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四竅
16、悪食皇子
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だが廉郡王にとっての最大の難関は、食事だった。
朝練後に出る朝飯は、野外で食べる。焚火の側に座る廉郡王は、固い干し肉、固焼きパンもしくは冷えて固まった揚げパン、そして野菜くずの浮いたスープ(という名のほとんど塩水)の椀を手渡され、しばし沈黙した。こわごわ口に運んだ干し肉の硬さと言ったら、廉郡王の感覚ではもはや食い物とは言えないレベル、なめし革かと思ったほどだ。カルチャーショックさえ感じながら干し肉と格闘する廉郡王に、恭親王が言った。
「この干し肉はスープに入れておいて、最後に食べるんだよ。そうすると、少しは味も出るし、柔らかくなるからね」
「よく知っているな」
憮然とした廉郡王の問いに、恭親王は横に座る剛力を目で示して、言った。
「彼が教えてくれたんだ。パンも堅いから、スープに浸して食べる」
横では巨大な図体を所在なさげに折り曲げた剛力が、子犬のような目で恭親王を見ている。一部の兵士より、恭親王に盲目的な信奉を捧げられている。
「最初から干し肉を入れて煮ておけば柔らかくなるし、もっと味も出るじゃないか」
廉郡王の文句に、恭親王も頷く。
「僕もそう思うんだけど、彼に言わせれば、それだと不公平が出るそうだ。椀によって、肉が多かったり少なかったり、ひどい場合は肉無しだったりするだろう。だから、干し肉は別に配るんだってさ」
なるほど、と一人ごちて、スープに浸した固焼きパンを食べていると、食事を済ませた剛力が立ち上がって薪を割り始めた。
「彼らの班は今日、薪割り当番なんだって。明日の風呂焚きと焚火用の薪を交代で割るんだ」
見ると他にも固まって数人が薪割りをしている。
「結構たいへんそうな仕事だな」
廉郡王の感想に、恭親王が笑う。
「僕も手伝おうとしたのだけど、デュクトにカンカンになって止められた」
「あったりまえだろう」
廉郡王はデュクトを目で捜す。この生真面目な傅役は、あくまで干し肉をスープに入れるのを拒否し、意地になって咀嚼している。
「薪割りって、力もだけどコツがいるんじゃないか? 慣れない俺たちが手を出しても邪魔になるだけだ」
「うーん。鍛錬にもなりそうなんだけどな」
残念そうに恭親王が言ったとき。さっきの剛力が割った薪を抱えてやってきた。
「殿下、前に言ってらした、カミキリムシの幼虫でがす」
恭親王がそちらを向くと、割れた木の内部に、数匹の白い芋虫が蠢いている。
「本当だ! ありがとう!」
恭親王が嬉しそうに剛力に礼を言い、トルフィンに命じて細くとがった枝を数本集めさせる。蠢く白い芋虫に、トルフィンはすでに眉を顰めている。
どうするつもりかと、廉郡王が注視していると、恭親王は集めた小枝に白い芋虫を突き刺し、焚火であぶり始めた。いい具合に色づくと、そのあぶった虫を小枝ごと、にっこり笑って侍従のトルフィンに差し出した。
「食べる?」
瞬間、侍従たちの時が止まった。
白い芋虫を枝に突き刺し、無邪気に微笑みかける美貌の皇子に、都会育ちの侍従たちは頭が真っ白になる。虫を差し出されたトルフィンだけでなく、焚火を囲んでいた傅役も侍従も凍り付いたように動かない。普段は何事にも動じない、トルフィンの従兄ゲルフィンが真っ青になっていた。
「遠慮しなくてもいいのに。この木に数匹いるから。じゃあ、僕食べちゃうね?」
と言って、極上の美麗な笑顔でぱくりと虫を食べてしまった。トルフィンは「ひいっ」と声にならない悲鳴をあげ、気を失いそうになっている。
驚愕する周囲を尻目に、恭親王は如何にも楽し気に二匹目を枝に突き刺し、焚火であぶり少し色づいたところでまた食べる。
「もしかして……みんな、カミキリムシの幼虫食べたことないの?」
恭親王が、平然と三匹目を焚火であぶりながら尋ねる。
「あるわけねーだろっ!」
焚火を囲む廉郡王が突っ込んだ時。
剛力の横で薪割りをしていた兵士が、割った薪を持ってきた。
「こっちにも、カミキリムシの幼虫がおりやした」
「本当だ!ありがとう!……ほら、トルフィンも遠慮しないで、せっかくだから」
(追加キターー!!)
