【R18】渾沌の七竅

無憂

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七竅

45、深夜の帰宅

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 すでに皇帝は寝室に入っていたため、恭親王は寝台の前に導き入れられた。
 皇帝は寝台に腰を下ろし、肩には毛織の長衣を羽織っている。

「ユリアのこと、聞いていたが、先ほどは話しの都合で持ち出さなかった。良かれと思い選んだ娘であったが、ここまでの狂気を孕むとは予想していなかった。朕の不明である。これには詫びようがない」
「……先ほどの、厲蠻討伐の褒賞についてですが」
「何だ」
「……ユリアの死を」

 どれほどの罪を犯そうと、人の命を奪う権利は皇帝一人にしかない。恭親王は黄鉞を付与されている間は、南方三州に限ってはその権力を与えられていたが、すでに返還している。

 皇帝は、手を叩いて宦官を呼んだ。

「例の、薬をこれへ」

 一礼した宦官は無言で下がり、やがて、漆塗りの箱を手にして戻ってきた。それを脇卓の上に置き、皇帝は箱から小さな瓶を取り出した。

「皇家秘伝の毒薬だ。毒は体内で消えて検出も不可能。見かけ上、病死と届け出ることができる。朕のできるのはそれまでだ――朕は、そなたを守りたい」

 醜聞を嫌う皇帝に、恭親王は唇を噛む。だが、それ以上を求めても無駄なことは、先ほど証明済みであった。

「恐れ入ります」

 恭親王は素直に礼を言い、小瓶を箱に仕舞い、箱を抱えて一礼して部屋を辞した。

「ユエリン――」

 入口のところで、皇帝に呼び止められる。

「――いや、シウリンと呼ぶべきか。朕がそなたの本当の名を呼ぶことはこれが最後。だが、そなたを子として慈しむ気持ちに偽りはないつもりだ。無事で、帰ってきてくれてよかった」

 何を今さら、という気しかしなかったが、恭親王は無言で頭を下げ、皇帝の寝室を出た。




 そのまま、深夜に皇宮を出る。
 今夜は後宮泊まりと聞いていた護衛のゾーイとゾラは驚いて馬車のところにやってきた。副傅のゲルは、皇后の元に挨拶に行く前に、自邸に下がらせていた。

「どうなさったのです?」

 主のただならぬ様子に、ゾーイが心配そうに聞く。

「レイナが、死んだ」
「えっ?」

 思わず聞き返すゾーイに、恭親王は吐き捨てるように言った。

「ユリアが殺したらしい。今から、ユリアに話を聞きに行く」

 遠征から帰ったばかりで、今日はトルフィンら文官は家に帰し、明日はゾーイとゾラの武官に休暇を与えて自邸で過ごす予定にしていた。

「ですが、家宰のシュウどのは何も……」
「母上が口止めしていたのだ。どうりで、レイナからの手紙は来ないし、シュウの手紙も妙に言葉を選んでいると思ったのだ」

 ゾラには馬で、ゾーイは馬車に同乗させて、自邸に向かう。

「皇上も、兄上も、皆ご存知であった。知らぬは私だけという間抜けさだよ!」

 ギリギリと奥歯を噛みしめるように言う恭親王の、悔しさを思えばゾーイもまた胸が潰れた。ゾーイにとって、目の前にいるこの人がただ一人の主君であるが、皇帝や皇后、そして賢親王にとっては、顔と〈王気〉だけの傀儡に過ぎぬと、この主が思うのも致し方ないと、ゾーイ自身も怒りを覚える。 

「邸は今、サウラが仕切っているらしい。母上のお気に入りなのをいいことに、僭上なことだ。最初からあの女は不気味だと思っていた。ユリアの件にカタをつけたら、邸内の人事を一新する。シュウは母上の命に逆らえなかったのだろうが、もはや信頼することはできぬ」

 仕方がない、とゾーイも思う。

「副傅殿を呼び出しましょうか?」
「いや、いい。ゲルととトルフィンは明日の朝には邸に出仕するはずだから、その時に説明する。申し訳ないが、お前とゾラの休暇は、邸内が落ち着くまで数日伸ばして欲しい」
「承知いたしました」

 帝都への帰還後、家族の元に帰れないことを、恭親王が詫びる。ゾーイはそれについては何とも思わなかったが、一つだけ、思いついて言った。

「こんな時に何なのですが……先ほど、兄のヒューイに会いまして。ヤスミン殿との件、本決まりのようです」
 
 恭親王がふっと、強張っていた肩の力を抜くのがわかった。

「……そうか、それはよかった……ゲルからも、明日には報告がありそうだな」

 絶望の中で、ちょっとだけ希望が見えたような気がした。




 今夜は帰らないはずだった主が急遽帰宅して、恭親王府の留守を守る者たちは慌てた。

「お帰りなさいませ、殿下」

 出迎えた家宰のシュウは、すっかり老け込んでいた。

「このようなことになり、面目次第もございません。……何とかお知らせしようとしたのですが、手紙は全てサウラ様の検閲が入り、別のルートもなかなか……」
「長く留守にして苦労をかけた――レイナの件は聞いた。お前への対処は、また後日。今は、ユリアに用がある」
 
 びくりとして、シュウは恭親王を見る。

「その――あの後、ユリア様はお心を病まれまして、まともなお話ができるかどうかは――」
「たとえどうであろうと、会わぬわけにはいくまい」

 シュウの案内で、ユリアが監禁されている東房に向かう。ゾーイとゾラには、万一ユリアの侍女などが暴れた場合に備え、警戒に当たらせる。
 東房は入口に外側から閂がかけられ、閉じ込められるようになっていた。日に数度、食事を運ぶときのみ開けるという。

「お前の指示か?」
「いえ……サウラ様で」
「好き放題しているようだな。サウラの命令は今後、聞く必要はない」

 あり得ない深夜に開かれた扉に、ユリアの侍女たちが驚いてやってくる。入ってきたのが邸の主と知り、目を瞠った。
 すっかり白髪になったユリアの乳母が、恭親王を出迎えた。

「このクソ婆、まだ仕えていたのか」
 
 冷酷に悪態をつく恭親王に、乳母が深く頭を下げる。

「姫様のこと、すべてこの婆の不徳の致すところでございます。どうか、寛大なご処置を……」
「何をもって寛大とするのか、ユリア次第であろう」
「もはや、お心が壊れてしまわれて……その……時には正気に戻られる日もあるのですが……」

 庇うような乳母の言葉を無視して、ずんずんと奥に通る。結婚当初に数度だけ訪れたユリアの居間。その奥の寝室には、ついぞ訪れたことはない。
 隣の控えの間にシュウと乳母を待たせ、恭親王はユリアの寝室に入る。

「……誰?」

 やや高めの、無邪気な声がして、恭親王は薄暗い部屋の奥を見た。
 魔力灯が灯る小さな書き物机で、女が一人帳面に何か書きつけている。

「ユリア、私だ――」

 女が驚いて振り返り、恭親王の顔をじっと見る。初めて見る、素顔に近い妻の顔だった。顔色の冴えないうりざね顔に、小づくりの地味な顔立ち。小さな目、薄い唇。化粧をしなければ、美女ではないが大人しそうな好感の持てる顔だった。もっとも、香水だけはどうしても手放せないのか、その夜も女からはいつもと同じ花の香りがした。

「――どなた?」
「私が、わからないのか?」

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