【R18】渾沌の七竅

無憂

文字の大きさ
上 下
147 / 255
五竅

31、時間薬

しおりを挟む
 恭親王にとっては、二度目の離宮行幸。皇帝以下妃嬪、百官の長い車列と随身の兵士が整備された帝国の街道に連なる。
 ジリジリと焼け付く日差しの下、昨年と変わらぬ道中の景色を眺めても、恭親王は今ここにいない友のことが思い出されてしまい、周囲に知られないようにそっと溜息を漏らした。常に恭親王に従っている侍従たちは、主が折々に見せる辛そうな表情を思いやるが、何と言葉をかけていいかわからない。

「俺たちも辛かったっすけど、殿下はなかなか立ち直れないみたいっすね」

 ゾラが、皇子の侍従武官にのみ許された煌びやかな軍装で馬に揺られている。黒い革の兜が陽光を弾いて光っている。口さえ閉じていれば凛々しくて清冽な騎士然としているのに、いろいろと勿体ない男である。
 横で馬を並べていたゾーイも、後方から恭親王が幾度も溜息をついているのを見ながら言った。

「こういうのは、時間薬というのだ。少しずつ、失った者たちの思い出を消化していくより、他はない」

 ゾーイら従者にとっては、仕える主さえ生きていてくれればそれでいい。主が踏みにじられた時、何もできずに指を咥えていなければならなかったのは、身を斬られるよりも辛かったが、それでも主はしっかりと自身の脚を踏みしめて立ち上がり、異民族を殲滅して帝都に帰還するという、離れ業までやってのけた。

 絶望的な状況の下で、自身を生贄に差し出して部下を守り、心が折れそうな部下たちを励まし、最後まで諦めずに砦との連絡の手段を模索し、砦の兵の救援を信じて事を挙げる。鷹のエールライヒを飛ばして密書を砦に送ったと聞いた時は、異民族の首長ボルゴールに鷹を強請ったのもそのためだったのかと、主の深謀遠慮に度肝を抜かれたものだ。――恭親王に聞けば、鷹はただ欲しかったから強請っただけだと、言い張るのだけれど。

 今後とも、ゾーイらは全身全霊をかけて主に仕え、守り、援けていくだけだ。目標もはっきりしているから、従者たちの立ち直りは早い。

 だが、主自身はどうか。
 結局、肅郡王も成郡王も守ることはできなかった。
 主は絶対に口にしないけれど、あの新年の忌まわしい儀式の中で、主はその目の前で兄であり甥であり、また友である二皇子を蹂躙され、また自身も辱められたのだ。
 あまりにも凄絶すぎる主の経験を思えば、主が受けた傷の深さを、ゾーイや周囲の者が安易に思いやることすら許されないであろう。

 肅郡王が自ら世を捨てた後、恭親王は涸れかけた成郡王の命を必死につなぎとめようとしていた。天幕の中で静かに寄り添う二人の皇子の姿を思い出すたびに、ゾーイの心は哀しみで痛む。しかし、皇后は同性でしかも近親である二人の関係を強く嫌悪して、主は成郡王の最期に立ち会うことも許されなかった。

 あの極限の状況下で支え合った相手に対し、いかな我が子の将来を憂えたためといえ、また陰陽の道に外れる行いであったとはいえ、皇后のなさり様はあまりにひどいと、成郡王の傅役のジーノが悔し泣きに泣いていたのをゾーイは知っている。

 そして主が、結局は成郡王を救えなかった己の無力さを悔いていることも――。

 時は哀しみを癒す。
 あるいは新しい出会いや恋をして、主の心が少しでも安らいでくれれば――。

 デュクトの未亡人と関係ができたと聞いたときは、さすがのゾーイも言葉がなかった。普通であれば、潔癖なゾーイにはとても容認できないことで、デュクトと主の関係を知るだけに、胃の腑のあたりにこみ上げるものさえあった。 
 だが、ボロボロになった主が立ち直るためには、この際普通の倫理感など言い立てている場合ではないのだ。ゾーイはそう、自らに言い聞かせた。
 その関係は二月も経たずに解消されたという。そこにも皇后の介入があったことを、ゾーイは知らないため、やはり物事は常識的なところに落ち着くものだと、勝手に考えていた。

 今回、離宮行幸にあたり、主は自身の秀女としていはただ一人、かつて肅郡王の宮にいた槐花(エンジュ)だけを伴っている。つまり、恭親王にとって、槐花は特別な存在なのだ。

