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六竅
9、香水でもめる
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翌朝、二日酔いでガンガンする頭を抱え、魔力を循環させて何とか頭痛を治めようとしている恭親王の許に、やってきたのは新妻からの朝食の誘い――。
「いらないって言って。頭が痛くて何も食べられない」
いきなり誘いを蹴ろうとする主を、メイローズが諌める。
「わが主よ、結婚の翌朝の粥は、夫婦で摂るのが決まりでございますよ」
「何そのくだらない風習。こんなに気持ち悪いのに、粥なんて食えるわけない」
ぶつぶつ言う恭親王に支度をさせ、青い顔をしている彼を引きずるように新妻の部屋に連れていく。本来ならば、初夜を新妻の部屋で過ごしているはずなのだから、こんな手間はいらないのだ。
導き入れられたのは、やはり真新しい新妻・ユリアの部屋。
朝日も眩しい東向きの部屋は、恭親王に言わせれば目がチカチカするほど飾り立てられていた。円形の卓は紫檀で、豪華な螺鈿の蔓草と花模様が埋めつくし、椅子は背にやはり蔓草と花の彫刻がびっしりと掘りつけられている。カーブを緩く描いた繊細な細い肘掛の先には、精緻な薔薇の花。毛足の長い絨毯は地色は臙脂で、やはり華麗な薔薇の文様が織り込まれている。部屋に配置された長椅子、飾り棚、すべて紫檀に螺鈿の細かい装飾を施し、寝室へ続く壁は豪華な透かし彫り。衝立には珊瑚や翡翠、白玉が埋め込まれて、立体的な四季図が描かれている。
ガンガンする頭を懸命に真っ直ぐに支えて、妙にキラキラしい部屋に耐えていると、侍女たちが朝食の粥を運んできた。粥の入った大きな壺は、鮮やかな五彩の花文様。
(盛り過ぎだろ――)
ユリアの部屋であるから、文句を言うつもりはなかったが、万事簡素でシンプルなものを好む恭親王には、ゴテゴテした装飾的な部屋はまったく寛げなかった。
卓の上には金糸銀糸の刺繍を施したマットが敷かれ、白粥とたくさんの料理が並ぶ。油条、饅頭、卵と青菜の炒め物、蒸し鶏、揚げ春巻き、漬物各種、果物、干し杏の砂糖がけ。
「白粥だけでいい」
あれこれ取り分けようとする侍女に言い、白い湯気を上げる白粥を見下す。赤いクコの実が散らされ、やはり五彩の蓮華が添えられる。
「……ユリア姫は?」
「まだ、朝のお支度の最中でございます」
儀式である以上、先に食べるわけにもいかず、恭親王が所在なげに待っていると、やがて、寝室からユリアがしずしずと出てきた。真っ白に白粉をはたき、眉も鮮やかに描き、くっきりと目の周りを縁どって、真っ赤な紅が艶々と光っている。赤い髪も朝から塔のようにたかだかと結い上げられ、大きな簪がいくつも飾られている。やはり、というか香水の香りがぷんと恭親王の鼻につく。二日酔いの今朝は、常にも増してダメージが大きい。
(普段からその格好なのか――!)
衣裳はさすがに昨日の花嫁衣裳ほどではないが、宮中に伺候するのかと聞きたいくらいの派手さである。
「おはようございます、旦那様」
「……おはよう。……その、旦那様というのは、慣れなくて気分がよくない。今まで通り、殿下と呼んでくれないか?」
レイナにも言ったのだが、どうも「旦那様」と呼ばれるのが嫌であった。
「……ですが、結婚した以上は旦那様ですので」
「その……自室なんだから、もう少し気楽な格好でも構わないのだが。それが、普段着なのか?」
「そうですけれど、何か?」
済まして答えるユリアに、ますますこの女と生活していく自信を喪失する恭親王である。
(もしかして、頭は髪を結っているのではなく、もともと頭の形がああいう風に尖っていて、それを誤魔化すために、塔のような形にしてあるのだろうか? この臭い香水も、実は本人の体臭なのか?)
