【R18】渾沌の七竅

無憂

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五竅

26、ヤスミン

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 結局、ゲルフィンがその妻を連れて帰った後、すっかり白けてしまった恭親王らもヤスミンを連れて会場を後にした。

「ねえ、君、ソルバン家のユルゲンの奥さんだよね?」

 帰りの屋形船の中で、正体を言い当てられて、ヤスミンは下を向いた。

「ごめんなさい、でも、人に言わないで。ただの仮装パーティーだって聞いて……火遊びの会だなんて知らなかったの」
「心配しなくても、告げ口なんてしないよ。俺たちだって同じ穴の貉だろ?」

 ダヤン皇子が笑い、恭親王も言った。

「君の事情はだいたい噂で聞いているよ。僕の宮の秀女は、君のところの側室の妹だからね」
「……ルーナの?」
 
 ヤスミンは側室ルーナの妹が秀女として後宮にいることは知っていた。つまり、目の前の白服(シウ)の正体は今上の皇子なのだ。

(そう言えば、さっき殿下って呼んでいたわ……)

 夫ある身でこんな火遊び会に参加するのも問題ではあるが、皇子の身で参加するのもバレたら問題なのだろう。

「でも、君の事情は些か気の毒だとも思っていたんだよ。やけっぱちになってこういう会に出てきたくなっても、仕方がないよね。それに、僕の副傅の奥さんはナルシア家の出なんだ」
「あ……ミラ叔母さま……」

 ヤスミンの叔母ミラは恭親王の副傅であるラング家のゲルの正室である。父の末の妹であるミラは、幼いころからヤスミンを最も可愛がってくれて、今でも行き来があった。つまりこの美貌の皇子は今上の第十五皇子である恭親王殿下ということだ。

「だがなあ……まあ、こういうところに来ている俺たちが言うのもなんだが、こういう会に出入りするのは、もうやめた方がいいと思うぜ?」

 黒服 エルが会場から掠めてきた琥珀色のキツイ酒をラッパ飲みしながら言う。その発言に、即刻海賊が突っ込む。

「ほんと、殿下が言うなって感じっすよね?」
「殿下……」

 この黒服エルも皇子の一人なのだ。

「エルは僕の甥っ子、そっちのターシュは僕の父上の従弟、エルからしたら大叔父さんだから、大叔。三人とも、同い年なんだけどね?」

 ヤスミンもだんだんと思い出してきた。恭親王殿下の甥というのは皇太子の次男の廉郡王殿下、父親の従弟というのは西方大都督の息子のダヤン皇子。この二月にかけて、帝都は異民族を殲滅して帝都に帰還した、わずか十六歳の英雄皇子たちの話題でもちきりだったのだ。

「……で。どこに送ればいい? ソルバン家? それともナルシア家?」

 恭親王に尋ねられて、ヤスミンは返事に窮した。
 婚家には、従姉の家に泊まると言って出て来たのだ。今さら帰っても、夜遅い時間に、と嫌味を言われるのが目に見えている。だからと言って、実家には帰りにくい事情があった。

「……実家には、帰って来るなって言われているんです。家を空ければ空けるほど、立場が悪くなるからって。でも、もうあの家にいるのは辛くて……」

 思わず涙を零すヤスミンを、三人の皇子たちは同情の籠った目で見る。

「ゲルの奥さん……叔母さんとは仲がいいんだよね?だったら、ひとまずゲルの家に行く? そんな格好で婚家に帰れば、いろいろと詮索されるだろうし」
「うん、それがいいんじゃねぇ?」

 廉郡王も賛成して、一行はまずゲスト家の船着き場に船を乗りつけ、そこから馬車に乗り換えてゲルの住まい、ラング家に向かった。




 突然やってきた恭親王ら一行を、ゲルは驚きながらも慌てることなく歓待した。
 ラング家は帝都の皇宮の西側、太学の側にある。ラング家の当主は代々太学の長官を世襲する学者の一族だ。邸の一角がゲルたち一家の住居になっていて、今はゲルの妾になっている、かつて恭親王の侍女を務めたマーヤが酒注ぎと簡単なつまみを運んできた。

「元気だった? 久しぶりだね」

 穏やかに話しかける恭親王に、マーヤは懐かしそうに微笑む。非常識な時間、明らかに夜遊び帰りの酒の匂いを漂わせての訪問ではあるが、皇子たちの気まぐれにいちいち常識を問う方が間違っているのだ。しかし、ゲルは恭親王の背後で俯いている若い女を見て、飛び上がらんばかりに驚いた。

