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信頼関係なんてないけれど。
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なんとも言い難い空気が会議室に満ちる中、アレクシアはひとつ深呼吸をして続けた。
「そうですね、陛下。あなたのわたしに対する指摘は、おおむね正しいのでしょう。わたしはあなたの言う通り、愚かな壊れた子どもです。けれど、それがなんだと言うのですか?」
少しだけ頭が冷えて、見えてきたものがある。
国王が、これほど的確にアレクシアの心を抉る言葉を紡げる理由。
彼は、非常に頭のいい人間だ。優れた観察力と洞察力を持ち合わせ、ほんのわずかな情報から多くの真実を導き出せる。
それに加え、おそらく彼は、魔力の流れを知覚する能力がずば抜けて高い。アレクシア自身もそうだが、ある程度魔力の流れを見ることができる者であれば、相手の大まかな健康状態や精神状態くらいは、察することができる。
しかし、国王の瞳が読み取れる情報は、そういったレベルを遙かに凌駕しているはずだ。そうでなければ、デズモンドがどれほど詳細に彼女の来歴を報告していたとしても、ここまで深く真実を抉り出すことなどできるはずもない。
古くは宗教者から英雄と呼ばれる者まで――いわゆるカリスマ性に溢れた者たちは、もしかしたら彼のような能力を持ち合わせていたのだろうか。心の傷を暴き、それに寄り添い導く言葉を向ければ、多くの者が容易く堕ちていくだろう。
そして国王は今、アレクシアを屈服させるための言葉を、これ以上ないほど的確に選んでみせた。いっそ、賞賛してやりたいほどだ。今まで、これほど痛く苦しい言葉をぶつけられたことなどない。
(……ふざけるなよ、国王)
彼の言葉は、たしかにアレクシアの心を揺らした。自分自身への価値を認められない心細さも、ウィルフレッド以外の者を信じられない弱さも、彼に対する罪悪感も、紛れもなく彼女の心に刻まれた深い傷だ。
傷、なのだ。普段はもはや痛むこともなく、乾いて癒えたように見えても、ほんの些細なことで血が溢れ出る生々しさの残る、深い傷。
それらは決して、赤の他人以下の相手に無遠慮に触れられていいものではない。
……国王の言葉が正しいことは、わかっている。それを受け入れ、自分の傷を認めて乗り越えていくのが、アレクシア自身にとって必要であることも。
けれど、理解と納得は別物だ。
いつ、どんなふうに自身の傷と向き合うかは、自分で決める。
ふつふつと、頭が煮えたぎる心地がした。今、彼女の目の前にいる温和で人畜無害な風情の国王は、その弁舌ひとつで他人の人生を簡単に転がすことができる、食わせ物の古狸だ。一国の主としては、ある意味非常に頼りがいのある人物なのかもしれないが、気に入らない。
国王がアレクシアの傷を無遠慮に暴いて恥じないのは、それが許されると思っているからだ。なんという傲慢。なんという無神経。
知能が高すぎる人間というのは、情緒的にどこかおかしくなる傾向があるとどこかで聞いた。国王もそれに該当する人物なのかもしれないが、彼は一見して非常に人好きのする穏やかな容貌をしている。そんなところが、また腹立たしい。他人の心を傷つけて恥じない人でなしであるならば、それらしいゲスな顔つきをしていればいいのだ。
ひとつ深呼吸をして、彼女は改めて国王を見据えた。
「あなたも、スウィングラー辺境伯も、嘘ばかりだ。今更、どれほど真実らしい言葉を重ねられたところで、わたしはあなた方を信じない。信じられない」
ただ、と彼女は目を細める。
「この国で生きていく以上、あなた方と敵対するつもりはありません。信頼関係などなくとも、利害関係が一致すれば協調することは可能でしょう」
「……ふむ。やはり、きみは面白いね。アレクシア嬢」
おっとりとほほえむ国王の脳天に、思い切り踵落としを決めてやりたい。それなりに鍛えてはいるようだが、実戦経験とは無縁な彼の首を、背後からキュッと締め落としてやれたなら、一体どれほど気分がスッキリするだろうか。
