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ご褒美がないと、がんばれません。
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ひとつ深呼吸をしてから、彼女は改めて口を開いた。
「悪いが、少年。わたしは人間を番号で呼ぶほど悪趣味ではない。きみの呼び方については、おいおい決めることにしよう。――ウィル。少し、彼を見ていてくれ。わたしは、先ほど預けたオモチャを回収してくる。万が一、敵がまだ何か仕掛けてくるようなら、殲滅して構わん」
「了解しました」
世の中、下には下がいるものだとため息をつきつつ、地上を目指す。そんな彼女の姿に気づいたらしいスウィングラー辺境伯家の兵士たちが、歓喜の雄叫びを上げる。
「アレクシアさま!」
「やかましい。作業を中断するな、阿呆ども。先ほど、わたしが敵から奪った空飛ぶオモチャを預けた者は、どこにいるか?」
冷ややかな彼女の声音に、周囲の者たちが困惑した様子で押し黙った。そんな彼らを無感動に一瞥し、アレクシアは声を低める。
「早くしろ。さっさと出てこい」
「は、はい……! こちらです、アレクシアさま!」
比較的軽傷な者たちをかき分けるようにして、敵から奪った飛行補助魔導武器を抱えた兵士が駆け寄ってくる。受け取った戦利品をざっと検分し、何も問題がなさそうだと確認したアレクシアは、目の前で直立不動の体勢を取ったままの相手に言う。
「よくやった」
「アレクシアさま……」
壮年の兵士の顔が、掠れた声で彼女の名を呼ぶ。アレクシアがまだスウィングラー辺境伯家にいた頃、何度か部隊の一員として使ったことがある顔だ。たしか、狙撃銃型の魔導武器の扱いが群を抜いて上手かった。
どうやら、デズモンドはこの場にはいないようだ。おそらく、スウィングラーの本邸で、領内各地に散っている戦力の招集に尽力しているのだろう。
幸い、その努力は徒労に終わる。無駄に各地の防衛が手薄になる前に、招集命令が撤回されればいいが、それは彼女が気にすることではない。
ふ、と息を吐き、アレクシアは口元だけで小さく笑う。
「スウィングラー辺境伯に伝えろ。ウィルフレッド・オブライエンは、わたしが育てたわたしの従者だ。誰にも譲るつもりはない。どうしても彼が欲しいのならば、わたしを殺して奪い取るしかないわけだが――」
一度言葉を切り、周囲を見回してから彼女は続けた。
「わたしは、自分の命を狙う者に対して情けをかけるほど愚かではない。今後、辺境伯よりわたしの抹殺命令を受けたなら、己の命を捨てる覚悟でくることだ」
そう言って再び飛行魔術を展開した彼女の背中に、壮年の兵士が叫んだ。
「……っアレクシアさま! なぜですか!? なぜ、そんなことをおっしゃるのです! あなたは、スウィングラーの後継者として再び認められたからこそ、今ここにいらっしゃるのではないのですか!?」
「違うな。スウィングラーを継ぐのは、わたしの腹違いの兄上だ。ご挨拶したことはないが、とても優秀な少年だと聞いているぞ」
よかったな、と彼女は言う。
スウィングラー辺境伯家に仕える者たちの多くが、少女であるアレクシアの下で戦うことで、武門の誇りに傷がつくと嘆いていたことは知っている。
もっとも、いまだ聖ゴルトベルガー学園で学んでいるアレクシアの兄が、辺境伯家の実務に就けるようになるには、まだまだ長い時間が必要だろう。それまでは、デズモンドに現役を続けてもらうしかない。何しろ、本来スウィングラー辺境伯家の次代を担うべきエイドリアンは、女の尻を追いかけるしか能のないろくでなしである。
まったく、難儀なことだ。他人事のようにそう考えながら、アレクシアは高度を上げた。
そして、無駄と思いながらも、最後にスウィングラーの兵士たちへ告げる。
