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五竅
9、暗号
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碧空に黒い、一羽の鷹が舞っていた。一直線に砦に向かってくる。
辺境騎士団の二重の城壁の上で、凍ったベルンを眺めていた騎士団長パーヴェルとかつて皇宮騎士団の団長まで務めた老将軍メイガン、そして帝都騎士団の団長であるジームは、頭上を舞う一羽の鷹に目を留めた。
「あの鷹は……」
メイガンが見つめていると、鷹はふわりとメイガンの近くの石造りの城壁に降り立った。その足首には、小さな紙が結わえ付けられている。
「……これは、殿下の鷹ではないか?」
急いで手紙を解くのを、鷹は抵抗もせずに待ち、手紙が外されると即座に飛び去った。まるで、主の元に急いで帰るとでも言うように。
その様子を横で見ていた廉郡王が、メイガンに歩み寄る。
「手紙、もしやユエリンからか?」
広げられた小さな紙片には、細かい神聖文字が書かれていた。
「神聖文字……ユエリンだな」
「あの鷹は殿下がボルゴールにもらったという、海東青に似ています」
メイガンの言葉に、廉郡王が紙片を覗き込む。
「だめだ、俺にゃさっぱりだ。ゼクトかゲルフィン呼んで来い!」
ちょうど一足先に砦の中に入っていた部下の名を出すと、メイガンが言った。
「いえ、我々が中に入りましょう」
そう言って、大事に手紙を握りしめて、二重の城壁の内側へと速足で向かう。若い廉郡王は待ちきれないのか、佩剣をガシャガシャと鳴らして走って先に行ってしまう。
「ゲルフィン! おーい! 出番だぞ! 文系男!」
こんなところで叫んでも、城内のゲルフィンにはまだ聞こえまいと思うのに、大声で騒ぎながら走っている。
「……やれやれ。直情型と申しますか、隠密行動は向かないようですね」
パーヴェルが眉を顰めると、ジームが快活に笑った。
「そこが、あの殿下の良さでもありますよ。……正直、お父上とは気性が真逆のようですな」
「確かに。肅郡王殿下のことは衝撃でしたが、殿下があそこまで荒れに荒れたことで、我々も吹っ切れましたしね」
パーヴェルも頷く。結局、騎士団長室は滅茶苦茶になってしまったが、身分の低い母から生まれ、不幸な生涯を送ったと思っていた皇子が、少なくともその異母弟には深く愛されていたことを知り、深い悲しみとともに、僅かながらも安堵を得られたのであった。
白い息を吐きながら、三人が騎士団長室に入ると、すでにゲルフィンとゼクトが廉郡王と待っていた。
「全く、そんな大騒ぎをして走ってくるのであれば、その紙も持ってくればよいのに」
「うっせえな! 慌ててたんだよ!」
「ほんとうに、殿下は所謂る〈用事も聞かずにお使いに走り出す〉口でしょう! 皇子でなければ、さぞ、使い物にならない粗忽者だったでしょうな!」
「あー、むっかつくな、この文系野郎が!」
廉郡王が自身の侍従文官に散々悪態をつき、悔しそうに地団駄を踏む。
「早速だが、これが黒い鷹に結び付けられてきた手紙だ。……恭親王殿下の手蹟だろうか?」
メイガンがゲルフィンにそれを手渡す。受け取ったゲルフィンが端正な眉をやや顰め、確認する。
「さすがに、俺も殿下の神聖文字の書き取りまでは見た事がありませんが……先日の密書に近い手蹟かと思います」
「なんて書いてあんだよ!」
イライラと廉郡王が催促する。
「どれどれ。文字数はあまりありませんな。――満月、砦、三族、氷、……次からがよくは分からないのですが、半分、次の字は何だろう――」
神聖文字はかつて神代に使われていた表意文字で、絵文字のような独特の形態を持ち、現在では神官と一部高位貴族が使える程度だ。
「暗号かよ! さっぱり訳がわかんねぇじゃないか」
横からゼクトが覗き込む。
「氷の次の文字は、罠、ではないか?」
「ああそうですね。しかし最後の文字は……」
「おそらく、渡る、だが……半分だけ渡るとは、どういうことだろうか?」
ゲルフィンが首を傾げていると、メイガンが白髪の混じった太い眉をかっと上げた。瞳はランランと輝いている。
「半渡だ! 半渡の策だ!」
廉郡王が老将軍を不審げに眺める。
「どういう意味だ?」
「半渡というのは、敵の半数だけ川を渡らせ、孤立させて各個撃破する戦術です。彼らが渡河をするときに、半分だけ渡った段階で襲いかかれという意味でしょう」
メイガンが言う。
「河を挟んだ戦術で、そういうのを以前、教授したことがござる。殿下はそれを憶えておられたのでしょう」
「では、氷、罠、というのは……」
ゲルフィンが尋ねると、メイガンは首をひねりながら言う。
「おそらく、半渡の状態に導くための罠と思えるが……」
そこへ知らせを聞いたダヤン皇子が走り込んできた。
「ユエリンの手紙が来たって?」
「はい。ですが、暗号のような神聖文字なので、意味が理解できないのです」
ゼクトが説明し、解読した神聖文字を読み上げる。
「満月、砦、三族、氷、罠、半渡――」
「奴等が渡ってくる河の氷が割れるように罠をしかけろってことじゃないの? 途中で氷が割れれば、敵を分断できる」
いとも易々とダヤン皇子が解読し、その場にいた全員が息を飲む。
「砦、とあるからには、奴等は砦に向かうと言っているんだと思う。そこから、渡河地点が予測できるよね。予め氷に細工をしておいて、渡河途中で氷が割れるようにしろって意味だと思う」
「……それが、満月の夜だと?」
「そういうことだと思う。いかに馬が得意でも、闇夜に大軍で渡河はできないでしょ? 夜の騎馬戦なら俺たちに負けっこない、って思っているだろうし」
大軍で渡河するとなれば、気温の上がる昼間では氷が溶ける不安がある。冷え込む夜間となれば、月の明るい夜でなければ厳しい。
「なるほど……」
ゲルフィンが顎に手を当てて思案に沈む。
「渡河地点の予測は?」
「大きな中州がある箇所と、川幅の狭い場所が候補ですが……」
パーヴェルが地形を案じながら答えると、ダヤン皇子が言った。
「念のためどちらにも細工をするべきだとは思うけど、俺は中州の方だと思うな。川幅が狭くなったところは流れが速いから、凍りにくいよね? 三族、っていうからには、三部族とも渡河するのだと思う。氷に強度のある場所を選ぶと思うけどな」
ダヤン皇子の言葉に、廉郡王が応じる。
「どういう細工をするんだ?」
「パッと見わからないように、氷にヒビを入れておくか……」
「一部、事前に一度溶かしてしまうのはどうでしょうか? それがまた凍れば、そこだけ氷が薄くなります」
ゲルフィンも提案し、彼らは氷を割れやすくする方法について、いくつか実験してみることにし、また予め選定されていた渡河地点の候補地と、そこからの敵の侵入ルートについて何通りかのシミュレーションを行った。
辺境騎士団の二重の城壁の上で、凍ったベルンを眺めていた騎士団長パーヴェルとかつて皇宮騎士団の団長まで務めた老将軍メイガン、そして帝都騎士団の団長であるジームは、頭上を舞う一羽の鷹に目を留めた。
「あの鷹は……」
メイガンが見つめていると、鷹はふわりとメイガンの近くの石造りの城壁に降り立った。その足首には、小さな紙が結わえ付けられている。
「……これは、殿下の鷹ではないか?」
急いで手紙を解くのを、鷹は抵抗もせずに待ち、手紙が外されると即座に飛び去った。まるで、主の元に急いで帰るとでも言うように。
その様子を横で見ていた廉郡王が、メイガンに歩み寄る。
「手紙、もしやユエリンからか?」
広げられた小さな紙片には、細かい神聖文字が書かれていた。
「神聖文字……ユエリンだな」
「あの鷹は殿下がボルゴールにもらったという、海東青に似ています」
メイガンの言葉に、廉郡王が紙片を覗き込む。
「だめだ、俺にゃさっぱりだ。ゼクトかゲルフィン呼んで来い!」
ちょうど一足先に砦の中に入っていた部下の名を出すと、メイガンが言った。
「いえ、我々が中に入りましょう」
そう言って、大事に手紙を握りしめて、二重の城壁の内側へと速足で向かう。若い廉郡王は待ちきれないのか、佩剣をガシャガシャと鳴らして走って先に行ってしまう。
「ゲルフィン! おーい! 出番だぞ! 文系男!」
こんなところで叫んでも、城内のゲルフィンにはまだ聞こえまいと思うのに、大声で騒ぎながら走っている。
「……やれやれ。直情型と申しますか、隠密行動は向かないようですね」
パーヴェルが眉を顰めると、ジームが快活に笑った。
「そこが、あの殿下の良さでもありますよ。……正直、お父上とは気性が真逆のようですな」
「確かに。肅郡王殿下のことは衝撃でしたが、殿下があそこまで荒れに荒れたことで、我々も吹っ切れましたしね」
パーヴェルも頷く。結局、騎士団長室は滅茶苦茶になってしまったが、身分の低い母から生まれ、不幸な生涯を送ったと思っていた皇子が、少なくともその異母弟には深く愛されていたことを知り、深い悲しみとともに、僅かながらも安堵を得られたのであった。
白い息を吐きながら、三人が騎士団長室に入ると、すでにゲルフィンとゼクトが廉郡王と待っていた。
「全く、そんな大騒ぎをして走ってくるのであれば、その紙も持ってくればよいのに」
「うっせえな! 慌ててたんだよ!」
「ほんとうに、殿下は所謂る〈用事も聞かずにお使いに走り出す〉口でしょう! 皇子でなければ、さぞ、使い物にならない粗忽者だったでしょうな!」
「あー、むっかつくな、この文系野郎が!」
廉郡王が自身の侍従文官に散々悪態をつき、悔しそうに地団駄を踏む。
「早速だが、これが黒い鷹に結び付けられてきた手紙だ。……恭親王殿下の手蹟だろうか?」
メイガンがゲルフィンにそれを手渡す。受け取ったゲルフィンが端正な眉をやや顰め、確認する。
「さすがに、俺も殿下の神聖文字の書き取りまでは見た事がありませんが……先日の密書に近い手蹟かと思います」
「なんて書いてあんだよ!」
イライラと廉郡王が催促する。
「どれどれ。文字数はあまりありませんな。――満月、砦、三族、氷、……次からがよくは分からないのですが、半分、次の字は何だろう――」
神聖文字はかつて神代に使われていた表意文字で、絵文字のような独特の形態を持ち、現在では神官と一部高位貴族が使える程度だ。
「暗号かよ! さっぱり訳がわかんねぇじゃないか」
横からゼクトが覗き込む。
「氷の次の文字は、罠、ではないか?」
「ああそうですね。しかし最後の文字は……」
「おそらく、渡る、だが……半分だけ渡るとは、どういうことだろうか?」
ゲルフィンが首を傾げていると、メイガンが白髪の混じった太い眉をかっと上げた。瞳はランランと輝いている。
「半渡だ! 半渡の策だ!」
廉郡王が老将軍を不審げに眺める。
「どういう意味だ?」
「半渡というのは、敵の半数だけ川を渡らせ、孤立させて各個撃破する戦術です。彼らが渡河をするときに、半分だけ渡った段階で襲いかかれという意味でしょう」
メイガンが言う。
「河を挟んだ戦術で、そういうのを以前、教授したことがござる。殿下はそれを憶えておられたのでしょう」
「では、氷、罠、というのは……」
ゲルフィンが尋ねると、メイガンは首をひねりながら言う。
「おそらく、半渡の状態に導くための罠と思えるが……」
そこへ知らせを聞いたダヤン皇子が走り込んできた。
「ユエリンの手紙が来たって?」
「はい。ですが、暗号のような神聖文字なので、意味が理解できないのです」
ゼクトが説明し、解読した神聖文字を読み上げる。
「満月、砦、三族、氷、罠、半渡――」
「奴等が渡ってくる河の氷が割れるように罠をしかけろってことじゃないの? 途中で氷が割れれば、敵を分断できる」
いとも易々とダヤン皇子が解読し、その場にいた全員が息を飲む。
「砦、とあるからには、奴等は砦に向かうと言っているんだと思う。そこから、渡河地点が予測できるよね。予め氷に細工をしておいて、渡河途中で氷が割れるようにしろって意味だと思う」
「……それが、満月の夜だと?」
「そういうことだと思う。いかに馬が得意でも、闇夜に大軍で渡河はできないでしょ? 夜の騎馬戦なら俺たちに負けっこない、って思っているだろうし」
大軍で渡河するとなれば、気温の上がる昼間では氷が溶ける不安がある。冷え込む夜間となれば、月の明るい夜でなければ厳しい。
「なるほど……」
ゲルフィンが顎に手を当てて思案に沈む。
「渡河地点の予測は?」
「大きな中州がある箇所と、川幅の狭い場所が候補ですが……」
パーヴェルが地形を案じながら答えると、ダヤン皇子が言った。
「念のためどちらにも細工をするべきだとは思うけど、俺は中州の方だと思うな。川幅が狭くなったところは流れが速いから、凍りにくいよね? 三族、っていうからには、三部族とも渡河するのだと思う。氷に強度のある場所を選ぶと思うけどな」
ダヤン皇子の言葉に、廉郡王が応じる。
「どういう細工をするんだ?」
「パッと見わからないように、氷にヒビを入れておくか……」
「一部、事前に一度溶かしてしまうのはどうでしょうか? それがまた凍れば、そこだけ氷が薄くなります」
ゲルフィンも提案し、彼らは氷を割れやすくする方法について、いくつか実験してみることにし、また予め選定されていた渡河地点の候補地と、そこからの敵の侵入ルートについて何通りかのシミュレーションを行った。
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