気ままに陰陽師!

海月大和

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第二話

1.師匠と弟子

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 月曜の朝早く、智久は道場で一人の男と向かい合っていた。

 すらりとした長身を道着に包み、肩にかかるほどの長さの髪をうなじで束ねたその男、刀矢司とうやつかさは足を前後に軽く開き、腕を胸の高さにあげ、緩く腰を落とした構えを取っていた。年のほどは三十後半といったところか。だが司の纏う雰囲気は見た目の年齢よりも若々しい。オシャレに気を使えばもうひと回り若く見えるだろう。

 智久もまた司と同じような構えを取っていて、道着姿だ。二人は今、組み手の真っ最中であった。

 両者ともに構えてから三十秒ほどが経った。しんと静まり返った道場には雀の鳴き声が遠く聞こえている。ときどき車が近くを通る音も聞こえた。高い位置にある窓からの朝日に照らされ、二人はお互いの隙を探っている。

 開始の合図などはない。実際の戦いはよーいどんで始まるわけではないからだ。

 智久は自分の隙を殺しながら司の隙を探っているが、どうにも付け入るところがなく、なかなか難儀していた。組手をするたび、この隙のなさには困らされている。

 両者が対峙してから五十秒ほどが経ったとき、僅かに智久の緊張が緩んでしまった。水面下の探り合いが長く、脳が疲れを覚えたのだろう。智久がそれを自覚した瞬間にはもう司が動いていた。

 三メートルほどあった距離を瞬きの間に詰め、智久の懐に潜り込んできた。毎度のことながら、異常なほど滑らかな足捌きだった。体をほとんど揺らすことなくするりと間を詰めてくる。

 司は右手の指を猫のように丸め、手のひらで智久の顎をかちあげるつもりのようだ。智久は鋭く突き上げられる掌底を首と上体を傾けてかわし、相手の胴へ反撃の蹴りを入れようとした。

 しかし、右足を蹴り上げる寸前、嫌な予感がして慌てて後ろに下がる。

 掌底から手刀の形に変わった手が眼前を通り過ぎた。下がらなければ頭や肩に痛烈な一撃を食らっていたかもしれない。自分の蹴りも防御されていた可能性が高い。

 司は追撃の前蹴りを放ってきた。側面に回り込むようにそれをかわし、司の軸足を払おうとした。司は軸にした足を跳ね上げ、そのまま回転蹴りを繰り出す。

 側頭を狙った蹴りを腕を固めてガードする。どむんと重い一撃が智久を揺らした。衝撃を踏ん張って耐えたところに肉薄する司。鳩尾を狙って突き出される縦拳を弾き、智久は司の胸へと掌底を繰り出した。

 しかしそれは空を切り、伸び切った腕を司に掴まれた。しまった、と思ったときには視界がぐるりと回っていて、ばしんと道場の床に背中から叩きつけられていた。咄嗟に受け身をとったものの、痛みと衝撃を全ては殺しきれず、一瞬の硬直が生まれる。早く起き上がらなければ。そう思ったときには司の手刀が喉元寸前に突きつけられていた。

 司の顔に浮かんだ余裕の笑みを見て、智久は詰めていた息を吐き出す。

「参りました」
「うん。お疲れ様」

 また負けてしまった。智久は静かに落胆するのだった。







 その後、組手を二・三本終えた二人はシャワーで汗を流し、客間でお茶を飲んでいた。結局、智久は一度も司に勝てなかった。毎週の月曜に組手をするようになって一年ほど。智久が司に勝てたのは片手に数えられる数だけだ。幼い頃から鍛錬に付き合ってもらって癖を知られている以上に、司の実力が高いのだ。

「高校生活には慣れたのかい?」

 流木を加工して作った艶のあるテーブルを挟んだ向こう、組み手のときとは打って変わって温和な表情を作る司が智久に訪ねた。

「そうですね。だいぶ慣れましたよ。授業にもちゃんと付いていけてます」

 組手で汗を流した後は、始業時間が近づくまで司とこうして雑談をすることが習慣になっていた。

 司は智久の武術の師範であり、同時にあやかし関連の話が出来る数少ない人物の一人だ。司自身、鬼の血が半分混じった半人半鬼である。過去に祖父と色々あったらしく、その伝手で智久の面倒を見てくれるようになった。こう見えて実年齢は百を超えているらしい。そのせいか、どこか達観していて滅多なことでは怒らない穏やかな性格をしている。

 智久はそんな司のことを信頼していて、彼のように余裕のある立ち振舞いをしたいと常々思っていた。

「部活とかはどこかに入ったのかな?」

 湯呑みを持ち上げ、司が訊く。

「ええ、写真部に入りました」
「写真部?」

 お茶を啜り、司が意外といった風な顔をした。実際、智久は中学のとき運動部に所属していたので、文化部に入るのは意外なことかもしれない。

「知り合い、いえ……友達に誘われたんです。運動部よりも時間の都合が付きやすいしいいかなと思って」

 友達というのは菜央と彰のことを指していた。友達という言葉を使うのに躊躇したのはまだ知り合ってまもなく、親密というほど仲を深めたわけではないからだ。

 しかし、菜央も彰もすっかりこちらに心を許していて、昼食などにも誘ってくれる。一緒にいて嫌ではないから、そういうことでいいのかなと思った。

「そうか、友達に、か」
「なんですか?」

 どことなく嬉しそうな感じの司に、少し気恥ずかしさを感じる。

「いやなに、君はあやかし関係者以外では同世代とあまり交流しないからね」
「そんなことは……」

 ない、とは言えなかった。小中校でも友人が皆無ではなかったし、ちゃんとコミュニケーションは取れていたと思う。ただ、積極的に距離を縮めようとしたことは少なかった。

「なにも違う世界の住人って訳じゃないんだ。もう少し普通を楽しんでもいいじゃないか」
「普通を楽しむ、ですか」

 違う世界の住人、という単語がひっかかる。そうなのだ。自分は大多数の他の人にはない力がある。普通は出会わないものと出会い、話したり戦ったりする。ときには死に近づく瞬間も。

 そうしていると、なんとなく他人との間に認識のズレを感じてしまうのだ。まるで他人が自分と違う世界で生きているように感じることがある。平和で、普通の暮らし。本当は自分もその環の中に入っている筈なのに、どうもそうではないような気がしてくる。

 もしかしたら、その辺りが心の壁を作る一因になっているのではないか。自分でもそんな気はしているのだが、さりとてどうすればいいのかは分からない。

 出されたお茶を飲みながら、すっきりしない様子で悩む智久を見て、司はそれ以上言及することはしなかった。その代わり、壁の時計を指して言う。

「もうそろそろ時間じゃないか?」
「あ、そうですね。それじゃ司さん、今日はありがとうございました」
「うん。いってらっしゃい」

 のんびりと笑う司に一礼し、智久は鞄を持って立ち上がった。普通を楽しんでもいい、という司の言葉を心に留めておこうと思いながら。

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