努めて冷静を保ちながら、脳内で相手をタコ殴りにするだけで我慢したアレクシアに、国王が言う。
「ひとまず、その少年に関するすべての権利と責任はきみに委ねよう。我々としては、敵方の飛行補助魔導武器の解析を優先したい。いずれは彼がきみの元で、この国の民として正しく生きてくれるよう願っているよ」
それはつまり、彼女が奪取してきた飛行補助魔導武器の解析が終わるまでに、少年の基本的な教育を済ませておけという意味か。
顔が引きつりそうになるのを気合いで堪え、アレクシアは応じる。
「了解しました。お聞き及びとは存じますが、わたしは先ほど園遊会の場においてスウィングラー辺境伯家の別邸をひとついただけることになっております。この少年はそちらに収容いたしますので、早急の手続きをお願いします」
「ああ。ところで、アレクシア嬢。ひとつ提案があるんだが――」
国王が、朗らかな笑みを浮かべた。背筋がぞわりと粟立ち、アレクシアはぐっと身構える。
「きみ、よかったら王太子のお嫁さんにならないかい?」
「心の底から全力で遠慮申し上げます、あなたの義理の娘になるなど、想像するだけで虫唾が走る」
いまだかつてない速度で即答した彼女に、国王が感心した様子で言う。
「さすがに、立派な肺活量だね」
「お褒めいただき光栄です。寝言ならば、ベッドに潜ってウサギのぬいぐるみでも抱きしめながらおっしゃってください」
そうか、とうなずいた国王が、真顔で応じる。
「残念だけど、私はウサギのぬいぐるみは持っていないんだ。もちろん、きみがプレゼントしてくれるというなら、喜んでベッドの中で毎晩愛でさせてもらうよ」
黙れ変態、という魂から溢れた罵倒は、辛うじて飲み込んだ。
アレクシアが野生の獣ならば、今頃全身の毛を膨らませて相手を威嚇していたに違いない。
――なぜだろうか。国王と交わす時間が増えれば増えるほど、相手に対する不快感がじわじわと湧いてくる。指先が、冷たい。
(恐い……のか? わたしは)
自分の感じているものが、理解できない存在に対する恐怖だと気づき、アレクシアはぐっと唇を噛む。数え切れないほどの命を奪ってきた自分が、今更何かに恐怖する日が来るとは思わなかった。
国王が楽しげに口を開く。
「王太子のお嫁さんが駄目なら、きみには未来のスウィングラー辺境伯の補佐となってもらおうかな」
「……なんですって?」
一瞬、相手の言うことを理解し損ねた彼女は、眉根を寄せた。どこまでも温和な表情を崩すことなく、国王が続ける。
「きみの腹違いの兄だという少年だが、あれは駄目だ。たしかに、非常に頭はいいし、持って生まれた魔力量も立派なものだよ。だが彼は、断じて魔導武器を持たせていい人間ではない。扱いを誤って自分の体を撃ち抜く程度ならばまだいいが、無駄に大きな魔力を持っているせいで、下手をすれば彼を中心とした広範囲に及ぶ大量殺戮現場のできあがりだ」
それは、にこにことほほえみながら口にするようなことだろうか。戸惑ったアレクシアは、思わずローレンスを見た。
ずっと青ざめた顔をうつむけ、唇を噛みしめていた彼が、その視線に気づいてぎこちなく見返してくる。国王のうなずきで発言権を得た彼は、掠れてひび割れた声で口を開く。
「アレクシア嬢。きみの兄――ベネディクトは、その……ものすごく、不器用なやつなんだ」
「ほほう」
だからどうした、と半目になったアレクシアに、ローレンスは続けて言う。
「あれは、運動神経が鈍いのかな。黙って座ってさえいれば、エイドリアン殿の息子というのも納得の、とてもきれいな顔をしているんだけどね。立って歩き出した途端に何もないところで転んだり、どこかの屋敷から脱走してきた大型犬に飛びつかれて人前でマウンティングをされまくったり、彼の小さな親切を好意だと勘違いした女性に逆恨みされた挙げ句、『一緒に死んで』とナイフで刺されそうになったりするんだよ」
「……それは、不器用とか鈍いとかいう次元の問題ではないのじゃないか?」
一体なんの冗談かと思ったが、どうやらローレンスは大真面目だ。
