滅びゆく竜の物語

柴咲もも

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第二章 死する狼のための鎮魂歌

狩り②

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 法と秩序の国レジオルディネの国土の東端は深い森に覆われており、王都から続く石畳の街道が森の奥にそびえ立つ要塞――軍事国家ベルンシュタインとの国境へと続いている。
 その要塞までの道中に、アーチ状の石造りの橋が架けられた、北から南へと流れる比較的大きな川がある。
 レジオルド憲兵隊第十七隊と別れたゼノとマリアンルージュは、その川縁に沿い、三日程かけて森を北上していた。ベルンシュタインに向かう前に、ゼノには行かなければならない場所があったからだ。
 ふたりの旅は順調に思われていたが、野宿が続いた昨夜、遂に深刻な問題が発生した。手持ちの食糧が底を尽きたのだ。


「魚でも捕まえられたら良かったんだけど……」

 濡れた髪に手櫛を通しながら、マリアンルージュがぽつりと呟いた。
 何気ない愚痴とも取れたけれど、その言葉から、ゼノは今朝の彼女の行動をなんとなく把握できてしまった。
 おそらく、マリアンルージュが朝から川に出掛けた理由は、水浴びのためだけではなかったのだ。昨夜の話を気にしてひとりで魚を捕まえようと四苦八苦しているうちに、川に落ち、結果的にをする羽目になってしまったのだろう。
 眠ってしまったゼノを起こすわけでもなく火の番を代わっていたことも含め、彼女は何かと気を遣い過ぎている。食糧のことも火の番のことも、一度しっかりと話をするべきだ。
 そう考えはしたものの、差し当たり、今すべきことは決まっていた。
 
「空腹のままでは移動の効率が落ちますし、万が一道に迷ったりしたら取り返しが付きません。茸か木の実でも探しながら川沿いに移動しましょう」

 ゼノが提案すると、マリアンルージュは大きく頷いて同意した。


 実のところ、ゼノは茸や野草に関してはあまり詳しくなかった。
 元々部屋に篭りがちで必要最低限の狩りしか経験しておらず、その数少ない狩りの経験では必ずと言っていいほどイシュナードの協力があった。
 言ってみれば、里の外で遊び暮らせていたのはイシュナードの助けがあったからこそのことだったのだ。
 幸いにも、竜人族の身体は大半の毒を受け付けない。アルコールの類がそうであるように、それらは体内で無害な状態に分解されるため、万が一、毒のある茸や木の実を口にしてしまったとしても、何ら問題はないのだ。
 味や見た目を気にしなければ適当なもので空腹を満たすことができる。なんとも便利なその身体は、今のふたりにとって、この上なく有難いものだった。
 道に迷うことのないように川の位置を気にかけながら、ふたりは森の中へと歩を進めていった。

 あかや黄に色付いた木の葉が降り積もる森の中では、落葉に隠された獣道が無数に枝分かれしていた。
 静まり返ったその空間で、木の葉を踏み締める乾いた音だけが耳に届く。高みから響き渡る鳥のさえずりに耳を澄ましながら、ふたりは時折辺りを見回した。
 木の穴蔵から顔を覗かせる小動物や、堅い殻に覆われた木の実など、食べられそうなものは何度か目にしたものの、今の空腹を満たすには、それらはどれも微妙なものだった。

「本当は、食糧が無くなる前に次の街に着けるはずだったんだよね?」

 不意に、マリアンルージュが口を開く。

「街に着く前に、わたしに人間の言葉を教えようとしたから、それで予定が狂ってしまった。そうだよね?」

 いつものマリアンルージュらしからぬ弱気な物言いだった。
 振り返ったゼノの目に、しゅんと肩を落とすマリアンルージュの姿が映った。親に叱られた子供のように、彼女は肩を落とし、ゼノの顔色を窺っていた。
 確かに、ゼノは道中、彼女に人間の言葉を教えようとした。けれど、それは精々、歩きながら交わす日常会話を人間の言葉に置き換えた程度のことで、特別に時間を割いたわけではなかった。必要最低限のことしか教えていないにも関わらず既に日常会話が可能なほど、マリアンルージュは物覚えが良かった。
 予定が狂ったのは、単純にイシュナードが先導していたあの頃とはペースが違っていた、ただそれだけのことだ。食糧が足りなくなったことに関しても、ひとりならどうとでもなると高を括り、外の世界を甘く見ていたゼノにも落ち度があった。

「貴女が俺に気を遣っている理由は、それですか?」

 歩みを止め、ゼノはマリアンルージュに訊ねた。
 火の番のことも、食糧のことも、ふたりで協力すれば負担は減る。マリアンルージュが居ることで、ゼノが不利益を被ることはない。それは彼女にとっても同じはずだった。

「マリア、俺は貴女とは対等でありたい。余計な気遣いは必要ありません。何かあれば二人で協力する。それではいけませんか?」

 優しい言葉でもかけることができれば良かったが、生憎ゼノは気の利いた言葉が思い付かなかった。
 気を遣わないで欲しい。むしろ頼って欲しいのだと、そうマリアンルージュに伝えたかった。それなのに、絶望的なまでに、彼は言葉選びが下手だった。
 胸の内の想いを伝えられたかどうか不安を覚えながら、ゼノはマリアンルージュと向き合った。

「……うん。それで良いよ」

 ほっと表情を綻ばせ、マリアンルージュが頷いた。ふたたび獣道を進み始めた彼女の足取りは、心持ち軽くなっているような気がした。


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