大罪の後継者

灯乃

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旅立ち

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「やあ。おはよう、リヒト」
「おはよう、アリーシャ」

 アリーシャが目を覚ましたのは、太陽が中天を過ぎた頃だった。温室ベッドを引き払ったリヒトに与えられた居室は、彼女が使っている客間の隣である。ちなみに、リヒトの部屋には寝室がふたつあるため、その一方をスバルトゥルが当然のように占拠していた。イシュケルは、アリーシャと反対の隣室で寝起きしているらしい。

 これらの客間は、帝都からの賓客を迎えるときに使うもののようで、広さは充分過ぎるほどだし調度品も豪華なものだ。ゆったりとした談話スペースで、二体の召喚獣たちと今後のことについて話し合っていたとき、ふと顔を上げたイシュケルがアリーシャの目覚めを伝えてきた。

 それからしばらくしてから、いつも通りの様子で現れた彼女は、リヒトに短く挨拶をするなり、にこりと笑ってイシュケルに言う。

「わたしの自己管理が甘かったのは認めるけどね、水の王。こんなふうに一服盛るのは、今回限りにしてくれると嬉しいな」
「ならば、今後はその必要がないようにすることだな。おまえは、リヒトの守護者だろう。ならば、どんな状況でも眠ってみせろ」

 冷ややかな視線と言葉の応酬をするふたりは、あまり相性がよくないのかもしれない。ひとまず、丸テーブルを囲む最後の椅子をアリーシャに勧めると、彼女はぐるりと三人の顔を見回した。

「それで? 次は、どこの砦を目指すのかは決まったのかな?」

 彼女の中で、リヒトが目覚めた以上、一刻も早く残り三体の召喚獣を解放に向かうのは確定事項らしい。
 リヒトはその問いには答えず、テーブルの上に広げた地図の一点を示す。それを見たアリーシャが、訝しげな視線を向けてくる。

「帝都? そこに今、召喚獣の誰かがいるのかい?」
「違う。残りの三体は、砦から動いていない。ただ、帝都には父さんの墓がある」

 そう言って、リヒトはずっと首にかけていた形見の指輪を、シャツの下から取り出した。

「これは昔、父さんがオレにお守りだと言ってくれたものなんだが……。スバルトゥルたちが、これは何かの鍵だと言うんだ」
「……へえ。それって、人間にはわからないような、精霊しか使えない魔術の鍵ってこと? 万が一のとき、その指輪が人間の目から見ても魔導具だってわかるようなら、きみから奪おうとするやつがいただろうしねえ」

 つい先ほど目覚めたばかりだというのに、アリーシャの頭の回転はまったく鈍っていないようだ。もしかしたら、この部屋へやってくる前に、きちんと栄養補給をしてきたのかもしれない。
 彼女の問いかけに、うなずいたのはスバルトゥルだ。

「ああ、そうだ。おそらく、リヒトの父親と契約していた雪の王が、主の願いに応じて組んだものだろう」

 イシュケルが、指輪を見ながら淡々と言う。

「オレたちでも、こうして直接目視しなければわからん程度にまで、術の気配を隠蔽している。よほど、煩わしい連中に気づかせたくなかったんだな」

 感心したように言う召喚獣たちの目には、形見の指輪から魔力の糸が伸びているように見えるらしい。高位召喚獣である彼らが、意識的に集中して見なければ気づかないほどの、細い糸。それは、西――帝都の方角に向かって淡く輝いているという。

「その糸の先が、父さんの墓に繋がっているのかはわからない。父さんが、自分が死んだあとに建てられる墓の場所まで知っていたとは、さすがに考えにくいからな」
「そりゃあ、そうだろうねえ」

 アリーシャが苦笑してうなずく。

「ただ、父さんが遺した何かが残っているとしたら、墓の副葬品として安置されている可能性が、一番高いんじゃないかと思う」

 リヒトの父親は、世間的には『帝国の英雄』のままだ。卑怯な暗殺によって命を落とした、悲運の英雄。
 その葬儀は、国を挙げて大々的に行われている。彼の遺品について、クルーガー家が所有権を主張したとは思えないから、おそらくその処分は帝国側で済ませたはずだ。

「だから、まずは父さん墓を訪ねるつもりで動く。ときどき糸の方角をふたりに確認してもらいながら行けば、もし墓が目的地じゃなくても、そう無駄な動きはしなくても済むはずだ」

