【R18】渾沌の七竅

無憂

文字の大きさ
上 下
252 / 255
七竅

46、冥婚

しおりを挟む

 心が壊れた、という乳母の言葉を思いだし、恭親王は眉を寄せた。女が少しの間恭親王の顔を見つめ、目を見開いて、言った。

「もしかして――ユエリン様? ユエリン様でしょう? わたくし、ずっと天と陰陽にお願いしましたもの。夢でもいいから、ユエリン様に会わせてくださいませって」
「――ユリア?」

 今のユリアがどういう状態なのか測りかねて、恭親王はただ、じっと彼女を見つめる。
 ユリアは椅子から立ち上がると、白く細い両手の指を胸の前で組んで、うっとりと恭親王を見つめる。

「嬉しいわ、ずっと、夢でいいからお会いしたいと思っていたの。お父様がね、わたくしはユエリン皇子様の妻になるんだって、おっしゃったの! 噂では、とてもお美しい方だって。あなたがユエリン皇子様ね?」

 どこか子供っぽい、舌足らずな話し方といい、どうやらユリアの心は少女時代に戻っているらしいと恭親王は気づく。

「一度だけね、わたくし本物のユエリン様にお目にかかったことがありますのよ? ずっとずっと小さい、五歳の時に一度だけ。ユエリン様はきっと憶えていらっしゃらないわね。本当に小さな子供の時でしたもの。お母様に連れられて出かけた、皇后陛下のご実家のお茶会に、皇后陛下がお忍びで、ユエリン皇子様をお連れになったの。大人の目を盗んで、百合の花がいっぱい咲くお庭で、少しだけお話しましたのよ? わたくしその日からずっと、百合の花の香りをいつも身に着けていますの。ユエリン様があの日のことを思い出してくださったらいいと思って……ふふふふふ」
 
 小首を傾げて楽し気に囀るユリアの言葉に、恭親王ははっとする。彼が苦手とする、強烈な花の香り。何度言っても、絶対にユリアがやめようとしなかった香水の香り。

(ユリアと――ユエリンの――)

 その時、彼は理解した。
 奪われたのは、彼だけではなかった。
 ユエリンもまた、全てを奪われたのだ。その名も、皇子としての地位も、そして――花嫁も。

 恭親王は目を閉じる。
 ユリアへの憎しみも、怒りも、溶けていくのがわかった。哀しみで、彼の心が弾けそうになる。

 ユリアもまた、幼い日のただ一度の邂逅で恋をし、その恋に殉じたのだ。
 本当に愛し、求めた人の死さえ知らされず、偽りの夫に嫁がされ、愛されぬ日々に苦しんだ。
 彼がユエリンでないと知っていれば、ユリアは別の人生を歩んだかもしれないのに――。

 恭親王は目を開ける。
 もはやユリアを断罪しようという気はなくなっていた。
 ユリアをユエリンに、返そう。純潔のユリアこそ、ユエリンの花嫁に相応しい。

「ユリア、私は、ユエリンではない。顔は、ユエリンにそっくりらしいけれど…。ユエリンに頼まれて、貴女を迎えにきた」
「……そうなのですか? ユエリン様は、どこに?」
「ここではないが、美しい場所にいて、貴女を待っている」

 ユリアは目を見開く。

「そうですの? 今から、ですの?」
「花嫁衣裳があるだろう?今から、支度をしなさい。私の言う通りにすれば、ユエリンの元に行ける」

 ついぞユリアには見せたことのないような、優しい微笑みを浮かべて言えば、ユリアは手を叩いて乳母を呼んだ。

「ばあや! ばあや! 花嫁衣裳、あるでしょう? すぐに出して! 今すぐ支度をしなくちゃ!」
「姫様?」

 乳母は驚くが、恭親王が無言で頷くのを見て、言う通りにする。
 三年前、ユリアがこの邸に嫁ぐ時に着てきた、真っ赤で豪華な花嫁衣裳。ところどころ、ユリア自身で刺繍をしたという、繊細で手の込んだ装飾。ユエリンのもとに嫁ぐ日を心待ちにしていた少女の日のユリアの、夢の詰まった衣裳。

 少しだけ席を外し、ユリアに支度をさせる。乳母には、普段より少し、化粧を控えめにするように言った。

「その方が、ユエリンは好きだと思うよ」

 そう、微笑むと、ユリアは少し頬を染める。
 乳母は、恭親王の意図を察したようであったが、何も言わずにいた。――これが、彼の最期の慈悲なのだと、理解したのだろう。

 支度のできたユリアと、二人だけになる。
 小さな瓶を懐から出して、卓の上に置いた。
 
「これを飲めば、ユエリンの元に行ける」

 何も理解していないのか、あるいはすべてを理解しているのか、ユリアは子供のような素直さで、その瓶に手を伸ばす。

「向こうで、ユエリンによろしく伝えてくれ」

 瓶の蓋を開け、飲む直前にユリアが首を傾げた。

「ええ、もちろん。――でも、あなたのお名前を聞いていませんでしたわ?」
「ああ、私の名は――シウリンだ」

 にっこりと微笑んで、ユリアは瓶を呷った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

【R18】白い薔薇であったご令嬢は快楽の沼に堕ちた

未来の小説家
恋愛
 中世ヨーロッパの優雅な令嬢の初めての性的な体験

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

孕ませねばならん ~イケメン執事の監禁セックス~

あさとよる
恋愛
傷モノになれば、この婚約は無くなるはずだ。 最愛のお嬢様が嫁ぐのを阻止? 過保護イケメン執事の執着H♡

[R18] 激しめエロつめあわせ♡

ねねこ
恋愛
短編のエロを色々と。 激しくて濃厚なの多め♡ 苦手な人はお気をつけくださいませ♡

マイナー18禁乙女ゲームのヒロインになりました

東 万里央(あずま まりお)
恋愛
十六歳になったその日の朝、私は鏡の前で思い出した。この世界はなんちゃってルネサンス時代を舞台とした、18禁乙女ゲーム「愛欲のボルジア」だと言うことに……。私はそのヒロイン・ルクレツィアに転生していたのだ。 攻略対象のイケメンは五人。ヤンデレ鬼畜兄貴のチェーザレに男の娘のジョバンニ。フェロモン侍従のペドロに影の薄いアルフォンソ。大穴の変人両刀のレオナルド……。ハハッ、ロクなヤツがいやしねえ! こうなれば修道女ルートを目指してやる! そんな感じで涙目で爆走するルクレツィアたんのお話し。

【R18】散らされて

月島れいわ
恋愛
風邪を引いて寝ていた夜。 いきなり黒い袋を頭に被せられ四肢を拘束された。 抵抗する間もなく躰を開かされた鞠花。 絶望の果てに待っていたのは更なる絶望だった……

処理中です...