【R18】渾沌の七竅

無憂

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四竅

17、北辺の暮らし

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 北方騎士団での日々は、鍛錬と視察の毎日だ。
 砦での訓練を終えると、毎日のように帝都から率いた貴種の精鋭とともに砦周辺を見回った。砦は、帝国の北の境界を為している大河ベルンの畔にある。ベルンの対岸は、荒地と、森林が広がる寒々しい土地。一部、帝国出身の農耕民が食い詰めて河を渡り、細々と畑を耕したり家畜を飼ったりして、集落を営んでいるという。さらにその北方には、陰陽を奉じない異民族の土地が広がる。

 陰陽の調和は、聖地の霊山プルミンテルンを頂点とする。そこから離れれば、離れるほど、乱れる。調和の乱れた歪みからは、魔物が発生するとされる。

 魔物には、普通の武器が効かない。聖別され、魔力を込められた武器が必要で、その力を引き出せるのは、龍種か貴種の血を引く聖騎士だけだ。故に、帝国では貴種の血筋を守るため、貴賤結婚は厳しく禁じられるのだ。

 魔物の発生は、多くは大河ベルンの対岸だが、時に、帝国の領内でも見られる。あるいは、対岸で発生した魔物が、渡河して領内を襲うこともあり得る。秋になり陽の〈気〉が弱まるこの時期は、魔物が最も発生しやすい。周辺の村や森の中を巡り、魔物の発生の形跡がないか確かめる。村人から情報を集め、不審なことがないか、注意深く観察する。

 デュクトやゲル、またゼクトらの皇子の傅役たちは、皇子が幼い時期は別の年嵩の皇子の巡検に参加し、そういった魔物の徴候を集める研鑽を積むのである。また、騎士団の精鋭たちは毎年のように巡検に参加する。とくに、若い皇子の巡検には、ベテランの聖騎士が同行し、皇子自身や若い傅役たちにその培ったノウハウを伝えていくのである。こうして、二千年間、巡検は続けられ、帝国を、民を、魔物から守ってきたのである。帝国が厳しい身分差別を敷き、貴種に圧倒的な特権を付与していながら、民がその政を受け入れているのは、毎年辺境を巡る皇子と貴種による聖騎士たち以外には、魔物から民を守ることはできないと、知っているからである。

「今のところ、ベルンの南岸で魔物が発生している徴候は報告されてはいません」

 団長を交えた巡検の報告会で、デュクトが報告した。

「ただ――少し気になる情報があります」
「気になる情報、とは?」

 団長のパーヴェルがデュクトに尋ねる。デュクトがゲルに目をやると、ゲルが立ち上がる。

「ベルンの北岸と交易している漁民が、どうやら、異民族の方に動きがあったと言うのです。……北方の異民族の、首領が変わったのではないかと」

 ベルン北岸の異民族は、水を恐れる。故に、彼らが自ら船を操って南に渡ってくることはない。ベルンを挟んだ水上交易は、もっぱら帝国の漁民や、行商人によって行われている。彼らが南に渡ってくるのは、ベルンが完全に凍った、厳冬期のみである。

「北方の異民族は、魔物を崇める異教を崇拝しています。その彼らが、儀式に必要な子牛を何頭も、南岸の農家から購入したと。それが、例年はせいぜい二頭なのですが、今年はすでに八頭も買っています。よほど、大がかりな祭祀をしているのではないかと」

 団長のパーヴェルと、副団長のオロゴンが思わず眉根を寄せた。

「儀式と、魔物に関係があるのか?」
「彼らは、魔物が現れると自分らの力が強まるとして、何度も魔物を招来する儀式を行う習慣があるのです。まだ、南岸には渡ってきてはいませんが、北岸で魔物が発生し、すでに異民族と接触している可能性があります」

 パーヴェルが腕を組む。

「ふむ……。だが、北岸に人をやって調べるのも困難だな」
「はい。北岸を行き来する行商人には、情報の提供を呼び掛けてはいますが……」
「わかった。今後とも、注視していこう」

 黙って話を聞いていた、恭親王がデュクトに尋ねる。

「ねえ。南岸で魔物が出た場合は狩るとして……北岸で出た魔物はどうするの? 北側にも、帝国の民は住んでいるのでしょう?」
「始祖龍皇帝陛下が定めた帝国の境域は大河ベルン以南となっています。北岸は異教の地。そこに干渉することは許されません。北岸で魔物が何をしようが、我々は関知いたしません。我々陰陽を奉ずる民にとっては魔物ですが、異教徒にとっては神なのです。境域に侵入した異教徒を討伐することは可能ですが、我々が境域を越え、異教徒の地に乗り込んで彼らの神を討伐することは許されません。……ですが、往々にして、魔物はベルンを渡りたがります。そうなった場合、辺境騎士団と協力して、できる限り討伐することになります」

 ベルンの北岸は化外の地。そこはもはや、陰陽の力のおよぶ世界ではないのだ。



 北方辺境の、とくにベルン河畔の暮らしは貧しい。
 痩せた土地。厳しい気候。異民族の脅威。
 そんなものと戦いながらも、人は生きる。貧しい土地を耕し、寒さに耐えて春を待つ。

 そんな人々の暮らしを間近に見ながら、皇子たちは毎日、辺境の村々を回るのだ。

 ある時は、途中の村で長雨に振り込められた。
 折あしく、風邪気味だった成郡王の熱が上がり、豪雨の中を移動することができなくなる。貧しい農家がぽつり、ぽつりとあるだけの小さな集落に辿りつき、とにかく成郡王を休ませてもらう。

 デュクトやゾーイが交渉し、食べ物を出してもらおうとするが、貧しすぎてロクな備蓄がない。出て来たものは、この辺りの痩せた土地で栽培される蕎麦だった。

 蕎麦粉を練って長い麺にしたものに、川魚で出汁を取り、醤油で味付けした汁、自然薯をすりおろしたもの、葱が添えてあるだけの食事に、皇子らも侍従たちも絶句する。救荒作物である蕎麦は、帝都では貧乏人の食物であり、貴族の食卓にはまず、登らないからだ。

 だが一人、恭親王だけは目を輝かせた。

 かつて、シウリンとして聖地の太陽宮で見習い僧侶をしていた時、彼の最大の好物は蕎麦であった。聖地でも北部に属する太陽宮の境域は、土地も痩せていて蕎麦くらいしか取れない場所もある。粒のまま粥にすることもあるが、粉にして小麦粉と混ぜて麺にするのが一般的だ。

 後宮に入って以来、絶対に出てきたことのなかった蕎麦。
 もう二度と、口にできないかと思っていた蕎麦を見て、恭親王は夢中で啜っていた。
 聖地で食べたものは、川魚ではなく、山鳥やウサギ肉の切れ端などで出汁を取っていたが、これも美味い。食べ付けぬ蕎麦に戸惑う部下たちを尻目に、一人感動のままに完食するのであった。

「美味かった。帝都に帰っても、また食べたい」
「えええええっ?」

 トルフィンが思わず驚愕の声をあげる。

「美味しいよね?」
「……空腹は最高の調味料ですが……」

 トルフィンが言い淀む。

「俺も無理。汁麺一杯だけとか、食った気がしねぇ」
 
 廉郡王もどんぶりを卓上に置く。だいたい、ゾーイ、ゾラといった武官や、トルフィンのような食べ盛りには不満であった。単純に、量が物足りないのだ。一方、ジーノやゲルといった向きには、

「これはこれで風情がありますし、荒地でも育つ有り難い作物です」

とそれなりに好評であった。

「後宮の厨師に頼めば、作ってもらえるかなぁ?」
「後宮で蕎麦が供されることなど、まずありえませんよ」

 デュクトが冷たく首を振る。

「そうなんだ……」

 露骨にがっかりする恭親王であった。
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