【R18】渾沌の七竅

無憂

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五竅

22、オタサーの姫

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 声をかけてきたのは小型のゴンドラのような舟に乗った二人の男たち。それぞれ仮面をつけ、煌びやかな仮装をしている。髭や身体つきの感じから、三十半ばから四十前後、といった雰囲気だ。

「まあ、素敵。四妹スーメイ、どうする?」
「わ、わたくしは、いいわ。舟は苦手なの」

 以前、船に酔ったことのあるヤスミンは、扇子で顔を隠してかぶりをふる。

「じゃ、あたくし一人だけ、行って来てもいい?」
「どうぞ」

 真っ赤な長衣を翻し、釣殿から続く階段を降りてアイシャは舟に乗って行ってしまった。
 釣殿に一人残されると、ますます手持無沙汰で場違いな気分で、ヤスミンははあ、と溜息をついた。

 と、そこへ――。
 
「ごめん、ちょっと匿ってくれない?」

 まだ声変わりしたばかりの少年のような若々しい声がして、ヤスミンがはっとする。釣殿の手すりをふわりと跨いで、銀色の仮面に白い上下を着た細身の青年がヤスミンの方にやってきた。

「しつこいおばちゃんがいるんだよ。捕まりたくないんだ」

 豪華な服装といい身のこなしといい、仮面に隠されてはいるが文句のない名門の子弟なのだろう。ヤスミンが咄嗟に大量のクッションの海の向こうに青年を隠し、それに凭れるようにして取り繕うと、妙に派手派手しい服装をした中年の婦人たち三人が舟に乗ってやってきた。

「あらお嬢さん、お一人? こちらに白い服の青年が来なかった?」
 
 釣殿の上と下だというのに、婦人たちの焚き込んだ香の香りが鼻をつく。

「いいえ、どなたも。わたくし、姉を待っていますの」

 ヤスミンが優雅に応えると、婦人たちの乗った舟はそのまま通り過ぎた。しばらくしてヤスミンがクッションをどけてやると、青年がおそるおそる顔を出す。

「行った?」
「ええ。でも、すぐ戻ってくるかもしれないわ?」
「それは困るな。香水臭くて、鼻が曲がりそうなんだ。ただのデブのおばちゃんなら相手もできるけど、臭いのは無理だ」

 青年が薄く形のよい唇を少し歪める。少年のようにも見えるが、近くで見ると意外に身体つきもしっかりしていた。

「ここは外から丸見えだから。場所を変えた方がいいわ」

 ヤスミンが、その釣殿から見える、別の釣殿を見ながら言った。そこでは男にしな垂れかかる女の姿がはっきり丸見えだった。
 ヤスミンは青年だけがどこかに行けばいい、という意味だったのだが、青年は違う意味に取ったらしい。

