お嬢様として異世界で暮らすことに！？

聖女編

164 お嬢様・・・

　駆け寄ってきた男は、クレアの問に一度だけ頷き、その震える手は怒りなのか恐怖なのか、クレアにとってはどうでも良かった。
　魔獣の上から見下ろすクレアの目に、子爵に対して向けられるようなものではなく、怒りの矛先を向けているのだとここにいる誰もがそう感じ取っていた。

「クレア様。これは一体？」

　騒ぎに駆けつけたルキアは、フェルの背中に立ち辺りを見渡していた。

「ルキアさん。その方を捕縛してください。イクミ様を襲撃した者の親だそうです」

　その言葉にルキアの表情が一変する。
　クレアの腕の中に、傷だらけになったイクミの姿。

「イクミ殿？」

「大丈夫です。意識を失っていますが、命に関わることはないと思います」

　ルキアの周囲には風が集い、彼女の長い髪が上空に向けて揺れ動いていた。
　男の前に降り立つルキアに睨まれた男は、息をするのを思い出したかのように咳をしていた。
　気迫に飲み込まれその場で腰を抜かしてしまい、ガタガタと震えだしていた。

「は、はぁはぁ」

　ルキアの風は勢いを増し、周囲にある小さな石が上空へと巻き上げられていた。

「お前がイクミ殿を？」

「それでは、お任せしました。フェル、行ってください」

　その後のことを気にする様子もなく、クレアはフェルに指示を出している。
　クレアの言葉に素直に従う魔獣が、本館へと姿が消えるまで皆が視線をそらすことなく見ていた。

　これまで魔獣が、人間の言うことを聞くことはなく、ましてやそれを自在に操ることは不可能とされていた。未だかつて誰一人として成し得ていないことをクレアが体現している。
　逃げ出そうとしていた、貴族たちも足を止めその姿を前に、言葉もなくただクレアを見送っていた。

　フェルがクレアと共に戻ってくたことで、屋敷の中もパニックになっていた。
　会場での騒ぎだけではなく、フェルが男を咥え、クレアの腕にはイクミの姿があるのだから。

「この者をとりあえず殺すことのないように、それと拘束をしておいてください」

　クレアがそう言うと、咥えられた男は床へと乱暴に捨てられる。その後、ゆっくりと伏せた後クレアがイクミを抱えたまま、階段へと向かっていく。

「グセナーレ様！？」

　メイド達はイクミの変わり果てた姿に、誰もが驚きを隠せなかった。
　そんな中でも執事だけは冷静で、メイド達に指示をしていくことでようやく動き始めていた。

「イクミ様は肩を痛められておられました。何を使っても構いません」

「かしこまりました。クレアローズ様」

　執事が頭を下げると、男の服を掴み奥へと連れて行く。
　フェルはクレアの後ろを歩き、部屋の中に入るとただ二人を見守っているように、部屋の真ん中で座っていた。

　ベッドに横たわるイクミを見ていたクレアは、壁に拳を打ち付ける。
　大きな音とともに、壁に大きな穴が開いていた。

「もうよせ。お前がそんな事をすれば、メイドたちも困るだろう」

「申し訳ございません。少し取り乱してしまいました」




　会場の前では、一人のメイドが立ち尽くしていた。
　目を大きく見開いたまま、その目にはぐったりとしたイクミの姿が今もずっと映っていた。
　騒ぎの収束のために、ジェドルトは公爵家に来ていた全員を会場へと隔離を始めていた。
　ソルティアーノ公爵は、全てを息子に任せ痛む胃を紛らわせるために腹部をさすり続けていた。

　会場では、貴族だけではなく、御者も会場へと押し込められ喧騒が絶えることはなかった。一部では、ソルティアーノ公爵に魔獣に対する抗議の声も上がっていた。
　フェルがこれまでソルティアーノで何をしてくれたのかは、この公爵家で暮らすものには全員が理解できるいる。

　何も知らない人間による、殺せや始末しろといった言葉に、公爵自らも怒りを覚えていた。

「クレアローズ嬢は、あのような魔獣を用いて、何をなされるおつもりなのですか！」

「皆様どうか落ち着いてください。ジェドルト様、このままだと」

「我々をあの魔獣の餌にするつもりか！」

　

「うるさい連中だ！　ここにいる全員、グセナーレ様暗殺の手引きをした容疑者だ！　それにも関わらず、そのような無駄口を叩くなど、恥を知れ！」

　ジェドルトがそう言い放つと、声を上げるものはなく、グセナーレという聞いたこともない家名に誰もが困惑をしていた。
　メルティアは、周囲を見渡し不審な人間が居ないか目を光らせていた。

　その二人の姿を前に、半数は膝を付き頭を下げ平伏している。ジェドルトとメルティアの姿を知るものは多い。近くの領地にも、ソルティアーノと同様に被害に合い、絶望すら思える状況を打開していた。

　今のメルティアは、多くの領民にとって女神とも崇められている。

　それは、他領にも関わらず金銭の要求もなしに民のために尽くした為である。
　その妹である、クレアの行動に驚きはしたものの、頭を下げる者には喚く者たちとは違い彼女もまた女神と同様に扱われていた。

「メルティア、お前はグセナーレ様の所に行ってもいいんだぞ」

「冗談はやめてください。あの子にはもっと居て欲しい人が居ますよ」

　メルティアは、会場を突き進みその道を遮る人はなく誰もが道を譲っていた。
　扉の外で今で呆然と立ち尽くしているルビーの前に立つと、その頬を強く叩いた。