大罪の後継者

灯乃

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旅立ち

目指すもの

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 少し考えるようにしてから、ハーゲンが言う。

「水の王。あなたがリヒトさまの母親について調査せよとおっしゃったのは、彼女がリヒトさまにとって害悪にしかならない存在だからですか?」
「そうだ。普通ならば、人間の子どもにとって母親というのは、憎もうと思っても憎むのが難しい存在のはずだが……」

 イシュケルが、小さく息を吐く。

「リヒトはどうやら、母親に対して憎いという感情すら抱いていないようだ。関心がない。興味がない。我が子にそこまで切り捨てられるような女でも、あいつと最も血の縁が濃い人間なのは間違いないからな。今後の状況次第では、帝室の連中に利用されることも充分考えられる」
「……はい。我々が懸念したのも、その点です」

 うなずき、ハーゲンは興味深そうな目でイシュケルを見た。

「失礼ながら、少々意外でした。こういった人間同士の駆け引きについて、精霊のみなさまというのはもっと無関心なのかと思っていましたので」
「無関心でいたばかりに、オレたちは最初の契約者を喪った」

 淡々と返され、ハーゲンは息を呑む。なんの感情も透けない瞳で、そんな彼を見返したイシュケルが、すいと持ち上げた人差し指で相手の心臓を指さす。

「森の王を介してとはいえ、今のオレの肉体はリヒトの魔力でできている。そしてオレは、ロゼの復讐を果たすまで、この世界から消滅するつもりはない。――意味は、わかるな? ハーゲン・カレンベルク」
「……もちろんです。水の王」

 高位精霊であるイシュケルが名を呼ぶたび、ハーゲンがリヒトと交わした『約束』に対する拘束力は強くなっていく。心臓に絡みついてくる冷たい魔力が増してくるのを感じながら、ハーゲンはまっすぐに相手を見返した。

「我が生涯において、リヒトさまは最後の主。今後何があろうと、私があの方以外に忠誠を捧げることはございません」
「それでいい。人間の子どものまっとうな成長に、教え導く年長者の存在は不可欠だからな。おまえは今後、リヒトにとって『ちょっと頼れる近所のおじさん』になれるよう努力しろ」

 束の間、沈黙が落ちる。
 ものすごく微妙な顔をしたハーゲンが、おそるおそるイシュケルに問う。

「ちょっと頼れる近所のおじさん……ですか」
「なんだ、お兄さんのほうがよかったか?」

 真顔で返され、一瞬口ごもったものの、ハーゲンはがんばって言い返す。

「いえ、そういうわけでは。ただその、私としては、僭越ながらあの方の一の部下を目指そうと考えておりましたもので……」

 だから、とイシュケルが眉根を寄せる。

「今は、そういうのはいいんだと言ったばかりだろうが。人間の魔力の安定は、精神と肉体の安定に直結している。常人には理解不能な天才に育てられた子どもが、いつどんなきっかけで心身の安定を失うものか、おまえには想定できるのか?」

 ものすごくいやそうに言われ、ハーゲンは再び絶句した。

「オレの復讐もおまえの未来も、あのガキひとりに掛かっている。すべてを失いたくなければ、十五の子どもに過度の期待をかけるな。ただでさえ、壊れていないのが不思議なくらいなんだ。下手を打てば、あいつは簡単に潰れるぞ」
「……了解、しました。配下としての節度は守った上で、リヒトさまに少しでも親しみを持っていただけるよう、努力いたします」

 そうして、今や帝国に対する反乱分子の巣窟となった東の砦を預かるハーゲン・カレンベルクは、主に選んだ少年にとって『ちょっと頼れる近所のおじさん』を目指すことになったのである。ずっと殺伐とした軍隊暮らしだった彼には、なかなか難度の高いミッションになりそうだった。

***

「スバルトゥルは! わたくしの召喚獣は、まだ見つからないのですか!!」

 アンビシオン帝国の中央、帝都ラトカ。大陸で最も華やかな都市と謳われるその郊外に、小規模ながら一際美しく壮麗な城がある。代々の皇族女性が、夏の避暑地として利用しているエウリーナ離宮だ。

 数日前から、この帝国で聖女と呼ばれる第一皇女エリーザベトが滞在していることを知っているのは、ごく限られた者たちだけである。
 まるでそれ以外の言葉を知らないかのように、美しい獣の姿をしていた召喚獣の名を呼び続ける姿は、日に日に狂気じみていく。

「わたくしの……彼は、わたくしのものなのに! どうして、わたくしのそばにいないの!」

 癇癪を起こしたエリーザベトが、優雅な猫足の丸テーブルに置かれていたティーセットをなぎ払う。かぐわしい紅茶が毛足の長い絨毯を汚し、彼女のためにと作られた可愛らしい菓子が潰れて散らばる。