「彼はきっと、天から与えられた恩恵のすべてを、美貌と頭脳に回して生まれてきたんだと思う」
「天から二物を与えられただけいいじゃないか。だがそうなると、彼の魔導武器を操るセンスはゼロだということか?」
あくまでも真顔で、ローレンスは断言した。
「ゼロじゃない。マイナスだ」
「なのに、魔力だけは充分以上に持ち合わせていると。……なかなか、恐ろしい話だな」
東の国境守護の要たるスウィングラー辺境伯家の後継者として立つというなら、魔導武器を扱うセンスの低さは致命的だ。
それ以前に、もしかしたらアレクシアの兄だという少年は、いつ暴発するかわからない欠陥魔導武器レベルの、大変な危険人物なのではなかろうか。よほど有能な側近を据えなければ――と考えたところで、国王が愉快そうに口を挟む。
「アレクシア嬢。きみにとって、そう悪い話ではないと思うよ。スウィングラー辺境伯家を継ぐのは、ベネディクトだ。つまり、煩雑な領地経営や王家に対する忠誠を義務づけられるのは、彼であってきみではない。シンフィールド学園にも、このまま通い続けて構わないよ。きみはただ、あの家の娘として相応の生活費を受け取りながら、今回のようなスウィングラー辺境伯家の兵士だけでは対処できない場合に限り、東の国境の守護をしていればいいんだ」
「不忠者のわたしを、スウィングラーの最終安全装置として使うおつもりですか? わたしは、次代のスウィングラー辺境伯から絶縁宣言を受けた身です。そのような都合のいい話を、あちらが受け入れるはずがない」
おや、と国王が目を瞠る。
「これが、都合のいい話だとは認めるわけかい?」
「スウィングラー辺境伯家から生活費をむしり取れるという一点については、わたしにとって都合がいいお話ですから。念のため申し上げておきますが、東の国境守護というスウィングラー辺境伯家の存在意義を維持するとなれば、当然ながら最低でも次期当主と同水準の金額を要求いたします」
できるものならやってみろ、とふっかけたアレクシアに、国王はほんのわずかも迷わず応じた。
「ふむ。ならばその予算を捻出するため、エイドリアンには消えてもらおうか」
「……は?」
国王が、楽しげに笑ってうなずく。
「彼の役目は、もう終わったからね。スウィングラーの血と魔力を受け継ぐ子どもたちは、すでに次世代を望める年齢に育っている。これ以上、無能な種馬は必要ない」
ほんの一瞬、国王の瞳に酷薄な光が閃いた。
「きみがベネディクトの補佐となってくれるなら、スウィングラーの将来に不安はない。種付け能力しか誇るところのない中継ぎ後継者など、なんの憂いもなく切り捨てられる。――そうだね、彼には重篤な病でも患ってもらって、婚約者ともども、スウィングラー辺境伯領の西の別邸に赴いてもらおうかな」
――スウィングラー辺境伯領の西の別邸。アレクシアが、スウィングラー辺境伯家から追放されたときに追いやられた山奥に、エイドリアンを幽閉するというのか。
彼女は、すっと目を細めた。
「先ほども申し上げましたが、わたしはあなたを信じない。あなたの言葉も同様です。……ですが、もし本当にそれが実現したなら、非常時に限り、東の国境を守護するくらいはして差し上げても構いません」
「うん。そうしてくれると、とても助かる。何しろ、これからは空が戦場になるわけだからね。東の戦況ばかりに注視していると、思いも寄らない方向から背中を刺されるかもしれない。こう見えても国王というのは、いろいろと多忙で大変なんだよ」
わざとらしくぼやく国王に、アレクシアはにこりとほほえむ。
「一国の主ともあろうお方が、たかだか十五歳の小娘に愚痴らないでくださいませ。みっともない」
「……アレクシア嬢。ベネディクトの補佐になるついでに、私の友人にもなってみないかい?」
アレクシアは、完璧な社交用の笑みを浮かべて言った。
「ご友人のいらっしゃらない陛下には、のちほどウサギのぬいぐるみをお贈りいたしましょう。今後、何か愚痴りたいことがございましたら、そちらにどうぞ」
「そうきたか」
国王が苦笑し、軽く肩をすくめる。
