【R18】渾沌の七竅

無憂

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五竅

5、どん底から空を見上げる

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 従者たちの天幕で、重傷を負ったジーノの手当てを手伝いながら、憔悴しきった従者たちを眺める。

(どん詰まりだな――。所詮、十三対二千。いや、二人死んで二人はまともに動けなくなった今、九対二千か。さらに絶望的だ)

 帝都からの使者があまりに遅かった。
 もう少し早く交渉に入ってくれれば、少なくとも成郡王と肅郡王は無傷で南岸に返せたかもしれなかったのに――。

 恭親王は唇を噛む。

 ボルゴールだけならば、なんとでも篭絡のしようがあった。
 だが、ボルゴールが恭親王に執着して、他の二人が触れることを許さないために、肅郡王と成郡王が生贄に差し出されてしまったのだ。
 二部族の族長たちがいつまで野営地にいるつもりか知らないが、あの調子で〈王気〉を吸い尽くされれば、デュクトやゾーイらに魔力を〈補給〉させても焼け石に水だろう。

(逃げ出さないように、脚の腱まで切るなんて……)

 恭親王ならば、そのくらいの傷なら、自己治癒で治せる。だが、魔力を吸われ尽くした成郡王ではどうにもならない。

 今ほど、自分以外癒せない、この無駄に強い魔力を忌々しいと思ったことはなかった。

 髪を掻き毟って泣き叫びたいのを懸命に堪えて座っていると、背後からゾーイが声をかけてきた。

「殿下……鷹が……先ほどから、腹が減ったらしくて……俺の手からでは餌を喰ってくれないのです」

 はっとして振り向いた。

「ああ……エールライヒ、ごめん。今すぐに……」

 人間たちは肉類など、虜囚となって以来ほぼ、口にしていないのだが、鷹を愛するベルンチャ族の者たちは海東青に、と狩猟で得た肉を差し入れてくれるので、エールライヒだけは、ふんだんに生肉をもらっていた。

 口笛を吹いてエールライヒを呼び寄せ、革袋から生肉を取り出し、手ずから与える。
 物言わぬ者たちの生きる姿を目の当たりにし、恭親王のざわついた心が鎮まり始める。

 恭親王は、大きく、息を吸った。

「ゾーイ、ゾラ」

 呼び出された二人が近くに寄る。恭親王が腕に止まる鷹を撫でながら、言った。

「奴等、いつかはベルンを渡って南岸を略奪するはずだ。僕たち皇子を手に入れたことで、計画が少し変更されたけれど、渡河しなければどうにもならないはず」
「そうですね。今でも、小規模に南から来る行商人を襲ったり、帝国の民が移住した村を襲ったりはしているようですが、いずれも大したものは持っていないでしょうからね」

 ゾーイも同意した。

「河が、凍るのはいつまでだ?」
「だいたい、三月の半ばくらいっすかね? 今年は凍るのは早かったっすけど、寒さの度合いはいつもとかわらねぇって、女どもも言ってましたからね」

 ゾラの情報源はたいてい女たちである。

「大軍が、凍った河を渡る、条件は何だろう?」
「奴等、大抵夜に渡河するらしいっす。昼間だと気温が上がって、時に氷が溶けることがあるっすから。大軍が、安全に渡るとなると、月の明るい夜っすかね」
 
 ゾラの得て来た情報に、恭親王は目を見開く。

「満月の前後と考えれば、チャンスはあと、三回ほどだね?」
「最大限ではそうっすけど、三月の満月はないんじゃないっすか? 南渡したはいいが、氷の状態が不安っすよ。帰ってこれなかったら、一大事っすからね」

 二人の会話を聞いていた、ゾーイが尋ねる。

「奴等の南渡に乗じて、砦に逃げるおつもりですか?」
「最初は、そのつもりだった」
「だった?」

 恭親王は冷たい美貌に、ぞっとするほどの美しい微笑を湛えていた。

「僕の身体を自由にするくらいなら、逃げるだけで許してやるつもりだったけど、今はもう無理だね。あの忌まわしい一族ごと、葬り去ってやらねば気が済まない。この大陸の歴史から、三族の名を消すことになるかもしれないが、僕はもう、迷うのをやめたよ。……野蛮人に情けをかけるのもね」
「殿下……?」

 恭親王は長い睫毛を半ば伏せるようにして、言った。
 
「おそらく、もうすぐこちらまで帝都からの使者がやってくるだろう。その使者が誰か……来るのが、トルフィンの父親あたりの文官であれば、ひとまず砦までの脱出で手を打つ。だが、お前たちの親父クラスの将軍だったら、一気に奴等を殲滅させてやるよ」

 ゾーイとゾラが、ぽかんと口を開けて恭親王を見た。

「この野営地には、兵士だけでなく、女も、子供、老人もいる。そういう者たちを巻き込むのは気の毒だと思っていたけれど、そんな甘い考えは棄てることにするよ。彼らは、僕たち誇り高き〈陽〉の龍種を辱め、あろうことか死に追い込み、その肉体まで損壊した。たとえベルンの北の出来事とはいえ、到底許すことはできない。――相応の報いを受けるべきだ」

 冷たく言い放った恭親王の黒曜石の瞳に、もう、迷いも、哀しみもなかった。




 ヨロ族とマンチュ族の族長たちに吸われた成郡王の〈王気〉は、デュクトの補給で辛うじて生命だけはとりとめたものの、回復には遠く及ばなかった。〈王気〉の視えるデュクトの言によれば、〈王気〉自体がほぼ、消えかけているという。
 
「ユエリン、僕はもう、無理だよ……身体も、動かないし……」
「だめだよ、諦めない。僕のプライドの問題だ。君だけは絶対に帝都に連れ帰る」

 結局、恭親王自身が成郡王に〈補給〉して、何とかうっすらと〈王気〉を保っている状態だ。

「ごめんね、ユエリン、こんなことさせて。兄となんて嫌だよね?」
「大丈夫だよ。ちょっと勝手が違うから、戸惑うけど。治療だと思えば、たいしたことはない。……それより、アイリンは嫌じゃないの?」
 
 身体を繋いだ状態で、成郡王が申し訳なさそうに言った。それに対する恭親王の言葉に、成郡王が薄く微笑んだ。

「僕は前から君のことが好きだから。……でも君は、本当に好きな子とは、できないんだよね?」

 そう、言われてしまうと、頷くしかなかった。恭親王は今も昔も、そして未来永劫、成郡王に対して恋情を抱くことはないであろうから。

「でも、ほんとうに嫌な相手ともできないから」
「……ボルゴールとはできるのに?」
「あの男は、僕のことが好きで好きで堪らないらしいんだよ。突っぱねたら可哀想だろ」

 本当はボルゴールと寝るのは吐き気を催すほど嫌だったが、成郡王が身体を壊してより後、彼ら十一人の生命は恭親王のボルゴールへの奉仕によって、かろうじて保証されているに過ぎない。それを成郡王にぶちまけることはできず、恭親王は適当にお茶を濁した。

 自身の魔力が枯渇しないように、少しずつ成郡王に魔力を〈補給〉して、ようやく成郡王が起き上がれるくらいになったころ。
 すでに彼らがベルンの北岸に囚われて一月以上経って、ようやく、帝都からの使者が凍った河を渡ってベルンチャ族の天幕に現れた。
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