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第一章

近づく距離と第六層

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 再び訪れた第五層は、昨日とは違ってとても静かだ。

 そして──。

「うわぁ……」
「……」

 魔物の死体の山。
 あらためてアユムさんの強さを思い知らされる。

「すごい、ですね」
「ティアラさんを守らなきゃって必死だったからね」
 
 昨夜腹を割って話をしてから、私に対するアユムさんの敬語が消えた。
 なんだか少しだけ近づいたような、そんな嬉しさを感じる。

「なんで“さん”付けのまま?」
 解せぬ。
 そう思ったら、つい口から漏れていた。

「あぁ……うん、なんかティアラちゃんは馴れ馴れしかったかなーって……思ったりして……。あと、照れ、かな」

 そう視線を逸らして赤くなった頬をかくアユムさんにキュンと胸が詰まる。
 私にまで照れが移ったように、二人、第五層の中央でなんとも言えない空気の中黙り込んでしまった。

「……」
「……」
「……あの……」

 居た堪れない空気の中、私が意を決して声をかける。

「い、いつか、呼んでくださいっ」
「……はい?」
「ティアと……。いつかあなたが私への言葉遣いに慣れたら、ティアと、呼んでください。その……“さん”、は、なんだか遠いので……」

 もっと近づきたい。
 もっと知りたい。
 私らしくもなくそんな欲が出てきてしまう。

「ティアラさん……。……うん、そうだね。俺たちはゆっくりお互いの距離に慣れていこう。あらためて、よろしくね、ティアラさん」
「はいっ。よろっしくお願いしま──むぐぅっ!?」

 全てを言い終わる前に、私の口がアユムさんの人差し指と親指によってキュッとつまみ上げられた。

「あ、あゆむひゃん?」
「ティアラさんも敬語、なくしてね?」
「っ!!」
「俺だって、もっと近づきたいんだから。もっとティアラさんからも近づいて、甘えることを覚えて」

 とろりとした笑顔に心臓が破裂しそうなほど音を立てる。

「こ、これ以上甘やかされたら私、ダメ人間になりますからね!?」
 ただでさえ甘やかされているというのに。
 年長者としての威厳が……!!

「いいよ。むしろ目指そう、ダメ人間」
「えぇ……」
 とんだ小悪魔ママンだ……。

***

「さて……」

 私たちは第五層を通り、ダンジョンボスがいるであろう第六層へと足を進めた。
 第六層までの階段は、これまでの階段よりも深く長く続いていて、下に降りるにつれて低く唸るような息遣いがだんだん大きくなってくる。

「ボスのもの、でしょうか……」
「だろうね。近い……か……」
 ドキドキと心臓がうるさいのは、もうすぐボス戦だという緊張感だけではない。

「あのアユムさん?」
「ん?」
「何で手──っ」
 私の右手は彼の大きな左手によって、ガッチリとホールドされている。

 今世でも前世でも恋愛経験0で、婚約者とも手を繋ぐなんてことはなかった私にはこれだけでも刺激が強すぎるのだ。

「ティアラさんが口調を改めてくれないから、お仕置き──は……冗談だけど、もう一人で突っ走らないようにと思って。首輪でも良かったんだけど、持ってないからね」
「首!?」
 首輪!?
 何そのアブノーマルな感じ!?

「ティアラさんは危なっかしいから、俺から離れないでね」
「ママン……」
「誰がママンだよ」
 漏れた。

「さ、準備はいい?」
「はい。いつでも、です」
 ようやく見えてきた第六層の地面。

 私はドレスのスカートめくりあげ、ホルダーからモーニングスターを取り出し、構える。
 それを見てアユムさんが頬と耳を赤く染め上げ、「隠し場所、もう少し考えようね」と呆れたように言った。

「それと、隠し場所を変えないうちは、武器を取るときにあまり他の人に見られないように。なるべく次はすぐに取れるところにホルダーつけようね」
「えぇ!? それじゃ隠れないじゃ──」
「わかった?」

 笑顔の圧!!

「わ、わかりました」
「ん、いい子だね」
 ママンは意外と口うるさい。

「さて──。じゃ、行こうか」
「はい!!」
 私たちは真っ直ぐに第六層へと視線を移すと、武器を構えて再び足を進めた。

「わぁ……」
「なっ……!?」
 
 ここに調査に来た管理役員によるボスの容貌は──。

「大きな……犬……」

 間違ってはいない。
 間違ってはいないけれど……多分、もっと他に報告する特徴は別にあったはずだ。

 例えば──主張激しめな、三つの顔、とか。

「アユムさん、これ……」
「あぁ。これはまるで──」


「──地獄の番犬、ケルベロス……」


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