(やっと、本当に愛する相手ができたのだな――)

 恭親王の馬の隣、槐花は皇后の車に同乗しているはずだ。ゾーイは昨年の離宮で見た、長い真っ直ぐな黒髪を背中に垂らし、理知的な黒い瞳をしていたすらりと背の高い美少女の姿を思い出し、少し口元を緩める。あの少女なら、主の隣に立っても見劣りしないし、何より主を癒すことができるだろう――。

 ゾーイは、そんな風に考えて、密かに喜んでいた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

わがまま坊っちゃんな主人と奴隷の俺

からどり
BL
「わがまま坊っちゃんな主人に買われた奴隷の俺」のリメイク&色々書き足しバージョンです。 肉体労働向けの奴隷として売られた元兵士のクラウスと彼を買った貴族で態度が大きい小柄なリムル。 長身ガチムチ年上奴隷✕低身長細身年下貴族。 わがままで偉そうに振る舞うお坊っちゃんに襲われ、振り回される包容力が高いマイペース奴隷のアホでエッチな日常にたまにシリアスなところもある話です。 18禁なので各話にアダルト注意などは書きませんが、エッチなのがない話もたまにあります。 ファンタージー世界なのでスライムもあります。

二人の公爵令嬢 どうやら愛されるのはひとりだけのようです

矢野りと
恋愛
ある日、マーコック公爵家の屋敷から一歳になったばかりの娘の姿が忽然と消えた。 それから十六年後、リディアは自分が公爵令嬢だと知る。 本当の家族と感動の再会を果たし、温かく迎え入れられたリディア。 しかし、公爵家には自分と同じ年齢、同じ髪の色、同じ瞳の子がすでにいた。その子はリディアの身代わりとして縁戚から引き取られた養女だった。 『シャロンと申します、お姉様』 彼女が口にしたのは、両親が生まれたばかりのリディアに贈ったはずの名だった。 家族の愛情も本当の名前も婚約者も、すでにその子のものだと気づくのに時間は掛からなかった。 自分の居場所を見つけられず、葛藤するリディア。 『……今更見つかるなんて……』 ある晩、母である公爵夫人の本音を聞いてしまい、リディアは家族と距離を置こうと決意する。  これ以上、傷つくのは嫌だから……。 けれども、公爵家を出たリディアを家族はそっとしておいてはくれず……。 ――どうして誘拐されたのか、誰にひとりだけ愛されるのか。それぞれの事情が絡み合っていく。 ◇家族との関係に悩みながらも、自分らしく生きようと奮闘するリディア。そんな彼女が自分の居場所を見つけるお話です。 ※この作品の設定は架空のものです。 ※作品の内容が合わない時は、そっと閉じていただければ幸いです。 ※執筆中は余裕がないため、感想への返信はお礼のみになっております。……本当に申し訳ございませんm(_ _;)m

悪役令嬢、お城の雑用係として懲罰中~一夜の過ちのせいで仮面の騎士団長様に溺愛されるなんて想定外です~

束原ミヤコ
恋愛
ルティエラ・エヴァートン公爵令嬢は王太子アルヴァロの婚約者であったが、王太子が聖女クラリッサと真実の愛をみつけたために、婚約破棄されてしまう。 ルティエラの取り巻きたちがクラリッサにした嫌がらせは全てルティエラの指示とれさた。 懲罰のために懲罰局に所属し、五年間無給で城の雑用係をすることを言い渡される。 半年後、休暇をもらったルティエラは、初めて酒場で酒を飲んだ。 翌朝目覚めると、見知らぬ部屋で知らない男と全裸で寝ていた。 仕事があるため部屋から抜け出したルティエラは、二度とその男には会わないだろうと思っていた。 それから数日後、ルティエラに命令がくだる。 常に仮面をつけて生活している謎多き騎士団長レオンハルト・ユースティスの、専属秘書になれという──。 とある理由から仮面をつけている女が苦手な騎士団長と、冤罪によって懲罰中だけれど割と元気に働いている公爵令嬢の話です。