「わたしがスウィングラーにいた頃、おまえたちには随分世話になったな。ありがとう。それから、不甲斐ない後継者ですまなかった。……できることなら、おまえたちは殺したくない。勝手な言い分なのはわかっているが、わたしの抹殺命令については、はじめから不可能だとあきらめてくれると嬉しい」
愛して、いたから。
アレクシアは、彼らを愛していた。ともに大切な故郷を守る同胞として、たとえ互いの間に温かな絆などひとかけらもなかったとしても――幼く弱く、周囲から守られるばかりだった頃の彼女は、たしかに彼らを愛していたのだ。
覚えている。忘れるわけがない。
彼らが、震えて泣いてばかりのアレクシアを、決して傷がつかないように守ってくれたこと。
そんな彼らの行動が、デズモンドの命令によるものであったのはわかっている。それでも、戦場の恐怖に怯えることしかできなかった幼子にとって、彼らの存在はたしかに救いだったのだ。
上空へ戻ると、ウィルフレッドが穏やかな笑顔で彼女を迎えた。
「お疲れさまでした、アレクシアさま」
「ああ。敵が戻ってくる様子はなさそうだな」
敵部隊は、徐々にリベラ平原から去りつつある。これほどなんの統制もない動きで潰走していては、もう一度陣を組み直すのは困難だろう。それでも、最後の一兵を確認できなくなるまでは、気を抜くわけにはいかない。
と、通信魔導具が反応した。スウィングラー辺境伯家のコードを、誰かが使ったようだ。直後、やたらと大きな音声が響く。
『総員、アレクシアさまに敬礼! ――アレクシアさま!』
「……あ?」
見下ろせば、五体満足なスウィングラー辺境伯家の兵士たちが、揃って上空に――アレクシアに向けて敬礼をしていた。
思わず間の抜けた声を零した彼女の耳に、先ほどの壮年の兵士の声が響く。
『ありがとうございました!!』
一拍置いて、アレクシアは口を開いた。
「おまえたちに、礼を言われる筋合いはない。そんなことをしている暇があったら、さっさと要救助者の保護をしないか、この大馬鹿者どもが!!」
彼女の一喝に、兵士たちがわたわたと慌ただしく動き出す。呆れ返って腕組みをしたアレクシアに、ウィルフレッドが笑い含みの声で言う。
「アレクシアさま。これは、あくまでもオレの希望的観測ですが……。この戦場にいた者たちが、今後あなたの命を狙ってくる可能性は、かなり低いと思いますよ」
「おい、ウィル。おまえはいつから、そんな世迷い言を言うようになったんだ」
スウィングラー辺境伯家の兵士たちにとって、デズモンドの命令は絶対だ。たとえ、今日の戦闘においてアレクシアが彼らの命を拾った形になったとしても、徹底した訓練を施された兵士が主の命令に抗うことなどありえない。
ウィルフレッドは、どこか困った顔で続けた。
「前線勤務の兵士たちは元々、あなたを疎んじていたわけではありませんから。――自分の娘や妹よりも小さな少女が、泣きながら戦場に立つ姿を見せられ続けて、胃に穴を空けかけた連中の愚痴を、オレがどれだけ聞かされてきたと思いますか?」
「……は?」
目を丸くしたアレクシアに、彼は少し考える素振りをして告げる。
「そうですね。これは、オレが言うことではないのでしょうが……。オレが世話になっていたスウィングラー辺境伯家の兵士たちが、あなたに対して不満を抱いていたとしたら、『ガキの従者だけを連れて無茶ばかりして、どれだけ自分たちの胃を痛めれば気が済むんだ!』という類いのものが、大多数ではないでしょうか」
アレクシアは、唖然とした。
「いや……そんなことを、言われてもな」
「あなたのそばにいる者は、あなたの行動とその結果を、意外にきちんと見ているものなんですよ」
そしてウィルフレッドは、ひどく静かな声で言う。
「アレクシアさま。空を戦場とする魔導兵士が現れた以上、今後の戦ではどれだけ早く的確に制空権を取れるかが鍵になります。この状況で、東の国境の要たるスウィングラー辺境伯家の後継者が、実戦経験皆無のろくでなしとその息子では、心許ないにもほどがあるとは思いませんか?」
