57 / 103
7-4
しおりを挟む
たった一日ではあるが、非常に長く感じられた休日を終えて、未子はいつも通り登校した。紫藤は、表立って同行していない。
「先生がいっしょだと、逆に目立つから。離れて歩いてほしいの」
と、未子から要求した。
反抗期の娘が、父親に近寄られると嫌がるのってこんな感じかな。と、紫藤は少し寂しく思いながら、承諾した。
2年4組の教室には、すでに千宙の姿があった。席でスマホをいじっている。いつものように将棋をしているのだろう。
未子はドキドキしながら自分の席に向かった。いつもなら、席に向かう途中で千宙が顔を上げて、「おはよ」と言う。
ところが、今日は、顔を上げない。
私に気付いているはずなのに。
未子は、思い切って自分から挨拶をした。
「お、おはよ」
千宙はちらっと未子を見て、
「おはよ」
と返したあと、すぐにスマホに視線を戻した。
怒っている。というか、イライラしている。私を見て、思い出したようにイライラし始めた。
未子の中に、千宙の心の声が入ってくる。
結局、あの男って何だったんだろう。山下さんは、そのことは何も言わない。何も言ってくれない。気になる自分に腹立つ。何も気にしないフリをしてラインを返すこともできなかった。
かっこ悪い。
未子は千宙の横顔を見た。穏やかそうに見えて、内心は不安定だ。その不安定さを自分にぶつけないように、黙っている。
「嫌いになんかならないと思うよ」
紫藤が言ったセリフを思い出す。未子は、千宙に話しかけた。
「ま、松永くん、あの、話したいことがあるんだけど」
千宙は振り向いて、未子の目を見た。千宙の無垢な瞳を見て、未子は急に緊張した。
「その、松永くんには、もしかしたら、迷惑な話かもしれないけど、でも、松永くんには知ってほしいって思ったというか、その……」
「いいよ」
千宙の返事は優しかった。
「俺も聞きたい」
何か、大切なことを話そうとしてくれている。千宙は、未子の想いを受け取っていた。
私は、松永くんに打ち明けるの、怖いんだけど。松永くんは、私の話を聞くの、怖くないんだね。
踏み込んだら危険かもしれない。けれど、踏み込まなければ勝てないときがある。将棋の話だ。千宙は、勝負どころと見込んだら、大駒だろうと切り捨てることもいとわない。敗北への恐怖心よりも、勝利への執念のほうが圧倒的に強いのだ。
「昼休み、部室に行こうか」
千宙が言うと、未子は「うん」とうなずいた。
午前中の授業が終わり、一部の生徒は購買に駆け出し、一部の生徒は机を合わせて弁当箱を広げる。
未子は、芳江の作った弁当の入った巾着と水筒を持って、千宙といっしょに教室を出た。千宙は、パンの入ったコンビニのレジ袋を持っている。
将棋部の部室に行く前に、自販機に寄った。
「山下さん、何がいい?」
千宙が買うものだと思っていたので、未子は驚いた。あたふたしながら、飲み物を選ぶ。早く決めなきゃ、と思えば思うほど、焦ってしまう。
「こ、これ」
未子は桃のアイスティーを選んだ。千宙は、落ちて来たアイスティーのペットボトルを拾い上げると、未子のおでこに当てた。
冷たいっ。
思わず瞬きをしてから、見上げた千宙の顔は、笑っていた。
「はい」
未子がペットボトルを持つと、千宙の手が離れた。
「あ、ありがとう……」
千宙はスポーツドリンクを選んだ。
小さな将棋部の部室の中、千宙と未子は窓際の机に向かい合って座った。将棋を指すときと同じである。
「ライン、見たよ」
パンを食べながら、千宙が言った。
「山下さんには、序盤の詰将棋は簡単だよね」
未子は口の中の食べ物を飲み込んでから、返事をした。
「そ、そんなことないよ。ちょっと考えたのもあるし……」
「ちょっと、でしょ」
「や、だって、松永くんなんて一目で解くじゃない」
「ずっとやってるからだよ」
「そ、それは……」
「山下さんは、将棋を覚えてからほんの少ししか経っていないのに、もう桑原や馬屋原と互角に指せるようになってる。どんどん、強くなってる。見ていてすごく面白い」
千宙は、未子の成長を純粋に楽しんでいるようだ。未子は照れくさくなって、うつむいた。
未子が弁当箱を片付けたタイミングで、千宙が言った。
「それで、話って?」