「まぁ、いい。きみたちはひとまず、シンフィールド学園に戻りなさい。あそこの敷地を破壊されてはかなわないからね」
「はい。それでは、失礼いたします」
「そうですね、陛下。あなたのわたしに対する指摘は、おおむね正しいのでしょう。わたしはあなたの言う通り、愚かな壊れた子どもです。けれど、それがなんだと言うのですか?」
少しだけ頭が冷えて、見えてきたものがある。
国王が、これほど的確にアレクシアの心を抉る言葉を紡げる理由。
彼は、非常に頭のいい人間だ。優れた観察力と洞察力を持ち合わせ、ほんのわずかな情報から多くの真実を導き出せる。
それに加え、おそらく彼は、魔力の流れを知覚する能力がずば抜けて高い。アレクシア自身もそうだが、ある程度魔力の流れを見ることができる者であれば、相手の大まかな健康状態や精神状態くらいは、察することができる。
しかし、国王の瞳が読み取れる情報は、そういったレベルを遙かに凌駕しているはずだ。そうでなければ、デズモンドがどれほど詳細に彼女の来歴を報告していたとしても、ここまで深く真実を抉り出すことなどできるはずもない。
古くは宗教者から英雄と呼ばれる者まで――いわゆるカリスマ性に溢れた者たちは、もしかしたら彼のような能力を持ち合わせていたのだろうか。心の傷を暴き、それに寄り添い導く言葉を向ければ、多くの者が容易く堕ちていくだろう。
そして国王は今、アレクシアを屈服させるための言葉を、これ以上ないほど的確に選んでみせた。いっそ、賞賛してやりたいほどだ。今まで、これほど痛く苦しい言葉をぶつけられたことなどない。
(……ふざけるなよ、国王)
彼の言葉は、たしかにアレクシアの心を揺らした。自分自身への価値を認められない心細さも、ウィルフレッド以外の者を信じられない弱さも、彼に対する罪悪感も、紛れもなく彼女の心に刻まれた深い傷だ。
傷、なのだ。普段はもはや痛むこともなく、乾いて癒えたように見えても、ほんの些細なことで血が溢れ出る生々しさの残る、深い傷。
それらは決して、赤の他人以下の相手に無遠慮に触れられていいものではない。
……国王の言葉が正しいことは、わかっている。それを受け入れ、自分の傷を認めて乗り越えていくのが、アレクシア自身にとって必要であることも。
けれど、理解と納得は別物だ。
いつ、どんなふうに自身の傷と向き合うかは、自分で決める。
ふつふつと、頭が煮えたぎる心地がした。今、彼女の目の前にいる温和で人畜無害な風情の国王は、その弁舌ひとつで他人の人生を簡単に転がすことができる、食わせ物の古狸だ。一国の主としては、ある意味非常に頼りがいのある人物なのかもしれないが、気に入らない。
国王がアレクシアの傷を無遠慮に暴いて恥じないのは、それが許されると思っているからだ。なんという傲慢。なんという無神経。
知能が高すぎる人間というのは、情緒的にどこかおかしくなる傾向があるとどこかで聞いた。国王もそれに該当する人物なのかもしれないが、彼は一見して非常に人好きのする穏やかな容貌をしている。そんなところが、また腹立たしい。他人の心を傷つけて恥じない人でなしであるならば、それらしいゲスな顔つきをしていればいいのだ。
ひとつ深呼吸をして、彼女は改めて国王を見据えた。
「あなたも、スウィングラー辺境伯も、嘘ばかりだ。今更、どれほど真実らしい言葉を重ねられたところで、わたしはあなた方を信じない。信じられない」
ただ、と彼女は目を細める。
「この国で生きていく以上、あなた方と敵対するつもりはありません。信頼関係などなくとも、利害関係が一致すれば協調することは可能でしょう」
「……ふむ。やはり、きみは面白いね。アレクシア嬢」
おっとりとほほえむ国王の脳天に、思い切り踵落としを決めてやりたい。それなりに鍛えてはいるようだが、実戦経験とは無縁な彼の首を、背後からキュッと締め落としてやれたなら、一体どれほど気分がスッキリするだろうか。
努めて冷静を保ちながら、脳内で相手をタコ殴りにするだけで我慢したアレクシアに、国王が言う。
