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捻くれ子爵の不本意な結婚

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 ヴァイオレットは陽当たりの良い応接室のソファに掛けて、ぼんやりと窓の外を眺めていた。
 シャノンが結婚してから、途端に屋敷はさみしくなった。彼女がアーデンと結婚したことで、ヴァイオレットの役目は終わってしまった。結局のところ、父の夢を叶えたのは、彼が手塩にかけて磨き上げてきた自慢の商品のヴァイオレットではなく、たいした手間もかけずにおまけのように扱ってきたシャノンのほうだったわけだ。
 生まれてから十七年間、ヴァイオレットはたくさんの人々に可愛がられてきた。父を含め、皆はいつもヴァイオレットを褒めそやしていたけれど、それが純粋な愛情によるものではないことくらい、ヴァイオレットにはわかっていた。ヴァイオレットは良く出来たお人形で、父の夢を叶えるための道具でしかなかった。父がたくさんのお金をかけて、ヴァイオレットにマナーや教養を身に付けさせたのは、最も美しく仕上がったその瞬間に、社交界という名の金と欲望が渦巻く世界で競りにかけるためだった。もちろん、爵位と財産と華やかな社交界に憧れる父は、それが娘にとっても一番の幸せだと信じて疑わなかったのだろうけれど。
 幼心にその事実を理解していたヴァイオレットにとって、純粋な好意からいつもそばにいることを望んでくれるシャノンは、まるで天使のような存在だった。ヴァイオレットにとって幸いだったのは、父の夢を叶えることで、シャノンの幸せな未来の選択肢を増やしてやれるということだった。シャノンが幸せになれるなら、堂々と競りにかけられるのも悪くないと思っていた。けれど、それももう……。

 ソファの背凭れに身を沈めて、ヴァイオレットは溜め息をついた。
 結局、ヴァイオレットはシャノンのために何もしてやれなかった。双子の姉と不平等に扱われて長年辛い思いをしてきただろうに、爵位と財産が目的の愛のない結婚までも、シャノンが一身に引き受けることになってしまった。ヴァイオレットに出来たことといえば、自分の結婚に充てるはずだった持参金をシャノンのために使うように、父に頼んだことだけだった。少なくともシャノンはそれで、プラムウェル伯爵家の嫡男との結婚で、まともな持参金すら持たせてもらえないなどという恥ずかしい状況は避けることができたはずだ。

 ふたたび深い溜め息を吐き、ヴァイオレットは自身の身体を見下ろした。紺色のシンプルなデイドレスは、社交界にデビューする以前、シャノンが着ていた質素なデイドレスを真似て、父に黙って仕立てたものだ。シャノンが揃いの服を嫌がるから、これまでは袖を通さずにいたけれど、今となっては関係ない。
 オグバーン氏主催の夜会に招かれた、その翌日、ヴァイオレットは華やかな社交界から身を引いた。アーデンに出会う前のシャノンが着ていたような質素なデイドレスを着て、一介の街娘らしく、身の丈にあった暮らしをしている。
 以前は毎日のように応接室を賑わせていた贈り物の数々も、いつのまにか届かなくなっていた。ラーズクリフからの手紙が何度か届けられたけれど、最初の一通に目を通しただけで、あとはすべて捨ててしまった。ヴァイオレットはもう、夜会に出るつもりもなかった。シーズンが終わるまではこのテラスハウスで暮らし、伯母やシャノンと賑やかな街を見て回って、あとは田舎に帰ればいい。そう思ってはみたものの、実のところ、彼女は途方に暮れていた。
 今までずっと、シャノンの幸せな未来のために、父の念願でもある爵位と財産のある貴族との結婚を目標に生きてきたのだ。シャノンがアーデンと結婚して、父の願いも叶えてしまった今、ヴァイオレットの生きる目的はなくなってしまった。これから何を支えに、何を目指して生きていけばいいのか、彼女にはわからなかった。
 遠い昔に諦めた夢はあるけれど、今更それを叶えられるとも思えなかった。あの夢を叶えようとするならば、美しさに磨きがかかってしまった今のほうが、もっと苦労することになる。せめて社交界に顔が効く誰かの推薦状でもあれば——。
 一番に頭に浮かんだのはラーズクリフの顔だった。けれど、ヴァイオレットはすぐさま首を振った。
 あの男はダメだ。ヴァイオレットのために助力してくれるとは思えない。それに、万一それが可能だったとしても、彼の好意を自分の夢のために利用するなんて、そんな馬鹿げた真似は出来ない。
 ——誰か、信頼のおける人はいないかしら。
 考えて、ヴァイオレットは唇を噛んだ。シーズンも終わりが近付いた今、中産階級の出でしかない、持参金もないヴァイオレットを招いてくれるような夜会はない。貴族は各々の領地に戻り、友人を招いてハウスパーティーを楽しんでいる時期だ。今更、社交界に舞い戻り、都合よくちからを貸してくれるような人物をみつけようだなんて、土台無理な話だった。
「お手上げね」
 つぶやいて、ヴァイオレットはうんと伸びをした。窓の外は天気が良く、人の往来も多い。絶好の散歩日和だ。
 ——あと十分、何も思いつかなかったら、馬鹿な夢は諦めて散歩に出るわ。
 そんなことを考えたときだった。こんこんと扉を叩く乾いた音が部屋に響き、応接室の扉が開かれた。
「ヴァイオレットお嬢様、お手紙が届いております」
 顔を出したのは従僕のダンだった。彼は静かに扉を閉めると、銀色のトレーを持ってヴァイオレットのそばにやってきた。
 トレーの上には赤い封蝋が押された白い封筒と、一輪の薔薇の花が載っていた。ヴァイオレットは小首を傾げ、手紙と薔薇を手に取った。封筒の裏を確認すると、力強い筆跡で差出人の名前が記されていた。
「シシリー子爵……?」
 聞き覚えのない名前に困惑する。今シーズンだけでも多くの紳士から求愛を受けたものの、ヴァイオレットは一度聞いた名前なら覚えている自信があった。間違いなく不審な手紙だ。けれど、添えられた一輪の薔薇の花といい、どこか惹かれるものもあった。
 ヴァイオレットは壁際の机に向かい、引き出しの中からペーパーナイフを取り出すと、封筒を開け、中の手紙に目を通した。