その問いかけに、わずかな沈黙のあと彼女は応じた。
「そうだな。今回の一件で、わたしを再びスウィングラー辺境伯家の後継にと望む声が出てくるのは、充分に予想できる。さて、どうしたものか」
「……アレクシアさま?」
にぃ、と口元だけで笑った彼女に、ウィルフレッドが訝しげな声をかけてくる。
「いや。しょせんわたしは、次代のスウィングラー辺境伯から絶縁宣言をいただいた身だ。そんなわたしを後継に据えるのは、容易なことではあるまいよ。――あぁ、敵影が消えたな」
リベラ平原から敵魔導兵士の姿がすべてなくなったのを確認し、アレクシアは王太子の通信魔導具のコードを呼び出す。思いのほか、すぐに応答があった。
『――ローレンス・アーサー・ランヒルディアだ。アレクシア嬢、きみらは無事か!?』
予想外に大きな声に、アレクシアは顔をしかめる。どうやら彼は、園遊会の会場にいるわけではないようだ。
「問題ない。敵陣営の、リベラ平原からの撤退を確認した。これより、帰投する」
『ほ、本当かい!? そうか……そうか』
よかった、と呟くローレンスの声は、掠れていた。彼の通信魔導具越しに、複数の男性らしき声がわずかに聞こえてきたが、すぐに静かになった。話のしやすい場所に移動したのだろうか。
アレクシアは、端的に用件を告げる。
「ただ、少々厄介なことになってな。民間人の少年を一名、保護した。詳しいことはのちほど説明するが、彼の身柄についてはわたしの管理下に置く旨、了承していただきたい」
『民間人? あぁ、もちろん構わないよ。……それより、悪い知らせだ。アレクシア嬢。先ほど、大陸東部から南部にかけての七カ国が連合を組み、我が国に宣戦布告をしてきた』
「なんだと?」
アレクシアは、眉をひそめた。ローレンスが、低く押し殺した声で続ける。
『彼らが言うには、リベラ平原は彼らの奉じる神が定めた聖域なんだそうだ。それゆえ、神の名の下にリベラ平原を自分たちの手に取り戻す。そう主張している』
「ふむ。他国への侵略理由に都合のいい宗教を持ち出すのは、手垢まみれの使い古しにもほどがある手口だが……。まっとうな理屈が通じないとなると、今後の交渉が面倒極まりないことになるのだろうな」
そもそも、宣戦布告とは戦を仕掛ける前にするものだったはずだ。戦闘行動の終結間際にしたところで遅すぎると思うのだが、とりあえず敵の素性が明確になったのはありがたいことである。対峙すべき者たちの正体が、いつまでも曖昧なままであるのは、あまり気持ちのいいものではない。
他人事のように応じた彼女に、一拍置いてローレンスがぼやいた。
『……彼らは、神の使徒による天の鉄槌をもって、すでにリベラ平原の空を支配した、とかなんとか言っていたようなんだけれど。きみがこうしてのほほんと話をしてくれているということは、彼らの計画は完全に破綻したものと思っていいのかな』
「さてな。だが、宣戦布告がつい先ほどなら、ちょうどわたしが現着する直前のことだったのかもしれん。その時点では、スウィングラー辺境伯家の陣は瓦解寸前だった。勝利を確信した連中が、最後の詰めを誤ったのだとしたら、今の状況が彼らにとって甚だ不本意なのは間違いないと思うぞ」
小さく笑って、彼女は言う。
「何しろ、わたしはおそらく彼らが言うところの『神の使徒』とやらを、すべて地上に叩き落としてやったからな。――ローレンス・アーサー・ランヒルディア王太子殿下。彼らは、新型の飛行補助魔導武器で空を飛びながら、地上を攻撃していたぞ」
『……なん、だって?』
ローレンスが、驚愕に声を強張らせる。
「お陰で、スウィングラー辺境伯家の兵士が随分やられた。わたしも、ウィルのサポートがなければ、相当手こずっていたはずだ。とにかく、この件について急ぎ報告がしたい。きみは、今どこにいる?」
その問いに答えが返るまで、少しの間があった。
