95 / 121
94. 変わる心
しおりを挟む
窓から望む風景はすっかり夕闇に沈んでしまい、規則的に並ぶ街灯が蒼白い光を灯しています。
「あの光も、魔法なんですって」
幾分冷えた空気が部屋を巡って、夕食の準備をしていたマリに言葉を伝えたようです。
「ハイ? お嬢様? 何かおっしゃいましたか?」
手を止めて近寄って来たマリが、私の視線の先を追って外を眺めました。
「あのね、あの街灯の光も魔法なんですって。何でも火と錬金の二種類の魔法術を使っているのですってよ。マリは知っていた?」
エーリック殿下から、この医術院の移動魔法を使う時、少しだけこの施設の周りのことを教えて貰いました。魔法術は、至る所に使われていましたが、上手く技術と組み合わされているので一見では判りにくいものでした。
「そうだったのですか? 知りませんでした。じゃあ、消える事が無さそうですね。便利な物ですね~」
感心した様にそう言うと再びテーブルに戻って行きました。
何者にもならなくても良くなった。でもなりたい者が見つかった。得たい力も、使いたい理由も凄く個人的かもしれないけど……
知らなかった事が沢山あった。もっと知らなければならない事が沢山ありました。
お父様は、私が相談したいと言った事に、何度も頷いて私を抱き締めてくれました。そして、私の意志に任せて下さるとも言ってくれました。
その結果、例えグリーンフィールド公爵家から離れる事になっても、もしかしたらお会いできる機会も無くなってしまっても。万が一、忘れてしまう事になっても……
風が冷たく感じられて、ぶるりと身体が震えました。
「さあ、お嬢様。お夕食の準備が整いましたのでお席にお付き下さいませ」
マリの柔らかな声に、明るい部屋の方に振り向きました。
夕食を摂った私は、セドリック様の病室に足を運びます。
マラカイト公爵様達がいらした後、お母様のマラカイト公爵夫人も駆け付けてお見舞いされていました。意識が戻った事を聞いて、泣き出してしまったのは言うまでもありません。そのお気持ちは、私にも良く判りますもの。ただ、安静なのは変わらず、付き添いも医師と看護師で付きっ切りに行うという事なので、夕食前にはお帰りになりました。ホッとしたような公爵夫妻の顔が忘れられません。
静かにノックをして、お部屋に入ります。
テーブルで書き物をしていた看護師に軽く挨拶をして、寝台の左側に座りました。
「セドリック様……」
シーツの上に置かれている左手をそっと握り締めます。少し熱があるようで、私の指先より熱く感じられました。
「セドリック様。私、ちゃんとお話ししなければならない事があります」
それは、セドリック様が目覚める寸前に話をしていた事です。
「セドリック様は、ならなくても良いと言って下さいました。光の識別者になっては駄目だと……私のなりたくないという気持ちを汲んで下さったのですね? いつもいつも、私の気持ちを一番に考えて下さいますもの」
空気を読まない様で、そのくせ気持ちの揺らぎや言葉の裏まで敏感に感じ取ってくれる優しいセドリック様。ダリナスのテレジア学院にいる時も、コレールに帰って来てからも、それは全く変わりませんでした。
「ふふ。コレールに帰って来た事をお知らせしたら、翌日に会いに来て下さいましたね? 人気のキャンディー持って。
とても可愛らしいお店で、男性が入るには勇気がいるって聞きましたわ。でも、嬉しかったですわよ? あの日、セドリック様が私の為に涙を零して下さいましたね」
まだほんの少し前の事なのに、随分昔の事の様に思い出します。
「それから、ロイ様とお話しした時も。バザーのお手伝いをするっていたら、自分も手伝うって。私が忙しくなるから、一緒に手伝ってくれるって言って下さいました。ご自分だってお忙しいのに。
もう……その後、馬車まで帰る時だって手を繋いだりして。凄くびっくりしたのですよ? それから、刺繍も始めています。月の模様のハンカチーフですわよ。セドリック様の月です」
あの時の事を思い出して、私の頬は一気に熱が廻りました。多分、真っ赤になっていると思います。
「……それは……う、れ、しいな……」
小さな声が聞こえました。
「えっ!? セ、セドリック様? 気が付かれましたの?」
私が身を乗り出すようにセドリック様の顔を覗き込むと、ゆっくりと瞼を開きました。少し焦点の合わないアイスブルーの瞳が、何度か瞬きを繰り返して私の視線と交じり合いました。
「セドリック様。私が判りますか?」
「シュゼット……」
確かに私の事が判るようです。看護師が様子に気付いて寝台の近くに寄ってきました。
「い、ま、何時……?」
時間の感覚が無くなっているのでしょう。昼に目覚めてから随分時間が経っていますから。
「夜の9時になります。お昼に気が付かれて、その後ずっと眠っていらっしゃいました。何かお辛いところはありますか?」
「……の、ど乾いた」
ああ! お水ですね! 看護師が吸いのみを渡してくれました。これで、上手に飲ませられるのかしら。私はそっと口の部分をセドリック様に含ませて、ゆっくりと角度を変えて飲ませましたが……
「ごほっ!!」
ああ!! 大変‼
「へ、た、く、そ」
慌ててタオルで押えて、口元を拭こうとしたのに。セドリック様が横目で私を見ながらそう言ったのです!!
