【R18】渾沌の七竅

無憂

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六竅

4、ユリア

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 桃の夭夭たる 灼灼たる其の華
 の子 とつがば 其の室家によろしからん

 桃の夭夭たる ふんたる有り 其の実 
 之の子 于き帰がば 其の家室に宜しからん

 桃の夭夭たる 其の葉蓁蓁たり
 之の子 于き帰がば 其の家人に宜しからん



 赤いぼんぼりに灯が入れられ、赤く塗られた蝋燭に火が灯される。
 古来から婚礼に歌われる古歌が唱和され、二人の門出を祝う。
 ユリアは部屋全体が婚礼を祝う赤色で装飾された真新しい広間で、幸福を噛みしめていた。

 わたくしは今日、このき日に、ついに〈あの方〉のもとに嫁ぐのだ――。

 ユリア自身も真っ赤な絹地に、豪華な金糸銀糸の精緻な刺繍を施した花嫁衣裳を身に纏う。この日のために、四年も前から布を選び、図案を考え、一部は自ら針を運んで、入念に準備した思い入れのある衣裳だ。白い両手の薬指と小指には、繊細な金線細工に赤いルビーを散りばめた指甲套つけ爪。耳飾りも黄金と赤いルビーが揺れる精巧なもので、時間をかけた化粧に最高級の赤い紅を差し、香水はやめろとは言われたが、晴れの日にお気に入りの香りを纏わないなんて考えられない。自分としてはかなり控えめに、甘い花の香りを振りまいてきたつもりだ。

 ちらりと横目に見る花婿は、全く身じろぎもせずに真っ直ぐ前を見つめている。その横顔は信じられないくらいに完璧な美貌だった。
 通った鼻筋から少し薄い唇、やや尖った顎から頬のラインは繊細な少年の面影を残し、それでいて首筋に時々動く喉ぼとけが彼の男性的な魅力を再認識させる。少しつり気味の目は涼やかで、黒曜石の瞳は周囲の光を反射して煌めく。びっくりするほど長い睫毛が高い頬骨に翳を作り、顔の陰影を増していた。凛々しい眉と秀でた額、後方に流している艶やかな黒髪が、少しだけ額に落ちかかるのも却って色気がある。何を考えているのか、時折、癖のようにみぞおちに左手をやるのは、緊張しているのかもしれない。

 普段、黒か紺か、せいぜい縹色の飾りの少ない服ばかり着ている彼が、手の込んだ豪華な赤い衣裳を身に着けている姿を目にした時は、美しさのあまりユリアは息が止まるかと思った。高貴なこの人にはやはり華麗な衣裳が似合うのだと、赤い面布の下で頬を赤らめる。妻として、これからはもっとこの人の身分に相応しい衣裳を用意させようと、早くも正室としての覚悟を決めていた。




 皇后家とも称される、十二貴嬪家筆頭のマナシル公爵と、先帝の末の公主の長女として生まれたユリアは、生まれ落ちた瞬間から将来の皇后候補としての生活を義務付けられていた。折しも、ユリアの生まれる三か月前には、ともにブライエ家の娘を母に持つ、皇太子の次男グイン皇子と、皇帝の第十五子ユエリン皇子が生まれたばかり。そのどちらかの皇子が将来至尊の位に登ることはほぼ間違いなく、ただ太傅家であるソアレス家の正嫡デュクトを正傅につけられた、ユエリン皇子にこそ皇帝の意はあるのだろう、と密かに囁かれていた。

 皇帝から内々に、ユエリン皇子の妃にユリアを、との打診があったのは、ユリアが五歳の春。もっとも、帝国の習いでは、皇家といえども正式な婚約は本人の成人後――男子は十五歳、女子は十三歳――と定められている。しかし、ユリアは物心ついて以来、自身はユエリン皇子の婚約者であるとの自負を持っていた。

 皇帝陛下が最も鍾愛する第十五皇子の妃に、マナシル家の娘たる自分を望むのは、皇子に皇帝位を譲るための布石であると、ユリアはきちんと理解していた。だから、将来の皇后となるべく、誰よりも気高く、誰よりも高雅であるために、日々努力を怠らなかった。

 何しろ、〈あの方〉――ユエリン皇子は、美貌を誇るブライエ家の皇后に瓜二つの、磨かれた玉のように美しい皇子であるとの評判であったから。ユリアは幼い日から、ただ〈あの方〉に嫁ぐ日を夢みて、ただ〈あの方〉に相応しい貴婦人を目指して、自らを一心に高め、磨いてきたのであった。

 生憎、マナシル家の娘の常として容姿の方は十人並みであった。けして不細工ではないが、全体がこじんまりとした造りの顔に、痩せてやや不健康そうな肌の色。それを補うために、化粧や美容にはどんな犠牲も厭わずに、長い時間をかけた。顔色の悪い肌を健康そうに見せるよう金粉を混ぜた高価な白粉をはたき、小さな細い目を大きく見せるために黒いアイラインをひき、眉も整えて柳の葉のように描き、高価な紅を唇に差す。肌には蜂蜜から取った香油を塗り込み、爪も赤く染め、豪華な指甲套つけ爪を嵌める。
 衣裳は帝都の一流の店を月に何度も呼びつけて反物を選び、刺繍のデザインを考え、納得いくまで作り直させることもある。

 香りには特に気を使った。
 西方渡の珍しい香水を買いあさり、帝都の香水店にオリジナルの配合を命じて作らせたものを、小さな瓶に入れて化粧台に並べ、今日はどんな香りを纏おうか悩む――これがユリアの日々の日課だった。

 もちろん、文学や音楽、絵画、芸術、様々な教養も学ぶことを厭わない。文字はあくまで流麗に、詩文はいっぱしの閨秀詩人として密かに名を成すほど、音楽は数種の楽器を弾きこなし、七弦琴に至っては名手の域に達している。絵筆を持たせれば、その描く絵は玄人はだしである。古典は言うに及ばず、近来の有名作家の作品も一わたり頭に入れ、将来の皇后として、帝国の法や地理・歴史にも興味を持って読書に励む。
 ユリアは極めて勤勉で、努力家であり、また自分の信じたものに突き進むタイプであった。

 彼女の失敗は、夫となるべき〈あの方〉の嗜好を全く調査しなかったこと。自分の正しいと思うこと、自分が美しいと思うものを嫌う人間がいることを、想像もしなかったことだ。
 ユリアが自身の欠点だと思っていた、その顔色の悪いうりざね顔と小さな細い目は、地味で大人しい女を好ましく思う恭親王には全く問題にもならない――何せ恭親王は女の容姿についてはまるで頓着せず、ゾラですら驚くほどの「守備範囲の広さ」を誇っていたのだから――のに、それを補うために懸命に施した濃い化粧と、纏う香水の香りこそ、恭親王には最も近寄りたくないものであったのだ。さらにユリアが美意識と富を傾けて集めた金銀宝石など、恭親王には忌まわしい虚飾でしかなかった。

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