『陛下の執務室だよ。その……七カ国連合からの宣戦布告があった時点で、陛下から呼び出されてね。園遊会のほうは、王妃さまが取り仕切ってくださっている』
なるほど、とアレクシアは声を低める。わずかな頭痛を覚えながら、彼女は問う。
「王太子殿下。もしやきみは、この通信をそちらにいらっしゃるであろう国王陛下や側近の方々にも、お聞きいただいているのかな?」
『す、すまない! その通りだ! ただその、そちらの状況を一刻も早く、陛下やみなに知っていただかなければならないと思ったものだから!』
アレクシアは、冷ややかに返す。
「レディとの個人的なやりとりを大勢の者に晒すとは、紳士の風上にも置けぬ振る舞いだな。恥を知りたまえ」
『うぅ……っ』
黙りこんだローレンスに、彼女は告げた。
「まぁ、いい。まずは一度、そちらへ戻る。東の門を目指すから、わたしたちの受け入れを通達しておいてくれ」
王宮全体を守護する防御魔導シールドは、内側から外へ出るのはスルーパスだが、外からの侵入は強固に阻む仕様になっている。アレクシアたちが城内へ入るためには、内側からの許可が必要だ。
『わかった。気をつけて』
「ああ」
ため息をつき、アレクシアは通信を切った。そして、なんとも言い難い表情で彼女と王太子の通信を聞いていたウィルフレッドに、ぼそりと言う。
「……一国の主の頭髪を魔導武器で吹き飛ばすのは、やはり不敬に当たるだろうか」
アレクシアは、スウィングラー辺境伯家の一族たちと同じくらい、国王が大嫌いなのだ。ろくな心の準備もなく対面して、魔導武器に手を伸ばさない自信がない。
そんな彼女に、ウィルフレッドが真顔で応じる。
「アレクシアさま。お気持ちはとてもよくわかりますが、どうか穏便にお願いします。今回の報告が済んだら、あなたのお好きなケーキを買って差し上げますから」
「そういうことなら、繁華街に新しくできたカフェの苺タルトと、紅茶のミルクレープと、レモンのシフォンケーキがいいな」
滅多にない甘やかし宣言に、ここぞとばかりに乗っかると、彼は朗らかな笑顔で言った。
「太りますよ」
「……苺タルトだけでいい」
「悪いが、少年。わたしは人間を番号で呼ぶほど悪趣味ではない。きみの呼び方については、おいおい決めることにしよう。――ウィル。少し、彼を見ていてくれ。わたしは、先ほど預けたオモチャを回収してくる。万が一、敵がまだ何か仕掛けてくるようなら、殲滅して構わん」
「了解しました」
世の中、下には下がいるものだとため息をつきつつ、地上を目指す。そんな彼女の姿に気づいたらしいスウィングラー辺境伯家の兵士たちが、歓喜の雄叫びを上げる。
「アレクシアさま!」
「やかましい。作業を中断するな、阿呆ども。先ほど、わたしが敵から奪った空飛ぶオモチャを預けた者は、どこにいるか?」
冷ややかな彼女の声音に、周囲の者たちが困惑した様子で押し黙った。そんな彼らを無感動に一瞥し、アレクシアは声を低める。
「早くしろ。さっさと出てこい」
「は、はい……! こちらです、アレクシアさま!」
比較的軽傷な者たちをかき分けるようにして、敵から奪った飛行補助魔導武器を抱えた兵士が駆け寄ってくる。受け取った戦利品をざっと検分し、何も問題がなさそうだと確認したアレクシアは、目の前で直立不動の体勢を取ったままの相手に言う。
「よくやった」
「アレクシアさま……」
壮年の兵士の顔が、掠れた声で彼女の名を呼ぶ。アレクシアがまだスウィングラー辺境伯家にいた頃、何度か部隊の一員として使ったことがある顔だ。たしか、狙撃銃型の魔導武器の扱いが群を抜いて上手かった。
どうやら、デズモンドはこの場にはいないようだ。おそらく、スウィングラーの本邸で、領内各地に散っている戦力の招集に尽力しているのだろう。
幸い、その努力は徒労に終わる。無駄に各地の防衛が手薄になる前に、招集命令が撤回されればいいが、それは彼女が気にすることではない。
ふ、と息を吐き、アレクシアは口元だけで小さく笑う。