「……ヤスミン殿ではないか!」
「……ゲル叔父様……」

 マーヤに命じてゲルの妻、ミラを呼びに遣らせる。慌ててやってきたミラは、可愛がっている姪が深夜に皇子たちに連れられて来たと知り、絶句した。

「そんな集まりに行っておられたとは……あまり締め付けたくはありませんが、少しはご自重ください」

 ゲルが眉尻を下げて言う。だが、そのおかげで妻の姪を保護してきてくれたわけで、あまり文句も言えない。

「ユルゲン殿の件は、ナルシア家でも気にはしているのですよ。ただ、あまりこちらから介入しても、かえってヤスミン殿の立場が悪くなるかもしれないと、手をつきかねているのです。幸いと申しますか、側室のルーナという娘も大人しい性質らしく、ことさらにヤスミン殿と対立することもないのですが、あちらは二人目の子も懐妊中ということで、ヤスミン殿の立場はますます厳しいものになっていくでしょうな……」

 ヤスミンを連れてゲルの妻が奥へと下がってから、ゲルが溜息まじりに恭親王らに零す。
 側室ばかり寵愛して、正室を顧みないユルゲンには、ソルバン家の中にも批判はあるのだという。ただ、側室のルーナが男の子を生んでいることで、いまだに子のない正室のヤスミンの立場は弱い。

「でも、子爵家の娘であるルーナの子では、十二貴嬪家は継げねぇだろう」

 ゲルの家で供された水餃子を箸で突き刺しながら、白い麻のシャツ一枚になった廉郡王が言う。

「ユルゲンは次男ですからね。ソルバン家自体を継ぐのは兄のライゲンの子がおりますし。あそこは親衛隊職を世襲する家ですから、妾腹だろうが男の子は何人いてもいいのですよ」

 ゲルが自家製の梅酒を皇子たちに勧めながら応えた。

「もともと、ユルゲンが我儘を言い出した時に、ナルシア家の方から破談にしてしまえばよかったのに」

 恭親王が漬かっている梅を箸で器用に取り出しながら言うと、ゲルも眉を顰めた。

「同じ貴種と言いましても、十二貴嬪家のソルバン家と八侯爵家のナルシア家では家格が違いますからね。ナルシア家の方では、そういうことなら結婚を白紙にしても、と言ったそうだが、ソルバン家としては首を縦に振らなかったそうなのです」

 ナルシア家は皇家の宝物庫と宮中図書館を管理している家で、はっきり言って権勢はない。十二貴嬪家のソルバン家が強く言えば、逆らうのは難しい。十二貴嬪家の直系の正嫡は八侯爵家以上という国法があるので、ソルバン家としてはユルゲンの継承権を守るためには、とりあえず貴種の正室が必要だ。すでに問題を起こしているユルゲンに新たな婚約者を見つけるよりは、そのままヤスミンを強引に娶った方が都合がいいわけだ。

「ソルバン家の都合でユルゲンの気持ちがないままヤスミンを迎えるわけですから、当然、ソルバン家側がもっとヤスミンに配慮してくれると、ナルシア家としては信じて送り出したわけですが……」

 ここまであからさまに蔑ろにされるとは、想像していなかったのであろう。
 
「ひでぇ話しっすよ。初めのうちは、ソルバン家のうるさ型のばーさんたちも、正室を庇っていたみたいっすけど、側室が男の子を生んでからは、すっかりそっちに肩入れしているらしいっす。俺のおふくろはよくソルバン家にお茶に招ばれるんすけど、最近では正室は部屋に閉じこもって出て来なくなっちまったって、同情気味に話してたっすよ。気晴らしに火遊びでもしないと、やってられないってところじゃないっすか?」
 
 ゾラがサトウキビの焼酎を呷りながら言う。ゾラの母親はソルバン家と姻戚関係にあるのだ。
 
「だが、その火遊びがバレたら、彼女の立場はさらに悪くなるよ?」
「何のかんの言っても、男の浮気は甲斐性で、女の不貞はけしからんって風潮ですからね」

 ダヤン皇子が言い、トルフィンも同意した。
 恭親王がしばらく考えて、言った。

「彼女としては、別にユルゲンとは離婚しても困りはしないんだよね?」
「むしろ離婚されて困るのはユルゲンというか、ソルバン家の側じゃねぇのか? 今更ユルゲンの元に嫁に来てくれる、貴種の令嬢なんていねぇだろ」
 
