【R18】渾沌の七竅

無憂

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五竅

18、未亡人

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 翌日、ゾラと、鷹のエールライヒだけを伴に、恭親王はお忍びでソアレス家の邸を訪れた。
 ゾラを控室に残し、エールライヒを肩に止まらせ、一人で書斎に案内される。やはり今日も、クリスタ自らがお茶を運んで恭親王に給仕した。

  窓を開いてエールライヒを上空に放ってから、恭親王が長椅子に座るとクリスタも横の榻に腰かけて言った。

「前にいらしたとき、また来ると仰っておいででしたのに、来てはくださいませんでしたね?」

 そう、恨みがましい目で見つめられ、恭親王はどぎまぎする。

「す、すみません。兄が死んだりして……いろいろとバタバタしていたので」
「実は、息子たちのことで、少しご相談したいことがあったのです」

 そう言われて、この女が三人の子持ちであることを思い出す。

「夫があんなことになりまして、この家の中もいろいろとごたついておりまして」

 クリスタが背筋を真っ直ぐに伸ばして榻に腰かけて言った。

「一旦は、ソアレス家の家督は長男のフエルに、とのことで落ち着いたはずだったのですが、あれこれと横から口をだすうるさい親戚がおりまして、家督は現在廉郡王殿下の正傅であるゼクト殿に譲るべきだと……」

 恭親王が端麗な眉を顰める。

「……つまり、デュクトの従兄に家督を移せと?」
「はい。……ことはソアレス家の問題でございますので、わたくしとしては口を出すわけには参りません。ですが、もし、家督がゼクト殿に移った場合、フエルやミエルの立場が極めて微妙なことになってしまいます」

 クリスタは長い睫毛を伏せて、寂しげなうりざね顔を俯けた。

「……僕もソアレス家の問題に何も言えないけれど……どういう決着になっても、デュクトの子供たちの将来については、僕が責任を持って対処しよう。あいつは僕を庇って死んだわけだから、僕はデュクトに恩がある」

 恭親王が言うと、クリスタはほっとしたように微笑を洩らした。

「ありがとうございます。ゲル様の前では少し言いにくくて……」

 この場合、デュクトの子供の面倒を見る、というのは将来の任官を保証するということで、最悪、恭親王自身が何等かの形で抱えることを約束するに等しい。皇子の傅役や侍従官の任免について、女が口を出すのは非常に不敬なことだと戒められていた。他人の耳のない、二人きりのところで頼みたい、というのはもっともな話であった。
 
「デュクトは堅物だったけど、貴女のことは大切にしていたみたいだね」
「……そうでしょうか。殿下殿下で、家族のことは二の次、三の次でございました。昨年、殿下が成人なさるので、以後は邸に戻る夜も増える、と言う話でございましたが、実際には以前と変わりなくて……」

 恭親王はクリスタの話にぎくりとする。デュクトの後宮泊まりが多かったのは、彼が主の恭親王と関係を持っていたからだ。

「こんな話を殿下に申し上げるのも何なのですが、殿下のご成人後の一年は、ほとんど夫婦としての時間もありませんでした。もしかしたら、どこかに好きな人でも囲っているのではないかと疑っていたのですが……」

 寂しげに伏せられた睫毛に漂う大人の色香に、恭親王はくらくらした。同時に、心の奥底から何とも言い難い嗜虐的な感情が沸き起こって、恭親王を苛む。

 デュクトの好きな人というのは、他ならぬこの自分だと暴露したら、この女はどう思うだろうか?

 若い、美しい女でもない、目の前の痩せた少年に夫の愛を奪われたのだと知ったら、この女は傷つくだろうか?

 自分を蹂躙したあの男、表向き、妻一筋だと装いながら、隠れて皇子の身体を貪っていたあの男への、吐き出すこともできない恨みと憎しみを思い出す。結局あの男は、男色への謗りも、皇子を力ずくで犯した罪への弾劾も免れ、美しい妻を傷つけることなく逝ったのだ。あの男が欲望のままに汚した恭親王だけをこの濁世に遺して――。

 急に、この目の前の女を滅茶苦茶にしてやりたい昏くどす黒い感情が、恭親王の心を覆い始める。
 この女に罪はないことはわかっている。むしろ夫に裏切られた被害者だというのに、恭親王はデュクトへの腹いせにその妻を甚振りたくて我慢できなくなっていた。

 デュクトの妻が特に美しくもない女であれば、そんな気分にもならなかったであろう。
 しかし、彼の目の前で悄然と俯く儚げな女は、十一も年上だということを感じさせないほど若々しく、また清楚で嫋やかな雰囲気が彼の好みにばっちりと嵌っていた。

 こんないい女を捨てて、男に狂うとか、本気で頭がおかしい――。

 恭親王は未亡人に悟られないように、すうっと息を吸った。

「……デュクトからは、何も聞いていなかったの?」

 それは、デュクトに愛人がいたことを肯定するに等しい言葉だ。
 デュクトの妻――クリスタは、はっとして恭親王の顔を見た。黒い瞳が見開かれ、やや青ざめた顔で恭親王を真っすぐに見つめる。