「ご、ごめんなさい!! 苦しくないですか!? 大丈夫ですか!?」
「う、そ」
はいっ!? 何ですと!? うそ? 嘘とは?
動きを止めた私は、左目しか見えないセドリック様の瞳を見返しました。アイスブルーの瞳が、優しく微笑んでいる様に見えました。僅かに口元も上がっていますか?
「セドリック様……もう、私、苦しませてしまったと、お、思って…‥!」
セドリック様のこんな状況でのイタズラに、涙が滲んできました。
嬉しいような。ホッとしたような。熱い涙が込み上げて、セドリック様の腕にポロリと落ちました。
「ご、め、ん」
そう言って、目を細めたセドリック様。そして、
「君が、決めた、ことに、は、んたいは、し、ない。君が、望む、なら……」
そう言いました。ちゃんと聞こえていたのですね? そう聞くと、セドリック様は瞼を伏せて頷きました。聞こえていたのです。私の呟きが。決心が。
「で、も、もしも、私の為と、いうのなら……」
再び瞼を開けたセドリック様は、険しい目線を向けて私の目を見詰めました。そこまでご心配して下さるのですね。
「セドリック様。私は決心するための理由と、きっかけが欲しいのです。大切な方が大変な目に遭ってしまったら、お助けしたいと思います。それが出来なくて、どうして癒しの気持ちなどになれるのでしょう。だから、セドリック様、貴方がきっかけになって欲しいのです」
「い、い、の?」
その瞳は、いつも私を見詰める優しい色に見えます。
「はい。決めたのです。だから、セドリック様は今の、こうして話をしている私を、お忘れにならないで下さいね」
「……判った……」
小さく答えたセドリック様は、そのまま瞼を閉じると眠ってしまわれました。お疲れになったのでしょう。だってこんなにちゃんと、お話して下さいましたもの。
「おやすみなさい……」
もう一度、手を握ると、ほんの少しだけ握り返す力があった様に感じました。その力に、再びうるっと涙が滲んできました。
「おやすみなさい。セドリック様……」
握っていた左手を布団中にしまうと、私は来た時と同じように静かに部屋を出ました。
翌日。
5年振りになる王宮は、かつての記憶よりも大きく感じられます。あのお茶会以降今まで、足を踏み入れる事がありませんでした。
「グリーンフィールド公爵様と、シュゼット嬢ですね。こちらにどうぞ」
静かな廊下に、私達の足音が響きます。お父様にエスコートされて、長い廊下を歩いて行きます。前回来た時は、珍しい王宮に好奇心一杯で落ち着きなくキョロキョロしていたと思います。
まあ、帰りはそんな事を考える余裕も無く、逃げる様に帰ってしまったのだけど。
「このお部屋に、お嬢様だけお入りください」
案内をしてくれていた侍従が、大きな両開きのマホガニーの扉の前で止まりました。
「私だけですか?」
少し怪訝そうにそう尋ねると、侍従は深く頷いて扉に手を掛けました。お父様も頷いています。ああ、ご存じだったのですね? お父様は待っているからと、廊下にあるソファを指差しました。
「判りました。それではお父様、行って来ますわ」
両開きの扉がゆっくりと開きます。
広いホールがそこにあります。どうぞと促されて一歩足を踏み入れました。
「あら……ここは……」
デジャヴです。見覚えのあるこのホール。あの時の、あのお茶会の時のホールです。
茫然と視線の先にある、一段高くなった王族の席を見ていました。重厚な王座の両隣に王妃様と王太子様の座る席があります。ああ。やっぱり、あの時のホールです。
「シュゼット、よく来てくれたね」
後ろから聞き覚えのある声がします。思わず振り返ると、銀髪を靡かせて涼やかな表情の……
「フェリックス殿下?」
静かに微笑まれると、彼は私の隣に並びました。
