お嬢様として異世界で暮らすことに！？

奴隷商人編

04 社畜は奴隷の現状を知る

　屋敷の至る所で、荒れた様子が目立っていた。
　廊下の窓や棚には長いこと掃除すらしていないのか埃があった。しかし、あれだけメイドがいるにも関わらず掃除すらも行き届いていない。
　そういうことに手がまわらない。そう考えることもできるが、ここの応接室はかなり綺麗に整えられている。

「ふむふむ。よろしい、今日からお前はここの管理人を任せる。要は儂の代理じゃな」

「え？」

「不服か？　いいんじゃよ、儂は……お前さんが、どうしても変態貴族がよいというのなら。それに、今はちょうど身なりも良くなっておるし、の？」

　俺は座っていたソファーから飛び上がり、空中で姿勢を正してソファーの上で土下座をする。
　一番望まないものを理解し、それを武器にして俺を追い込もうとしている。

「安心せい、ちゃんと隅から隅まで愛でてくれるようなやつもおるじゃろうて」

　安心ってなんだよ。この爺さんたちが悪すぎる。
　あの場所から出してくれて、ちょっとでもいい人なのかと勘違いした俺が馬鹿だった。

　鏡で見た自分の容姿にびっくりした。
　今はやせ細っているとはいえ、きれいに整えられた赤い髪に、黒い瞳。フリフリは別にしても、見た目は可愛いと素直に思える。

　それ故に、爺さんの発言は恐怖しか感じない。

　爺さんの言った変態貴族。
　貴族という言葉は、ここが俺の知っている世界とかけ離れた所だと強く思わせる。
　一部の国にはまだ貴族という言葉は残っているのかもしれない。だけど、貴族という言葉が軽々しく出て来たことで、友人の話にそういうたぐいの物はあったのを思い出してしまう。

　友人の趣味の範囲は広く、奴隷が出てくるゲームも数多くあった。
　もっとも、思い出したくもない内容が自分に降りかかろうとしている。

「無論冗談じゃ。お前のその仕草は早くないか？」

　俺をからかって笑っている爺さんに怒りを覚えるが、今のところ危機は去ったようなので安堵の息が漏れる。

「頼む……お願いですから怖いことは言わないでください」

「すまんすまん」

　全然悪びれているようには見えないが……俺の立場からすれば、爺さんの言うように代理をするしかないようだな。
　しかし、奴隷商人なんて俺に務まるのか？
　事務的な仕事ならまだしも、メイドのような使用人になれと言われても家事全廃壊滅的な俺なら、考えたくもない末路しか待っていないか。

「私に奴隷商人をやれってことでよろしいのですか？　いくら何でも無理があるとは思いますが？」

「そうか。儂は外道ではないから、無理にとは言わん。断るというのならそれ相応の覚悟を……」

「やります。ぜひ、やらせてください！　身を粉にして働きます」

　俺は右手を上げて、大きな声で返事をした。
　次がもう無いような気がした。

　そんな俺を見て笑っている爺さんは、見透かしているように感じてしまう。ここでやらないという選択をしてしまえば……本当に売られる可能性すら出てくる。
　あわよくば裏方を希望なんて、考えるべきことじゃなかったかもしれない。

「ふむ……」

　爺さんと目があったまま目を逸らすこともなく、しばらく見合っているとドアから聞こえてきたノックの音に、大きく体を震わせしまう。

「失礼します」

「まあ、そう緊張するでない。それを食べて少し落ち着くといい」

　メイドがトレイから、器をテーブルに並べている。
　二つの平皿には半分に切られたパン、野菜が細かく刻まれたスープが置かれている。
　見た目からして質素だけど、文句が言える立場でもない。

「頂きます」

　手を合わせてから、置かれているパンを手に取る。食パンのように柔らかなものでは無かったが、噛み切れないというわけではない。
　スープは……不味くはないが、味が薄いように感じる。できることなら、お椀に入れてくれれば、そのまま口元に運べるのにな。
　パンを細かくちぎり、スープの中に入れていく。水分を含んだことで、かなり食べやすくなった。