「スウィングラー辺境伯に伝えろ。ウィルフレッド・オブライエンは、わたしが育てたわたしの従者だ。誰にも譲るつもりはない。どうしても彼が欲しいのならば、わたしを殺して奪い取るしかないわけだが――」
一度言葉を切り、周囲を見回してから彼女は続けた。
「わたしは、自分の命を狙う者に対して情けをかけるほど愚かではない。今後、辺境伯よりわたしの抹殺命令を受けたなら、己の命を捨てる覚悟でくることだ」
そう言って再び飛行魔術を展開した彼女の背中に、壮年の兵士が叫んだ。
「……っアレクシアさま! なぜですか!? なぜ、そんなことをおっしゃるのです! あなたは、スウィングラーの後継者として再び認められたからこそ、今ここにいらっしゃるのではないのですか!?」
「違うな。スウィングラーを継ぐのは、わたしの腹違いの兄上だ。ご挨拶したことはないが、とても優秀な少年だと聞いているぞ」
よかったな、と彼女は言う。
スウィングラー辺境伯家に仕える者たちの多くが、少女であるアレクシアの下で戦うことで、武門の誇りに傷がつくと嘆いていたことは知っている。
もっとも、いまだ聖ゴルトベルガー学園で学んでいるアレクシアの兄が、辺境伯家の実務に就けるようになるには、まだまだ長い時間が必要だろう。それまでは、デズモンドに現役を続けてもらうしかない。何しろ、本来スウィングラー辺境伯家の次代を担うべきエイドリアンは、女の尻を追いかけるしか能のないろくでなしである。
まったく、難儀なことだ。他人事のようにそう考えながら、アレクシアは高度を上げた。
そして、無駄と思いながらも、最後にスウィングラーの兵士たちへ告げる。
「わたしがスウィングラーにいた頃、おまえたちには随分世話になったな。ありがとう。それから、不甲斐ない後継者ですまなかった。……できることなら、おまえたちは殺したくない。勝手な言い分なのはわかっているが、わたしの抹殺命令については、はじめから不可能だとあきらめてくれると嬉しい」
愛して、いたから。
アレクシアは、彼らを愛していた。ともに大切な故郷を守る同胞として、たとえ互いの間に温かな絆などひとかけらもなかったとしても――幼く弱く、周囲から守られるばかりだった頃の彼女は、たしかに彼らを愛していたのだ。
覚えている。忘れるわけがない。
彼らが、震えて泣いてばかりのアレクシアを、決して傷がつかないように守ってくれたこと。
そんな彼らの行動が、デズモンドの命令によるものであったのはわかっている。それでも、戦場の恐怖に怯えることしかできなかった幼子にとって、彼らの存在はたしかに救いだったのだ。
上空へ戻ると、ウィルフレッドが穏やかな笑顔で彼女を迎えた。
「お疲れさまでした、アレクシアさま」
「ああ。敵が戻ってくる様子はなさそうだな」
敵部隊は、徐々にリベラ平原から去りつつある。これほどなんの統制もない動きで潰走していては、もう一度陣を組み直すのは困難だろう。それでも、最後の一兵を確認できなくなるまでは、気を抜くわけにはいかない。
と、通信魔導具が反応した。スウィングラー辺境伯家のコードを、誰かが使ったようだ。直後、やたらと大きな音声が響く。
『総員、アレクシアさまに敬礼! ――アレクシアさま!』
「……あ?」
見下ろせば、五体満足なスウィングラー辺境伯家の兵士たちが、揃って上空に――アレクシアに向けて敬礼をしていた。
思わず間の抜けた声を零した彼女の耳に、先ほどの壮年の兵士の声が響く。
『ありがとうございました!!』
一拍置いて、アレクシアは口を開いた。
「おまえたちに、礼を言われる筋合いはない。そんなことをしている暇があったら、さっさと要救助者の保護をしないか、この大馬鹿者どもが!!」
彼女の一喝に、兵士たちがわたわたと慌ただしく動き出す。呆れ返って腕組みをしたアレクシアに、ウィルフレッドが笑い含みの声で言う。
「アレクシアさま。これは、あくまでもオレの希望的観測ですが……。この戦場にいた者たちが、今後あなたの命を狙ってくる可能性は、かなり低いと思いますよ」