「……うん」
未子は、なんと切り出そうか、ずっと考えていた。考えてもまとまらないので、最初から話すことにした。
「あの、私、親がいなくて。施設で育ったの。それからいろんな人に引き取られて、ずっと、転々としてて……。
そんな中で、お世話になった人がいるの。そのうちの一人が、一昨日、いっしょにいた紫藤先生。施設にいたときから、お世話になってて。
もう一人、山下さん……今の私の養親と引き合わせてくれた、波間さんって人がいるの。それで、あの、打ち明けたいことっていうのが……」
未子はちらっと千宙の目を見た。真剣なまなざし。未子の経歴を聞いて動じているふうでもない。ただ、未子のことを丸ごと受け止めようとしている。
未子は話を続けた。
「その、波間さんが、裏の世界の人たちに追われていて。
波間さんは、もともと情報屋なの。政治家とか、芸能人とか、いろんな企業の重役とか、著名人の情報をたくさん持ってる。反対に、誰も気にかけていなさそうな人のことでも知っていたり……たくさんの人のことを知っている。
現総理大臣の秘密まで、知ってる。だから、追われているの。
私は、波間さんと関りのある人間だから、波間さんの情報を知っているんじゃないかって疑われてて、狙われている可能性があるの。その、狙ってきている存在が、広島の慈盛組」
「……この辺だと有名な極道だね」
千宙も慈盛組の存在は知っているようである。
「あと、慈盛組の陰にいるっていう、天城家」
「天城……?」
ここで初めて、千宙は驚いた表情になった。
「先生がいっしょだと、逆に目立つから。離れて歩いてほしいの」
と、未子から要求した。
反抗期の娘が、父親に近寄られると嫌がるのってこんな感じかな。と、紫藤は少し寂しく思いながら、承諾した。
2年4組の教室には、すでに千宙の姿があった。席でスマホをいじっている。いつものように将棋をしているのだろう。
未子はドキドキしながら自分の席に向かった。いつもなら、席に向かう途中で千宙が顔を上げて、「おはよ」と言う。
ところが、今日は、顔を上げない。
私に気付いているはずなのに。
未子は、思い切って自分から挨拶をした。
「お、おはよ」
千宙はちらっと未子を見て、
「おはよ」
と返したあと、すぐにスマホに視線を戻した。
怒っている。というか、イライラしている。私を見て、思い出したようにイライラし始めた。
未子の中に、千宙の心の声が入ってくる。
結局、あの男って何だったんだろう。山下さんは、そのことは何も言わない。何も言ってくれない。気になる自分に腹立つ。何も気にしないフリをしてラインを返すこともできなかった。
かっこ悪い。
未子は千宙の横顔を見た。穏やかそうに見えて、内心は不安定だ。その不安定さを自分にぶつけないように、黙っている。
「嫌いになんかならないと思うよ」
紫藤が言ったセリフを思い出す。未子は、千宙に話しかけた。
「ま、松永くん、あの、話したいことがあるんだけど」
千宙は振り向いて、未子の目を見た。千宙の無垢な瞳を見て、未子は急に緊張した。
「その、松永くんには、もしかしたら、迷惑な話かもしれないけど、でも、松永くんには知ってほしいって思ったというか、その……」
「いいよ」
千宙の返事は優しかった。
「俺も聞きたい」
何か、大切なことを話そうとしてくれている。千宙は、未子の想いを受け取っていた。
私は、松永くんに打ち明けるの、怖いんだけど。松永くんは、私の話を聞くの、怖くないんだね。
踏み込んだら危険かもしれない。けれど、踏み込まなければ勝てないときがある。将棋の話だ。千宙は、勝負どころと見込んだら、大駒だろうと切り捨てることもいとわない。敗北への恐怖心よりも、勝利への執念のほうが圧倒的に強いのだ。
「昼休み、部室に行こうか」
千宙が言うと、未子は「うん」とうなずいた。
午前中の授業が終わり、一部の生徒は購買に駆け出し、一部の生徒は机を合わせて弁当箱を広げる。
未子は、芳江の作った弁当の入った巾着と水筒を持って、千宙といっしょに教室を出た。千宙は、パンの入ったコンビニのレジ袋を持っている。
将棋部の部室に行く前に、自販機に寄った。
「山下さん、何がいい?」