「君を怒らせて、傷付けたあの時と同じ場所だ。一度やってしまったことは戻せないけど、もう一度ここから誤解を解きたかった。謝りたかったんだ」
そう言って、私の手を取りました。まるでエスコートするように王座の前まで進みます。
「シュゼット。5年前に私が言いたかった事を聞いて欲しいんだ。
あの時、私は君を見つけてホッとしたんだ。だから、こう言いたかったんだ。
『君は、僕の大好きなパンダみたいだ。でも、白くてフワフワした君だから、白パンダだね』って」
少し照れたように頬を赤く染めたフェリックス様が、私の目の前に立ってそう言いました。
「当時の私は、パンダの縫ぐるみが大好きだったんだ。ごめん。君には失礼な言葉に聞こえただろうけど……本当に反省している」
悪気は無かったのは聞いています。この前にお話した時も、そうおっしゃっていましたもの。
「……カード……この前頂いたカードに、もう一言書いてありました」
そうです。この前頂いた二枚目のカード。あのカードにも本心が書いてあるのですよね?だったら……
「ああ、えっと、その……と、友達になって欲しい。かな?」
ええ。そう書いてありました。確かにそう書いてありました。
「無理ですわ!!」
私は思いっきり声を張りました。そして、真ん丸に目を見開いているフェリックス殿下に、
「だって、もうお友達ですもの!!」
大きな声で答えて、満面の笑顔を向けました。
何だか可笑しくなってきました。あんなに悩んでいたのに。あんなに深刻に考えていたのに。
顔を見合わせた私達は、声を上げて笑い出しました。
フェリックス殿下の笑う顔など、初めて見ましたわ。
5年前から、もう一度やり直し。
5年前の悲しい気持ちは上書きされて、少しずつ薄れていくでしょう。
5年分の気持ちはゆっくりと思い出になるのです。
でもね、フェリックス殿下?
女の子にお友達になって。は、誤解されますわよ?
お気を付けて下さいませね?
「あの光も、魔法なんですって」
幾分冷えた空気が部屋を巡って、夕食の準備をしていたマリに言葉を伝えたようです。
「ハイ? お嬢様? 何かおっしゃいましたか?」
手を止めて近寄って来たマリが、私の視線の先を追って外を眺めました。
「あのね、あの街灯の光も魔法なんですって。何でも火と錬金の二種類の魔法術を使っているのですってよ。マリは知っていた?」
エーリック殿下から、この医術院の移動魔法を使う時、少しだけこの施設の周りのことを教えて貰いました。魔法術は、至る所に使われていましたが、上手く技術と組み合わされているので一見では判りにくいものでした。
「そうだったのですか? 知りませんでした。じゃあ、消える事が無さそうですね。便利な物ですね~」
感心した様にそう言うと再びテーブルに戻って行きました。
何者にもならなくても良くなった。でもなりたい者が見つかった。得たい力も、使いたい理由も凄く個人的かもしれないけど……
知らなかった事が沢山あった。もっと知らなければならない事が沢山ありました。
お父様は、私が相談したいと言った事に、何度も頷いて私を抱き締めてくれました。そして、私の意志に任せて下さるとも言ってくれました。
その結果、例えグリーンフィールド公爵家から離れる事になっても、もしかしたらお会いできる機会も無くなってしまっても。万が一、忘れてしまう事になっても……
風が冷たく感じられて、ぶるりと身体が震えました。
「さあ、お嬢様。お夕食の準備が整いましたのでお席にお付き下さいませ」
マリの柔らかな声に、明るい部屋の方に振り向きました。
夕食を摂った私は、セドリック様の病室に足を運びます。