 ふうん、とアリーシャが首を傾げる。

「わたしは、きみがそう決めたのなら従うだけだけどね。それって、きみのお父さんの召喚獣を助けるより先に、しなくちゃならないことなのかな?」
「わからない」

 端的に応じたリヒトに、アリーシャが目を丸くする。

「わからないのに、先に帝都に行くのかい?」
「ああ。わからないから、と言ったほうがいいかもしれないな。この東の砦は、将軍――ハーゲンさんがやたらと物わかりのいい人だったから、帝室を切っておれたちについた。だが、これからもそう上手くいくとは思えない。帝都の連中だって、こっちの動きに気づけばどんどん警戒を強くするだろう」

 単純な戦力だけを数えるなら、高位召喚獣二体と東の砦まるごとすべてだ。よほどのことがなければ、どんな相手にもそう簡単に後れを取るとは考えられない布陣である。

 しかし、問題なのはその高位召喚獣二体を支えているのが、リヒトというまだまだ未熟な子どもであるということだ。実際、今のリヒトの魔力制御スキルでは、彼らの戦闘モードにおいて本来の姿で戦ってもらうことは難しい。仮に強行したとしても、再び長期間ベッドの住人になることは避けられまい。それはいやだ。

 そして、ハーゲンからの情報によれば、西の砦には雷を操る鹿の姿をした召喚獣がいるという。――雷の王、エリュトロン。古くから天候を統べる高位精霊として、人々から雷神さまと呼ばれてきた存在だ。

 少なくとも、彼を帝室の支配から解放するためには、せめてスバルトゥルだけでも本来の姿で戦闘モードに入れるようにならねばならない。
 スバルトゥルが、にやりと笑って口を開いた。

「雪の王は、かなりの知恵者だ。その契約者が、自分の身に何かあったときに備えて我が子に何かを託そうとしたなら、まあオモチャ程度のものじゃあないだろうさ」

 ああ、とイシュケルがうなずく。

「もっとも、彼らが――少なくとも雪の王は、そんな『万が一』を現実にするつもりなど、さらさらなかっただろうがな」

 正しい契約と信頼関係で結ばれた召喚獣は、常に契約者の安全を最優先に行動する。
 そんな彼らに警戒される前に、帝室側は一気に片をつけたかったのだろう。五年前、帝国に所属していた五組の召喚士と召喚獣は、ほぼ同時に『暗殺』された。

 当時、最も帝国と激しい敵対関係にあった北の大国トゥーリア。その暗殺チームが、こちらの最大戦力である召喚獣を無力化するべく、両国が停戦に向けての話し合いをすべく開いた会談の最中に行動を起こした、というのが、帝室からの公式発表である。

 それを受け、帝国はトゥーリアを信頼できぬ卑劣な国家と断じた。以来、北方の国境線はどこよりも過酷な激戦区となっている。

 そして、第一皇女と雷の王の偽主となった者が、主を失いそれぞれの世界に戻った精霊たちに再び助力を希い、見事彼らを召喚することに成功した、という筋書きだ。

 もっとも、第一皇女に『聖女』などという肩書きをあてがい、スバルトゥルを実戦投入しなかったということは、おそらく彼女は前線に立つために必要なスキルを、一切持ち合わせていないのだろう。
 イシュケルが、不快げに眉をひそめて言う。

「何も知らず、帝国に忠誠を誓っている召喚士の存在もある。彼らと契約している連中は、以前のオレたちと同じように、人間同士の諍いには興味を抱いていないはずだ。契約者が望めば、当たり前のようにこちらに牙を剥いてくるぞ」

 え、とアリーシャが目を見開く。

「だって、きみたちは高位精霊だろう? その、彼らに何か命令したりすることはできないのかい?」

 彼女の素朴な疑問に、スバルトゥルが肩を竦めて応じる。

「直接の眷属でもない限り、俺たちは同族に何かを命じたりしない。そもそも、ここは人間の世界。俺たちの世界の理は通じない。あちらでなら、そもそも格上の相手に喧嘩を売るなんていう発想すらなかっただろうが……」

 ひとつため息をついて、彼は言った。

「この世界に召喚獣として存在することを選んだ時点で、俺たちの最優先保護対象は契約者である召喚士だ。俺たちにとって、人間の世界は契約者とそれ以外でできている。例外はない」

 それは、たとえ精霊たちの世界では圧倒的な上位者である王の名を冠する者であっても、この世界に生きる召喚獣たちにとっては、『それ以外』に過ぎないということ。

 つまり、とスバルトゥルは口元だけで笑って続けた。

「今後、俺たちは召喚士と正しい契約関係にある、ぴっちぴちにイキのいい召喚獣を相手にしなきゃならん可能性も、充分にあるわけだ。リヒトの負担が減る可能性が少しでもあるなら、雪の王の契約者が残した『お守り』とやらは、ぜひとも手に入れておきたいな」
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