 ——ミス・メイウッド。
 先日はありがとう。不躾ですまないが、よろしければ後日、国立公園の北西にある薔薇園で貴女にお会いしたい。

 一体何の話だろう。ヴァイオレットは考え込んだ。
 当然のことのように書かれているものの、誰かに感謝されるようなことをした覚えなどまったくない。間違いなく怪しい手紙だ。以前のヴァイオレットならそう考えて、さっさと燃やしてしまっていたはずだ。
 けれど、今のヴァイオレットは違っていた。謎めいた手紙と差出人に、好奇心が煽られた。手紙に綴られた、人柄を表すような力強くあたたかい筆跡に好感を覚えたということもある。何より、ヴァイオレットには今、社交界に身を置く、信頼に足る友人が必要だった。
 ヴァイオレットは椅子に掛けると、すぐさま引き出しから便箋を取り出して、羽ペンを手に取った。

 ——シシリー子爵。
 お手紙をありがとうございました。申し訳ないのだけれど、お礼を言われるようなことをした覚えがありません。薔薇園の件については、ごめんなさい、散歩にお誘いになる前に、まずは私を訪ねて家にいらっしゃるべきではないかしら。

 そう手紙を認めて、まだ部屋に控えていたダンを呼んで、シシリー子爵に届けるようにと言い付けた。
 手紙の返事は翌日に届いた。

 ——ミス・メイウッド。
 残念ながら、私はとてもシャイなんだ。手紙でなければまともに話ができないくらいにね。
 追伸。薔薇園の件、どうしても駄目かい?

 ヴァイオレットは噴き出した。くすくす笑いを堪えながら、すぐさま返事を認めた。

 ——シシリー子爵。
 私もとてもシャイなのよ。顔も知らない人とは出掛けられないくらいにね。

 ——ミス・メイウッド。
 礼を欠いた行いを許して欲しい。実は今、私が手掛けた薔薇の展示を行なっていて、どうしても貴女に一度見て貰いたかったんだ。

 ——シシリー子爵。
 貴女が手掛けた薔薇というのは、手紙に添えられていた、あの薔薇のことかしら。
 追伸。私は薔薇園のどこに向かえばよろしいの?

 ——ミス・メイウッド。
 薔薇園の件、承諾してくれたようで嬉しいよ。待ち合わせ場所は必要ない。薔薇園にさえ来てもらえれば、必ずきみを見つけられるからね。

 手紙を読み終えて、ヴァイオレットは席を立った。
 顔も素性もわからない奇妙な文通相手に、ヴァイオレットは思いのほか興味を惹かれていた。父の夢のために、シャノンの幸せのためにと気を張って生きてきた、これまでの窮屈な暮らしから、ようやく解放された気がしたからかもしれない。
 挨拶に訪れるわけでもない、顔を見せようともしない怪しい男に会うなんて、伯母は絶対に許さないだろう。頼れる相手はシャノンしかいない。ヴァイオレットはすぐさま手紙を認めた。
 父が今シーズンの滞在先にこのテラスハウスを借りたのには理由がある。この屋敷には古くから勤める使用人が付いていて、それが使用人を雇っていないメイウッド家にはとてもありがたかったからだ。使用人達は各々の仕事に慣れており、その仕事に誇りを持って従事していた。なかでも従僕のダンは口が堅く、ヴァイオレットの言うことをよく聞いてくれた。
 呼び鈴を鳴らすと、ほどなくしてダンが顔を出した。ヴァイオレットはたった今認めた手紙を手渡しながら、声を潜めて彼に言い付けた。
「くれぐれも伯母には知られないように、この手紙をカワードテラスに届けてちょうだい」

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