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94. 変わる心

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 窓から望む風景はすっかり夕闇に沈んでしまい、規則的に並ぶ街灯が蒼白い光を灯しています。

「あの光も、魔法なんですって」

 幾分冷えた空気が部屋を巡って、夕食の準備をしていたマリに言葉を伝えたようです。

「ハイ? お嬢様? 何かおっしゃいましたか?」

 手を止めて近寄って来たマリが、私の視線の先を追って外を眺めました。

「あのね、あの街灯の光も魔法なんですって。何でも火と錬金の二種類の魔法術を使っているのですってよ。マリは知っていた?」

 エーリック殿下から、この医術院の移動魔法を使う時、少しだけこの施設の周りのことを教えて貰いました。魔法術は、至る所に使われていましたが、上手く技術と組み合わされているので一見では判りにくいものでした。

「そうだったのですか? 知りませんでした。じゃあ、消える事が無さそうですね。便利な物ですね~」

 感心した様にそう言うと再びテーブルに戻って行きました。



 何者にもならなくても良くなった。でもなりたい者が見つかった。得たい力も、使いたい理由も凄く個人的かもしれないけど……
 知らなかった事が沢山あった。もっと知らなければならない事が沢山ありました。
 お父様は、私が相談したいと言った事に、何度も頷いて私を抱き締めてくれました。そして、私の意志に任せて下さるとも言ってくれました。
 その結果、例えグリーンフィールド公爵家から離れる事になっても、もしかしたらお会いできる機会も無くなってしまっても。万が一、忘れてしまう事になっても……





 風が冷たく感じられて、ぶるりと身体が震えました。

「さあ、お嬢様。お夕食の準備が整いましたのでお席にお付き下さいませ」

 マリの柔らかな声に、明るい部屋の方に振り向きました。







 夕食を摂った私は、セドリック様の病室に足を運びます。

 マラカイト公爵様達がいらした後、お母様のマラカイト公爵夫人も駆け付けてお見舞いされていました。意識が戻った事を聞いて、泣き出してしまったのは言うまでもありません。そのお気持ちは、私にも良く判りますもの。ただ、安静なのは変わらず、付き添いも医師と看護師で付きっ切りに行うという事なので、夕食前にはお帰りになりました。ホッとしたような公爵夫妻の顔が忘れられません。

 静かにノックをして、お部屋に入ります。
 テーブルで書き物をしていた看護師に軽く挨拶をして、寝台の左側に座りました。

「セドリック様……」

 シーツの上に置かれている左手をそっと握り締めます。少し熱があるようで、私の指先より熱く感じられました。

「セドリック様。私、ちゃんとお話ししなければならない事があります」

 それは、セドリック様が目覚める寸前に話をしていた事です。

「セドリック様は、ならなくても良いと言って下さいました。光の識別者になっては駄目だと……私のなりたくないという気持ちを汲んで下さったのですね? いつもいつも、私の気持ちを一番に考えて下さいますもの」

 空気を読まない様で、そのくせ気持ちの揺らぎや言葉の裏まで敏感に感じ取ってくれる優しいセドリック様。ダリナスのテレジア学院にいる時も、コレールに帰って来てからも、それは全く変わりませんでした。

「ふふ。コレールに帰って来た事をお知らせしたら、翌日に会いに来て下さいましたね? 人気のキャンディー持って。
 とても可愛らしいお店で、男性が入るには勇気がいるって聞きましたわ。でも、嬉しかったですわよ? あの日、セドリック様が私の為に涙を零して下さいましたね」

 まだほんの少し前の事なのに、随分昔の事の様に思い出します。

「それから、ロイ様とお話しした時も。バザーのお手伝いをするっていたら、自分も手伝うって。私が忙しくなるから、一緒に手伝ってくれるって言って下さいました。ご自分だってお忙しいのに。
 もう……その後、馬車まで帰る時だって手を繋いだりして。凄くびっくりしたのですよ? それから、刺繍も始めています。の模様のハンカチーフですわよ。セドリック様のシンです」

 あの時の事を思い出して、私の頬は一気に熱が廻りました。多分、真っ赤になっていると思います。










「……それは……う、れ、しいな……」

 小さな声が聞こえました。

「えっ!? セ、セドリック様? 気が付かれましたの?」

 私が身を乗り出すようにセドリック様の顔を覗き込むと、ゆっくりと瞼を開きました。少し焦点の合わないアイスブルーの瞳が、何度か瞬きを繰り返して私の視線と交じり合いました。

「セドリック様。私が判りますか?」
「シュゼット……」

 確かに私の事が判るようです。看護師が様子に気付いて寝台の近くに寄ってきました。

「い、ま、何時……?」

 時間の感覚が無くなっているのでしょう。昼に目覚めてから随分時間が経っていますから。

「夜の9時になります。お昼に気が付かれて、その後ずっと眠っていらっしゃいました。何かお辛いところはありますか?」
「……の、ど乾いた」

 ああ! お水ですね! 看護師が吸いのみを渡してくれました。これで、上手に飲ませられるのかしら。私はそっと口の部分をセドリック様に含ませて、ゆっくりと角度を変えて飲ませましたが……

「ごほっ!!」

 ああ!! 大変‼

「へ、た、く、そ」

 慌ててタオルで押えて、口元を拭こうとしたのに。セドリック様が横目で私を見ながらそう言ったのです!!

「ご、ごめんなさい!! 苦しくないですか!? 大丈夫ですか!?」



「う、そ」





 はいっ!? 何ですと!? うそ? 嘘とは?
 動きを止めた私は、左目しか見えないセドリック様の瞳を見返しました。アイスブルーの瞳が、優しく微笑んでいる様に見えました。僅かに口元も上がっていますか?

