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心児も天城家当主として教育を受けて来た人間だ。瑠璃との結婚も仕方ないものとして受け入れていた。
しかし、瑠璃から聞こえてくるのは、天城家の権力を使って何をするか、財産を使ってどうするかということばかり。心児を愛しているのではない、天城家にすがっているだけ。
心児は瑠璃を愛せなかった。子作りも、嫌々行っている状態で、うまくいかないことも多々あった。
なかなか子どもに恵まれず、瑠璃の心はますます荒んでいった。
妊娠しなくては。子どもを産まなくては。心児と結婚した意味がない。私が生まれて来た意味もない。子どもができなければ、何もかも終わりだ。
妊娠しやすい身体づくりをするために、食事・運動に気を遣い、漢方を飲み、心を落ち着けるために瞑想をする。それでも瑠璃の本質的なところは変わらなかった。
愛しあっていない者同士の、義務的なセックス。行為に溺れることすらできない、苦痛だけの儀式。
天城家当主としての仕事を果たしながら、瑠璃の相手をするのは、心児にとってこの上ないストレスだった。
瑠璃が40歳を迎え、心児が32歳になったときのこと。
心児は大学在学中に世話になった恩師に会いに、東京のキャンパスを訪れた。教授の研究室に行くと、たまたま、一人の女子学生が教授と話をしていた。
「ああ、天城くん、よく来たね」
教授が手をあげた。女子学生は、研究室に入ってきた心児のほうに振り向いた。大きな瞳が印象的な、あどけなさの残る小柄な女性。心児を見て、恥ずかしそうに会釈をした。
「せ、先生、お客さんが来たなら、私、帰ります」
「いやいや、せっかくだから話をしてみたらどうだい。天城くんの考え方は面白いよ」
「え、いいの?」と、女性が心の中で呟く声が、心児には聞こえた。女性は、心児を一目見て、心児に興味を持ったのだ。
女性の名前は、十文字那由果といった。その夜は教授と心児、那由果の3人で酒を飲んだ。このときに心児と那由果は連絡先を交換し、やりとりをするようになった。
那由果が出会ったときから心児に興味を持ったように、心児も那由果に興味を持った。
那由果は行動心理学を専攻しており、人間の表情やしぐさから読み取れる心の動きを考え、学んでいた。
人の心を読み取ることができる心児からすれば、那由果のあらゆる疑問に対する答えを簡単に出すことができる。那由果は好奇心旺盛で、聞きたいことは何でも質問する。心児の答えに逐一驚き、感嘆し、学びを進める。
その純粋さを、好ましく思った。それが愛しさに変わるのに、そう時間はかからなかった。
心児には瑠璃という妻がいた。心児は広島、那由果は東京に住んでおり、物理的な距離もあった。
それでも、心児と那由果は交わってしまった。たった一回、されど一回。那由果が心児を訪ねて広島に訪れたとき、一晩を共に明かしてしまった。
心児は自分の身の上話を那由果に打ち明けた。こんな自分が、那由果を抱いてはならないとわかっていた。それでも、那由果の純粋無垢で優しい心を知るほどに、愛しくて涙が溢れた。自分の生い立ちを、天城を呪って泣いた。
那由果は心児の苦しみを受け止めた。何を聞いても、すべてを受け入れた。心児を愛しても、心児に愛されても、永遠に結ばれることはないかもしれないことも、覚悟した。
そんな中で、ついに、瑠璃が妊娠した。41歳。高齢であり、近親相姦の結果の子どもである。健常な子どもが生まれてくるかもわからない。だが、瑠璃が血の涙を流すほどに待ち望んだ子どもである。
ようやく……ようやく、これで天城のすべてを手に入れられる!
