【R18】渾沌の七竅

無憂

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五竅

15、帰還の後

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 戦いの後、様々な後始末を終えて、帝都に帰還したのは二月に入ってからであった。
 皇帝への戦勝報告、戦没者の報告、遺品の受け渡し、傷病者の移送。

 最も重大な死者は皇太子の長男である肅郡王マルインである。
 長期巡検とはいえ、巡検で皇子が死亡するというのは異例中の異例である。本来であれば、その傅役が責任を負わされるが、肅郡王には傅役はおらず、唯一の侍従武官であるバードはその死にも扈従し、ともにベルン北岸の凍った湖の底に沈んでいる。
 結局、誰も責任を負うことができない死であった。

 もう一人の戦死者は恭親王の正傅デュクト。ソアレス家の正嫡である傅役を失った恭親王の政治的な痛手は小さくはないが、本人に帝位への野心がないために、これも外野から見たほどの影響は及ぼさなかった。

 あとは、魔物の憑依した異民族に凌辱されて〈王気〉を吸い取られ、足の腱を斬られて身体を損なった成郡王アイリンと、主を守るために異民族に逆らい、重傷を負ったその傅役のジーノについては、皇子が異民族に蹂躙されたという恥辱的な事実を表沙汰にできないため、皇帝は成郡王を病気療養の名目で、帝都郊外の離宮へと押し込んだ。

 その処置に最も反発したのは、今回、敵に囚われながらも鷹を使って砦と連絡を取り、半渡の奇策を立てて北方の異民族を壊滅に追いやり、敵の首魁であるボルゴールを斬り捨てた恭親王その人であった。
 恭親王は肅郡王と成郡王を守り切れなかった責任を取るとして、皇帝よりに褒賞を全て謝絶し、自身も成郡王とともに離宮に入ると言い張って止まなかった。彼の訴えは皇帝の強い意向により取り上げられず、ただ成郡王への年金を増額することで手を打たざるを得なかった。

 皇帝はデュクト配下の暗部カイトにより、北族に囚われた三人の皇子の身に起きた事実を知り、我が子の舐めた辛酸に心を痛めたが、とくに皇后は息子と成郡王との関係を知って、息子が同性愛に走るのではないかとの強い危機感に駆られ、恭親王が離宮に成郡王を見舞うことを禁じた。

 恭親王にとって、成郡王はあくまで腹違いの兄であり、また最も親しい友人であった。彼との関係は成郡王の乏しくなった魔力を〈補給〉するためでしかない。成郡王は太陽神殿の神官団により、魔力水薬ポーション等による治療を受けているが、〈王気〉の減退は留めようがなかった。魔力の枯渇による耐え難い苦痛を和らげるには、同じく〈王気〉を持つ恭親王が魔力を〈補給〉するのが一番効果的なのである。だが、同性でさらに近親である二人の関係は母である皇后にとっては到底許容できるものではなく、帝都帰還以後、一度も成郡王を見舞うことが許されなかった。

 息子の同性愛を危惧する皇后は、積極的に秀女を鴛鴦宮に迎え入れ、毎晩のように秀女を抱くことを強要したが、二か月近い虜囚生活に疲れていた恭親王はそんな気分にはなれなかった。

 ただ、肅郡王の遺言に従い、その宮の秀女二人――槐花エンジュ紫薇シビ――を宮に迎えることには同意した。
 
 他の残っている後始末としては、デュクトの問題があった。
 正傅であるデュクトを失い、また多大な戦功をあげた恭親王の元には、自薦他薦の多くの傅役候補が殺到した。皇子の傅役は貴種以上に限られるとの不文律があるが、とりわけ次代の皇帝候補とも目される恭親王の傅役である。仕える皇子が即位すれば、その傅役は太傅・少傅となり、皇帝の相談役として大きな権力を握ることになる。

 結論としては、恭親王は新しい傅役の就任を拒否した。

「もはや今さら、新しい傅役など鬱陶しい」

 その一言で推薦書の山を全て破り捨て、正傅は欠員として、副傅のゲルだけを置くことにした。デュクトが恭親王を庇っての戦死であることも考慮され、恭親王の意志はひとまず尊重されたのである。