 廉郡王が応じる。側室のルーナを娶る際にユルゲンが大騒ぎしたおかげで、ソルバン家の事情は帝都の社交界に知れ渡っていた。正妻の権威が強い高位貴族層では、正妻でありながら蔑ろにされているヤスミンへの同情が集まっていた。裏を返せば、正妻を大切にしないユルゲンの評判は地に落ちている。
 
「このまま悲惨な結婚生活を続けさせるくらいなら、少しナルシア家が強く出て、彼女を実家に返したらどう?精神的にも少し不安定そうだし、これ以上ソルバン家に居たら、辛くて病気にでもなっちゃうかもよ?」

 恭親王が言うと、ゲルが普段穏やかな顔の眉間に皺を寄せた。

「それもわかってはいますが、ソルバン家としては、とにかく法的な結婚が成立していればいいわけですよ。子供はいるに越したことはないでしょうが、今、ユルゲンは側室に夢中で、ヤスミンとの間に慌てて子を生そうという必要は感じていないでしょう。ヤスミンがソルバン家を出て実家に帰れば、邪魔者がいなくなったとばかりに、これ幸いと放置される可能性が高い。離婚してもらえなければ、そのまま年を取って不利になるのはヤスミンばかりで……」
 「ケッタクソ悪い話しだな、ソルバン家もユルゲンってヤツも!」

 ぺっと廉郡王が不快げに唾を吐いた。

「うかつに子供ができても、取り上げられて終わりじゃないかな。子供がいない今のうちに離婚させた方がいいと思うぜ?」

 ダヤン皇子も言う。

「ダルバンダルまで来ても構わないってんなら、俺がもらってやってもいいよ。……初婚じゃないから側室になっちゃうけどさ」
「……側室一人ですら、うまく対処できなかったのですよ。皇子の後宮などでやっていけるとは思えませんね」

 ダヤンの申し出を、ゲルが眉尻を下げて断る。特に優れて容姿がいいわけでもない(悪いわけでもないが)ヤスミンは、やはり一夫一妻を守る普通の貴族の男の元に嫁ぐ方がいいと、ゲルは考えていた。

「離婚の交渉はさ、俺に考えがあるんだよ。ゲルフィンにやらせればいいって。あいつそういうの上手そうじゃん?」

 ダヤンの発言に、トルフィンが驚いて飛び上がる。

「無理、絶対、そんなこと引き受けてくれませんよ! さっきだって、邸の雰囲気最悪だったでしょ?」
「大丈夫だって、俺に任せとけって。奥さん元気? まだ逃げてない? って事あるごとに聞いてやるよ」

 ダヤンが胸を張る。

「だからさ、とりあえず、あの子、この家で預かってあげたら? 実家も何のかのと理由つけているけど、要するにソルバン家と揉めるのが嫌なのさ。皇子の副傅が預かっている子なら、ソルバン家も文句は言えないだろう」

 ダヤンの言葉に、恭親王が首を傾げる。

「……何か、策があるって言っていたよね?」
「要するに、俺たち皇子と仲良くすればいいんだよ。暗に、俺たちの側室にしたいから離縁しろって脅しをかけるわけ。仮装パーティーで出会ったなんてことになればヤスミンに傷がつくけど、結婚生活に疲れて叔母の家に身を寄せて、そこで遊びに来た皇子がヤスミンを気に入ったってことにすれば、少なくとも不貞は疑われないよ」

 ダヤンが言うのに、ゲルが慌てる。

「いけませんよ、皇子の側室なんてとんでもない!」
「だから脅しをかけるだけだって。ゲル夫妻を通じて、俺たち三人の皇子と顔見知りになって、清い交際をにおわせればいい。離婚さえ成立すれば、後は多少家格が落ちようが年齢が上がろうが、誠実な男を選んで結婚させればいいんだから」

 ソルバン家は十二貴嬪家の中でも権勢の強い家だ。それに脅しをかけるとすれば皇家くらいしかない。ゲルは眉根を寄せてしばらく考えていたが、さしあたって、それくらいしか手がないというのは理解できた。

「素直で可愛い子なのですよ。へんな傷を負わせたくないのです」
「わかってるよ。これも何かの縁だしね?」

 ダヤンが不敵に笑った。
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