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肆、寵姫傾国

二、

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 新たな寵姫の出現に、後宮は震撼した。
 今上帝は色を好んだが、これまで一人の女にのめり込んだりはしなかったからだ。

 だが、徳妃を得たしばらく、帝は彼女以外は目に入らないかのようだった。
 徳妃の宮である承仁宮以外には足を向けず、内廷へのお召も徳妃のみ。

 すでに年齢も上がり、以前から寵を失っていた皇后はまだしも、それまでは寵を競っていた趙淑妃ちょうしゅくひ沈昭容しんしょうようなどは、突如絶えたお召に衝撃を受け、淑妃に至っては心労で倒れた。それを理由に皇帝の来臨を請うたが無視されてしまう。

 ――元は、魏王の妃ではないの。
 ――そもそも落ちぶれかけた下級官吏の娘風情が!

 後宮に渦巻く嫉妬と憎しみが、徳妃に向かった。

「古来、寵愛の偏りは世の乱れる元になると申します。どうか――」

 皇后の兄である宰相・王広義おうこうぎが皇帝を諫めるが、ただ皇帝は不愉快そうに眉を顰めるだけであった。  

「徳妃が宮に入って、まだ一月も経っておらぬ。擅寵とは大げさなことだ」

 皇帝は多くの女を侍らすことに厭いていた。ただ一人の、最高の女をひたすらに愛したい。――初めて、その欲を満たしたのが、徳妃であったのだ。

 皇帝の御前から追い払われた宰相は、渋い顔で皇太子の住まう東宮に向かう。
 すでに先ぶれは出しておいたので、待たされることもなく皇太子の私的な書斎に通された。

「どうなさったのです、伯父上」

 皇太子が立ち上がって宰相を迎え入れた。
 宰相は額の前で拱手し、頭を下げる。――甥ではあるが、次代の皇帝だ。
 だが、皇太子は伯父に笑った。

「そのような礼は不要です。伯父上は私の元舅げんきゅう。――第二の父のようなものではありませんか」

 この天下では、母の兄弟の、一番年上の者を元舅と呼んで貴ぶ仕来りがある。この後、予定通りに皇太子が即位す
れば、皇太后の長兄である王広義は皇帝に対して父親にも等しい影響力を発揮するのである。もちろん、伯父の側も、甥を保護し、後ろ盾となる義務を負うのだが。

 つまり、宰相の王広義にとって、皇太子は自身の権力の維持に欠かせない存在なのだ。

「陛下に、承仁宮への擅寵せんちょうが過ぎると諫言申し上げたが、聞く耳を持たれない」
「承仁宮……ああ、伯祥の妻の」
「しい! そのことは口にされてはなりません」

 口元に人差し指を当てて宰相が皇太子を窘めた。
 婚礼が未成立だと言いくるめようが、息子の妻を奪った事実は消えない。あまりに外聞が悪いために、口に出すのも憚られているのだ。

「寵愛も眩しいほどで、まさに狂っておられるとしか思えない」

 皇太子は手ずから茶を淹れて、茶杯を宰相の方に押しやり、言った。

「たしかに美しい女です。……本当に、なぜあれを伯祥の妃などに選んだのか」
「蔡氏程度の家柄では、皇太子の妃には相応しくありません」    

 宰相の言葉に、皇太子が微笑んだ。

「まあね。私も妃を父上に奪われるのは勘弁だね」

 そう言われて、宰相が眉を寄せる。

「――そこまで、美しい女性にょしょうでありましたか?」

 清明節の宴、皇后の兄でもある宰相も参列していたが、伯祥の妻など注目していなかった。伯祥の妻でなくとも、皇太子妃であっても皇帝が執着するほどの美女であったと言うのか。だがそこまでならば、以前から評判になっても不思議ではないのに。

 皇太子が意味深に笑う。

「美しいだけでなく、後宮にはいない女だからね。自らの美しさで成り上がるつもりがなかったし、家族もそうなのだろう。……物珍しさもあるのかもしれないね」
「この前など承仁宮に三日も居続けでございますよ。まつりごとにも支障が出ておりますし」
「まあ、今は他の女に煩わされたくはないのかもね。でも、いずれ飽きるだろう。そう、長いことでもあるまいよ」

 皇太子の楽観論に、宰相が首を振る。

「それにしたって……皇后娘娘のお気持ちもいかばかりかと」

 皇太子は手にした扇を弄びながら、ため息をついた。

「母上はもともとご寵愛はなかった。今さら騒いだところで年甲斐もなくてみっともないだけだ。……伯父上からもよくよく、母上に、自ら手を下さないように言っておいてください」

 皇太子は面倒くさそうに首をキコキコ回してから、宰相をじっと見つめた。

「……母上が手を下さずとも、趙淑妃や沈昭容あたりは、我慢ならないだろうから」

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