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二十 幽会
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手紙は丁寧に折りたたまれていた。開くと、男の筆跡と思しき字がびっしり並んでいる。
楊楓は目を懲らした。手紙の最初の一文には、こうあった。
翠繍へ
近頃はまた一段と寒さが増しましたね。江南では初雪が降り、人々は水に船を浮かべ、雪見酒を楽しんでいます。
武当山の景色はいかがでしょうか。山の上から眺める雪景色もまた素晴らしいことでしょう。いずれ訪ねていって、あなたと二人でその景色を拝みたいものです……。
途中まで読んで、誰が送り主なのかが気になった。文面からして、翠繍とはかなり親しい間柄のようだ。手紙の最後へ目を向けると、そこには果たして送り主の名があった。
柯士慧、と。
楊楓の鼓動は早まった。どういうことだ。柯士慧がこの手紙を翠繍に送ったのか? 楊楓は急いで、手紙を一から読み返した。恋人へ送るような言葉が幾つも書き連ねられていた。一緒に旅をして絶景を楽しもう、酒を飲もう、観劇をしよう……。そのほかにも、武当の武術について教えてくれたら、自分も柯家直伝の技を幾つか指導する、そうすれば兄弟弟子達にいじめられることもない、といったこともつづられていた。反面、紅鴛に関することは一切書かれていなかった。
楊楓は手紙を呆然と眺めながら、思案した。翠繍が紅鴛と戦った時、柯士慧とは三年前に知り合い、深い仲になったと話していた。あれは真実だったのだろうか。いやまず、この手紙は本物なのだろうか。これは柯士慧と紅鴛達の仲を裂く離間の計かもしれない。とはいえ、翠繍が何故わざわざそんなことをする理由も思い浮かばなかった。
ふと、寝床の紅鴛が呻き声を漏らした。楊楓が小さく声をかける。
「師姐、どうしました?」
「寒い……」
姉弟子の顔はどんどん血の気を失っているように見えた。吐き出した息も冷たかった。寒毒が肉体を蝕んでいるのだ。楊楓は着ていた上着を抜いて、姉弟子の体にかけた。それから自分が寝床代わりに使っていた藁もその上にかぶせた。大した効果は無いかもしれないが、無いよりましだ。
「ありがとう……楊師弟」
紅鴛が掠れ声で言う。楊楓は首を振った。
「こんなのは気休めです。早く解毒のすべを考えないと……」
「それは、何?」
紅鴛が楊楓の手中にある手紙を見て尋ねる。彼は慌ててそれをくしゃくしゃにした。
「何でもありません」
「……翠繍が寄越したものでしょう。私もさっきそばで聞いてたから、知ってるわ」
「……すみません」
「読んだの?」
「……はい」
姉弟子へ嘘がつけない楊楓は、渋々認めた。
「私にも見せてくれる?」
「いけません。見ない方がいいです。本物かもわからないし」
「いいから、見せて」
楊楓は仕方なく、寝ている姉弟子に手紙の文面が見えるよう開いてみせた。
ややあって、紅鴛が言った。
「……もういい。ありがとう」
楊楓は手紙を畳んだ。姉弟子の表情は呆然として、悲しんでいるのか怒っているのかも判然としなかった。
「師姐、これはーー」
「あの人の筆跡。間違いなく」紅鴛の声は消え入るように弱々しかった。「私も、沢山文通していたから……」
楊楓は気まずげに手紙を畳んだ。これが本物であることははっきりした。翠繍の話の一部が真実であったことも。
とすると、新たな疑念が沸く。柯士慧と翠繍の間に何があったのか。何故、紅鴛にそのことを明かさなかったのか。翠繍が二人の婚礼を阻んだのは、自分の恋を邪魔された恨みを晴らすためだったのか?
「知らなかった」
ふと、紅鴛が漏らした。
「何です?」
「士慧さんが観劇を好きだってこと。知り合って二年も経つのに、一度も話してくれなかった」
楊楓も手紙の文面を思い出した。確かに、観劇の面白さを熱心につづっていた。西廂記や水滸伝はとても人気であることや、有名な俳優が出る舞台は席を取るのが難しいこと、実家の近くに大きな劇場があること……。相当に字数を費やしていたから、柯士慧が根っからの舞台好きであるのはよく伝わった。
「時々、変だとは思ってたの。士慧さんが私と同じで釣りやひなたぼっこが好きだってこと。あの人は都会育ちで、私は山暮らしの田舎者なのに、趣味がぴったり合うなんて。今にして思えば、士慧さんが私に合わせてたのでしょうね」
浮かべた淡い笑みが、どこか痛々しく見えた。楊楓はつらくなった。
「考えすぎですよ。大体、師姐の好みを事前にどうやって知ることが出来たんです」
「翠繍よ。あの子から私のことを聞いたんだわ」
「でも、この手紙には師姉の話題は出てきませんでしたよ」
「それにはね。他の手紙には書いてあるかもしれない」
楊楓は納得がいかなかった。
「一生を誓った婚約者よりも、あの裏切り者の肩を持つんですか?」
「私はただ……あの子の真意が知りたいだけ」
言い終えた途端、姉弟子は激しく身を震わせた。発作が起きたかのようだ。
「ど、毒が……」
歯の根が合わず、言葉が続かない。楊楓はうろたえたが、なすすべが無かった。
助けを求めるように周囲を見回しーーぎょっとした。
