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四竅
27、決闘
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翌朝、傅役と侍従の詰所になっている居間で書き物をしていたデュクトの前に、大きな影が立ち塞がった。
見上げるとゾーイが憮然とした面持ちで立っている。すでに怒りがその精悍な眉から立ち上り、ただならぬ気配だ。
「傅役殿。練兵場にて手合わせ願いたい」
「ゾーイ殿。今朝、殿下はお体の具合がよくないので、朝練にはお出ましにならない。だから俺も……」
「いや、是が非にも手合わせ願いたい」
何かを察したのか、デュクトは筆を擱いて、立ち上がる。
連れ立って練兵場に行くと、すでに兵士たちの朝練は始まっている。練習用の剣を手にした廉郡王が、ゾーイとデュクトに気づき、声をかけてきた。
「ユエリンの具合はどうだ?」
「はい。今朝は大事をとってお休みいただくことにしました」
デュクトが答えるのを無視して、ゾーイはずかずかと練兵場の空いた広間に歩いていく。
「傅役殿。いざ」
「ゾーイ殿、待たれよ」
デュクトが刃を潰した練習用の剣を取ろうとすると、ゾーイの大声が響く。
「いや、真剣にて手合わせ願いたい」
これには傍の廉郡王やゲルフィンが驚く。
しばらく逡巡していたデュクトは、諦めたように自分の剣を佩いたまま、ゾーイに相対する。
「待てよ、ゾーイ。真剣で立ち会いとは、穏やかじゃねぇな。何があった。私闘は禁止だぞ」
廉郡王が声をかけるのに、ゾーイは冷たく言い放った。
「殿下と言えども、口出しはご無用に願います」
廉郡王が絶句するのに、ゾーイは自分の剣を抜き放った。デュクトもそれに倣う。
周囲にはいつの間にか野次馬が集まり、人垣ができていた。
ゾーイが怒りのオーラを放ちながら、地を蹴ってデュクトに打ちかかる。デュクトはその強烈な一撃を剣で受け流し、後ろに飛びすさって避ける。剣を返して再び襲ってきた剛剣を凌ぎ、くるりと向きを変えて次の一撃を払う。カンカンと剣を打ち合う音と、ヒュンヒュンと剣が風を切る音が響く。
廉郡王以下、皆なその鬼気迫る闘いを、ただ固唾を呑んで見守っていた。
ゾーイはさながら怒れる鬼神であった。切り裂くように襲ってくる長大な剣を、デュクトはひらりと躱し、隙を見て喉元に切り込む。ガキーンっと剣のぶつかる音が響くが、デュクトは大剣に決定的な仕事をさせず、うまく切り躱してしまう。
廉郡王は正直驚いていた。ゾーイの剛剣は自身も稽古をつけてもらい、知っていた。が、本気で打ち合った時の強さには驚愕だった。そしてさらに、それと互角に戦うデュクトの技量にも舌を巻く。デュクトはこれまで、練兵場に顔を見せても自ら剣を振るうことはなく、ただ恭親王とゾーイの稽古を見守るだけだったが、これほどの技量を隠していたとは。むしろ技量だけならな、デュクトの方が上かもしれないと思わせた。
ゾーイの剛剣が、デュクトの足元を薙ぎ払う。デュクトはそれを飛んで躱し、一瞬崩れたフリをしてゾーイの切り込むのを誘い、さっと下から撫で上げるようにその剣を払う。だがゾーイもただ誘いにのるようなことはなく、払われた剣を信じられない速さで回転してもう一度上から袈裟懸けに振り下ろす。デュクトはその動きを読んでいたかのように、身体を斜めにするだけで易々と避け、そのまま身体を振り回す力を利用して、ゾーイの手首を正確に狙ってきた。
ゾーイの大剣と真正面から打ち合えば、デュクトの中ぶりの剣は分が悪いのを、敢えて受流すだけに留めて変幻自在に翻弄する。周囲はただ、息を飲んで行方を見守っていた。
ただこの勝負、技量が互角ながら体格と気迫に勝るゾーイがデュクトを追い詰めつつあった。剣を払う拍子にデュクトがやや体勢を崩し脚がよろめかせると、その隙を逃さずゾーイの剣が迫り、何とか防ごうとするデュクトの剣を弾き飛ばした。
勝負あった!
