【R18】渾沌の七竅

無憂

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七竅

5、親王妃ユリア

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 馬車の中は気まずい沈黙が続いていた。ユリアの向かい側に座る夫は不機嫌そうに腕を組み、窓の外に視線をやり、まるで名ばかりの妻など視界に入れるのも嫌だと言わんばかりの態度だ。
 夫が怒るのも当然だ。見かけ上、ユリアは嫉妬に駆られて夫の愛人宅を急襲し、罵詈雑言を浴びせかけたことになるからだ。親王妃として、あまりに悋気が過ぎ、また軽々しい行いと言われても、言い訳できない。

 実際には、ユリアは皇后から預かった黄金を愛人に渡し、身を引くように説得しに行ったのだ。
 だが、夫が通っているという家と女を目の前にして、ユリアは気づけば暴言を吐いており、金を渡して説得するどころではなかった。それに対して女は憎らしいほど冷静に返してきて、さらにユリアは頭に血がのぼってしまい、指甲套つけ爪を振り回して暴れるという、貴族令嬢の矜持もへったくれもない失態を犯したのだ。

 この社会、上流貴族層は一夫多妻が認められ、とくに皇族は多くの側室を囲うのが普通だ。皇族は情豪が多く、幾人もの女たちを夜ごととっかえひっかえするのが当たり前なのだ。

 むしろ夫もそうならば、ユリアはまだ我慢できただろう。

 夫は皇子としては異例にも、側室のレイナをただ一筋に寵愛して、正妻であるユリアには指一本触れない。多くの側室がひしめく中で、愛されないながらも正室として尊重されるならまだしも、ただ一人の愛する女に夢中な夫の、ただのお邪魔虫として邸に存在せねばならない屈辱は、ユリアの心を蝕むに余りあった。

 自分に与えられない愛を側室レイナが独り占めしていることが許せず、その嫉妬心を嗅ぎ取った侍女たちが暴走して側室レイナにありとあらゆる嫌がらせをしかける。口では止める。でも、心の奥底で止めていないことが知られてしまっているのだろう。侍女の暴走は止まず、側室レイナは精神的なストレスから身体の不調を訴えることが多くなった。ついに、夫の母親である皇后が無理に薦めて、最近、新たな側室が邸に迎えられた。新しい側室はユリアが絶対に生むことのない夫の子を生むためと、邸内がこれ以上荒れないための監視役だった。つまり、跡継ぎを生み、邸内の秩序を守るという正妻の二つの役割のどちらもユリアは果たせていないと、皇后には認定されてしまったのだ。
 
 〈立場の弱い側室レイナを虐めるだけの能無し〉――。
 夫からの無視と、側室への嫉妬、そして姑からの無能の烙印。マナシル家の娘という矜持だけで支えている、ユリアの心ももう、限界だった。
 だが、幼い時から恭親王の妻たるべきと、ずっと思い連ねてきたユリアには、その妻の座を手放すことなどできなかった。

 結婚して二年。
 一夜として夫の訪れのない、空しい閨。
 どれほど外で遊び歩いても、七日に一度は必ずレイナの部屋で過ごし、長く邸を空ける時はこまめな便りを寄こす。体調を崩しがちなレイナに夫が見せる細やかな気づかいは、同じ邸に住むユリアには筒抜けだった。
 
 せめてその十分の一でも、自分に分けてくれたら、と願う心の惨めさに、プライドの高いユリアは打ちのめされる。

 黒々とした嫉妬心が、ユリアの心を焦がす。貞淑な親王妃の仮面で、必死にその煮えたぎる内面を隠し、外見を取り繕う。それだけでもギリギリだったユリアに、新たに知らされたさらに屈辱的な知らせ。

 外に女がいる。汚職で爵位を剥奪された商人の未亡人。貴族ですらない女。
 夫は月に幾度も、その女の家に泊まっているのだ。怒りと屈辱で目の奥がチカチカした。
 自分には指一本触れずに、そんな身分賤しい女と――。

 それだけでも衝撃で頽れそうなのに、さらにその女に金を渡して身を引くように説得しろと、皇后に命じられたのだ。嫉妬と怒りと狼狽とでグルグルになって馬車に揺られ、教えられた女の家にやってきて、ユリアはすっかりとり逆上のぼせてしまい、とんでもない失態を演じてしまったわけだ。

 ちらりと夫を盗み見ると、彼は端正な顔を殊更不機嫌に引き攣らせ、無言で馬車に乗っている。唇を固く引き結んだ姿は、強い意志を感じさせてこんな時なのにユリアは胸が轟く。ユリアは、夫が自分以外の者にはひどく優しいのを知っている。自分に対してだけ、まるで親の仇か何かのように憎しみを向けてくる。
 ただほんの少しだけ、優しくしてほしいだけなのに――。

 自分が嫉妬に狂って何か仕出かすたびに、夫の心は離れていく一方だとわかっているのに、自らの行動を止めることができなかった。
 ユリアは、夫のことになると制御の効かない自分自身に絶望していた。

 邸に着くと、夫は信じられないことに、東房のユリアの部屋まで送ってきて、言った。

「いったいどういうことなのだ? あの家を誰から聞き、本当は何しに行ったのだ。まさか本当に嫉妬に狂って、罵詈雑言を吐きに行ったわけではあるまい?」
 
 肘掛椅子に腰を掛けて長い脚を組み、冷たい黒い瞳でユリアに睨みつける。
 侍女が運んできたお茶を煩わし気に手を振って下げさせ、不快げに眉を顰めている。

 ユリアは力なく、頽れるように長椅子に座り、俯いた。しばらく躊躇していたが、意を決して懐から紫色の袱紗を取り出す。
 恭親王が目を瞠るうちに、それを長椅子の上の、脚付きの盆の上に広げた。

「……何の金だ?」
「……北房の方が、皇后陛下から預かったとして、これを……」
「サウラが、母上から?……それをなぜ……」

 そこまで言いさして、理由に思い至った恭親王は大きなため息をついた。

「お前、かつがれたんじゃないのか」
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