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終章 ゴーレムの王子は光の妖精の夢を見る

金色の夢

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 結局のところ、俺はエルシーにビルツホルン行を納得させることはできなかった。
 
 ――俺はさりげなく腕時計を確認する。時間切れだ。
 あまり長いこと、二人っきりでいるわけにいかない。ダグラスが不審に思うだろうし、アーチャーが騒ぎ出しても困る。

 俺は必ず戻ると心に誓いながら、ローズの庭ローズ・ガーデンを後にした。

 戻ってきた俺たち二人を見て、ダグラスが嫌な笑い方をしたが、俺は敢えて無視した。商談はほぼ成立して、この後城館に戻って、仮押さえの書類にサインをするという。

「……プロポーズ、承知してもらったんすか?」

 こそっと、小声でロベルトに聞かれ、俺は渋い顔で首を振る。

「ビルツホルンの件は……」
「それもまだ。時間が足りなかった。王都に戻ることは、了解をもらった」
「あんだけ時間あってなにしてたんすか!……あーキスしてたら、そりゃあ説明できないっすよね」
「うるさい」

 そんな話をしながら城館に戻る。 
 エルシーは庭を名残惜しそうに振り返っていた。……彼女はこの城と庭を愛している。本当はここに戻りたいのだろう。

 ――俺も、ここに住みたい。王都の華やかな生活も楽しかったが、要はエルシーがいるからだ。エルシーさえ側にいてくれるなら、俺はどこでもいい――

 俺のそんな感傷は、城館に戻ってしばらくして、あの騒々しいヴィクトリアという女の金切り声によってかき消された。

「エルシー、あんたどういうことなの、これ!」

 ヴィクトリアが手に絵入り新聞イラストレイテッド・ニュースがあるのに気づいて、俺はハッとした。だがもう、間に合わなかった。ヴィクトリアが邸じゅうに響く声で叫んだ。

「アルバート殿下の愛人の名前は、エルスペス・アシュバートン、元のリンドホルム伯爵の娘だって! あんたのことでしょう?! どういうことなの?!」

 ……俺の気遣いは、全てぶち壊しになった。
 




 リンドホルムに停まる、王都まで直通の列車は日に一便しかない。昼前にリンドホルム駅を発つ汽車に間に合うように、馬車を用意してもらった。
 ロベルトがジョナサンとの最後の打ち合わせの電話をしている間、俺が玄関ホールで紙巻煙草シガレットを吸っていると、アーチャーが音もなく近づいてきた。

「……あんた、アルバート殿下の秘書官だって? 信じられない! まさか、お嬢様を王子に売り渡したんじゃないだろうね?」 

 藪から棒に言われて、俺は危うく火のついた煙草を絨毯の上に落とすことろだった。

「なんだ、いきなり……」
「だいたい、あんた、楡の木陰でお嬢様といちゃついてた! お嬢様は王子の愛人だなんて、信じられない! お嬢様は恩知らずなお前の母親と違って、妻子ある男の子を産んだりはなさらない! なんとかお嬢様を王子の魔の手から引きはがして……いや、だからと言ってお前のような男とどうこうなるのも……」

 早口でぶつぶつ言うアーチャーに、俺は肩を竦める。

「心配するな、どんな奇跡が起きようが、エルシーはお前のものにはならないから」
「うるさい! お嬢様を不幸にしたらタダじゃすまさんぞ」
「……はいはい」

 いっそのこと、「お前がビリーに毒を盛ったんじゃないのか?」とカマの一つもかけてやろうかと思ったが、ヤブヘビをつつくべきでないと思い直し、俺は適当にアーチャーをあしらう。

 馬車の用意ができたと従僕が知らせに来て、俺をにらみつけながら去っていくアーチャーの後ろ姿を見送り、俺はため息をついた。

 ――恩知らずなお前の母親、か。

 どんな事情があったのか知らないが、ローズのやったことは、大恩あるウルスラ夫人と、その息子であるマックスへの裏切りだ。別の男の子どもを産んで、二度と戻らなかったローズ。――リンドホルムの子飼いの使用人がローズを恨み、さげすんでも仕方がない。 

 母の――ローズの名誉を回復する手段はない。せめて王都の郊外、カタリーナ修道院の墓地にひっそりと眠る彼女の亡骸なきがらだけでも、リンドホルムに帰してやれないか……。

「オーランド卿、出発の用意が整ったぞ!」

 マクガーニに声をかけられ、俺は煙草を灰皿でもみ消し、鞄を持って立ち上がった。




 次にここに戻るのは、エルシーの正当な所有権を取り戻してからだ。
 俺は、馬車の後の窓から、遠ざかる楓並木を見ながら決意した。





 王都への一等車両、エルシーと並んで座って……気づけばエルシーは俺の肩にもたれて眠っていた。

「ロベルト、俺のコート寄越せ」
「あら、エルシーたん寝ちゃったの。……お疲れだったもんね」

 ロベルトが自分のコートをエルシーの肩にかけようとするのを断固拒否し、俺は自分のコートをエルシーの肩に着せる。

「お前のコートなど着せたら、エルシーが汚染される」
「ケッ、失礼な! 独占欲の塊なんだから!」
 
 エルシーの斜めにかぶったトーク帽が列車の揺れにつれてふわふわと揺れる。伏せられた長い金色の睫毛。エルシーの寝顔を他の男に見せるなんて、普段なら絶対に許さないのに!
 
 俺はコートに隠れたエルシーの手を手探りで見つけ出し、そっと握った。――暖かい。

 列車の規則正しい揺れと、エルシーのかすかな寝息、握った指先のぬくもり。

 このまま王都で汽車を乗り換え、遠く外国へ行くと聞かされたら、エルシーはきっと驚愕するだろう。勝手にお膳建てされたことを、不快に思うかもしれない。

 どれが、最良の道なのかはわからない。

 マクガーニもジョナサンも、俺がエルシーを抱いたのはまずかったと言うし、俺もまずかったとは思う。
 でも、体の関係があるから、エルシーは俺から逃げないでいてくれた。純潔のままだったら、ハートネルの求婚を受け入れてしまったかもしれない。

 俺たちの結婚の前に立ちはだかる壁は高く、道のりは遠い。現状を唯々諾々と受け入れるままならば、けして結ばれることはない。足掻き、もがかなければ手に入れることはできないのだ。

 昔の俺ならば、何のかんの理由をつけ、すべてを諦めてしまったかもしれない。でも――

 どれほどの呪いが俺にかけられていても、俺はすべてを振り切って歩き続ける。
 この身が崩れ、粘土に返り、一粒の砂になっても、ただ求めるのはエルシーとの未来だけ。

 俺は車窓を流れていく田園風景を眺める。緑の丘がどこまでも続く。太陽は西に傾き、淡い光が車窓に差し込んで、周囲を金色に染めていく。

 金色の陽光がエルシーの金色の髪と睫毛に反射して、エルシー自身が金色の光に包まれているように、見えた。

 ああ、やはりエルシーは妖精なんだ。
 光の中で眠る、光の妖精。彼女自身が光となり、俺の心と未来を照らす。

 
 ゴーレムの俺はずっと、エルシーの夢を見続けてきた。
 これからは俺が、エルシーの夢を守る。
 
 


 俺の、すべてをかけて――。 
 
 



  
 
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