いろいろ好意的に考えてみようとするが、考えれば考えるほど、人外の妖怪にしか思えなくなってくる。
「昨夜は……どちらでお休みに?」
「気分が悪くなって外の空気を吸いに出て、そのまま庭で迷って眠っているところを、メイローズに見つけられて自室に連れていかれたらしい。……よく憶えていない」
恭親王が白粥を蓮華で掬いながら答える。
「今日のご予定は?」
「午前中は頭が痛いから寝る。……午後は、出かける」
「今夜こそはいらっしゃるのですよね?」
その言葉に、恭親王は露骨に眉を顰めた。
「今夜は……詒郡王府の催しに参加するから、夜遅くまで帰らない」
今度はユリアの方が、柳眉を顰める。
「それは……例のいかがわしい集まりではございませんの?」
「放っておいてくれないか。私の素行が気にいらないのなら、いつでも出ていってくれて構わない」
「旦那様……!」
「だから、旦那様って呼ぶな! ついでに、香水が臭いからやめろと以前に言ったはずだ。なぜなし崩しに着けてくる。頭が痛くなって気分が悪くなると言っているのに! 昨日だって、酒のせいばかりじゃなくて、ずっと貴女の横にいたから、匂いで気分が悪くなったのだぞ。香水臭くなくなるまで、私はこの部屋には来ないから!」
ガチャン、と乱暴に象牙の箸を卓に叩きつけ、立ち上がって恭親王は部屋を出ようとするのを、ユリアも立ち上がって引き止め、周囲の侍女たちが恭親王の進路を塞ぐように取り囲む。
「お待ちくださいまし。……本当に、香水のせいだけですの?」
「どういう意味?」
恭親王が冷たい眼差しでユリアを睨みつける。
「……どなたかのために、こちらに来たくないのではございませんの?」
「香水もだけど、貴女の高慢な物言いとか、やたら派手な服装とか、全て気に入らないから、来たくない。……こう言えば満足?」
周囲の侍女がはっと息を飲む。
「とにかく、そこをどけ。もう粥は食べたし、文句はないだろう」
「旦那様……いえ、殿下、わたくしは……」
「話は貴女が香水を止めてからだ。約束を違う人間と話すつもりはない」
一部始終を見ていたメイローズは内心溜息をつく。
恭親王にも歩み寄るつもりはほとんどないのだが、ユリアの方もどうしてか香水を止めようとしない。主の筋金入りの香水嫌いを知るだけに、これだけはユリアに飲んで欲しいとメイローズは思っているのだが、ユリアの方は些細なことだと考えているらしい。
「奥方様。今朝、わが主はご体調が本当に優れないのでございます。無理を押してこちらにいらっしゃいましたのです。また、主は本当に、香りに関しては過敏でいらせられます。体調の良くないときに、きつい香りは本当にお辛いものなのですよ。どうか、そのあたりのことは、汲んでいただけないでしょうか」
「……この香りが臭いなんて……」
「臭いんだよ!」
恭親王は青い顔をして、袖口で口を押えるようにして、言った。どうも、ユリアはある種の花の香りを特に好んで、どの香水にもそれが配合されているようなのだが、恭親王にはその香りが特段にきつく感じるらしいのだ。
「気分が悪い。吐きそう……」
メイローズが主に寄り添うようにしてその身体を支え、もう一度進路を塞ぐ侍女たちを一瞥する。
「ひとまず、今はお部屋にお連れいたしたく思います。道を開けていただけますか」
有無を言わさぬ調子で言い、観念した侍女が道を開ける。メイローズは振り返って、唇を噛んで悔しそうに立っているユリアに黙礼すると、恭親王を連れてユリアの部屋を退出した。
「いらないって言って。頭が痛くて何も食べられない」
いきなり誘いを蹴ろうとする主を、メイローズが諌める。
「わが主よ、結婚の翌朝の粥は、夫婦で摂るのが決まりでございますよ」
「何そのくだらない風習。こんなに気持ち悪いのに、粥なんて食えるわけない」
ぶつぶつ言う恭親王に支度をさせ、青い顔をしている彼を引きずるように新妻の部屋に連れていく。本来ならば、初夜を新妻の部屋で過ごしているはずなのだから、こんな手間はいらないのだ。
導き入れられたのは、やはり真新しい新妻・ユリアの部屋。
朝日も眩しい東向きの部屋は、恭親王に言わせれば目がチカチカするほど飾り立てられていた。円形の卓は紫檀で、豪華な螺鈿の蔓草と花模様が埋めつくし、椅子は背にやはり蔓草と花の彫刻がびっしりと掘りつけられている。カーブを緩く描いた繊細な細い肘掛の先には、精緻な薔薇の花。毛足の長い絨毯は地色は臙脂で、やはり華麗な薔薇の文様が織り込まれている。部屋に配置された長椅子、飾り棚、すべて紫檀に螺鈿の細かい装飾を施し、寝室へ続く壁は豪華な透かし彫り。衝立には珊瑚や翡翠、白玉が埋め込まれて、立体的な四季図が描かれている。
ガンガンする頭を懸命に真っ直ぐに支えて、妙にキラキラしい部屋に耐えていると、侍女たちが朝食の粥を運んできた。粥の入った大きな壺は、鮮やかな五彩の花文様。
(盛り過ぎだろ――)
ユリアの部屋であるから、文句を言うつもりはなかったが、万事簡素でシンプルなものを好む恭親王には、ゴテゴテした装飾的な部屋はまったく寛げなかった。
卓の上には金糸銀糸の刺繍を施したマットが敷かれ、白粥とたくさんの料理が並ぶ。油条、饅頭、卵と青菜の炒め物、蒸し鶏、揚げ春巻き、漬物各種、果物、干し杏の砂糖がけ。
「白粥だけでいい」
あれこれ取り分けようとする侍女に言い、白い湯気を上げる白粥を見下す。赤いクコの実が散らされ、やはり五彩の蓮華が添えられる。
「……ユリア姫は?」
「まだ、朝のお支度の最中でございます」
儀式である以上、先に食べるわけにもいかず、恭親王が所在なげに待っていると、やがて、寝室からユリアがしずしずと出てきた。真っ白に白粉をはたき、眉も鮮やかに描き、くっきりと目の周りを縁どって、真っ赤な紅が艶々と光っている。赤い髪も朝から塔のようにたかだかと結い上げられ、大きな簪がいくつも飾られている。やはり、というか香水の香りがぷんと恭親王の鼻につく。二日酔いの今朝は、常にも増してダメージが大きい。
(普段からその格好なのか――!)
