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前編

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階段を転がるように駆け下りて、台所の母と顔を合わせるなり叫んだ。
「何で起こしてくれなかったのー!?」
「下から2回呼びました。佳奈が起きなかったんでしょうが」
母親の呆れた返事をよそに、茶碗のご飯を詰め込むように食べて、歯磨きして顔を洗って――
朝の1分1秒が貴重なのは女子高生だけではないだろう。


玄関を出て真っ直ぐ走って、左に2回曲がるとバス停がある。
今自分が走っているもう一本左の道に目的地があるのだ。
息を切らして走りながら、並んでいる家々を突っ切って行きたい気持ちに駆られる。
こんな時に近道が出来たら――佳奈は家並みを横目に、ふと足を止めた。

民家と民家の間に細い道が伸びている。

――こんな道あったっけ?
昨日までは無かったはずだ。
じゃあ普段は何があったのかと言えば、思い出せない。
しかし目の前に伸びる小路の向こう側には目的地のバス停がすぐそこのはずだ。
とにかくここを通ったら近いのだ。
一瞬躊躇ったが、思い切って小路に足を踏み入れた。
左側はブロック塀で、右側はかなの身長より一回り高い生垣がある。
人一人通るのがやっとなくらいの道幅を、枝葉を体にこすらせ、壁にぶつからないよう走っていると、左手の家の庭に人が立っているのに気付いた。
俯いていて顔は見えないが、ぱっと見で女性らしい。
頭髪の色は上半分が黒で下半分が茶色に分かれている。
更に肩の下あたりまで伸びており、ごわごわしていて広がっている。
来ている服はよれて伸びきっているようだ。
走りながらごにょごにょとよく聞き取れないことを呟いているのが耳に入ってきた。
何だろうと思いながらも道を走り抜け、目的のバス停がある道に出た。
その途端、「きぇーーっ!!!」と後方で奇声が上がった。
「!!?」
佳奈は思わず足を止めた。
さっき庭に立っていた女性が何か喚きながら、庭を暴れまわっている。
ーーえ、何、あれって・・・
オカシイ人だ。
女性を視界から追い払うように、佳奈は目の前のバス停に急いで並んだ。
「はあ、間に合った・・・」
走ってきたのと妙な女性を目撃したので、心臓は早鐘のように鳴っている。
しかし同時に、思いがけない近道を見つけた偶然にときめいてもいた。
早起きは三文の徳というが、早起きせずしていいことを見つけてしまったのだ。
ーー明日からちょっと寝坊して学校に行けるぞ♪


学校でスマホの地図を見てみると、確かに今朝の道は載っていた。
細いながらも家と家の間にちゃんと道として描かれている。
近所のことだからと、地図で近道を探すことに気付かなかった自分の迂闊さを呪いたくなった。


翌日から早速佳奈は小路を通って学校に通うようになった。
ショートカット出来るようになったのは良いのだが、相変わらず左側の家の庭には例の女性が立っている。
ボサボサ気味の頭によれた服で、意味不明な奇声を発しているその横を、かなはガサガサと走り抜けていく。
特別何かしてくるわけでもないし、黙って通れば問題なさそうだ。
女性の姿を横目に、佳奈はそう思っていた。


その日の朝も佳奈は小路に足を踏み入れた。
右手には高い生垣がそびえ、左手には例の女性が・・・いない。
今朝は庭には誰も立っていない。
ーー家の中にいるのかな。それとも・・・・
かなが不思議に思いつつ、小路の真ん中あたりまで来たとき、自身の背後でガサガサと音がした。
「?」
足を停めてかなが振り向くと、自分が通ってきた小路の後方から人が走ってくるのが見えた。
ごわごわした髪を振り乱しながら、口は大きく開いて満面の笑顔を顔に貼り付け、いつもの奇声とともに走ってくる。
「ひひっ・・ひひっ・・」
焦点の合わない目で、一直線にかなの方へ向かってきている。
いつも庭にいるはずの、例の女性だ。
佳奈は小さく悲鳴を上げて一目散に小路の出口へ駆け出した。
ーーなんで、なんで追いかけてくるの?
毎日通るうちに何か気に障ることでもしてしまったのか。
疑問と逃げなければという焦りとともに、かなは勢いよく大通りに飛び出た。
しまった車道に出過ぎたと思った時、自分の横からは乗用車のボンネットが迫っていた。
運転手が驚きと恐怖で目を見開いているのがわかる。
ーーぶつかる。
佳奈の頭は一瞬にして絶望で満たされた。


立ち竦む佳奈の視界の片隅に、路肩に供えられた小さな花束が目に入った。
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