【R18】渾沌の七竅

無憂

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七竅

25、疫病

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 厲蠻レイバンの叛乱討伐は、しかし、そう簡単にはいかなかった。
 まず、廉郡王が囚われていることが大きな足枷となって、メイロン県に大々的に軍を送ることができない。
 帝国側は騎士団の砦とその周辺の五県を維持するだけで、南岸全域の残り十県は厲蠻の手に落ちている。それぞれの県城周辺には鎮と呼ばれる小さな村や、世襲の地方貴族の領地が散らばり、それらの去就となるとさらにわからない。迂闊に大軍で踏み込んで、鎮やら小領やらに反撃をくらうことは避けたい。また、戦後処理や来年以降の民の生活を考えれば、県城を無傷で残したい。戦闘で叩き潰すのではなく、交渉で何とか降伏させたいと考えていた。

 恭親王は、叛乱軍に制圧されている十県に使者を送って降伏を呼びかける。
 すでに悪徳の刺史は斬首され、刺史とつるんで私腹を肥やしていた官吏たちも断罪されている。
 堤防の修理費や着服された租税については、刺史や官吏たちの私財を没収し、それを充当させれば本年の租税の減免も可能であること、遡って刺史の汚職を明らかにし、取り過ぎた租税についての返還の用意もあることなどを伝え、速やかなる帝国への復帰を説くが、やはり三年もの間、搾取され続けた民衆の怒りと不信は並大抵のことでは解けなかった。

「……仕方がないな。私が民衆でも、帝国の官憲など信じられないからな」

 恭親王は黒髪を掻き上げながら、説得に失敗した使者の報告を聞き、使者を労う。叛乱軍の方は武器や兵の練度の不足を補うため、少数でゲリラ戦を展開して、帝国軍を攪乱する作戦に出始めた。なまじ大軍であるため、帝国軍としては神出鬼没の敵に対し、小回りが利かない。

「どうするっすか? 見回りの騎士なんかにも、結構な被害が出ているっす」

 ゾラが精悍な眉を顰めて報告するのを、恭親王が溜息をつく。

「とりあえずは各個撃破するか、拠点と思われる県城をぶっ潰すしかないが、メイロン県にはグインたちが囚われていると思うと、迂闊に手が出せない」
「俺が叛乱軍でもゲリラ戦にするわ。作戦として正しい」

 恭親王もダヤン皇子も、苦虫を噛み潰したような表情で言った。

「農民は殺したくないのだ」

 恭親王の言葉に、ゲルフィンが冷酷に言う。
 
「叛乱を起こしているのですよ。そんな甘っちょろいことで、討伐などできるのですか?」
「別に優しい心から言っているわけじゃない。農民が死ねば、来年から米を作る奴が減る。そうなると収穫も減るし、当然税収も減る。ただでさえ洪水被害で収穫も税収も減っているのに、ここで農民まで減らしたくない」
 
 恭親王は真っ直ぐにゲルフィンを見据えて言う。プーランタ南岸は米どころで、帝国の食糧供給における重要な拠点となっている。

「だからと言って、このまま手をこまねいているわけには参りませんよ」
「そんなのはわかっている。まず、グインを取り戻す。それから、叛乱軍の首謀者を確保する。農民については、頭がなくなればこちらに降るしかない。ハエのように集ってくるゲリラを一つ一つ潰しても、来年の収穫を自ら潰すようなものだ」
 
 理屈としてはそうなのだが、大軍を常駐させているだけで軍隊は無駄に金がかかってしまう。兵士の士気にも関わるし、とっととカタをつけたいというのが、兵站を担当してるゲルフィンの本音であった。

 恭親王としては叛乱の首謀者とコンタクトを取り、廉郡王の返還や南岸の待遇改善で話をまとめたいところだが、しかし厲蠻の民は強気で交渉には応じなかった。

 「やはり、ゲリラの拠点を潰すしかないよ。あまり長引かせると舐められるし、こちらの士気も落ちる」

 ダヤン皇子の言葉に、恭親王は地図を睨み、唇を噛んだ。

 だが、穏健な恭親王が方針を転換しなければならない事態が起きた。――疫病の発生である。




 堤防が決壊して水浸しになった地域――ナンユー県とリンフー県に対して、もともと恭親王は国費を投入して堤防を改修し、家や田畑を失った民衆には炊き出しや義援金などの救済を行うべきだと考えていた。だが民政への介入が禁じられていて、手を出すことができなかった。悲惨な状況に捨て置かれた二県の民に、恭親王は何もできない自らを歯がゆく感じていたのであった。