 一つには、ソアレス家の継承問題がある。
 デュクトは三人の幼い子供を残しており、彼らがソアレス家の正嫡となる。成人後の彼らが恭親王の傅役になるという可能性を残したのであった。それは、デュクトの配下であった暗部のカイトからの、そのまま恭親王の直接の指揮を受けたいという、異例の申し入れとも関わっていた。ソアレス家の暗部は、ソアレス家の各個人の指示しか受けない。カイトは、デュクトの息子たちが成人するまでの期間の預かり物として、恭親王がその配下に置くことになった。

 これらのことをソアレス家に伝えるために、恭親王は二月の末に帝都のソアレス家の邸宅を訪問した。
 すでにデュクトの遺品や遺髪などは、副傅のゲルを使者に立ててソアレス家側に渡してある。葬儀が略式であったこともあって、恭親王はまだ、未亡人や遺児たちを慰労できていなかった。

 デュクトの妻に会うことに、恭親王は少なからぬ躊躇いがあった。
 何しろ、デュクトとは身体の関係があったのだ。浮気相手の女が正妻に会いに行くような気まずさがある。デュクトの未亡人がその関係についてはおそらく何も知るまいと思えば、いっそう気が重くて堪らなかった。

 非公式の訪問ということでゲルとゾーイだけを伴に、まだ寒さの残る帝都の街を馬で行く。二か月近い虜囚生活で恭親王のやや削げ落ちた頬もようやく元の滑らかさを取り戻し、精悍さを増した美貌を地味な黒い外套に包み、肩に黒い鷹を止まらせて馬に揺られる。ソアレス家の邸宅は皇宮からさほど遠くない帝都の一等地にあり、さすが十二貴嬪家の筆頭家としての格式を備えた大門が聳えていた。

 予め訪問の予定を伝えていたため、そのまま大門を開いて頭を下げている門番の前をゆっくりを通り過ぎる。門の中は帝都の中とは思われぬほど静謐に満ちた木立が並び、白い砂利道は塵一つなく掃き清められていた。四合院をいくつも連ねた広壮な邸宅であり、まず中央の門が主の住居なのであろう。

 玄関で馬を降り、厩番に馬を預け、出迎えの家宰に導かれるまま、応接室でデュクトの父親である太子太傅ソアレス公爵に挨拶する。デュクトによく似た、苦み走った表情の厳しそうな男であった。

「この度はわざわざのお運び、感謝のしようもございません」
「デュクトには世話になった。これまで来られなくて申し訳ない」

 恭親王が長い睫毛を伏せて哀悼の意を示すと、息子を失った公爵は少しだけ寂しげな表情をした。

「あれは堅物でございました故、殿下にもいろいろと無茶を申しましたでしょう」

 堅物過ぎて一周回って皇子を強姦したとも言えず、恭親王は言葉を濁して微笑んだ。

「……ご内儀に挨拶できるだろうか」

 本来ならば会うこともないような相手ではあるが、主君としては死んだ傅役の未亡人は直接労わねばならないと思い、その義父となるはずの公爵に尋ねる。公爵は頷いた。

「はい。……是非、形見分けとして殿下にあれの蔵書をもらっていただきたいと申しまして、書斎にてお待ちしております」

 そこで公爵とは別れ、恭親王はゲルと二人、デュクトの書斎に案内された。ゾーイは護衛であるため、伴の控室で待つことになった。

 デュクトの書斎は、長い廊下を伝った隣の棟にあった。小さな坪庭に面したこじんまりとしたその部屋は、持ち主の几帳面な性格そのままに、びっしりと天井まで書物が覆い、窓辺には趣味のよい文房四宝が並べられて、やはり黒光りする黒檀の卓は丁寧に拭き清められて塵一つない。

(あいつらしい、肩の凝りそうな部屋だ――)

 何となく書斎を眺め、勧められた長椅子に腰を下ろす。長椅子の下が煖坑オンドルになっていて、温かくて少しだけホッとした。肩に止まるエールライヒがバサバサと羽ばたく。
 ゲルは長椅子を遠慮して、その横に置かれたスツールに座り、待つことしばし。

「お待たせいたしました」

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