余りモノ異世界人の自由生活~勇者じゃないので勝手にやらせてもらいます~

藤森フクロウ
ファンタジー
 相良真一(サガラシンイチ)は社畜ブラックの企業戦士だった。  悪夢のような連勤を乗り越え、漸く帰れるとバスに乗り込んだらまさかの異世界転移。  そこには土下座する幼女女神がいた。 『ごめんなさあああい!!!』  最初っからギャン泣きクライマックス。  社畜が呼び出した国からサクッと逃げ出し、自由を求めて旅立ちます。  真一からシンに名前を改め、別の国に移り住みスローライフ……と思ったら馬鹿王子の世話をする羽目になったり、狩りや採取に精を出したり、馬鹿王子に暴言を吐いたり、冒険者ランクを上げたり、女神の愚痴を聞いたり、馬鹿王子を躾けたり、社会貢献したり……  そんなまったり異世界生活がはじまる――かも?    ブックマーク30000件突破ありがとうございます!!   第13回ファンタジー小説大賞にて、特別賞を頂き書籍化しております。  ♦お知らせ♦  余りモノ異世界人の自由生活、コミックス3巻が発売しました!  漫画は村松麻由先生が担当してくださっています。  よかったらお手に取っていただければ幸いです。    書籍のイラストは万冬しま先生が担当してくださっています。  7巻は6月17日に発送です。地域によって異なりますが、早ければ当日夕方、遅くても2~3日後に書店にお届けになるかと思います。  今回は夏休み帰郷編、ちょっとバトル入りです。  コミカライズの連載は毎月第二水曜に更新となります。  漫画は村松麻由先生が担当してくださいます。  ※基本予約投稿が多いです。  たまに失敗してトチ狂ったことになっています。  原稿作業中は、不規則になったり更新が遅れる可能性があります。  現在原稿作業と、私生活のいろいろで感想にはお返事しておりません。  

【R18】没落令嬢の秘密の花園――秘書官エルスペス・アシュバートンの特別業務

無憂
恋愛
女であるため爵位を継げず没落した、元伯爵令嬢のエルスペス・アシュバートンは、生活のために臨時採用の女性事務職として陸軍司令部で働いていた。戦争が終わり、長く戦地にいた第三王子のアルバート殿下が、新たな司令として就任した。彼はエルスペスを秘書官に登用し、多岐にわたる「業務」を要求する。病弱な祖母を抱え、仕事を辞められないエルスペスは、半ば無理矢理、愛人にさせられてしまう。だがもともと、アルバート殿下には婚約者も同然の公爵令嬢がいて……。R18表現を含む回には*印。ムーンライトノベルズにも掲載しています。 ※YouTube等、無断転載は許可しておりません。

処刑された女子少年死刑囚はガイノイドとして冤罪をはらすように命じられた

ジャン・幸田
ミステリー
 身に覚えのない大量殺人によって女子少年死刑囚になった少女・・・  彼女は裁判確定後、強硬な世論の圧力に屈した法務官僚によって死刑が執行された。はずだった・・・  あの世に逝ったと思い目を覚ました彼女は自分の姿に絶句した! ロボットに改造されていた!?  この物語は、謎の組織によって嵌められた少女の冒険談である。

カップル奴隷

MM
エッセイ・ノンフィクション
大好き彼女を寝取られ、カップル奴隷に落ちたサトシ。 プライドをズタズタにされどこまでも落ちてきく。。

アリアドネが見た長い夢

桃井すもも
恋愛
ある夏の夕暮れ、侯爵令嬢アリアドネは長い夢から目が覚めた。 二日ほど高熱で臥せっている間に夢を見ていたらしい。 まるで、現実の中にいるような体感を伴った夢に、それが夢であるのか現実であるのか迷う程であった。 アリアドネは夢の世界を思い出す。 そこは王太子殿下の通う学園で、アリアドネの婚約者ハデスもいた。 それから、噂のふわ髪令嬢。ふわふわのミルクティーブラウンの髪を揺らして大きな翠色の瞳を潤ませながら男子生徒の心を虜にする子爵令嬢ファニーも...。 ❇王道の学園あるある不思議令嬢パターンを書いてみました。不思議な感性をお持ちの方って案外実在するものですよね。あるある〜と思われる方々にお楽しみ頂けますと嬉しいです。 ❇相変わらずの100%妄想の産物です。史実とは異なっております。 ❇外道要素を含みます。苦手な方はお逃げ下さい。 ❇妄想遠泳の果てに波打ち際に打ち上げられた妄想スイマーによる寝物語です。 疲れたお心とお身体を妄想で癒やして頂けますと泳ぎ甲斐があります。 ❇座右の銘は「知らないことは書けない」「嘘をつくなら最後まで」。 ❇例の如く、鬼の誤字脱字を修復すべく激しい微修正が入ります。 「間を置いて二度美味しい」とご笑覧下さい。

処理中です...