「おい、ウィル。おまえはいつから、そんな世迷い言を言うようになったんだ」
スウィングラー辺境伯家の兵士たちにとって、デズモンドの命令は絶対だ。たとえ、今日の戦闘においてアレクシアが彼らの命を拾った形になったとしても、徹底した訓練を施された兵士が主の命令に抗うことなどありえない。
ウィルフレッドは、どこか困った顔で続けた。
「前線勤務の兵士たちは元々、あなたを疎んじていたわけではありませんから。――自分の娘や妹よりも小さな少女が、泣きながら戦場に立つ姿を見せられ続けて、胃に穴を空けかけた連中の愚痴を、オレがどれだけ聞かされてきたと思いますか?」
「……は?」
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「そうですね。これは、オレが言うことではないのでしょうが……。オレが世話になっていたスウィングラー辺境伯家の兵士たちが、あなたに対して不満を抱いていたとしたら、『ガキの従者だけを連れて無茶ばかりして、どれだけ自分たちの胃を痛めれば気が済むんだ!』という類いのものが、大多数ではないでしょうか」
アレクシアは、唖然とした。
「いや……そんなことを、言われてもな」
「あなたのそばにいる者は、あなたの行動とその結果を、意外にきちんと見ているものなんですよ」
そしてウィルフレッドは、ひどく静かな声で言う。
「アレクシアさま。空を戦場とする魔導兵士が現れた以上、今後の戦ではどれだけ早く的確に制空権を取れるかが鍵になります。この状況で、東の国境の要たるスウィングラー辺境伯家の後継者が、実戦経験皆無のろくでなしとその息子では、心許ないにもほどがあるとは思いませんか?」
その問いかけに、わずかな沈黙のあと彼女は応じた。
「そうだな。今回の一件で、わたしを再びスウィングラー辺境伯家の後継にと望む声が出てくるのは、充分に予想できる。さて、どうしたものか」
「……アレクシアさま?」
にぃ、と口元だけで笑った彼女に、ウィルフレッドが訝しげな声をかけてくる。
「いや。しょせんわたしは、次代のスウィングラー辺境伯から絶縁宣言をいただいた身だ。そんなわたしを後継に据えるのは、容易なことではあるまいよ。――あぁ、敵影が消えたな」
リベラ平原から敵魔導兵士の姿がすべてなくなったのを確認し、アレクシアは王太子の通信魔導具のコードを呼び出す。思いのほか、すぐに応答があった。
『――ローレンス・アーサー・ランヒルディアだ。アレクシア嬢、きみらは無事か!?』
予想外に大きな声に、アレクシアは顔をしかめる。どうやら彼は、園遊会の会場にいるわけではないようだ。
「問題ない。敵陣営の、リベラ平原からの撤退を確認した。これより、帰投する」
『ほ、本当かい!? そうか……そうか』
よかった、と呟くローレンスの声は、掠れていた。彼の通信魔導具越しに、複数の男性らしき声がわずかに聞こえてきたが、すぐに静かになった。話のしやすい場所に移動したのだろうか。
アレクシアは、端的に用件を告げる。
「ただ、少々厄介なことになってな。民間人の少年を一名、保護した。詳しいことはのちほど説明するが、彼の身柄についてはわたしの管理下に置く旨、了承していただきたい」
『民間人? あぁ、もちろん構わないよ。……それより、悪い知らせだ。アレクシア嬢。先ほど、大陸東部から南部にかけての七カ国が連合を組み、我が国に宣戦布告をしてきた』
「なんだと?」
アレクシアは、眉をひそめた。ローレンスが、低く押し殺した声で続ける。
『彼らが言うには、リベラ平原は彼らの奉じる神が定めた聖域なんだそうだ。それゆえ、神の名の下にリベラ平原を自分たちの手に取り戻す。そう主張している』
「ふむ。他国への侵略理由に都合のいい宗教を持ち出すのは、手垢まみれの使い古しにもほどがある手口だが……。まっとうな理屈が通じないとなると、今後の交渉が面倒極まりないことになるのだろうな」