衣裳はさすがに昨日の花嫁衣裳ほどではないが、宮中に伺候するのかと聞きたいくらいの派手さである。
「おはようございます、旦那様」
「……おはよう。……その、旦那様というのは、慣れなくて気分がよくない。今まで通り、殿下と呼んでくれないか?」
レイナにも言ったのだが、どうも「旦那様」と呼ばれるのが嫌であった。
「……ですが、結婚した以上は旦那様ですので」
「その……自室なんだから、もう少し気楽な格好でも構わないのだが。それが、普段着なのか?」
「そうですけれど、何か?」
済まして答えるユリアに、ますますこの女と生活していく自信を喪失する恭親王である。
(もしかして、頭は髪を結っているのではなく、もともと頭の形がああいう風に尖っていて、それを誤魔化すために、塔のような形にしてあるのだろうか? この臭い香水も、実は本人の体臭なのか?)
いろいろ好意的に考えてみようとするが、考えれば考えるほど、人外の妖怪にしか思えなくなってくる。
「昨夜は……どちらでお休みに?」
「気分が悪くなって外の空気を吸いに出て、そのまま庭で迷って眠っているところを、メイローズに見つけられて自室に連れていかれたらしい。……よく憶えていない」
恭親王が白粥を蓮華で掬いながら答える。
「今日のご予定は?」
「午前中は頭が痛いから寝る。……午後は、出かける」
「今夜こそはいらっしゃるのですよね?」
その言葉に、恭親王は露骨に眉を顰めた。
「今夜は……詒郡王府の催しに参加するから、夜遅くまで帰らない」
今度はユリアの方が、柳眉を顰める。
「それは……例のいかがわしい集まりではございませんの?」
「放っておいてくれないか。私の素行が気にいらないのなら、いつでも出ていってくれて構わない」
「旦那様……!」
「だから、旦那様って呼ぶな! ついでに、香水が臭いからやめろと以前に言ったはずだ。なぜなし崩しに着けてくる。頭が痛くなって気分が悪くなると言っているのに! 昨日だって、酒のせいばかりじゃなくて、ずっと貴女の横にいたから、匂いで気分が悪くなったのだぞ。香水臭くなくなるまで、私はこの部屋には来ないから!」
ガチャン、と乱暴に象牙の箸を卓に叩きつけ、立ち上がって恭親王は部屋を出ようとするのを、ユリアも立ち上がって引き止め、周囲の侍女たちが恭親王の進路を塞ぐように取り囲む。
「お待ちくださいまし。……本当に、香水のせいだけですの?」
「どういう意味?」
恭親王が冷たい眼差しでユリアを睨みつける。
「……どなたかのために、こちらに来たくないのではございませんの?」
「香水もだけど、貴女の高慢な物言いとか、やたら派手な服装とか、全て気に入らないから、来たくない。……こう言えば満足?」
周囲の侍女がはっと息を飲む。
「とにかく、そこをどけ。もう粥は食べたし、文句はないだろう」
「旦那様……いえ、殿下、わたくしは……」
「話は貴女が香水を止めてからだ。約束を違う人間と話すつもりはない」
一部始終を見ていたメイローズは内心溜息をつく。
恭親王にも歩み寄るつもりはほとんどないのだが、ユリアの方もどうしてか香水を止めようとしない。主の筋金入りの香水嫌いを知るだけに、これだけはユリアに飲んで欲しいとメイローズは思っているのだが、ユリアの方は些細なことだと考えているらしい。
「奥方様。今朝、わが主はご体調が本当に優れないのでございます。無理を押してこちらにいらっしゃいましたのです。また、主は本当に、香りに関しては過敏でいらせられます。体調の良くないときに、きつい香りは本当にお辛いものなのですよ。どうか、そのあたりのことは、汲んでいただけないでしょうか」
「……この香りが臭いなんて……」
「臭いんだよ!」
恭親王は青い顔をして、袖口で口を押えるようにして、言った。どうも、ユリアはある種の花の香りを特に好んで、どの香水にもそれが配合されているようなのだが、恭親王にはその香りが特段にきつく感じるらしいのだ。
「気分が悪い。吐きそう……」
メイローズが主に寄り添うようにしてその身体を支え、もう一度進路を塞ぐ侍女たちを一瞥する。
「ひとまず、今はお部屋にお連れいたしたく思います。道を開けていただけますか」
有無を言わさぬ調子で言い、観念した侍女が道を開ける。メイローズは振り返って、唇を噛んで悔しそうに立っているユリアに黙礼すると、恭親王を連れてユリアの部屋を退出した。
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