ところが、ほぼ同時期に、那由果も心児の子どもを妊娠した。那由果は天城家の呪われた風習を知ったうえで、自分の妊娠を知ったのだ。
不安で、不安でたまらない。この子はいったいどうなるの。
「僕は、瑠璃と別れる。那由果と、この子を選ぶよ」
心児はそう言った。しかし、それでいいのか。
那由果は、心児から瑠璃の話を聞いていた。心児が言うには、心の卑しい、欲深い女。天城家の権力を思いのままにするために、子どもを産もうと必死な女。
瑠璃の話をするときだけ、心児の表情が醜く歪む。
心児と瑠璃の間に、愛はない。
それはわかる。わかるが、自分の感情を押し殺してでもいっしょにいた二人だ。憎しみ合っていても、赤の他人同士ではない。
瑠璃をののしるのは、瑠璃に愛されたかったからではないのか。自分の妻に愛されて、自分も妻を愛して、子どもを授かりたかったのではないのか。
そういう相手を、簡単に切り捨てるのか。
そんな心児を、許していいのだろうか。
しかし、瑠璃から聞こえてくるのは、天城家の権力を使って何をするか、財産を使ってどうするかということばかり。心児を愛しているのではない、天城家にすがっているだけ。
心児は瑠璃を愛せなかった。子作りも、嫌々行っている状態で、うまくいかないことも多々あった。
なかなか子どもに恵まれず、瑠璃の心はますます荒んでいった。
妊娠しなくては。子どもを産まなくては。心児と結婚した意味がない。私が生まれて来た意味もない。子どもができなければ、何もかも終わりだ。
妊娠しやすい身体づくりをするために、食事・運動に気を遣い、漢方を飲み、心を落ち着けるために瞑想をする。それでも瑠璃の本質的なところは変わらなかった。
愛しあっていない者同士の、義務的なセックス。行為に溺れることすらできない、苦痛だけの儀式。
天城家当主としての仕事を果たしながら、瑠璃の相手をするのは、心児にとってこの上ないストレスだった。
瑠璃が40歳を迎え、心児が32歳になったときのこと。
心児は大学在学中に世話になった恩師に会いに、東京のキャンパスを訪れた。教授の研究室に行くと、たまたま、一人の女子学生が教授と話をしていた。
「ああ、天城くん、よく来たね」
教授が手をあげた。女子学生は、研究室に入ってきた心児のほうに振り向いた。大きな瞳が印象的な、あどけなさの残る小柄な女性。心児を見て、恥ずかしそうに会釈をした。
「せ、先生、お客さんが来たなら、私、帰ります」
「いやいや、せっかくだから話をしてみたらどうだい。天城くんの考え方は面白いよ」
「え、いいの?」と、女性が心の中で呟く声が、心児には聞こえた。女性は、心児を一目見て、心児に興味を持ったのだ。
女性の名前は、十文字那由果といった。その夜は教授と心児、那由果の3人で酒を飲んだ。このときに心児と那由果は連絡先を交換し、やりとりをするようになった。
那由果が出会ったときから心児に興味を持ったように、心児も那由果に興味を持った。
那由果は行動心理学を専攻しており、人間の表情やしぐさから読み取れる心の動きを考え、学んでいた。
人の心を読み取ることができる心児からすれば、那由果のあらゆる疑問に対する答えを簡単に出すことができる。那由果は好奇心旺盛で、聞きたいことは何でも質問する。心児の答えに逐一驚き、感嘆し、学びを進める。
その純粋さを、好ましく思った。それが愛しさに変わるのに、そう時間はかからなかった。
心児には瑠璃という妻がいた。心児は広島、那由果は東京に住んでおり、物理的な距離もあった。
それでも、心児と那由果は交わってしまった。たった一回、されど一回。那由果が心児を訪ねて広島に訪れたとき、一晩を共に明かしてしまった。
心児は自分の身の上話を那由果に打ち明けた。こんな自分が、那由果を抱いてはならないとわかっていた。それでも、那由果の純粋無垢で優しい心を知るほどに、愛しくて涙が溢れた。自分の生い立ちを、天城を呪って泣いた。
那由果は心児の苦しみを受け止めた。何を聞いても、すべてを受け入れた。心児を愛しても、心児に愛されても、永遠に結ばれることはないかもしれないことも、覚悟した。
そんな中で、ついに、瑠璃が妊娠した。41歳。高齢であり、近親相姦の結果の子どもである。健常な子どもが生まれてくるかもわからない。だが、瑠璃が血の涙を流すほどに待ち望んだ子どもである。
ようやく……ようやく、これで天城のすべてを手に入れられる!
ところが、ほぼ同時期に、那由果も心児の子どもを妊娠した。那由果は天城家の呪われた風習を知ったうえで、自分の妊娠を知ったのだ。
不安で、不安でたまらない。この子はいったいどうなるの。
「僕は、瑠璃と別れる。那由果と、この子を選ぶよ」
心児はそう言った。しかし、それでいいのか。
那由果は、心児から瑠璃の話を聞いていた。心児が言うには、心の卑しい、欲深い女。天城家の権力を思いのままにするために、子どもを産もうと必死な女。
瑠璃の話をするときだけ、心児の表情が醜く歪む。
心児と瑠璃の間に、愛はない。
それはわかる。わかるが、自分の感情を押し殺してでもいっしょにいた二人だ。憎しみ合っていても、赤の他人同士ではない。
瑠璃をののしるのは、瑠璃に愛されたかったからではないのか。自分の妻に愛されて、自分も妻を愛して、子どもを授かりたかったのではないのか。
そういう相手を、簡単に切り捨てるのか。
そんな心児を、許していいのだろうか。
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