そもそも、宣戦布告とは戦を仕掛ける前にするものだったはずだ。戦闘行動の終結間際にしたところで遅すぎると思うのだが、とりあえず敵の素性が明確になったのはありがたいことである。対峙すべき者たちの正体が、いつまでも曖昧なままであるのは、あまり気持ちのいいものではない。
他人事のように応じた彼女に、一拍置いてローレンスがぼやいた。
『……彼らは、神の使徒による天の鉄槌をもって、すでにリベラ平原の空を支配した、とかなんとか言っていたようなんだけれど。きみがこうしてのほほんと話をしてくれているということは、彼らの計画は完全に破綻したものと思っていいのかな』
「さてな。だが、宣戦布告がつい先ほどなら、ちょうどわたしが現着する直前のことだったのかもしれん。その時点では、スウィングラー辺境伯家の陣は瓦解寸前だった。勝利を確信した連中が、最後の詰めを誤ったのだとしたら、今の状況が彼らにとって甚だ不本意なのは間違いないと思うぞ」
小さく笑って、彼女は言う。
「何しろ、わたしはおそらく彼らが言うところの『神の使徒』とやらを、すべて地上に叩き落としてやったからな。――ローレンス・アーサー・ランヒルディア王太子殿下。彼らは、新型の飛行補助魔導武器で空を飛びながら、地上を攻撃していたぞ」
『……なん、だって?』
ローレンスが、驚愕に声を強張らせる。
「お陰で、スウィングラー辺境伯家の兵士が随分やられた。わたしも、ウィルのサポートがなければ、相当手こずっていたはずだ。とにかく、この件について急ぎ報告がしたい。きみは、今どこにいる?」
その問いに答えが返るまで、少しの間があった。
『陛下の執務室だよ。その……七カ国連合からの宣戦布告があった時点で、陛下から呼び出されてね。園遊会のほうは、王妃さまが取り仕切ってくださっている』
なるほど、とアレクシアは声を低める。わずかな頭痛を覚えながら、彼女は問う。
「王太子殿下。もしやきみは、この通信をそちらにいらっしゃるであろう国王陛下や側近の方々にも、お聞きいただいているのかな?」
『す、すまない! その通りだ! ただその、そちらの状況を一刻も早く、陛下やみなに知っていただかなければならないと思ったものだから!』
アレクシアは、冷ややかに返す。
「レディとの個人的なやりとりを大勢の者に晒すとは、紳士の風上にも置けぬ振る舞いだな。恥を知りたまえ」
『うぅ……っ』
黙りこんだローレンスに、彼女は告げた。
「まぁ、いい。まずは一度、そちらへ戻る。東の門を目指すから、わたしたちの受け入れを通達しておいてくれ」
王宮全体を守護する防御魔導シールドは、内側から外へ出るのはスルーパスだが、外からの侵入は強固に阻む仕様になっている。アレクシアたちが城内へ入るためには、内側からの許可が必要だ。
『わかった。気をつけて』
「ああ」
ため息をつき、アレクシアは通信を切った。そして、なんとも言い難い表情で彼女と王太子の通信を聞いていたウィルフレッドに、ぼそりと言う。
「……一国の主の頭髪を魔導武器で吹き飛ばすのは、やはり不敬に当たるだろうか」
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そんな彼女に、ウィルフレッドが真顔で応じる。
「アレクシアさま。お気持ちはとてもよくわかりますが、どうか穏便にお願いします。今回の報告が済んだら、あなたのお好きなケーキを買って差し上げますから」
「そういうことなら、繁華街に新しくできたカフェの苺タルトと、紅茶のミルクレープと、レモンのシフォンケーキがいいな」
滅多にない甘やかし宣言に、ここぞとばかりに乗っかると、彼は朗らかな笑顔で言った。
「太りますよ」
「……苺タルトだけでいい」
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