誰もがそこでゾーイは剣を引くと思った。
ところが、だがゾーイはなおも丸腰になったデュクトに剣を振り下ろし、デュクトは地を転がってそれを避ける。さっきまでデュクトがいた地面に突き刺さった剣をすぐさま持ち上げ、ゾーイななおもデュクトの頭上に剣を振り上げる。ガシっ、ガシっと数度剣が地面を斬り、デュクトが逃げる。
(本気で殺すつもりか?!)
そう気づいた廉郡王が止めようと声を上げようとしたその時、背後から鋭い、しかし威厳のある少年の声が響いた。
「それまでだっ!!」
野次馬の人垣を割って現れたのは、争う二人の主人である白皙の美少年だ。
寝台から飛び起きて来たのか、白い麻のシャツに黒い脚衣、そして素足に下駄ばきという室内着の姿だったが、すらりと伸びた肢体にその衣服がむしろ清々しい印象すら与える。
「これは何としたことか?」
後ろには相当走ったのか、顔を上気させた侍従のトルフィンが控えている。彼が知らせにいったのだろう。
ゾーイは剣を納め、片膝をついて主への礼を取り、デュクトもそれに倣う。
「騒ぎの調本人は、お前か、ゾーイ?」
静かな、しかし凛とした声で少年が尋ねるのに、ゾーイは膝をついたまま、答える。
「は」
「理由もなく、我が傅役を害することは叶わぬ。弁明を聞こう」
「は」
しかし、ゾーイはそれ以上一言も発しない。
「ゾーイ。……ここでは話せぬなら、僕の部屋で聞こう。……他の者は鍛錬を続けよ。邪魔をして悪かった」
それだけ言って、恭親王は踵を返した。追いついてきた副傅役のゲルが、その肩に青い上着を着せかけると、恭親王はそれを肩に羽織ったまま、振り返りもせずに歩み去る。その後を、のろのろと立ち上がったゾーイが続く。まだ膝をついているデュクトの傍らを通りすぎると、立ち止まって振り返り、鋭い眼光で睨みつけて、言った。
「……話がある。夜に俺の部屋に来い」
恭親王の後を追って歩いて行くゾーイの後ろ姿を、デュクトは片膝ついたまま身動きもせずに見送った。
見上げるとゾーイが憮然とした面持ちで立っている。すでに怒りがその精悍な眉から立ち上り、ただならぬ気配だ。
「傅役殿。練兵場にて手合わせ願いたい」
「ゾーイ殿。今朝、殿下はお体の具合がよくないので、朝練にはお出ましにならない。だから俺も……」
「いや、是が非にも手合わせ願いたい」
何かを察したのか、デュクトは筆を擱いて、立ち上がる。
連れ立って練兵場に行くと、すでに兵士たちの朝練は始まっている。練習用の剣を手にした廉郡王が、ゾーイとデュクトに気づき、声をかけてきた。
「ユエリンの具合はどうだ?」
「はい。今朝は大事をとってお休みいただくことにしました」
デュクトが答えるのを無視して、ゾーイはずかずかと練兵場の空いた広間に歩いていく。
「傅役殿。いざ」
「ゾーイ殿、待たれよ」
デュクトが刃を潰した練習用の剣を取ろうとすると、ゾーイの大声が響く。
「いや、真剣にて手合わせ願いたい」
これには傍の廉郡王やゲルフィンが驚く。
しばらく逡巡していたデュクトは、諦めたように自分の剣を佩いたまま、ゾーイに相対する。
「待てよ、ゾーイ。真剣で立ち会いとは、穏やかじゃねぇな。何があった。私闘は禁止だぞ」
廉郡王が声をかけるのに、ゾーイは冷たく言い放った。
「殿下と言えども、口出しはご無用に願います」
廉郡王が絶句するのに、ゾーイは自分の剣を抜き放った。デュクトもそれに倣う。
周囲にはいつの間にか野次馬が集まり、人垣ができていた。
ゾーイが怒りのオーラを放ちながら、地を蹴ってデュクトに打ちかかる。デュクトはその強烈な一撃を剣で受け流し、後ろに飛びすさって避ける。剣を返して再び襲ってきた剛剣を凌ぎ、くるりと向きを変えて次の一撃を払う。カンカンと剣を打ち合う音と、ヒュンヒュンと剣が風を切る音が響く。
廉郡王以下、皆なその鬼気迫る闘いを、ただ固唾を呑んで見守っていた。
ゾーイはさながら怒れる鬼神であった。切り裂くように襲ってくる長大な剣を、デュクトはひらりと躱し、隙を見て喉元に切り込む。ガキーンっと剣のぶつかる音が響くが、デュクトは大剣に決定的な仕事をさせず、うまく切り躱してしまう。
廉郡王は正直驚いていた。ゾーイの剛剣は自身も稽古をつけてもらい、知っていた。が、本気で打ち合った時の強さには驚愕だった。そしてさらに、それと互角に戦うデュクトの技量にも舌を巻く。デュクトはこれまで、練兵場に顔を見せても自ら剣を振るうことはなく、ただ恭親王とゾーイの稽古を見守るだけだったが、これほどの技量を隠していたとは。むしろ技量だけならな、デュクトの方が上かもしれないと思わせた。
ゾーイの剛剣が、デュクトの足元を薙ぎ払う。デュクトはそれを飛んで躱し、一瞬崩れたフリをしてゾーイの切り込むのを誘い、さっと下から撫で上げるようにその剣を払う。だがゾーイもただ誘いにのるようなことはなく、払われた剣を信じられない速さで回転してもう一度上から袈裟懸けに振り下ろす。デュクトはその動きを読んでいたかのように、身体を斜めにするだけで易々と避け、そのまま身体を振り回す力を利用して、ゾーイの手首を正確に狙ってきた。
ゾーイの大剣と真正面から打ち合えば、デュクトの中ぶりの剣は分が悪いのを、敢えて受流すだけに留めて変幻自在に翻弄する。周囲はただ、息を飲んで行方を見守っていた。
ただこの勝負、技量が互角ながら体格と気迫に勝るゾーイがデュクトを追い詰めつつあった。剣を払う拍子にデュクトがやや体勢を崩し脚がよろめかせると、その隙を逃さずゾーイの剣が迫り、何とか防ごうとするデュクトの剣を弾き飛ばした。
勝負あった!
誰もがそこでゾーイは剣を引くと思った。
ところが、だがゾーイはなおも丸腰になったデュクトに剣を振り下ろし、デュクトは地を転がってそれを避ける。さっきまでデュクトがいた地面に突き刺さった剣をすぐさま持ち上げ、ゾーイななおもデュクトの頭上に剣を振り上げる。ガシっ、ガシっと数度剣が地面を斬り、デュクトが逃げる。
(本気で殺すつもりか?!)
そう気づいた廉郡王が止めようと声を上げようとしたその時、背後から鋭い、しかし威厳のある少年の声が響いた。
「それまでだっ!!」
野次馬の人垣を割って現れたのは、争う二人の主人である白皙の美少年だ。
寝台から飛び起きて来たのか、白い麻のシャツに黒い脚衣、そして素足に下駄ばきという室内着の姿だったが、すらりと伸びた肢体にその衣服がむしろ清々しい印象すら与える。
「これは何としたことか?」
後ろには相当走ったのか、顔を上気させた侍従のトルフィンが控えている。彼が知らせにいったのだろう。
ゾーイは剣を納め、片膝をついて主への礼を取り、デュクトもそれに倣う。
「騒ぎの調本人は、お前か、ゾーイ?」
静かな、しかし凛とした声で少年が尋ねるのに、ゾーイは膝をついたまま、答える。
「は」
「理由もなく、我が傅役を害することは叶わぬ。弁明を聞こう」
「は」
しかし、ゾーイはそれ以上一言も発しない。
「ゾーイ。……ここでは話せぬなら、僕の部屋で聞こう。……他の者は鍛錬を続けよ。邪魔をして悪かった」
それだけ言って、恭親王は踵を返した。追いついてきた副傅役のゲルが、その肩に青い上着を着せかけると、恭親王はそれを肩に羽織ったまま、振り返りもせずに歩み去る。その後を、のろのろと立ち上がったゾーイが続く。まだ膝をついているデュクトの傍らを通りすぎると、立ち止まって振り返り、鋭い眼光で睨みつけて、言った。
「……話がある。夜に俺の部屋に来い」
恭親王の後を追って歩いて行くゾーイの後ろ姿を、デュクトは片膝ついたまま身動きもせずに見送った。
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