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5.孤弱の館

悲哀の情操

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 沙耶の発言は、内容を鑑みれば特に驚くような事ではない。
 彼女のいう様に、館の怪異を“結界”だと考えれば、それを行使している者も、そしてそれに守られている者も居るという事になる。
 沙耶の言った内容は、若干の違いはあれど、実のところ詩依良達が最初に考えていた通りのものに帰結する事となるのだ。

「あの怪異の中に、もう1体怪異がいるっていう事なのか?」

 沙耶の台詞を聞いて、詩依良は彼女へと反問していた。
 そのような意図は無かったのであろうが、それは俄かに考えつかない……信じがたい事でもあったのだ。

 館の怪異それ自体が「意思を持つ結界」であるという事実も予想外だが、その中に更に別の怪異がおり、館の怪異はそれを護っている……若しくは隠しているという事になる。
 その事をすんなりと受容できない詩依良や和俊にとっては、それを理解する方が困難だというものだった。
そして沙耶もまた、どうにも自信が持てないのか詩依良への返答をためらっている。
 いや……この場合は確証を得られないというよりも、ニュアンスの違いに戸惑っているといった風情だ。
 
「詩依良さん、この際『館の怪異』を『結界』だと分けて考える必要はないのではないかと考えますが」

 やや困惑気味になりつつある雰囲気を収めたのは、静観していた和俊だった。
 彼の言は簡単であり、つまりは「怪異は2体いる」と考えてはどうかと言っているのだが。

「いや……そうなんだが、そうもいかない」

 和俊の提案に対する詩依良の答えも、どうにも要領を得なかった。
 その理由として。

「もしも館の怪異が結界だとして、それを作り出している者が結界内に存在しているのなら、そいつらをどうにかする方が先決だろう。両方に同時に対処しなければならないし、館の怪異に対峙するだけでも相当の被害が考えられるからな」

 つまりは、館の怪異をどれだけ沈黙せしめても、その中にいる怪異が健在であればいくらでも館の怪異は復活する可能性があるという事だった。
 さすがにそれには、和俊も「ふむ……」と考え込む以外にない。
 館の怪異の中にいるであろうもう1体の怪異をどうにかするためには、再び館の怪異の腹の中に飛び込まなければならない。
 そしてそこがどの様な場所なのか、詩依良と志穂が身をもって体験しているのだ。

「それで……それでね?」

 もっとも、沙耶の話は全て終わった訳ではない様であった。
 訪れた僅かな静寂に、沙耶がなんとか自身の話を滑り込ませる。

「あの時は……詩依良ちゃんたちを探すので必死だったから良く分からないんだけど……。あの時感じたもう1つの気配から、すっごく悲しそうな気持ちが伝わってきたの」

 実のところ、沙耶の本当に言いたかったことはここからだったのだと、ユウと詩依良は感じ取っていた。
 そして沙耶が意を決して何かを口にするとき、それが厄介で困難で難解な事であるという事もまた、2人は正確に理解していた。
 
「……それで?」

 冷静を装って、詩依良が沙耶に続きを促した。
 何を言おうとしているのか彼女にも、そしてユウにもだいたい想像できていたのだが、あえて沙耶に言わせようとしていたのだ。
 因みに、和俊にもある程度理解できている事でもある。

「多分その怪異は、あの中で泣いてると思うんだ……。だから……」

「だめだ」

 沙耶の言い分もそこまで聞けば全容が見えてくる。
 沙耶はきっと「何とかできないか」という事を言いたかったのだろう。違うことなくその事を汲み取った詩依良が、間髪入れずにそう否定したのだ。
 優しくも強い言霊の込められた言葉を受けて、沙耶が口を噤まされてしまう。
 そして沙耶の方も、ある程度詩依良の反応を予想していたのだろう、ピシャリと言い切られたにもかかわらず、その表情には悲しみや失望などは浮かんでいない。

「お前の言いたいことは分かるけどな、沙耶。すでに何人も犠牲者が出ているんだ。中にいるという怪異がどういった奴なのかは知らないけれど、そいつを優先するためにこちらが新たに犠牲を強いられる訳にはいかないんだ」

 淡々と語る詩依良からは、表情が抜け落ちている。
 冷静を通り越して冷淡すら感じられる彼女の面立ちは、反論を許さない程のものであった。

「……それに、お前もは知ってるだろ? 次もあそこに入っていって、今度も生還できるという保証なんて何処にもないんだ。前にも言ったが、次に犠牲になるのは……お前かもしれない」

 もっとも、造られた能面の表情など、今の沙耶には殆ど通用しない。
 感情や精神状態に左右される沙耶の能力だが、今は詩依良の隠そうとしている想いを汲み取る事が出来ていた。

「……だよね。ごめんねぇ……我儘だったねぇ……エヘヘ」

 だからだろうか、沙耶は今回はゴネることなく、気味が悪いほどすんなりと詩依良の言葉を受け入れたのだった。
 しかしである。
 それが余計に、その場にいる者たちの不安を掻き立てる結果となった。

 普段採らないような行動をすれば、誰だって不審に思う事は当然である。
 勿論それは、状況にもよる。
 無理難題を押し通そうと躍起になっている者が、正論を聞かされて自身の無謀を反省し改心する。
 その様な事は、日常生活にもよくある事だ。
 だが、普段その様に殊勝な心構えを持たない者が突如として素直に意見を聞き入れたなら、それを知る周囲の者の目にその行動は、それはもう気持ちが悪く映るものだ。
 
 ―――何か……企んでいる。

 そう思わせるに十分な沙耶の返答であり、そう思わされるほど普段の沙耶は往生際が悪いのだ。
 ただし、今回はそれだけが原因ではなく。
 乾いた笑いをこぼした沙耶の表情は、とても悲しい……寂しそうなものだったのだ。

「……沙耶、念を押しておくけどな。もう、あの場所に近づくな」

 それには詩依良も気付いていたが、沙耶が素直にうなずいている以上、更に問い続けることも出来なかった。
 ただし、改めて念を押すことは忘れてはいない。

「すでに『院』によってあの山全体を封鎖する段取りはついてるんだ。これ以上お前が首を突っ込むことは、現場をかき回すことになるんだからな」

 まるで姉が妹を言い包める様に、詩依良は懇懇こんこんと言い聞かせていた。
 言い方は相変わらずきついものだが、その声音にも表情にさえその様な気持ちなど込められていない。
 その言葉を沙耶は、神妙な面持ちで聞いていた。
 それもまた、普段の沙耶とは明らかに違う態度である。
 そこから導き出される回答とは。

「約束だ、沙耶。もしも破ったら……今度は絶交だからな」

 沙耶が詩依良のいう事を聞かずに、こっそりと館の怪異の元へと赴き、結界を突破してその内部に向かおうとしている……もしくはそう考えているという事だった。
 だからこそ詩依良は、今度は強い言葉で沙耶にそう告げた。
 詩依良から強く言われる事にも実は堪えている沙耶であったが、彼女が口にした「絶交」という言葉には殊の外強く反応し、ビクリと肩を震えさせていた。
 そんな沙耶の肩を、ユウは優しく抱いてやる。

「沙耶……。これは冗談じゃないからな。それだけ、あの怪異は強力で凶悪だってことなんだ」

 当然、詩依良の言葉は沙耶の身を案じての事だ。
 それは沙耶も、そしてユウも分かっていた。
 そして、沙耶にとっては殺し文句ともいえる「絶交」という言葉まで使った詩依良の心情もうかがい知る事が出来る。

 それでも沙耶は。

「う……うん」

 返事をする彼女の言葉は、どうにも歯切れの悪いものだった。

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