「セドリック様……もう、私、苦しませてしまったと、お、思って…‥!」

 セドリック様のこんな状況でのイタズラに、涙が滲んできました。
 嬉しいような。ホッとしたような。熱い涙が込み上げて、セドリック様の腕にポロリと落ちました。

「ご、め、ん」

 そう言って、目を細めたセドリック様。そして、

「君が、決めた、ことに、は、んたいは、し、ない。君が、望む、なら……」

 そう言いました。ちゃんと聞こえていたのですね? そう聞くと、セドリック様は瞼を伏せて頷きました。聞こえていたのです。私の呟きが。決心が。

「で、も、もしも、私の為と、いうのなら……」

 再び瞼を開けたセドリック様は、険しい目線を向けて私の目を見詰めました。そこまでご心配して下さるのですね。

「セドリック様。私は決心するための理由と、きっかけが欲しいのです。大切な方が大変な目に遭ってしまったら、お助けしたいと思います。それが出来なくて、どうして癒しの気持ちなどになれるのでしょう。だから、セドリック様、貴方がきっかけになって欲しいのです」

「い、い、の?」

 その瞳は、いつも私を見詰める優しい色に見えます。

「はい。決めたのです。だから、セドリック様は今の、こうして話をしているを、お忘れにならないで下さいね」
「……判った……」

 小さく答えたセドリック様は、そのまま瞼を閉じると眠ってしまわれました。お疲れになったのでしょう。だってこんなにちゃんと、お話して下さいましたもの。

「おやすみなさい……」

 もう一度、手を握ると、ほんの少しだけ握り返す力があった様に感じました。その力に、再びうるっと涙が滲んできました。

「おやすみなさい。セドリック様……」

 握っていた左手を布団中にしまうと、私は来た時と同じように静かに部屋を出ました。









 翌日。

 5年振りになる王宮は、かつての記憶よりも大きく感じられます。あのお茶会以降今まで、足を踏み入れる事がありませんでした。



「グリーンフィールド公爵様と、シュゼット嬢ですね。こちらにどうぞ」

 静かな廊下に、私達の足音が響きます。お父様にエスコートされて、長い廊下を歩いて行きます。前回来た時は、珍しい王宮に好奇心一杯で落ち着きなくキョロキョロしていたと思います。

 まあ、帰りはそんな事を考える余裕も無く、逃げる様に帰ってしまったのだけど。



「このお部屋に、お嬢様だけお入りください」

 案内をしてくれていた侍従が、大きな両開きのマホガニーの扉の前で止まりました。

「私だけですか?」

 少し怪訝そうにそう尋ねると、侍従は深く頷いて扉に手を掛けました。お父様も頷いています。ああ、ご存じだったのですね? お父様は待っているからと、廊下にあるソファを指差しました。

「判りました。それではお父様、行って来ますわ」

 両開きの扉がゆっくりと開きます。

 広いホールがそこにあります。どうぞと促されて一歩足を踏み入れました。






「あら……ここは……」

 デジャヴです。見覚えのあるこのホール。あの時の、あのお茶会の時のホールです。
 茫然と視線の先にある、一段高くなった王族の席を見ていました。重厚な王座の両隣に王妃様と王太子様の座る席があります。ああ。やっぱり、あの時のホールです。





「シュゼット、よく来てくれたね」

 後ろから聞き覚えのある声がします。思わず振り返ると、銀髪を靡かせて涼やかな表情の……

「フェリックス殿下?」



 静かに微笑まれると、彼は私の隣に並びました。

「君を怒らせて、傷付けたあの時と同じ場所だ。一度やってしまったことは戻せないけど、もう一度ここから誤解を解きたかった。謝りたかったんだ」

 そう言って、私の手を取りました。まるでエスコートするように王座の前まで進みます。



「シュゼット。5年前に私が言いたかった事を聞いて欲しいんだ。

 あの時、私は君を見つけてホッとしたんだ。だから、こう言いたかったんだ。

『君は、僕の大好きなパンダみたいだ。でも、白くてフワフワした君だから、白パンダだね』って」

 少し照れたように頬を赤く染めたフェリックス様が、私の目の前に立ってそう言いました。

「当時の私は、パンダの縫ぐるみが大好きだったんだ。ごめん。君には失礼な言葉に聞こえただろうけど……本当に反省している」

 悪気は無かったのは聞いています。この前にお話した時も、そうおっしゃっていましたもの。

「……カード……この前頂いたカードに、もう一言書いてありました」

 そうです。この前頂いた二枚目のカード。あのカードにも本心が書いてあるのですよね?だったら……



「ああ、えっと、その……と、友達になって欲しい。かな?」

 ええ。そう書いてありました。確かにそう書いてありました。







「無理ですわ!!」









 私は思いっきり声を張りました。そして、真ん丸に目を見開いているフェリックス殿下に、

「だって、もうお友達ですもの!!」

 大きな声で答えて、満面の笑顔を向けました。
 何だか可笑しくなってきました。あんなに悩んでいたのに。あんなに深刻に考えていたのに。
 顔を見合わせた私達は、声を上げて笑い出しました。



 フェリックス殿下の笑う顔など、初めて見ましたわ。



 5年前から、もう一度やり直し。
 5年前の悲しい気持ちは上書きされて、少しずつ薄れていくでしょう。
 5年分の気持ちはゆっくりと思い出になるのです。


 でもね、フェリックス殿下? 
 女の子にお友達になって。は、誤解されますわよ?





 お気を付けて下さいませね?

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