「ひとまず、その少年に関するすべての権利と責任はきみに委ねよう。我々としては、敵方の飛行補助魔導武器の解析を優先したい。いずれは彼がきみの元で、この国の民として正しく生きてくれるよう願っているよ」
それはつまり、彼女が奪取してきた飛行補助魔導武器の解析が終わるまでに、少年の基本的な教育を済ませておけという意味か。
顔が引きつりそうになるのを気合いで堪え、アレクシアは応じる。
「了解しました。お聞き及びとは存じますが、わたしは先ほど園遊会の場においてスウィングラー辺境伯家の別邸をひとついただけることになっております。この少年はそちらに収容いたしますので、早急の手続きをお願いします」
「ああ。ところで、アレクシア嬢。ひとつ提案があるんだが――」
国王が、朗らかな笑みを浮かべた。背筋がぞわりと粟立ち、アレクシアはぐっと身構える。
「きみ、よかったら王太子のお嫁さんにならないかい?」
「心の底から全力で遠慮申し上げます、あなたの義理の娘になるなど、想像するだけで虫唾が走る」
いまだかつてない速度で即答した彼女に、国王が感心した様子で言う。
「さすがに、立派な肺活量だね」
「お褒めいただき光栄です。寝言ならば、ベッドに潜ってウサギのぬいぐるみでも抱きしめながらおっしゃってください」
そうか、とうなずいた国王が、真顔で応じる。
「残念だけど、私はウサギのぬいぐるみは持っていないんだ。もちろん、きみがプレゼントしてくれるというなら、喜んでベッドの中で毎晩愛でさせてもらうよ」
黙れ変態、という魂から溢れた罵倒は、辛うじて飲み込んだ。
アレクシアが野生の獣ならば、今頃全身の毛を膨らませて相手を威嚇していたに違いない。
――なぜだろうか。国王と交わす時間が増えれば増えるほど、相手に対する不快感がじわじわと湧いてくる。指先が、冷たい。
(恐い……のか? わたしは)
自分の感じているものが、理解できない存在に対する恐怖だと気づき、アレクシアはぐっと唇を噛む。数え切れないほどの命を奪ってきた自分が、今更何かに恐怖する日が来るとは思わなかった。
国王が楽しげに口を開く。
「王太子のお嫁さんが駄目なら、きみには未来のスウィングラー辺境伯の補佐となってもらおうかな」
「……なんですって?」
一瞬、相手の言うことを理解し損ねた彼女は、眉根を寄せた。どこまでも温和な表情を崩すことなく、国王が続ける。
「きみの腹違いの兄だという少年だが、あれは駄目だ。たしかに、非常に頭はいいし、持って生まれた魔力量も立派なものだよ。だが彼は、断じて魔導武器を持たせていい人間ではない。扱いを誤って自分の体を撃ち抜く程度ならばまだいいが、無駄に大きな魔力を持っているせいで、下手をすれば彼を中心とした広範囲に及ぶ大量殺戮現場のできあがりだ」
それは、にこにことほほえみながら口にするようなことだろうか。戸惑ったアレクシアは、思わずローレンスを見た。
ずっと青ざめた顔をうつむけ、唇を噛みしめていた彼が、その視線に気づいてぎこちなく見返してくる。国王のうなずきで発言権を得た彼は、掠れてひび割れた声で口を開く。
「アレクシア嬢。きみの兄――ベネディクトは、その……ものすごく、不器用なやつなんだ」
「ほほう」
だからどうした、と半目になったアレクシアに、ローレンスは続けて言う。
「あれは、運動神経が鈍いのかな。黙って座ってさえいれば、エイドリアン殿の息子というのも納得の、とてもきれいな顔をしているんだけどね。立って歩き出した途端に何もないところで転んだり、どこかの屋敷から脱走してきた大型犬に飛びつかれて人前でマウンティングをされまくったり、彼の小さな親切を好意だと勘違いした女性に逆恨みされた挙げ句、『一緒に死んで』とナイフで刺されそうになったりするんだよ」
「……それは、不器用とか鈍いとかいう次元の問題ではないのじゃないか?」
一体なんの冗談かと思ったが、どうやらローレンスは大真面目だ。
「彼はきっと、天から与えられた恩恵のすべてを、美貌と頭脳に回して生まれてきたんだと思う」
「天から二物を与えられただけいいじゃないか。だがそうなると、彼の魔導武器を操るセンスはゼロだということか?」
あくまでも真顔で、ローレンスは断言した。