千宙が買うものだと思っていたので、未子は驚いた。あたふたしながら、飲み物を選ぶ。早く決めなきゃ、と思えば思うほど、焦ってしまう。
「こ、これ」
未子は桃のアイスティーを選んだ。千宙は、落ちて来たアイスティーのペットボトルを拾い上げると、未子のおでこに当てた。
冷たいっ。
思わず瞬きをしてから、見上げた千宙の顔は、笑っていた。
「はい」
未子がペットボトルを持つと、千宙の手が離れた。
「あ、ありがとう……」
千宙はスポーツドリンクを選んだ。
小さな将棋部の部室の中、千宙と未子は窓際の机に向かい合って座った。将棋を指すときと同じである。
「ライン、見たよ」
パンを食べながら、千宙が言った。
「山下さんには、序盤の詰将棋は簡単だよね」
未子は口の中の食べ物を飲み込んでから、返事をした。
「そ、そんなことないよ。ちょっと考えたのもあるし……」
「ちょっと、でしょ」
「や、だって、松永くんなんて一目で解くじゃない」
「ずっとやってるからだよ」
「そ、それは……」
「山下さんは、将棋を覚えてからほんの少ししか経っていないのに、もう桑原や馬屋原と互角に指せるようになってる。どんどん、強くなってる。見ていてすごく面白い」
千宙は、未子の成長を純粋に楽しんでいるようだ。未子は照れくさくなって、うつむいた。
未子が弁当箱を片付けたタイミングで、千宙が言った。
「それで、話って?」
「……うん」
未子は、なんと切り出そうか、ずっと考えていた。考えてもまとまらないので、最初から話すことにした。
「あの、私、親がいなくて。施設で育ったの。それからいろんな人に引き取られて、ずっと、転々としてて……。
そんな中で、お世話になった人がいるの。そのうちの一人が、一昨日、いっしょにいた紫藤先生。施設にいたときから、お世話になってて。
もう一人、山下さん……今の私の養親と引き合わせてくれた、波間さんって人がいるの。それで、あの、打ち明けたいことっていうのが……」
未子はちらっと千宙の目を見た。真剣なまなざし。未子の経歴を聞いて動じているふうでもない。ただ、未子のことを丸ごと受け止めようとしている。
未子は話を続けた。
「その、波間さんが、裏の世界の人たちに追われていて。
波間さんは、もともと情報屋なの。政治家とか、芸能人とか、いろんな企業の重役とか、著名人の情報をたくさん持ってる。反対に、誰も気にかけていなさそうな人のことでも知っていたり……たくさんの人のことを知っている。
現総理大臣の秘密まで、知ってる。だから、追われているの。
私は、波間さんと関りのある人間だから、波間さんの情報を知っているんじゃないかって疑われてて、狙われている可能性があるの。その、狙ってきている存在が、広島の慈盛組」
「……この辺だと有名な極道だね」
千宙も慈盛組の存在は知っているようである。
「あと、慈盛組の陰にいるっていう、天城家」
「天城……?」
ここで初めて、千宙は驚いた表情になった。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
怪談レポート
久世空気
ホラー
《毎日投稿》この話に出てくる個人名・団体名はすべて仮称です。
怪談蒐集家が集めた怪談を毎日紹介します。
(カクヨムに2017年から毎週投稿している作品を加筆・修正して各エピソードにタイトルをつけたものです https://kakuyomu.jp/works/1177354054883539912)
後妻を迎えた家の侯爵令嬢【完結済】
弓立歩
恋愛
私はイリス=レイバン、侯爵令嬢で現在22歳よ。お父様と亡くなったお母様との間にはお兄様と私、二人の子供がいる。そんな生活の中、一か月前にお父様の再婚話を聞かされた。
もう私もいい年だし、婚約者も決まっている身。それぐらいならと思って、お兄様と二人で了承したのだけれど……。
やってきたのは、ケイト=エルマン子爵令嬢。御年16歳! 昔からプレイボーイと言われたお父様でも、流石にこれは…。
『家出した伯爵令嬢』で序盤と終盤に登場する令嬢を描いた外伝的作品です。本編には出ない人物で一部設定を使い回した話ですが、独立したお話です。
完結済み!
2020年版 ルノルマン・カードに導かれし物語たちよ!