侍従たちが声にならない悲鳴をあげる。
三匹目のカミキリムシを差し出されたトルフィンはもはや涙目だ。横に座る美丈夫のゾーイが引きつった笑顔で代わりに枝ごと受け取り、勇気を振り絞って口に入れる。
「……甘い……」
予想外の美味に、ゾーイが茫然とするのを見て、恭親王が秀麗な顔に微笑みを湛えていう。
「薪割りしてカミキリムシを見つけたときは幸運なんだ。これは虫の中で一番美味いよ」
楽しそうに四匹目をあぶりながら話す恭親王に、廉郡王は大混乱に陥っていた。
(つーか、どこで食ったんだよ。ていうか、虫の中で、ってなんだそら。他の虫も食ったことあるのかよ。そもそも皇子が何で薪割りなんぞしているんだよ)
その悪態が聞こえたのだろうか。恭親王の黒い瞳がじっと廉郡王を見つめると、綺麗に焼き色のついた芋虫を差し出してきた。美しい顔に貼りつくいつもなら見惚れる微笑が、今日ばかりは凶悪に見えた。
「グインも食べる?」
「当たり前だ!」
なぜか心とは反対の言葉が口から出てしまい、廉郡王はこわごわ虫を口の中に放り込んだ。口の中でとろりと融ける虫は、微かに甘かった。
「甘いでがしょ、これは俺っちらの餓鬼んころの、一番のおやつだったな」
剛力が薪割りでかいた汗を拭いながら廉郡王に笑う。
「都の皇子サマたちには滅多に食べらんねぇ、珍味さぁ!」
廉郡王は白い芋虫を嬉しそうに焼く恭親王を、珍しいものを見る気で眺める。
廉郡王は、訳が分からなかった。いつも一緒に過ごしてきた恭親王が、全くの別人に見えた。
『その、ユエリンは本物か――?』
ふいに、いつかの父親の言葉が甦る。
どうして――?
廉郡王の知る限り、恭親王は帝都から、後宮から出たことはないのだ。
廉郡王は、信じられない仮説を吹き飛ばすように、頭を振った。
朝練後に出る朝飯は、野外で食べる。焚火の側に座る廉郡王は、固い干し肉、固焼きパンもしくは冷えて固まった揚げパン、そして野菜くずの浮いたスープ(という名のほとんど塩水)の椀を手渡され、しばし沈黙した。こわごわ口に運んだ干し肉の硬さと言ったら、廉郡王の感覚ではもはや食い物とは言えないレベル、なめし革かと思ったほどだ。カルチャーショックさえ感じながら干し肉と格闘する廉郡王に、恭親王が言った。
「この干し肉はスープに入れておいて、最後に食べるんだよ。そうすると、少しは味も出るし、柔らかくなるからね」
「よく知っているな」
憮然とした廉郡王の問いに、恭親王は横に座る剛力を目で示して、言った。
「彼が教えてくれたんだ。パンも堅いから、スープに浸して食べる」
横では巨大な図体を所在なさげに折り曲げた剛力が、子犬のような目で恭親王を見ている。一部の兵士より、恭親王に盲目的な信奉を捧げられている。
「最初から干し肉を入れて煮ておけば柔らかくなるし、もっと味も出るじゃないか」
廉郡王の文句に、恭親王も頷く。
「僕もそう思うんだけど、彼に言わせれば、それだと不公平が出るそうだ。椀によって、肉が多かったり少なかったり、ひどい場合は肉無しだったりするだろう。だから、干し肉は別に配るんだってさ」
なるほど、と一人ごちて、スープに浸した固焼きパンを食べていると、食事を済ませた剛力が立ち上がって薪を割り始めた。
「彼らの班は今日、薪割り当番なんだって。明日の風呂焚きと焚火用の薪を交代で割るんだ」
見ると他にも固まって数人が薪割りをしている。
「結構たいへんそうな仕事だな」
廉郡王の感想に、恭親王が笑う。
「僕も手伝おうとしたのだけど、デュクトにカンカンになって止められた」
「あったりまえだろう」
廉郡王はデュクトを目で捜す。この生真面目な傅役は、あくまで干し肉をスープに入れるのを拒否し、意地になって咀嚼している。
「薪割りって、力もだけどコツがいるんじゃないか? 慣れない俺たちが手を出しても邪魔になるだけだ」