「そう? 奥の部屋に行く?」
「ええ?」

 ヤスミンがぎょっとする間もなく、青年はヤスミンの手を取ると立ち上がり、廊下へと歩き始めた。

「ちょ、ちょっと待ってよ。困るわ。従姉を待っているのよ」
「あんなところにずっと一人でいるつもり? 従姉だってどっか男としけこんでるんじゃない?」

 立ち上がると青年はすらりと背が高く、小柄なヤスミンより頭一つ以上差があった。

「で、でも……」
「女の子と一緒にいた方が、おばちゃんもエロジジイも寄って来なくていいんだ。少し付き合ってよ」

 かなり強引に手を引かれて廊下を歩いていると、正面からやってきた道化姿の青年が声をかけてきた。

「シウ! 探したよ? おばちゃんは上手くまいた?」
「ひどいよ、エルもターシュも僕を囮にして二人だけ逃げてしまって。しつこくってまくのに苦労したんだぞ」

 シウと呼ばれた青年が形のよい唇を尖らす。道化姿の青年が微笑んだ。

「あっちの楼上にいい酒を並べているよ。来ない?……て、その子は?」
「ああ、えっと……おばちゃんから匿ってもらって、おばちゃん避けのお守に持ち歩いてるの」

 おばちゃん避けのお守とまで言われ、ヤスミンは思わず苦笑する。

「一緒に来ない? お酒は飲む?」
「あまり強いのは……」
「リックが実は下戸なんだ。だから甘い物ばっかり集めてきて、エルがおかんむりなんだ。よければ是非」

 道化姿の青年にも薦められ、ヤスミンは断ることもできずに、二人の青年についていった。
 曲がりくねった廊下の先に、高楼があって、そこに数人の青年が座り、酒を飲んでいた。

「さすがシウ、女連れて来るとか、出来る男は違うな」

 金糸刺繍の入った黒い上下を着た青年が、階段を上ってきた二人に言う。彼はもう、鬱陶しくなったのか、仮面も外し、素顔を晒していた。短く刈り込んだ黒髪に、黒い切れ長の瞳。野性味は強いがかなりの美男子である。横には僧兵の姿をした大男が仁王立ちし、黒い押し込み強盗のような格好の青年が、さっと立ってスツールを持ってくる。

「どうぞ」

 とにこやかに薦められ、ヤスミンがどぎまぎしながら腰かけると、シウと呼ばれた青年もその隣に腰をお下し、鬱陶しそうに銀の仮面を外す。現れた素顔は黒服の青年によく似た、だがそれよりもさらに美しい顔であった。

「海賊は?」
「ナンパした女連れ込んで、どっか行きましたよ」

 シウの質問に、押し込み強盗が肩を竦める。道化姿の青年も榻に腰を下ろし、卓上に並んだ様々な酒瓶を見比べて、甘口の白葡萄酒を選び、ヤスミンの盃に注ぐ。

「お嬢さん、お名前……を聞くのはルール違反だけど、なんてお呼びすればいい?」

 道化姿の青年に聞かれ、ヤスミンは口ごもる。

「え、えっと……四妹って呼んで?」
「じゃあ、四妹、俺は大叔ターシュ。西方渡の甘いお菓子もあるよ、どうぞ召し上がれ?」

 見ると、座っているのは三人の青年だけで、僧兵と押し込み強盗は立ったままである。

「こういう時は無礼講だよ。二人とも、座って」

 シウが黒い髪を掻き上げながら二人に言って、ようやく二人も榻に座る。つまり、この三人が主人格で、この二人は従者か、護衛なのだ。

(え? でも、この催しって伯爵クラス以上の貴族しか、参加できないはずじゃ……)

 つまり伯爵クラス以上の貴族を従者として抱えているということで、この三人の身分はおのずから限られてくる。

「シウ、お前、何飲む?」
「んー、その、馬鈴薯の焼酎アクアヴィットにするかなー。あ、桜桃の蒸留酒キルシュもあるのか、それにする!」
「あ、俺もそれにする」

 シウとターシュが口々に言うと、押し込み強盗が素早く指差した瓶から二人のグラスに注いだ。
 僧兵の形をした大男が、銀盆の上に並べられた焼き菓子や蒸し菓子、砂糖菓子をヤスミンの前に差し出す。

「これ、全部お前が分捕って来たの?」
「うす! 山ほど召し上がってくださいっす!」
「酒のつまみになんねぇものばっか持ってくんだよ。デカい図体して下戸だからよ」
「鮭の燻製とか、鰯の油漬けもありますよ。後は生ハムプロッシュートと、チーズ、ナッツ類ですね」

 ヤスミンの目の前の卓にはテキパキとご馳走が並べられ、どうみても身分の高そうな青年たちが彼女に恭しい態度であれこれ薦めてくれる。

「さ、お姫様どうぞ」

 シウが見惚れるほど美麗な笑顔でヤスミンに言い、ヤスミンは本物のお姫様になったような気分を味わった。
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