マラカイト公爵様達がいらした後、お母様のマラカイト公爵夫人も駆け付けてお見舞いされていました。意識が戻った事を聞いて、泣き出してしまったのは言うまでもありません。そのお気持ちは、私にも良く判りますもの。ただ、安静なのは変わらず、付き添いも医師と看護師で付きっ切りに行うという事なので、夕食前にはお帰りになりました。ホッとしたような公爵夫妻の顔が忘れられません。
静かにノックをして、お部屋に入ります。
テーブルで書き物をしていた看護師に軽く挨拶をして、寝台の左側に座りました。
「セドリック様……」
シーツの上に置かれている左手をそっと握り締めます。少し熱があるようで、私の指先より熱く感じられました。
「セドリック様。私、ちゃんとお話ししなければならない事があります」
それは、セドリック様が目覚める寸前に話をしていた事です。
「セドリック様は、ならなくても良いと言って下さいました。光の識別者になっては駄目だと……私のなりたくないという気持ちを汲んで下さったのですね? いつもいつも、私の気持ちを一番に考えて下さいますもの」
空気を読まない様で、そのくせ気持ちの揺らぎや言葉の裏まで敏感に感じ取ってくれる優しいセドリック様。ダリナスのテレジア学院にいる時も、コレールに帰って来てからも、それは全く変わりませんでした。
「ふふ。コレールに帰って来た事をお知らせしたら、翌日に会いに来て下さいましたね? 人気のキャンディー持って。
とても可愛らしいお店で、男性が入るには勇気がいるって聞きましたわ。でも、嬉しかったですわよ? あの日、セドリック様が私の為に涙を零して下さいましたね」
まだほんの少し前の事なのに、随分昔の事の様に思い出します。
「それから、ロイ様とお話しした時も。バザーのお手伝いをするっていたら、自分も手伝うって。私が忙しくなるから、一緒に手伝ってくれるって言って下さいました。ご自分だってお忙しいのに。
もう……その後、馬車まで帰る時だって手を繋いだりして。凄くびっくりしたのですよ? それから、刺繍も始めています。月の模様のハンカチーフですわよ。セドリック様の月です」
あの時の事を思い出して、私の頬は一気に熱が廻りました。多分、真っ赤になっていると思います。
「……それは……う、れ、しいな……」
小さな声が聞こえました。
「えっ!? セ、セドリック様? 気が付かれましたの?」
私が身を乗り出すようにセドリック様の顔を覗き込むと、ゆっくりと瞼を開きました。少し焦点の合わないアイスブルーの瞳が、何度か瞬きを繰り返して私の視線と交じり合いました。
「セドリック様。私が判りますか?」
「シュゼット……」
確かに私の事が判るようです。看護師が様子に気付いて寝台の近くに寄ってきました。
「い、ま、何時……?」
時間の感覚が無くなっているのでしょう。昼に目覚めてから随分時間が経っていますから。
「夜の9時になります。お昼に気が付かれて、その後ずっと眠っていらっしゃいました。何かお辛いところはありますか?」
「……の、ど乾いた」
ああ! お水ですね! 看護師が吸いのみを渡してくれました。これで、上手に飲ませられるのかしら。私はそっと口の部分をセドリック様に含ませて、ゆっくりと角度を変えて飲ませましたが……
「ごほっ!!」
ああ!! 大変‼
「へ、た、く、そ」
慌ててタオルで押えて、口元を拭こうとしたのに。セドリック様が横目で私を見ながらそう言ったのです!!
「ご、ごめんなさい!! 苦しくないですか!? 大丈夫ですか!?」
「う、そ」
はいっ!? 何ですと!? うそ? 嘘とは?
動きを止めた私は、左目しか見えないセドリック様の瞳を見返しました。アイスブルーの瞳が、優しく微笑んでいる様に見えました。僅かに口元も上がっていますか?
