【R18】渾沌の七竅

無憂

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六竅

6、空閨

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『殿下が、わたくしと結婚したくないとおっしゃるのは、そこにおります秀女のためですの?』

 恭親王の足元に跪く賤しい女に、ついつい侮蔑的な視線を向けてしまう。だって秀女と言えば、皇子のための娼婦とまで揶揄される女たちだ。高額な支度金と引き換えに、女として守るべき貞操を売り渡し、皇子に媚びを売る女たち。そんな賤しい女にうつつを抜かして、皇帝の望んだ縁談を拒否するなど、正気の沙汰とも思えなかったからだ。

 あまりにも高い、十二貴嬪家の矜持。
 皇后となることが定められた家の誇りが、恭親王のが最も嫌うものであることを、ユリアは知らなかった。いや、説明されたとしても、恭親王の言い分をユリアは理解できなかっただろう。 
 二人の信じるものはあまりにも――天と地よりも遠く隔たっていたから。




 鼻をつく強い香水の匂い、これでもかと言うほどの豪華な装飾、甲高い耳障りな声。
 実際に会ってみるまでは、夫に愛されない結婚を押し付けられた、ヤスミンのような気の毒な令嬢だと、恭親王はユリアに少しばかり同情的な気持も抱いていたのである。
 しかし、目の前の仰々しく着飾ったユリアの姿に、恭親王の同情心は吹き飛んでいた。さらに、レイナに向けるユリアの蔑みの視線。レイナの置かれた理不尽な身の上を想像することなく、ただ秀女であるというだけでレイナを侮蔑することは、恭親王には到底許しがたいことであった。
 この瞬間、恭親王にとってユリアは、愛してあげられない可哀想な婚約者から、この女とだけは結婚したくない憎々しい女に、変わったのである。

 そしてユリアの犯した最大の過ちは、恭親王が自分との結婚を望まないのは、この賤しい秀女に誑かされ、一時の感情に絆されているためだと、誤解したことである。

 今はこの秀女に夢中かもしれないが、そのうち一時の恋も冷める。そうなった時、恭親王は正室のことを思い出すに違いない。
 だから、たとえ今は自分に興味がなくとも、少しずつ、少しずつ愛と信頼を育んでいけばいい。
 しばらくは愛されなくとも、正妻として家のことをきちんと押さえておけば、〈あの方〉も自分のことを頼りにするはずだ。何しろ、自分はマナシル家の娘で、皇帝が〈あの方〉の妻にと是非にも望んだ娘なのだ。

 ――この思い込みが、全ての不幸の元凶であった。そもそも恭親王はその秀女レイナなど愛しておらず、正妻など絶対にいらないと思っていたのであるから。

 恭親王の頑なな様子に、娘を心配するマナシル公爵は婚約の撤回をユリアに提案した。客観的に見て、ユリアと恭親王とは水と油のように合わない。その結婚を無理強いしても、娘の不幸は目に見えていたからだ。
 しかし、ユリアはその父の提案を押し切り、頑として婚約を解消しないと言い続けた。〈あの方〉はいつか、自分を愛してくれるはず。自分以外に〈あの方〉の正室に相応しい女はいない。なぜなら、自分はずっと、〈あの方〉一人のために、あらゆる努力を惜しまずに生きてきたのだから。






 いろいろとすれ違いはあったけれど、今夜こそ、自分の気持ちを〈あの方〉に告げよう。そうして、今夜から二人でやり直せばいい。

 ――冷えびえとした寝台の上で、身を固くして一人、夫の訪れを待っていたユリアが、この結婚の失敗を悟ったのは、明け方、空も白み始めた時。

 鳥のさえずりが聞こえ始める寝台の上で、ユリアは唇を噛みしめた。
 花婿は新婚初夜の新床をすっぽかし、いったいどこで夜を過ごしたのであろうか。間違いなく、花嫁の居間までは引き上げてきたはずなのに。

 ユリアは指先が白くなるまで、夜着の膝をぎりぎりと握りしめ、唇を血が滲む程噛みしめる。
 あの女が、〈あの方〉に何か無理難題を言ったに違いない。
 自分一人を愛してくれとか、正室の元には行かないでとか、甘い声であの方に囁いたに違いない。
 そうでなければ考えられない程の、あまりにもひどい仕打ち。

 ユリアの心は屈辱と嫉妬で燃え盛る。

 ユリアはレイナを憎んだ。レイナが恭親王に愛されている故に、自分は彼に愛されないのだと、誤解した。
 その誤解がユリアを黒々とした嫉妬の焔で妬きつくし、罪もないレイナを巻き込んでいく。

 恭親王がただ一人愛しているのは、レイナではなくて、もう二度と会うことのない、森の中の少女メルーシナであり、彼女メルーシナ一人に愛を捧げ、他の女には絶対に愛を向けないと心に誓っていることなど、ユリアは生涯知ることはなかった。
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