「それとも――あいつのことだから、うまく尻尾を掴ませなかったんだね?」
「やはり……そうでしたか」

 クリスタがごくりと唾を飲み込んだ。覚悟していたこととはいえ、はっきりと肯定されれば、その現実に打ちのめされそうであった。

 十二貴嬪家の正嫡の妻として、夫が自分以外の側室を娶ることも致し方がないと理性では理解していた。だが、結婚してより十年、側室を薦める親戚たちをもはっきりと拒絶し、妻以外に必要ないと言い切ってくれた夫を、クリスタは信頼もしてた。――一年前までは。はっきりとクリスタを避けるようになった夫を、問い詰めることができないまま、夫は辺境で捕虜になり、役目を全うして殉職した。

 やはり、誰か他に、愛する人がいたのだ――。

 クリスタはしばし目を閉じ、意を決して目を開けた。その目にはもう、迷いはなかった。

「……その、どのような方がご存知でしょうか?いえその……夫にご縁のあった方ですから、形見分けのようなものも必要でしょうし……万一、そちらにもソアレス家の血を引く方がいらっしゃるようでしたら、放っておくことはできません」

 どこか意地悪そうに、値踏みするような視線で見ていた皇子が、クリスタの言葉を聞いて、ぷっと噴き出した。

「ああ、知っているけど、形見分けはもういいよ。本をもらったし。あと、子供は絶対にできないから、安心していいよ。……僕のことだから」
「は?」
「デュクトの愛人ってのは、僕だよ」

 クリスタは意味が理解できずに目を見開いた。

「……殿……下?」
「あいつ、夜中に僕の部屋に忍び込んで、僕を無理矢理犯したの。わざわざ、僕の宦官にくだらない用事まで言いつけて、追っ払ってさ。それからはもう、泥沼。もう、僕にしか欲情しない、奥さんじゃ勃(た)たないなんて、男として終わってるよね。……どんな不細工な女房なのかと同情してたら、こんな美人なんだものね、笑っちゃうよ」

 クスクスと肩を震わせて笑う目の前の美少年を、クリスタはただ茫然と見つめる。

「……奥さん、ショックだった?浮気相手が男だなんて、女のプライド粉々だよね?ははははは、もうお腹が痛くって。だって、僕だったらこんなガリガリの男より、絶対奥さんの方がいい。なんだろうね、あいつ、マジ頭がおかしいとしか思えないよ」

 腹を抱えて笑っている少年は、確かに稀に見る美貌の持ち主だ。だが男であるというのをさておいても、夫にとっては命を懸けて守り、導くべき主であったはずだ。それを、あの、堅物で融通の利かない夫が、堅苦しいほど正道まっしぐらだった夫が、少年の部屋に忍び込んで、無理矢理?

 クリスタは彼女の中の夫の像がガラガラと音を立てて崩れていくのを感じ、身体がぐらりと傾いだ。頭の中がガンガンと鳴り響き、ぐるぐると目の前が回った。そのまま座っていられない、と思った時、ふっと温かく、硬い身体に支えられ、抱きしめられた。

「……ごめんね。奥さんに言ったら可哀想だと思って黙っているつもりだったけど、思わず言っちゃった。……だって我慢できなかった。僕、あの男大嫌いだったから」

 頽れそうな自分を抱き留めたのが、目の前の美少年だと気づき、クリスタは頭の中が真っ白になった。
 これは、夫が仕えていた皇子。夫が命懸けで守った皇子。帝国に二人しかいない皇后腹の最も高貴な親王であり、皇帝鍾愛の皇子。

(いけない――)

 そう思い、離れようとするが、少年は思わぬ力でクリスタを抱きしめて離そうとしない。

「奥さん、柔らかくていい匂いがする……僕は奥さんの方が絶対にいいなあ」

 少年の熱い息がクリスタの耳元にかかる。そのまま、少年の熱い唇がクリスタの首筋に押し付けられる。驚きに目を見開き、逃れようと身体を捩るが、華奢に見えた少年の身体は実際に触れてみるとクリスタよりも大きくて硬く、力が強かった。

「だめ……いけません……!こんな……」

 慌てて抵抗するクリスタに、少年が耳元で囁く。

「やっぱり、夫と寝ていたような男は嫌?それとも、僕が年下過ぎるから?」

 そうだ、彼は十一も年下なのだ。まだ十六、初めて結婚した時の夫よりも若いのだ。

「お戯れを……お願いですから、お離しになって」

 幼い子供を諭すように言えば、少年はそっと身体を離し、至近距離からクリスタを見つめた。黒い睫毛に覆われた切れ長の瞳が、ひどく色っぽくて扇情的だった。その目を見た時に、夫とこの少年の関係が、初めてクリスタに事実として理解された。

 夫は、この目に魅了され、狂ったのだ――。

「ねえ……だめ?いいでしょう?……僕、我慢できそうもない……」


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