【R18】渾沌の七竅

無憂

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四竅

39、夢のつづき

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 ゴルは打ち粉をして蕎麦粉の玉を乗せ、掌で丁寧に押し、均等な厚さになるよう、円形に延ばしていく。

『聖地から遠くなると、陰陽の理の調和が乱れ、そのあわいから魔物が発生するんだ。東の帝国は、皇帝の〈陽〉の力で魔物を抑え込んでいる。だが、〈陽〉が最も強いのは夏至の日で、その後はどんどん弱くなる。陰陽のちからが釣り合う秋分を過ぎると、〈陰〉の力が強くなって魔物の力が増す。……東の魔物は、〈陰〉の気を帯びているからな。だから、毎年秋になると、皇子を中心に聖騎士たちが辺境を回って、魔物が発生していないか確かめ、討伐するんだ』
『毎年?……大変だね?』
『ああ……特に北方と東方の辺境は聖地から遠いし、皇帝の〈陽〉の力も及ばない。食べ物も貧しいし、蕎麦くらいしか食うものがないんだ。わしは聖騎士でも下っ端だったからな。北の辺境に行ったときに、その地のものに蕎麦を出してもらって、美味くて感動してな。打ち方を習ったのだ』

 平らになったところで、ゴルは長い麺棒でさらに均等に延していく。
 
『……どうして、騎士をやめちゃったの?』
『仲間を、守れなかったのだ。……いい奴だったのに、魔物に喰われた』
『……魔物が、人を、食べるの?』
『そうだ。だが、バリバリと食べるわけじゃない。〈気〉を喰われ、生命の素が涸れて死に至るのだ』
『魔物は……どんな姿をしているの?』
 
 ゴル爺は鮮やかな手つきで麺棒を操り、蕎麦の生地はみるみる大きく、平らに延ばされていく。

『……元の姿は知らぬ。だが、人の姿を取っているのが最も危険だ。人のフリをして近づき、特に貴種の、魔力のある〈気〉を吸い取るのだ』
『魔力……』
『本当に好きなのは、龍種の〈王気〉らしいがな。とりわけ、陽の〈王気〉は好物らしい。我々が扈従していた皇子には、近づけないうちに討伐できたが、友人は助からなかった』
 
 丸くなった生地を麺棒に巻き付けて転がし、四角く形を整えていく。

『どうやって、魔物は討伐したの?』
『聖別された武器に、〈陽〉の力を込めるんだ。太陽の光にかざし、『聖典』の祈りを唱える。〈光よ、地に満ちよ。聖なる力よ、わが身に満ちよ〉。武器の力と一体になって、斬れば、斬れる』

 生地を折り畳み、細く一定の幅に切る。かつて騎士だっただけあり、ゴル爺の包丁さばきは鮮やかである。ゴル爺はシウリンに命じて大きな釜に湯を沸かさせる。ゴル爺がたっぷりのお湯で蕎麦をを茹でる間に、シウリンは薬味の葱を刻み、自然薯を掏り降ろす。空いた鍋に、さっきのウサギ肉の一部を入れて出汁を取り、大豆から作った醤油で味付けする。

 ぼってりとした陶器の椀に茹で上がった蕎麦を入れ、つゆをかける。すりおろした自然薯と、葱を散らせば、アツアツの汁蕎麦の出来上がりだ。白い湯気の向こうで、ゴル爺が得意げにシウリンを見ていた。

 木を削って作った不格好な箸を手に、蕎麦を食べようとしたところで、目が覚めた。
 上から、成郡王と肅郡王が覗き込んでいる。

「ユエリン、起きた? まだ熱があるんだ。もう少し寝ていた方がいいよ」

 成郡王が心配そうにシウリンの額に手を当てる。

(夢……昔……聖地に居た時の……最近、見なくなっていたのに……)

 ボルゴールに散々蹂躙され、身体の節々がまだ痛む。ひどい倦怠感と、頭痛がした。

(魔力が……足りない……?)

『人のフリをして近づき、特に貴種の、魔力のある〈気〉を吸い取るのだ』
『本当に好きなのは、龍種の〈王気〉らしいがな。とりわけ、陽の〈王気〉は好物らしい』

 ふいに、ボルゴールが入ってきたときの異様な不快感を思い出した。

(あれは……人では、ない……) 

『〈気〉を喰われ、生命の素が涸れて死に至るのだ』

 恭親王は気づいた。ボルゴールが皇子に執着した理由わけを。

「ユエリン、どうしたの?」

 水を持ってきた肅郡王が恭親王を気遣う。

「いや……大丈夫。ありがとう」

 成郡王に助け起こされ、陶器の湯呑に入った水を受け取る。ごくごくと喉を鳴らして飲み干し、決意を新たにする。

 なんとか、この二人だけでも、逃がさなければ――。
 足りない魔力を循環させれば、頭痛は緩和された。魔力は、一晩眠ればある程度は戻るだろう。ただでさえ、普段は魔力過多気味なのだ。多少吸われたくらいでは、何ともない。
 だが、成郡王と肅郡王は……。
 一夜でこれだけ吸われるのだ。特に魔力の少ない肅郡王ならば、ひとたまりもないかもしれない。

 ぶるり、と身体が震える。
 ボルゴールが魔物だという、証拠がない。彼自身にも確信があるわけじゃない。だが、もし彼の予想が当たっていたら……。それを誰かに伝えるべきか。どう伝えるのか。

(抱かれた時の感覚がデュクトと違うとか、そんなんじゃあ通じないよね……)
 
 逆にデュクトあたりにこんなことを口走ったら、その瞬間に押し倒される未来が見える。
 ではゾーイか、ゲルか……。恭親王は眉間に皺を寄せて考えに沈む。そんな様子を見た成郡王が、心配そうに覗き込んできた。

「大丈夫? ユエリン」
「あっ? ああ。……大丈夫だよ。でも、怠いから、もう少し寝る」
「うん。そうしな。僕たちも側に付いているから」

 成郡王がそう言って、寝転んだ恭親王に毛布をかけ、耳元に口を寄せて言った。

「ごめん、ユエリン。一人だけ、辛い思いをさせて……」
 
 頬に、冷たい滴が落ちた。驚いて見上げると成郡王の両目は涙でいっぱいだった。
 
「アイリン。泣かないで。大丈夫だから……僕は、慣れているからね」

 そう言って薄く微笑むと、成郡王が首を振った。

「ユエリン、君は、僕たちがどんな辛い思いをしているか、気づいてない。大切なものを踏みにじられるのは、とても辛いことなんだよ?」

 その言葉に、恭親王はさらに微笑む。

「わかってる。僕が一番、我儘だってことが。僕は、君たちと部下たちを守りたい。彼らを、踏みにじらせたりはしない……。絶対に」
 
 少し離れていた肅郡王も近くにやっていきて、言った。

「僕も、ここにいていい?」
「もちろんだよ」
「手を繋いで?」

 恭親王を挟むように、二人の皇子は並んで横になり、手を繋いで目を閉じる。
 左右の二人の静かな寝息を聞きながら、恭親王はこれからどうすべきか、せめて二人の皇子だけでも脱出させられないか、考えを巡らせていた。
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