「うーん。鍛錬にもなりそうなんだけどな」
残念そうに恭親王が言ったとき。さっきの剛力が割った薪を抱えてやってきた。
「殿下、前に言ってらした、カミキリムシの幼虫でがす」
恭親王がそちらを向くと、割れた木の内部に、数匹の白い芋虫が蠢いている。
「本当だ! ありがとう!」
恭親王が嬉しそうに剛力に礼を言い、トルフィンに命じて細くとがった枝を数本集めさせる。蠢く白い芋虫に、トルフィンはすでに眉を顰めている。
どうするつもりかと、廉郡王が注視していると、恭親王は集めた小枝に白い芋虫を突き刺し、焚火であぶり始めた。いい具合に色づくと、そのあぶった虫を小枝ごと、にっこり笑って侍従のトルフィンに差し出した。
「食べる?」
瞬間、侍従たちの時が止まった。
白い芋虫を枝に突き刺し、無邪気に微笑みかける美貌の皇子に、都会育ちの侍従たちは頭が真っ白になる。虫を差し出されたトルフィンだけでなく、焚火を囲んでいた傅役も侍従も凍り付いたように動かない。普段は何事にも動じない、トルフィンの従兄ゲルフィンが真っ青になっていた。
「遠慮しなくてもいいのに。この木に数匹いるから。じゃあ、僕食べちゃうね?」
と言って、極上の美麗な笑顔でぱくりと虫を食べてしまった。トルフィンは「ひいっ」と声にならない悲鳴をあげ、気を失いそうになっている。
驚愕する周囲を尻目に、恭親王は如何にも楽し気に二匹目を枝に突き刺し、焚火であぶり少し色づいたところでまた食べる。
「もしかして……みんな、カミキリムシの幼虫食べたことないの?」
恭親王が、平然と三匹目を焚火であぶりながら尋ねる。
「あるわけねーだろっ!」
焚火を囲む廉郡王が突っ込んだ時。
剛力の横で薪割りをしていた兵士が、割った薪を持ってきた。
「こっちにも、カミキリムシの幼虫がおりやした」
「本当だ!ありがとう!……ほら、トルフィンも遠慮しないで、せっかくだから」
(追加キターー!!)
侍従たちが声にならない悲鳴をあげる。
三匹目のカミキリムシを差し出されたトルフィンはもはや涙目だ。横に座る美丈夫のゾーイが引きつった笑顔で代わりに枝ごと受け取り、勇気を振り絞って口に入れる。
「……甘い……」
予想外の美味に、ゾーイが茫然とするのを見て、恭親王が秀麗な顔に微笑みを湛えていう。
「薪割りしてカミキリムシを見つけたときは幸運なんだ。これは虫の中で一番美味いよ」
楽しそうに四匹目をあぶりながら話す恭親王に、廉郡王は大混乱に陥っていた。
(つーか、どこで食ったんだよ。ていうか、虫の中で、ってなんだそら。他の虫も食ったことあるのかよ。そもそも皇子が何で薪割りなんぞしているんだよ)
その悪態が聞こえたのだろうか。恭親王の黒い瞳がじっと廉郡王を見つめると、綺麗に焼き色のついた芋虫を差し出してきた。美しい顔に貼りつくいつもなら見惚れる微笑が、今日ばかりは凶悪に見えた。
「グインも食べる?」
「当たり前だ!」
なぜか心とは反対の言葉が口から出てしまい、廉郡王はこわごわ虫を口の中に放り込んだ。口の中でとろりと融ける虫は、微かに甘かった。
「甘いでがしょ、これは俺っちらの餓鬼んころの、一番のおやつだったな」
剛力が薪割りでかいた汗を拭いながら廉郡王に笑う。
「都の皇子サマたちには滅多に食べらんねぇ、珍味さぁ!」
廉郡王は白い芋虫を嬉しそうに焼く恭親王を、珍しいものを見る気で眺める。
廉郡王は、訳が分からなかった。いつも一緒に過ごしてきた恭親王が、全くの別人に見えた。
『その、ユエリンは本物か――?』
ふいに、いつかの父親の言葉が甦る。
どうして――?
廉郡王の知る限り、恭親王は帝都から、後宮から出たことはないのだ。
廉郡王は、信じられない仮説を吹き飛ばすように、頭を振った。
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