「ゼロじゃない。マイナスだ」
「なのに、魔力だけは充分以上に持ち合わせていると。……なかなか、恐ろしい話だな」
東の国境守護の要たるスウィングラー辺境伯家の後継者として立つというなら、魔導武器を扱うセンスの低さは致命的だ。
それ以前に、もしかしたらアレクシアの兄だという少年は、いつ暴発するかわからない欠陥魔導武器レベルの、大変な危険人物なのではなかろうか。よほど有能な側近を据えなければ――と考えたところで、国王が愉快そうに口を挟む。
「アレクシア嬢。きみにとって、そう悪い話ではないと思うよ。スウィングラー辺境伯家を継ぐのは、ベネディクトだ。つまり、煩雑な領地経営や王家に対する忠誠を義務づけられるのは、彼であってきみではない。シンフィールド学園にも、このまま通い続けて構わないよ。きみはただ、あの家の娘として相応の生活費を受け取りながら、今回のようなスウィングラー辺境伯家の兵士だけでは対処できない場合に限り、東の国境の守護をしていればいいんだ」
「不忠者のわたしを、スウィングラーの最終安全装置として使うおつもりですか? わたしは、次代のスウィングラー辺境伯から絶縁宣言を受けた身です。そのような都合のいい話を、あちらが受け入れるはずがない」
おや、と国王が目を瞠る。
「これが、都合のいい話だとは認めるわけかい?」
「スウィングラー辺境伯家から生活費をむしり取れるという一点については、わたしにとって都合がいいお話ですから。念のため申し上げておきますが、東の国境守護というスウィングラー辺境伯家の存在意義を維持するとなれば、当然ながら最低でも次期当主と同水準の金額を要求いたします」
できるものならやってみろ、とふっかけたアレクシアに、国王はほんのわずかも迷わず応じた。
「ふむ。ならばその予算を捻出するため、エイドリアンには消えてもらおうか」
「……は?」
国王が、楽しげに笑ってうなずく。
「彼の役目は、もう終わったからね。スウィングラーの血と魔力を受け継ぐ子どもたちは、すでに次世代を望める年齢に育っている。これ以上、無能な種馬は必要ない」
ほんの一瞬、国王の瞳に酷薄な光が閃いた。
「きみがベネディクトの補佐となってくれるなら、スウィングラーの将来に不安はない。種付け能力しか誇るところのない中継ぎ後継者など、なんの憂いもなく切り捨てられる。――そうだね、彼には重篤な病でも患ってもらって、婚約者ともども、スウィングラー辺境伯領の西の別邸に赴いてもらおうかな」
――スウィングラー辺境伯領の西の別邸。アレクシアが、スウィングラー辺境伯家から追放されたときに追いやられた山奥に、エイドリアンを幽閉するというのか。
彼女は、すっと目を細めた。
「先ほども申し上げましたが、わたしはあなたを信じない。あなたの言葉も同様です。……ですが、もし本当にそれが実現したなら、非常時に限り、東の国境を守護するくらいはして差し上げても構いません」
「うん。そうしてくれると、とても助かる。何しろ、これからは空が戦場になるわけだからね。東の戦況ばかりに注視していると、思いも寄らない方向から背中を刺されるかもしれない。こう見えても国王というのは、いろいろと多忙で大変なんだよ」
わざとらしくぼやく国王に、アレクシアはにこりとほほえむ。
「一国の主ともあろうお方が、たかだか十五歳の小娘に愚痴らないでくださいませ。みっともない」
「……アレクシア嬢。ベネディクトの補佐になるついでに、私の友人にもなってみないかい?」
アレクシアは、完璧な社交用の笑みを浮かべて言った。
「ご友人のいらっしゃらない陛下には、のちほどウサギのぬいぐるみをお贈りいたしましょう。今後、何か愚痴りたいことがございましたら、そちらにどうぞ」
「そうきたか」
国王が苦笑し、軽く肩をすくめる。
「まぁ、いい。きみたちはひとまず、シンフィールド学園に戻りなさい。あそこの敷地を破壊されてはかなわないからね」
「はい。それでは、失礼いたします」
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