 以前ならば、聖女である彼女のそばには、常に多くの人々が侍っていた。気の利く侍女、貴族階級の友人たち、そして機嫌伺いにくる貴族たち。

 けれど今は、誰もいない。長兄である皇太子の命令で選び抜かれた使用人たちは、彼女と必要以上に接触することはなかった。

 そんなことを不満に思っていられたのは、ほんの少しの時間だけ。日を追うごとに、彼女の意識を占めるのは美しい青年の姿をした召喚獣だけになっていく。

 エリーザベトが、はじめて人の姿をとったスバルトゥルを見たのは、八年前。彼女が十五歳のときだった。

 ――それまでに挨拶を交わしたどんな男性よりも魅惑的な容姿と、自信と威厳に満ちあふれた態度。一目でのぼせ上がった彼女は、すぐさま父親である皇帝に『あの方を婿に欲しい』と訴えた。遅くに生まれたはじめての娘に、ひたすら甘いばかりの父親ならば、すぐに願いを叶えてくれると思っていたのだ。

 しかし、そんな彼女に与えられたのは、生まれてはじめての否定の言葉。愛娘のどんなわがままも叶えてきた、この大陸でも比類なき権力を誇る皇帝が、エリーザベトのささやかな願いを拒絶したのが信じられなかった。

 どうして、なぜと泣きわめく彼女は、そこでようやくスバルトゥルが自分と同じ人間ではないのことを教えられたのである。

 エリーザベトの心を奪った青年は、すでにほかの人間のものだった。召喚獣が、主以外の人間に興味を抱くことはない。たとえスバルトゥルの主である召喚士を排除したところで、彼がエリーザベトに目を向けることはないのだ。彼女に、高位精霊であるスバルトゥルを召喚できるほどの魔力がない以上、どれほど願っても彼がエリーザベトを主と認めることは叶わない。

 悔しくて、憤ろしくて、たまらなかった。
 エリーザベトは、この帝国で最も愛されるべき第一皇女だ。誰もが彼女の愛らしさを称え、その気品と知性の高さを褒めちぎる。なのに、本当に欲しい相手は賞賛の言葉どころか、彼女の存在を認識すらしてくれない。スバルトゥルが愛しげにその目を向けるのは、気味の悪い白髪の契約者だけなのだ。

 理不尽だ、と思った。
 遠目にしか姿を見たことはないけれど、スバルトゥルの契約者は平民出の男だと聞いたときから、エリーザベトにとって彼は蔑むべき対象でしかない。いつもみすぼらしい格好をして、ろくにとかしてもいないような白髪を適当に括っただけの、貧相な男。そんなものが、輝くばかりに魅力的なスバルトゥルの選んだ主だなんて、信じたくなかった。

 ジルバ・タンホイザー。
 彼のことを尋ねれば、誰もが『あの男は天才です』と口をそろえる。

 高位召喚獣の契約者は、みな膨大な魔力保有量を誇る才能豊かな者たちだ。人の心を高揚させ、あるいは鎮める歌を歌う者。触れるだけで生き物の傷を癒やす者。ただそこにいるだけで魔力の流れが清められる者。他者の心を惹きつける圧倒的なカリスマを持つ者。そして、その天才的な頭脳により、たった数年で魔術研究を一世代進めたと賞賛される者。

 彼らが帝国に忠誠を誓っている限り、この大陸における栄華は約束されたようなものだと口にする者までいた。

 許せなかった。
 このアンビシオン帝国において、ありとあらゆる賞賛は皇族の上にあるべきものだ。たとえ戯れ口にであろうと、たかが平民に与えられていいものではない。人々からの賞賛も――美しく気高い召喚獣も。

 そんな彼女の心に寄り添ってくれたのは、年の離れた兄の、オスカー・フォルテス・アンビシオンだった。皇太子の地位にある彼と過ごした時間は、そう多くない。けれど、まるで話しの通じない皇帝よりも、ずっとエリーザベトの気持ちを理解してくれたのだ。

 泣かなくていい、とオスカーは彼女に言った。

 ――おまえは正しいよ、エリーザベト。
 ――間違っているのは、世界のほうだ。
 ――だから、力を貸しておくれ。この帝国を、正しき未来へ導くために。

 そしてオスカーは、エリーザベトの願いを叶えた。
 彼女が心奪われた美しい青年の姿ではなく、なぜか本性である獣の姿ではあったものの、聖女としてスバルトゥルの主となることができたのだ。

 彼に命じるために必要な腕輪は、はめているだけで大量の魔力を必要とする。本来ならば、エリーザベトの魔力保有量で耐えられるようなものではなかったが、それを補助するために必要な魔導石程度、帝室の宝物館にいくらでも保管されている。

 スバルトゥルが人間の姿になってくれないことだけが不満だったけれど、彼のすべてを支配できる快感の前では些細なことだ。人々はエリーザベトを聖女として崇め、以前よりもずっと心地よい賞賛の言葉を捧げてくる。

 これが、正しい帝国のあるべき姿。それを作り上げたオスカーを、エリーザベトは心から尊敬していた。彼がこの帝国の後継者であることが誇らしい。

 そう、信じていたのに――

「スバルトゥル……スバルトゥル、スバルトゥル! 返事をなさい! あなたは、わたくしのものでしょう!」

 ――エリーザベトの呼び声に応える者は、誰もいない。
 調子外れの叫び声が、豪奢な離宮の空気を虚しく震わせるばかりだった。
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