牢獄から少し離れたところに、白翠繍がたたずんでこちらの様子をじっと見つめていた。
楊楓は目を懲らした。手紙の最初の一文には、こうあった。
翠繍へ
近頃はまた一段と寒さが増しましたね。江南では初雪が降り、人々は水に船を浮かべ、雪見酒を楽しんでいます。
武当山の景色はいかがでしょうか。山の上から眺める雪景色もまた素晴らしいことでしょう。いずれ訪ねていって、あなたと二人でその景色を拝みたいものです……。
途中まで読んで、誰が送り主なのかが気になった。文面からして、翠繍とはかなり親しい間柄のようだ。手紙の最後へ目を向けると、そこには果たして送り主の名があった。
柯士慧、と。
楊楓の鼓動は早まった。どういうことだ。柯士慧がこの手紙を翠繍に送ったのか? 楊楓は急いで、手紙を一から読み返した。恋人へ送るような言葉が幾つも書き連ねられていた。一緒に旅をして絶景を楽しもう、酒を飲もう、観劇をしよう……。そのほかにも、武当の武術について教えてくれたら、自分も柯家直伝の技を幾つか指導する、そうすれば兄弟弟子達にいじめられることもない、といったこともつづられていた。反面、紅鴛に関することは一切書かれていなかった。
楊楓は手紙を呆然と眺めながら、思案した。翠繍が紅鴛と戦った時、柯士慧とは三年前に知り合い、深い仲になったと話していた。あれは真実だったのだろうか。いやまず、この手紙は本物なのだろうか。これは柯士慧と紅鴛達の仲を裂く離間の計かもしれない。とはいえ、翠繍が何故わざわざそんなことをする理由も思い浮かばなかった。
ふと、寝床の紅鴛が呻き声を漏らした。楊楓が小さく声をかける。
「師姐、どうしました?」
「寒い……」
姉弟子の顔はどんどん血の気を失っているように見えた。吐き出した息も冷たかった。寒毒が肉体を蝕んでいるのだ。楊楓は着ていた上着を抜いて、姉弟子の体にかけた。それから自分が寝床代わりに使っていた藁もその上にかぶせた。大した効果は無いかもしれないが、無いよりましだ。
「ありがとう……楊師弟」
紅鴛が掠れ声で言う。楊楓は首を振った。
「こんなのは気休めです。早く解毒のすべを考えないと……」
「それは、何?」
紅鴛が楊楓の手中にある手紙を見て尋ねる。彼は慌ててそれをくしゃくしゃにした。
「何でもありません」
「……翠繍が寄越したものでしょう。私もさっきそばで聞いてたから、知ってるわ」
「……すみません」
「読んだの?」
「……はい」
姉弟子へ嘘がつけない楊楓は、渋々認めた。
「私にも見せてくれる?」
「いけません。見ない方がいいです。本物かもわからないし」
「いいから、見せて」
楊楓は仕方なく、寝ている姉弟子に手紙の文面が見えるよう開いてみせた。
ややあって、紅鴛が言った。
「……もういい。ありがとう」
楊楓は手紙を畳んだ。姉弟子の表情は呆然として、悲しんでいるのか怒っているのかも判然としなかった。
「師姐、これはーー」
「あの人の筆跡。間違いなく」紅鴛の声は消え入るように弱々しかった。「私も、沢山文通していたから……」
楊楓は気まずげに手紙を畳んだ。これが本物であることははっきりした。翠繍の話の一部が真実であったことも。
とすると、新たな疑念が沸く。柯士慧と翠繍の間に何があったのか。何故、紅鴛にそのことを明かさなかったのか。翠繍が二人の婚礼を阻んだのは、自分の恋を邪魔された恨みを晴らすためだったのか?
「知らなかった」
ふと、紅鴛が漏らした。
「何です?」
「士慧さんが観劇を好きだってこと。知り合って二年も経つのに、一度も話してくれなかった」
楊楓も手紙の文面を思い出した。確かに、観劇の面白さを熱心につづっていた。西廂記や水滸伝はとても人気であることや、有名な俳優が出る舞台は席を取るのが難しいこと、実家の近くに大きな劇場があること……。相当に字数を費やしていたから、柯士慧が根っからの舞台好きであるのはよく伝わった。
「時々、変だとは思ってたの。士慧さんが私と同じで釣りやひなたぼっこが好きだってこと。あの人は都会育ちで、私は山暮らしの田舎者なのに、趣味がぴったり合うなんて。今にして思えば、士慧さんが私に合わせてたのでしょうね」
浮かべた淡い笑みが、どこか痛々しく見えた。楊楓はつらくなった。
「考えすぎですよ。大体、師姐の好みを事前にどうやって知ることが出来たんです」
「翠繍よ。あの子から私のことを聞いたんだわ」
「でも、この手紙には師姉の話題は出てきませんでしたよ」
「それにはね。他の手紙には書いてあるかもしれない」
楊楓は納得がいかなかった。
「一生を誓った婚約者よりも、あの裏切り者の肩を持つんですか?」
「私はただ……あの子の真意が知りたいだけ」
言い終えた途端、姉弟子は激しく身を震わせた。発作が起きたかのようだ。
「ど、毒が……」
歯の根が合わず、言葉が続かない。楊楓はうろたえたが、なすすべが無かった。
助けを求めるように周囲を見回しーーぎょっとした。
牢獄から少し離れたところに、白翠繍がたたずんでこちらの様子をじっと見つめていた。
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