイプの知名度は低いですし、女性ピアニストは顔を出した演奏動画を配信することに及び腰です。だからこそ、ねらい目です」
「ふふっ、水原さんと同じことを。と…そろそろ水原さんの番ですね」
　私は次の番なのでピアノへと歩んだ。水原さんの生演奏楽しみ。
　水原さんは私に軽く手を振って演奏を始めました。

　すごい…。テレビアニメ宇宙軍艦ムサシのメインテーマ！そのアニメを見ていなかったけれどメロディーは誰でも知っている。有名な作品だし外国でも放映されたのだろう。あちこちから『ムサシ…』という外国の方の声が。
　うはぁ、私こんなすごいピアニストの後で演奏するの？でも…
「逃げますか？」
　伊藤さんがカメラを回しながら意地悪く訊いてきた。
「冗談でしょ…」
　こんな言葉が出るなんて自分で驚いた。負けたくない、これ以上のものを弾きたいと思う自分がいた。

　夫を裏切り、最愛の娘と別れることになった。多額の慰謝料と養育費を背負い、失意のまま風俗嬢になろうと東京行きの新幹線に乗り、好きでもない男たちの慰み者になっている日々。いつ終わるか分からない慰謝料の完済と養育費の負担…。希望なんて無かった。歳も歳、いつまでも続けられるものでもないデリヘル嬢、後々のことを思うと不安でならず眠れない日も少なくない。

　だけど、私は希望を見出した。奇縁にもデリヘルで巡り合ったお客から。
　不倫の挙句、離婚、風俗嬢へと…。こんな転落人生を味わったからこそ奏でられる旋律もあるはず！

　水原さんが演奏を終えると、たくさんの拍手、外国人観光客の人も惜しみない賞賛。
　私は心地よいプレッシャーを感じながら、ピアノについた。
　さっきの水原さんの演奏、ムサシのメインテーマに色々とアレンジも加えて原曲より、さらに勇壮なものへと。

『探偵少女アイカ』はＪＫのギャル探偵アイカが子供の姿に戻ってしまい、難事件を解決していく大人気のアニメ。知能犯のトリックやアリバイ工作をすべて看破して告発するシーンとか真奈と一緒にワクワクしながら見ていたわね。そのシーンを思い出して私も勇壮なアイカのテーマを奏でる！
　水原さんは少し離れたところで私を見つめ、伊藤さんと周防さんは撮影に。
　周防さんの合図が出ると、私は『探偵少女アイカ』のメインテーマを奏でた。

　おおおお…

　感嘆の声が聴こえた。嬉しい。指が軽い。ピアノから出る旋律の何と心地よいことか。
　ああ、これだ。自分のピアノを多くの人に聴いてもらえる喜び、忘れていた、この最高の気持ち。
「すごい…」
　周防さんの独り言が聴こえた。ありがとうございます。水原さんも微笑んでピアノを弾いている私を見つめています。感謝しています。私に場所と将来への希望を与えてくれて。貴方との関係は風俗嬢とお客だけど出会えてよかったと思います。

　ダンッ！

　最後の鍵盤を叩くと、盛大な拍手が。事前に水原さんから演奏後、泣くのだけはだめと言われていたから必死に堪えたわ。笑顔で拍手してくれた人たちに頭を下げてピアノから離れる。
　水原さん、伊藤さん、周防さんが歩んできた。カメラマン二人が
「素晴らしい演奏だね！いい動画が取れたよ！」
「すぐに乾さんのチャンネルを立ち上げないといけませんね。ハンドルネーム、どうしますか？」
「ちょっ、ちょっと、私自身アイパイプを閲覧したの、ついさっきだと云うのに…でも、ハンドルネームなら、決めていました」
「それは？」
　水原さんが私に訊いた。

「『ユウキ』です」
　かつて流産してしまった長男の名前、三人とも深くは訊ねず、水原さんが
「そうか、良い名前だ、これからアイパイプで『ユウキチャンネル』を盛り立てていこう。彩希さん、いずれ僕のバイオリンとセッションしようよ」
「ええ、喜んで」

　そろそろ十五時になる。水原さんが私を貸し切りにしている時間切れが訪れようとしていた。
　水原さんも、それに気づき
「彩希さん、そろそろ…」
　私は首を振る。もうお金の問題じゃない。私が私の時間を買ってでもいい。もう一曲演奏したい。
　ストリートピアニストになりたい。いや、なるんだ。水原さんは小声で
「店に電話して延長の旨、伝えてくるよ」
「すいません。どうしても、もう一曲演奏したくて…」
「いや、正直そこまでストリートピアノに前向きになるとは思わなかったよ。誘った僕としても、すごく嬉しいんだ。任せて」

　水原さんは電話を。カメラマン二人は、もう編集について話し合っている。
　私は二度目の演奏をすべく順番待ちの用紙に『ユウキ』と名を書いた。
　暗譜で弾けるアニソンはもう一曲ある。『魔法のお姫様☆ロゼアンナ』のオープニング。
　真奈が大好きなアニメ。この曲を弾くと大喜びしてくれた。一緒に歌ったっけ…。