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act21 吾想フ故ニ吾在リ

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「ねえ、聴いてないよね?」


匠がキッチンに立つ蛍子の後ろから腰を掴んだ。
今日は珍しく早帰りで、一緒に夕食をとることができる。


「大学時代もそうだったよね」


蛍子は指摘されるまで気づかなかったが、
よく上の空で軽音部屋の窓から外を眺めていたらしい。


「あのとき何観てたの?」


なんだろう。虫?鳥?空…


多分、そこに在るもの、は観ていなかったように思う。



原は哲学者なのです!


と、強がってみた。

蛍子はいつも何かを考えている。
考えようとしなくても、脳内にふつふつと湧き上がってくる
命題たち。

服を着替えるとき、トイレで、風呂で、
歩く道々、電車の中、スーパーで買い物をしているときも、
寝る前も。
ひとつの想念がさらに別の想念を呼び、常に頭が思考の大運動会である。
逆に、世のひとたちは、思索にふけることはないのだろうか。
思い返せば、子どもの頃からずっと心ここに在らずだった。
何かに没入するタイプの人間には多い傾向だと思うが、
今なら、「発達障害グレーゾーン」くらいの診断が下るかもしれない。
少なくとも、日常生活に著しく支障をきたすわけではないから
問題ない。
と、本人は思っているが、周りが判断することかもしれない。

なんといっても、匠が


「そういうところも面白かった」


と、笑ってくれるので、好しとする。


何も考えていないのは、楽器を触っているときと…
匠と睦みあっているときだけ、か。
蛍子は耳が熱くなるのを感じた。


「何考えてたの?僕のこと?」


匠が蛍子の腰に腕を回し、そのまま抱き締める。


「原家のハヤシライス、おいしいよね」


そう言いながら、匠は蛍子の首筋に軽く噛みついた。

蛍子は、ルーをかき回していたお玉を鍋の中に取り落とす。

何を考えていたかって、今日学校であったことや、
子どもたちの置かれている危機的状況と
フェミニズム的観点における課題、世界平和。
なのに、


もう!


と、怒る声に媚態が混じってしまうのが情けない。


匠は腰に巻いていた手を胸に移してきた。


蛍子の口から吐息が漏れる。


ハヤシライスは、後、だ。


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