「セドリック様……もう、私、苦しませてしまったと、お、思って…‥!」
セドリック様のこんな状況でのイタズラに、涙が滲んできました。
嬉しいような。ホッとしたような。熱い涙が込み上げて、セドリック様の腕にポロリと落ちました。
「ご、め、ん」
そう言って、目を細めたセドリック様。そして、
「君が、決めた、ことに、は、んたいは、し、ない。君が、望む、なら……」
そう言いました。ちゃんと聞こえていたのですね? そう聞くと、セドリック様は瞼を伏せて頷きました。聞こえていたのです。私の呟きが。決心が。
「で、も、もしも、私の為と、いうのなら……」
再び瞼を開けたセドリック様は、険しい目線を向けて私の目を見詰めました。そこまでご心配して下さるのですね。
「セドリック様。私は決心するための理由と、きっかけが欲しいのです。大切な方が大変な目に遭ってしまったら、お助けしたいと思います。それが出来なくて、どうして癒しの気持ちなどになれるのでしょう。だから、セドリック様、貴方がきっかけになって欲しいのです」
「い、い、の?」
その瞳は、いつも私を見詰める優しい色に見えます。
「はい。決めたのです。だから、セドリック様は今の、こうして話をしている私を、お忘れにならないで下さいね」
「……判った……」
小さく答えたセドリック様は、そのまま瞼を閉じると眠ってしまわれました。お疲れになったのでしょう。だってこんなにちゃんと、お話して下さいましたもの。
「おやすみなさい……」
もう一度、手を握ると、ほんの少しだけ握り返す力があった様に感じました。その力に、再びうるっと涙が滲んできました。
「おやすみなさい。セドリック様……」
握っていた左手を布団中にしまうと、私は来た時と同じように静かに部屋を出ました。
翌日。
5年振りになる王宮は、かつての記憶よりも大きく感じられます。あのお茶会以降今まで、足を踏み入れる事がありませんでした。
「グリーンフィールド公爵様と、シュゼット嬢ですね。こちらにどうぞ」
静かな廊下に、私達の足音が響きます。お父様にエスコートされて、長い廊下を歩いて行きます。前回来た時は、珍しい王宮に好奇心一杯で落ち着きなくキョロキョロしていたと思います。
まあ、帰りはそんな事を考える余裕も無く、逃げる様に帰ってしまったのだけど。
「このお部屋に、お嬢様だけお入りください」
案内をしてくれていた侍従が、大きな両開きのマホガニーの扉の前で止まりました。
「私だけですか?」
少し怪訝そうにそう尋ねると、侍従は深く頷いて扉に手を掛けました。お父様も頷いています。ああ、ご存じだったのですね? お父様は待っているからと、廊下にあるソファを指差しました。
「判りました。それではお父様、行って来ますわ」
両開きの扉がゆっくりと開きます。
広いホールがそこにあります。どうぞと促されて一歩足を踏み入れました。
「あら……ここは……」
デジャヴです。見覚えのあるこのホール。あの時の、あのお茶会の時のホールです。
茫然と視線の先にある、一段高くなった王族の席を見ていました。重厚な王座の両隣に王妃様と王太子様の座る席があります。ああ。やっぱり、あの時のホールです。
「シュゼット、よく来てくれたね」
後ろから聞き覚えのある声がします。思わず振り返ると、銀髪を靡かせて涼やかな表情の……
「フェリックス殿下?」
静かに微笑まれると、彼は私の隣に並びました。
「君を怒らせて、傷付けたあの時と同じ場所だ。一度やってしまったことは戻せないけど、もう一度ここから誤解を解きたかった。謝りたかったんだ」
そう言って、私の手を取りました。まるでエスコートするように王座の前まで進みます。
「シュゼット。5年前に私が言いたかった事を聞いて欲しいんだ。
あの時、私は君を見つけてホッとしたんだ。だから、こう言いたかったんだ。
『君は、僕の大好きなパンダみたいだ。でも、白くてフワフワした君だから、白パンダだね』って」
少し照れたように頬を赤く染めたフェリックス様が、私の目の前に立ってそう言いました。
「当時の私は、パンダの縫ぐるみが大好きだったんだ。ごめん。君には失礼な言葉に聞こえただろうけど……本当に反省している」
悪気は無かったのは聞いています。この前にお話した時も、そうおっしゃっていましたもの。
「……カード……この前頂いたカードに、もう一言書いてありました」
そうです。この前頂いた二枚目のカード。あのカードにも本心が書いてあるのですよね?だったら……
「ああ、えっと、その……と、友達になって欲しい。かな?」
ええ。そう書いてありました。確かにそう書いてありました。
「無理ですわ!!」
私は思いっきり声を張りました。そして、真ん丸に目を見開いているフェリックス殿下に、
「だって、もうお友達ですもの!!」
大きな声で答えて、満面の笑顔を向けました。
何だか可笑しくなってきました。あんなに悩んでいたのに。あんなに深刻に考えていたのに。
顔を見合わせた私達は、声を上げて笑い出しました。
フェリックス殿下の笑う顔など、初めて見ましたわ。
5年前から、もう一度やり直し。
5年前の悲しい気持ちは上書きされて、少しずつ薄れていくでしょう。
5年分の気持ちはゆっくりと思い出になるのです。
でもね、フェリックス殿下?
女の子にお友達になって。は、誤解されますわよ?
お気を付けて下さいませね?
0
お気に入りに追加
135
あなたにおすすめの小説
王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!
gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ?
王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。
国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから!
12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません
abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。
後宮はいつでも女の戦いが絶えない。
安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。
「どうして、この人を愛していたのかしら?」
ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。
それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!?
「あの人に興味はありません。勝手になさい!」
【完結160万pt】王太子妃に決定している公爵令嬢の婚約者はまだ決まっておりません。王位継承権放棄を狙う王子はついでに側近を叩き直したい
宇水涼麻
恋愛
ピンク髪ピンク瞳の少女が王城の食堂で叫んだ。
「エーティル様っ! ラオルド様の自由にしてあげてくださいっ!」
呼び止められたエーティルは未来の王太子妃に決定している公爵令嬢である。
王太子と王太子妃となる令嬢の婚約は簡単に解消できるとは思えないが、エーティルはラオルドと婚姻しないことを軽く了承する。
その意味することとは?
慌てて現れたラオルド第一王子との関係は?
なぜこのような状況になったのだろうか?
ご指摘いただき一部変更いたしました。
みなさまのご指摘、誤字脱字修正で読みやすい小説になっていっております。
今後ともよろしくお願いします。
たくさんのお気に入り嬉しいです!
大変励みになります。
ありがとうございます。
おかげさまで160万pt達成!
↓これよりネタバレあらすじ
第一王子の婚約解消を高らかに願い出たピンクさんはムーガの部下であった。
親類から王太子になることを強要され辟易しているが非情になれないラオルドにエーティルとムーガが手を差し伸べて王太子権放棄をするために仕組んだのだ。
ただの作戦だと思っていたムーガであったがいつの間にかラオルドとピンクさんは心を通わせていた。
元侯爵令嬢は冷遇を満喫する
cyaru
恋愛
第三王子の不貞による婚約解消で王様に拝み倒され、渋々嫁いだ侯爵令嬢のエレイン。
しかし教会で結婚式を挙げた後、夫の口から開口一番に出た言葉は
「王命だから君を娶っただけだ。愛してもらえるとは思わないでくれ」
夫となったパトリックの側には長年の恋人であるリリシア。
自分もだけど、向こうだってわたくしの事は見たくも無いはず!っと早々の別居宣言。
お互いで交わす契約書にほっとするパトリックとエレイン。ほくそ笑む愛人リリシア。
本宅からは屋根すら見えない別邸に引きこもりお1人様生活を満喫する予定が・・。
※専門用語は出来るだけ注釈をつけますが、作者が専門用語だと思ってない専門用語がある場合があります
※作者都合のご都合主義です。
※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。
※架空のお話です。現実世界の話ではありません。
※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります)
※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました
結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】
今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。
「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」
そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。
そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。
けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。
その真意を知った時、私は―。
※暫く鬱展開が続きます
※他サイトでも投稿中
まだ20歳の未亡人なので、この後は好きに生きてもいいですか?
せいめ
恋愛
政略結婚で愛することもなかった旦那様が魔物討伐中の事故で亡くなったのが1年前。
喪が明け、子供がいない私はこの家を出て行くことに決めました。
そんな時でした。高額報酬の良い仕事があると声を掛けて頂いたのです。
その仕事内容とは高貴な身分の方の閨指導のようでした。非常に悩みましたが、家を出るのにお金が必要な私は、その仕事を受けることに決めたのです。
閨指導って、そんなに何度も会う必要ないですよね?しかも、指導が必要には見えませんでしたが…。
でも、高額な報酬なので文句は言いませんわ。
家を出る資金を得た私は、今度こそ自由に好きなことをして生きていきたいと考えて旅立つことに決めました。
その後、新しい生活を楽しんでいる私の所に現れたのは……。
まずは亡くなったはずの旦那様との話から。
ご都合主義です。
設定は緩いです。
誤字脱字申し訳ありません。
主人公の名前を途中から間違えていました。
アメリアです。すみません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる