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五竅
8、密書
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「恭親王殿下から、密書を預かって参った」
メイガンの言葉に、全員がぎょっとしてメイガンを見た。
「そういうことは、早く言えよ、じいさん!」
廉郡王が椅子から腰を浮かして言った。
メイガンが掌から出したのは、薄い布に小さな文字をびっしりと書き記したのを、小さく丸めたものであった。ゲルフィンが少しだけ可笑しそうに言う。
「あの殿下が、メイガン殿にしつこくしつこく、鷹の自慢をなさったのですよ。ボルゴールにもらった珍しい鷹ゆえ、メイガンも餌をやってくれと」
「うむ。とても鷹の話をするような雰囲気でもないのに、何ゆえと思ったが、ゲルフィン殿に目くばせされて、どうやら裏があると、この老いぼれもようやく気づきましてな。鷹の餌の中にこれが、入っていたのです」
「で、ご老体、密書にはなんと?」
ゲルフィンの問いに、メイガンは苦笑した。
「それが、この老いぼれにはとんと解読不可能での」
開いてみると、細かい文字は全て神聖文字であった。勉強嫌いの廉郡王はそれを見ただけでくらくらと眩暈がしたが、並み居る将軍たちもその文字にはお手上げである。
「あの殿下は、どこでここまでの神聖文字を学ばれたのか」
ゼクトが感嘆したような溜息をついた。彼の仕える脳筋皇子と違い過ぎる。
結局、その手紙はゼクトとゲルフィンが額を寄せ合ってようやく解読した所に寄ると、まず、ボルゴールら三人の族長が魔物であること。故に討伐には聖別された武器と貴種の聖騎士が必要であることが述べられ、さらに、次か次の満月近くに、ベルンを渡って南に略奪を仕掛けるであろうと書いてあった。ついては、彼らが渡河をするのに選びそうな地点をいくつか調べておけ、とある。
「確かに、ベルンは川幅が場所によって異なる故、凍りやすいところ、凍りにくいところがある。その中で渡河に相応しい場所を予め知っておいて、敵の行動の予測を立てろと仰るのだな」
パーヴェルが感心するのに、ゼクトが首を傾げる。
「しかし、精確な日付けがわかればまた連絡するとあるが、これはどうやって?」
「……鷹かもしれません」
「鷹? あの鷹か?」
メイガンが素っ頓狂な声を上げた。
「しきりにメイガン殿に触れさせようとなさっておりました。匂いを覚えさせるためかもしれません」
ゲルフィンの言葉に、ゼクトが溜息をつく。
「そこまで考えて……あちらに囚われたのがうちの殿下でしたら、今頃、我々側仕えは全滅でございましたな」
「うるせーよ!」
廉郡王が悪態をついた。手酌で杯に酒を注ぎ、一気に呷る。
「マルインの仇は俺が取る。いいか、ありったけの聖別された武器と聖騎士を集めろ! ベルンの渡河の可能な場所を全て調べ上げ、場合によってはこっちから乗り込んで焼き払ってやるよ!」
「殿下、逸るものではありません。少なくとも成郡王殿下は一人では動けない状態なのです」
ゲルフィンが窘めると、廉郡王は形の良い唇をぺろりと舐めて言った。
「ユエリンだけに頼ってなぞいられるか! 魔物が憑いていようがなんだろうが、俺の兄貴を辱めて殺したやつらだ、皆殺しにしてもおつりがくらあ!」
そのセリフを聞いたダヤン皇子も言う。
「俺たちは俺たちでできることをやろう。正確な地図と地形がわかれば、奴らの動きをある程度予測できるよ。グインの言う通り、北岸に潜入するのも悪くない。凍った河は奴等だけのものじゃないって、思いしらせてやろうぜ」
薄茶色の瞳を煌めかせるダヤン皇子には、怒りよりも面白がるような表情が浮かんでいた。美しい唇の端を上げて微笑む笑顔が、狡猾で残忍ですらある。
その二人の皇子の獰猛な表情を見て、ゲルフィンら貴種の者たちは、二千年にわたる貴族的な生活を経てもなお、失われていない龍種の好戦的な本能を目の当たりにし、地に満ちた魔物を全て根絶やしにしたとされる、太陽の龍騎士とその眷属たちの、かつての壮絶な戦いの様を思いやらずにはいられなかった。
ベルン南岸の騎士団の砦で、廉郡王とダヤン皇子が気を吐いている時――。
北岸で夕暮れ時にエールライヒを空に飛ばしていた恭親王は、ゾラが近づいてくるのに気づいた。
「殿下、いい情報が手に入ったすよ」
「情報源は、どこだ?」
「厨方の女でね、未亡人で、男日照りなんでさ。で、甘い言葉をかけたらいろいろ教えてくれるってわけ」
「……本当にそういう相手を見つけるのが上手いよね?」
ゾラが精悍な頬をニヤリと上げた。
「ま、これだけが俺の取り柄っすからね」
取り柄というよりは、ある種の汚点なのだが、恭親王は眉尻を下げて溜息をついた。
恭親王自身は別に女好きではないつもりだが、女か男かと言われれば、迷うことなく女を選ぶ。それくらい、男には興味がない。だというのに、ベルンの北岸に攫われてからこの方、毎日のようにボルゴールに嬲られる上に、最近では兄の成郡王に魔力を分けるために関係を持たねばならず、命あっての物種とはいえ、男の相手ばかり、いい加減、嫌にもなろうというものだ。
だというのに、部下のこいつは情報収集のためとはいえ、女を引っ掛け捲っているのだから、世の中の不公平さに涙が出る。
「で、何と?」
「……次の満月までに、備蓄食料を集めるよう、命令がでたそうっすよ」
「七日後だな」
「渡河地点まではわからないか」
「ここ数日気温が弛んでいたっすから、大軍で渡河できる地点は限られるっすよ」
「どう、動くと思う?」
単なる略奪か、それとも、交渉を有利にするために、騎士団に揺さぶりをかけるか。
「俺の勘っすけど。どのみち、渡河のチャンスはあと二回っきりだ。だったら、この機会に砦を狙うっすね」
「珍しいな。僕も同意見だよ」
鮮やかな夕焼け空を滑空するエールライヒを目で追いながら、恭親王が言った。
「ベルンの氷が溶けたら、僕たちは南に帰れない。僕たちのチャンスもあと二回、かな?」
「いざとなりゃ、泳いででも渡るっすよ」
「頼もしいね」
茜色の空を眺めて、恭親王が決意を固める。
その翌日。恭親王は隙を見て、抜けるような蒼穹にエールライヒを放った。
ベルンを越えて、南へ――。
メイガンを、見つけられるか。
メイガンが、手紙の意図に気づくか。
天使の翼に全てを託して――。
メイガンの言葉に、全員がぎょっとしてメイガンを見た。
「そういうことは、早く言えよ、じいさん!」
廉郡王が椅子から腰を浮かして言った。
メイガンが掌から出したのは、薄い布に小さな文字をびっしりと書き記したのを、小さく丸めたものであった。ゲルフィンが少しだけ可笑しそうに言う。
「あの殿下が、メイガン殿にしつこくしつこく、鷹の自慢をなさったのですよ。ボルゴールにもらった珍しい鷹ゆえ、メイガンも餌をやってくれと」
「うむ。とても鷹の話をするような雰囲気でもないのに、何ゆえと思ったが、ゲルフィン殿に目くばせされて、どうやら裏があると、この老いぼれもようやく気づきましてな。鷹の餌の中にこれが、入っていたのです」
「で、ご老体、密書にはなんと?」
ゲルフィンの問いに、メイガンは苦笑した。
「それが、この老いぼれにはとんと解読不可能での」
開いてみると、細かい文字は全て神聖文字であった。勉強嫌いの廉郡王はそれを見ただけでくらくらと眩暈がしたが、並み居る将軍たちもその文字にはお手上げである。
「あの殿下は、どこでここまでの神聖文字を学ばれたのか」
ゼクトが感嘆したような溜息をついた。彼の仕える脳筋皇子と違い過ぎる。
結局、その手紙はゼクトとゲルフィンが額を寄せ合ってようやく解読した所に寄ると、まず、ボルゴールら三人の族長が魔物であること。故に討伐には聖別された武器と貴種の聖騎士が必要であることが述べられ、さらに、次か次の満月近くに、ベルンを渡って南に略奪を仕掛けるであろうと書いてあった。ついては、彼らが渡河をするのに選びそうな地点をいくつか調べておけ、とある。
「確かに、ベルンは川幅が場所によって異なる故、凍りやすいところ、凍りにくいところがある。その中で渡河に相応しい場所を予め知っておいて、敵の行動の予測を立てろと仰るのだな」
パーヴェルが感心するのに、ゼクトが首を傾げる。
「しかし、精確な日付けがわかればまた連絡するとあるが、これはどうやって?」
「……鷹かもしれません」
「鷹? あの鷹か?」
メイガンが素っ頓狂な声を上げた。
「しきりにメイガン殿に触れさせようとなさっておりました。匂いを覚えさせるためかもしれません」
ゲルフィンの言葉に、ゼクトが溜息をつく。
「そこまで考えて……あちらに囚われたのがうちの殿下でしたら、今頃、我々側仕えは全滅でございましたな」
「うるせーよ!」
廉郡王が悪態をついた。手酌で杯に酒を注ぎ、一気に呷る。
「マルインの仇は俺が取る。いいか、ありったけの聖別された武器と聖騎士を集めろ! ベルンの渡河の可能な場所を全て調べ上げ、場合によってはこっちから乗り込んで焼き払ってやるよ!」
「殿下、逸るものではありません。少なくとも成郡王殿下は一人では動けない状態なのです」
ゲルフィンが窘めると、廉郡王は形の良い唇をぺろりと舐めて言った。
「ユエリンだけに頼ってなぞいられるか! 魔物が憑いていようがなんだろうが、俺の兄貴を辱めて殺したやつらだ、皆殺しにしてもおつりがくらあ!」
そのセリフを聞いたダヤン皇子も言う。
「俺たちは俺たちでできることをやろう。正確な地図と地形がわかれば、奴らの動きをある程度予測できるよ。グインの言う通り、北岸に潜入するのも悪くない。凍った河は奴等だけのものじゃないって、思いしらせてやろうぜ」
薄茶色の瞳を煌めかせるダヤン皇子には、怒りよりも面白がるような表情が浮かんでいた。美しい唇の端を上げて微笑む笑顔が、狡猾で残忍ですらある。
その二人の皇子の獰猛な表情を見て、ゲルフィンら貴種の者たちは、二千年にわたる貴族的な生活を経てもなお、失われていない龍種の好戦的な本能を目の当たりにし、地に満ちた魔物を全て根絶やしにしたとされる、太陽の龍騎士とその眷属たちの、かつての壮絶な戦いの様を思いやらずにはいられなかった。
ベルン南岸の騎士団の砦で、廉郡王とダヤン皇子が気を吐いている時――。
北岸で夕暮れ時にエールライヒを空に飛ばしていた恭親王は、ゾラが近づいてくるのに気づいた。
「殿下、いい情報が手に入ったすよ」
「情報源は、どこだ?」
「厨方の女でね、未亡人で、男日照りなんでさ。で、甘い言葉をかけたらいろいろ教えてくれるってわけ」
「……本当にそういう相手を見つけるのが上手いよね?」
ゾラが精悍な頬をニヤリと上げた。
「ま、これだけが俺の取り柄っすからね」
取り柄というよりは、ある種の汚点なのだが、恭親王は眉尻を下げて溜息をついた。
恭親王自身は別に女好きではないつもりだが、女か男かと言われれば、迷うことなく女を選ぶ。それくらい、男には興味がない。だというのに、ベルンの北岸に攫われてからこの方、毎日のようにボルゴールに嬲られる上に、最近では兄の成郡王に魔力を分けるために関係を持たねばならず、命あっての物種とはいえ、男の相手ばかり、いい加減、嫌にもなろうというものだ。
だというのに、部下のこいつは情報収集のためとはいえ、女を引っ掛け捲っているのだから、世の中の不公平さに涙が出る。
「で、何と?」
「……次の満月までに、備蓄食料を集めるよう、命令がでたそうっすよ」
「七日後だな」
「渡河地点まではわからないか」
「ここ数日気温が弛んでいたっすから、大軍で渡河できる地点は限られるっすよ」
「どう、動くと思う?」
単なる略奪か、それとも、交渉を有利にするために、騎士団に揺さぶりをかけるか。
「俺の勘っすけど。どのみち、渡河のチャンスはあと二回っきりだ。だったら、この機会に砦を狙うっすね」
「珍しいな。僕も同意見だよ」
鮮やかな夕焼け空を滑空するエールライヒを目で追いながら、恭親王が言った。
「ベルンの氷が溶けたら、僕たちは南に帰れない。僕たちのチャンスもあと二回、かな?」
「いざとなりゃ、泳いででも渡るっすよ」
「頼もしいね」
茜色の空を眺めて、恭親王が決意を固める。
その翌日。恭親王は隙を見て、抜けるような蒼穹にエールライヒを放った。
ベルンを越えて、南へ――。
メイガンを、見つけられるか。
メイガンが、手紙の意図に気づくか。
天使の翼に全てを託して――。
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