 現在、恭親王はプーランタ南岸においては全権を握っている。しかし、ナンユー県とリンフー県の県令が刺史ランダの腰巾着であったこともあり、ナンユー県とリンフー県は真っ先に厲蠻の手に落ちていた。当然、堤防の改修も、被災民の救済も行えないままである。

 もともとゲルからも洪水の後に消毒等の対応を行う必要性について進言を受けていた。低湿な場所では病気の発生が絶えない。何の対策も取らずに放置した結果、洪水被害を受けたナンユー県で疫病が発生し、即座に隣のリンフー県に飛び火したのである。

 疫病は爆発的な感染力を持つ、黒死病であった。潜伏期間は二日から七日、高熱や下痢に苦しんでバタバタと倒れていく。汚染された水、鼠やその血を吸った蚤を媒介とし、その感染経路や症状によりリンパ節が腫れたり皮膚や手足の壊死を起こしたり、中には肺にも菌が回って気管支炎や肺炎を発症し、その咳や飛沫によってさらに感染が拡大する。

 疫病発生の情報はナンユー県周辺から厲蠻を恐れて逃れてきた、帝国の移住民たちよりもたらされた。即刻、騎士団の砦や帝国側の支配下にある県城では、疫病を持ち込まない対策が取られ、ナンユー県周辺からの避難民は、疫病に罹患していないことが確認されるまでは城外に隔離するように徹底された。すぐさま病名を特定し、有効な治療法を模索して各県で共有させ、必要な医薬品についても対岸のランヤンより取り寄せるなどの処置を取った。

 だが、厲蠻叛乱軍の支配下にあるナンユー県もリンフー県でも、適切な対応など取られるはずがない。瞬く間に感染が拡大して、県城外の鎮や小領にまで疫病が蔓延する。感染を恐れた民がナンユー県やリンフー県から、小舟で密航して対岸のランヤンに逃れ、ついにランヤンでも患者が発生するに及び、恭親王らも対策を迫られることになる。

「現在のナンユー県やリンフー県の状況はわかるのか?」
 
 恭親王がゲルに尋ねる。ナンユー県を脱出して逃れてきた官吏からの情報によれば、城内では相当数の患者が発生しており、県城を逃れようとする者が後を絶たないという。その脱出者が他の県に感染を広め、また真っ先に医者が逃げ出したこともあって、医者や薬も全く足りていない。城内ではろくな治療もされず、死んでもそのまま遺体が放置され、それがさらなる感染を広める原因となっているという。

「叛乱軍の者たちは県の運営も知らないただの農民ですからね。疫病が発生してもどうしてよいかわからず、徒に病気を広めている状態です。……ナンユー県やリンフー県を封鎖して、疫病の終結を待つよりほかないでしょう」

 ゲルの言葉に、恭親王が眉を顰める。

「つまりそれは……城内のものが全員、死に絶えるままにしろということか?」
「我々が医療行為も救助活動もできぬ以上、それ以外に方法がありません。遺体をきちんと処理していないから、これからも猖獗しょうけつを極めると予想されます」
「病に苦しむ者をそのまま放置するということか……」

 疫病が発生する前に二県を奪回できなかったことを恭親王は悔いていたのだが――その二県は騎士団の砦から最も遠く、維持しておくには騎士団を常駐させる必要があり、兵力を分散したくない恭親王は後回しにしていたのだった――さらに病気の民に救いの手も差し伸べないという話に、恭親王は一層苦悩に眉を歪ませる。

 「元はと言えば、刺史の非道に萌すことなのに、しわ寄せが全て下々の者にいくなんて……」
 「ですが、ここまで猖獗を極めた疫病は、もはや封じ込める以外の手がございません」

 恭親王は騎士団の砦から兵を出してナンユー、リンフーの二県に至る街道に塀蔽バリケードを築いて封鎖し、あらゆる人や物資の移動を禁じた。
 しかし、疫病に侵されたナンユー県やリンフー県から脱出を試みる者は止まず、森や迂回路を通ってさらに増える。事情を知らずに親切心からそれらの脱出者を泊めて疫病に感染する者もあらわれ、砦周辺の帝国支配下にある県から、対策を求める声が上がり始める。

 「もはや、二県を焼く以外にないかと存じます」
 
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