なずみ智子
ホラー
毎月1エピソード完結の単品ホラーを配膳予定。現在は、オムニバス多し。
ご覧いただき、ありがとうございます。
本作でございますが、毎月1回、36枚のルノルマン・カードより5枚のカードを引き、その5枚のカードが持つ意味やカード湧き上がってくるインスピレーションを元に、私、なずみ智子が物語(毎月1エピソード完結の短編)を書く企画でございます。
2018年6月から続けてきました本作も、ついに今年で3年目に突入することになりました。
今年も興味を持っていただける方がいらっしゃいましたら、とってもうれしいです。
ちなみに過去作は、以下となります。
『2018年版 ルノルマン・カードに導かれし物語たちよ!』
⇒https://www.alphapolis.co.jp/novel/599153088/403188672
『2019年版 ルノルマン・カードに導かれし物語たちよ!』
⇒https://www.alphapolis.co.jp/novel/599153088/168236130
石女を理由に離縁されましたが、実家に出戻って幸せになりました
お好み焼き
恋愛
ゼネラル侯爵家に嫁いで三年、私は子が出来ないことを理由に冷遇されていて、とうとう離縁されてしまいました。なのにその後、ゼネラル家に嫁として戻って来いと手紙と書類が届きました。息子は種無しだったと、だから石女として私に叩き付けた離縁状は無効だと。
その他にも色々ありましたが、今となっては心は落ち着いています。私には優しい弟がいて、頼れるお祖父様がいて、可愛い妹もいるのですから。
怒れるおせっかい奥様
asamurasaki
恋愛
ベレッタ・サウスカールトンは出産時に前世の記憶を思い出した。
可愛い男の子を産んだその瞬間にベレッタは前世の記憶が怒涛のことく甦った。
日本人ので三人の子持ちで孫もいた60代女性だった記憶だ。
そして今までのベレッタの人生も一緒に思い出した。
コローラル子爵家第一女として生まれたけど、実の母はベレッタが4歳の時に急な病で亡くなった。
そして母の喪が明けてすぐに父が愛人とその子を連れて帰ってきた。
それからベレッタは継母と同い年の義妹に虐げられてきた。
父も一緒になって虐げてくるクズ。
そしてベレッタは18歳でこの国の貴族なら通うことが義務付けられてるアカデミーを卒業してすぐに父の持ってきた縁談で結婚して厄介払いされた。
相手はフィンレル・サウスカールトン侯爵22歳。
子爵令嬢か侯爵と結婚なんて…恵まれているはずがない!
あのクズが持ってきた縁談だ、資金援助を条件に訳あり侯爵に嫁がされた。
そのベレッタは結婚してからも侯爵家で夫には見向きもされず、使用人には冷遇されている。
白い結婚でなかったのは侯爵がどうしても後継ぎを必要としていたからだ。
良かったのか悪かったのか、初夜のたったの一度でベレッタは妊娠して子を生んだ。
前世60代だった私が転生して19歳の少女になった訳よね?
ゲームの世界に転生ってやつかしら?でも私の20代後半の娘は恋愛ゲームやそういう異世界転生とかの小説が好きで私によく話していたけど、私はあまり知らないから娘が話してたことしかわからないから、当然どこの世界なのかわからないのよ。
どうして転生したのが私だったのかしら?
でもそんなこと言ってる場合じゃないわ!
あの私に無関心な夫とよく似ている息子とはいえ、私がお腹を痛めて生んだ愛しい我が子よ!
子供がいないなら離縁して平民になり生きていってもいいけど、子供がいるなら話は別。
私は自分の息子の為、そして私の為に離縁などしないわ!
無関心夫なんて宛にせず私が息子を立派な侯爵になるようにしてみせるわ!
前世60代女性だった孫にばぁばと言われていたベレッタが立ち上がる!
無関心夫の愛なんて求めてないけど夫にも事情があり夫にはガツンガツン言葉で責めて凹ませますが、夫へのざまあはありません。
他の人たちのざまあはアリ。
ユルユル設定です。
ご了承下さい。
禁踏区
nami
ホラー
月隠村を取り囲む山には絶対に足を踏み入れてはいけない場所があるらしい。
そこには巨大な屋敷があり、そこに入ると決して生きて帰ることはできないという……
隠された道の先に聳える巨大な廃屋。
そこで様々な怪異に遭遇する凛達。
しかし、本当の恐怖は廃屋から脱出した後に待ち受けていた──
都市伝説と呪いの田舎ホラー
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる