滅びゆく竜の物語

柴咲もも

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第一章 旅の途中

夜の終わり③

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 引鉄を引いてから僅かばかりの時間が過ぎた。
 銃弾を額に受けて倒れたまま動かない青年が、死んだのか、気を失っているだけに過ぎないのか、遠目ではそれを確かめる術がない。
 隣で啜り泣く少女に不快感を覚えながらバルトロは拳銃を握りしめ、一歩、また一歩と青年との距離を詰めた。
 少女が泣きやまないのも無理はない。村の広場で青年が名乗り出たあのときも、アジトまでの道中でも、少女が青年に想いを寄せていることは容易に見て取れた。
 バルトロとて、この青年をただ殺すつもりはなかった。血と狂気に満たされた祭の最中、圧倒的な脅威に晒されても尚動じることのないその姿には、僅かばかり興味を抱いたものだ。仲間に引き込むことができれば、さぞ頼もしい右腕になったことだろう。
 だが、見方を変えれば敵に回ったときの脅威は計り知れなかった。異種族であるなら尚更、バルトロの持つ常識が通用しない可能性を考えれば、先手を打って潰しておかなければならないだろう。
 国宝級の踊り手と有能な右腕を手に入れる絶好の機会を逃したのは惜しかった。だが、ここぞというときに判断を間違え、身の破滅を招いた同類の末路を何度も目にしてきたバルトロは、保身の意味でも実に注意深かった。
 相手が普通の人間であれば、充分すぎるほどに。

 バルトロが拳銃を構え、ゼノの生死を確認しようと傍に膝をついた瞬間、それまで微動だにしなかったゼノの腕が瞬時にバルトロの右腕へと伸びた。
 突然のことに思い掛けず、反射的にバルトロは引鉄を引いた。放たれた銃弾が上腕に命中し、ゼノが傷を負った腕を庇う。
 だが、続けて引鉄を引こうとしたバルトロは、直ちに異変に気がついた。ごとりと何かが床に落ちる重量感のある物音が室内に響く。
 視線を送ったその先には、バルトロの右手首の先が床に放り出されおり、指先が引鉄を引こうと痙攣していた。
 
「う、あぁぁぁぁぁぁ!」

 朱紅い飛沫を撒き散らす自身の右腕を血走った眼で凝視したまま、バルトロは張り裂けんばかりの悲鳴をあげた。あの一瞬で右手を斬り落とされた現実を受け入れることを、バルトロの脳が拒んでいた。

 ――あり得ない。

 青年はそもそも武器を持っていないのだ。銃弾を額に受けながら、重傷を追うどころか無傷で反撃に転じるなど、普通なら考えられない。

 狼狽えるバルトロをその眼に捉えたまま、ゼノがゆっくりと立ち上がる。その右手には、先程叩き割られた床板の木片が握られていた。
 蛇に睨まれた蛙のように身動きが取れないバルトロへ向けて、ゼノの右手が空を薙ぎ払う。弧を描いた切っ先が、バルトロの左腕を切り落とした。
 悲痛な叫び声を上げながら蹲る男を一瞥し、ゼノは部屋の奥へと足を向けた。
 美しい刺繍で彩られた布が掛けられた木棚の上に、ナイフと本が無造作に置かれていた。それらを手に取り、僅かに安堵の息を洩らすと、ゼノはゆっくりと振り返り、身を縮こまらせて微動だにしないレナに声を掛けた。

「レナさん」

 名前を呼ばれ、レナが僅かに身を強張らせる。諦めたように小さく笑んで、ゼノは小首を傾げた。しばらくの沈黙のあと一歩足を踏み出して、レナに向かってそっと手を差し出した。

「行きましょう……?」

 泣きやまない子を宥めるような、困惑の混じった歪な笑顔だった。
 全身を支配していた恐怖が薄らいでいく。震える足で立ち上がり、レナは差し出されたゼノの手をしっかりと握りしめた。

 傷を負った男の唸り声と女達の啜り泣く声を背に、ふたりは暗闇の中を駆け出した。
 鼻を突く鉄錆に似た臭いは、蹴破られた扉を抜けると、夜風に吹かれて闇の中へと吸い込まれた。



***

 
 森の木の葉に遮られ、月の光が雨のように降り注ぐ小径を、繋いだ手に導かれるまま駆け抜ける。
 先を急ぐ青年は、何十人もの野盗を無残な肉塊に変えた化物のはずなのに、レナはちっとも怖くなかった。
 ただ、月の光をきらきらと纏う彼の闇色の髪が、夜の闇に溶けて綺麗だと思った。

「どこまで行くの?」
「このまま森を抜ければヤンが馬を連れて待っています。そこまで走ります」

 息を切らしながらレナが尋ねると、振り返らずに彼が言った。足元の土肌に目を凝らせば、馬の蹄の痕が朧げに確認できた。
 樹々の合間に赤々と燃え盛る遠い空の境界が見える。その炎の火元が、十七年間暮らしてきた彼女の故郷であることを、レナは瞬時に理解した。

 もう元には戻れない。全て失ってしまった。
 父も母も、大切な農場も。仲の良かった友人も、帰る場所すらも。

「全部、なくなっちゃったのね……」

 目尻に涙を滲ませてレナが呟くと、相変わらず前方を見据えたままゼノが応えた。

「そんなことはありませんよ。ほら……」

 顔をあげたレナの瞳に、樹々の切れ目に覗く街道の灯りが映る。小径の脇の茂みから、見覚えのある人影が身を乗り出した。
 溢れる涙を手の甲で拭い、レナは大声で彼の名を呼んだ。


 夜が明けようとしていた。

 村を焼き尽くした炎は朝焼けの空に溶け消えて、まるで狼煙のように、灰色の煙を東の空に立ち昇らせていた。


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