「ごちそうさまでした。ありがとうございます」

「それでは、そろそろ行こうかの」

「行くって何処にですか？」　

「お前が居た所にだ」

　爺さんの後を追い、俺が居た場所。
　俺がいた所。その意味は、あの地下室のことを指しているのはわかる。
　奴隷商人の代理をやれと言うからには、今の現状をもっと詳しく説明してくれるのだろう。
　正直あまり行きたい場所ではなかったけど、だけどここで生きていく上で必要なことだ。

　地下の扉が開くと、あの匂いに自然と眉を顰めてしまう。
　爺さんが立ち止まったのは、俺が松明の明かりで見た部屋だった。
　その場所には、五人ほど居て皆同じように痩せ細り、ランタンの光を当てられると身を寄せ合っていた。

「あれを見てみろ」

「奴隷……だろ？　それが何だって言うんだ？」

　そんなにじっと見ていられるものじゃなかった。俺は目を逸らし何も見えない廊下を見ていた。
　ここにいる人達は奴隷であり、人ではなく商品として見ている。だけど、今の俺にはまだそんなふうに見ることはできなかった。
　こういうものは、ゲームやアニメの話でしか知らない。だけど、その多くはここまで無残なものでは無かった。

　これが現実であり、これから待ち受ける俺の仕事。
　爺さんに怯える彼女たちを、今度は代理とは言え俺が管理することになる。
　ほんの数時間前まで俺はあの場所に居た。爺さんが居なかったら、こんなことにはなっていなかったと思う。
　運が良かったとは思うが……このままでいいはずがない。奴隷であったとしても、ここに居る人たちは人間なのだから。

「そうか、やはりお前さんは不快に思うか……そこで見ているといい。ただし、視線をずらさんようにな」

　そっぽを向いていた俺の手を掴み、爺さんと檻の中に入っていく。メイド達がランタンを持って来たことで、中の様子がはっきりと見えた。
　いつから居たのかさえ分からないが、明かりを向けられた奴隷達の目は生気を失っているのがよく分かる。

　彼女だけは、以前爺さんに向けての敵意を止めようとはしない
　頭には、犬か猫のような耳がついている……隣りにいる俺へと視線を向けられると、足が後ろへ下がってしまう。

「いいか、決して目を逸らすではないぞ」

　爺さんに引き寄せられ、肩を掴まれる。
　つまり、これも業務の一環ということなのだろう……逃げられないということで、手が震えてしまい、スカートをギュッと握りしめた。

「お前たちここから出たいか？」

「……」

　何を言われているのかが理解できていないのか、奴隷たちは互いに確かめるよう見合ったり爺さんを見たりしていた。
　だけど、誰も動こうとはしない。もしかして、言葉の意味が理解できないのか？

「あ……でた……ぐっ」

　一人の女性が、前のめりに手を出して声を発した時に、左手が光ったと思えば、急に苦しみだし何かの痛みで苦しんでいる。
　俺には何が起こっているのかが理解できなかった。

「ううっ……」

「な……今のは？」

　光が収まると、涙を流しながら悶ていた女性は起き上がることもなく、元いた場所へと戻りじっと座っていた。
　俺は爺さんの方へ向き、震える手で何とか服にしがみつく。

「何だ、今のは……何をやった！」

「よいか、この者たちは喋ること、誰かを襲う事を禁止されておる」

「なんだよそれ……」

　禁止されている？
　だからといってあの苦しみようは何なんだ？
　目の前で起こった不可思議な現象に、頭の理解が追いつかない。奴隷商人がどういうものかを理解していないことと、さっきのような得体のしれない現象を前にして俺は恐怖に包まれていた。

　何も知らなかったとは言え、俺はこんなものに協力するというのか？
　見上げた爺さんは、俺をからかっていたときとは違い……冷たい視線にを彼女たちに向けている。