【R18】渾沌の七竅

無憂

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四竅

9、天幕の中で

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槐花エンジュ! お前はまた……!」
 
 順親王が大股で歩みよりながら、真っ直ぐ槐花を睨みつけている。背が高く、貴族的ではあるが平凡な容姿、立居振舞に傲慢さが滲みでていた。恭親王は何となく、本物のユエリン皇子もこんな風だったのだろう、と思う。駆け寄ってくる順親王の横柄な雰囲気と、槐花の明らかに怯えた様子に、恭親王は不穏なものを感じて身構えた。

 順親王はつかつかと槐花の横にくると、立ち上がって頭を下げている槐花の、二の腕に手を伸ばしてぐいっと乱暴に掴んで引き寄せる。槐花は堪えきれずに順親王の方に倒れ込むのを、順親王が両方の二の腕を掴んでゆさゆさと揺さぶる。

「何をしているこんなところで! 男に囲まれて! 男どもに媚びを売るのが上手いという、石竹セキチクの言葉は本当だな!」
「おやめください、殿下」

 すっとデュクトが槐花を庇うように立ち、ゾーイも威圧するように立ち上がる。デュクトもゾーイと並べば小さいというだけで、単体で見れば十分鍛え上げた偉丈夫の部類に入る。ゾーイの背後で警戒しているゾラの瞳にも危険な輝きが宿っており、見てくれの美しさに騙されがちだが、実は戦闘力の高い恭親王の配下が、一気に緊張感を上げて順親王に立ち塞がった。

「何だ……貴様ら」

 順親王が自分の前に立つ男たちに内心怯みながら言うと、順親王の背後にいた配下の者がいきり立った。

「控えよ! 順親王殿下と知っての振る舞いか!」

 戎服を纏ったゾーイはさながら神殿に居並ぶ武神像である。その横に立つデュクトが、険のある美貌も相俟って、裁きの神のような厳かな威圧感を発し、静かな怒りを漂わせながら言った。

「畏れ多くも恭親王殿下の御前で、狼藉は控えていただきたい」
「……恭親王殿下……?」

 そう言われて、順親王は初めて異母弟の存在に気づいたらしい。寵愛する女が男たちに囲まれている情景に、頭に血がのぼっていたようだ。

「兄上、お座りください。それから、宮の秀女とはいえ、女性に対してそのような乱暴な扱いは感心しかねます」

 年の離れた異母弟に窘められ、順親王はプライドを刺激されて反論しそうになるが、相手がよりにもよって皇后腹の皇子であることを思い出し、ぐっと堪える。配下の者たちも、主の方が兄とはいえ、相手は皇后腹の皇子。どういう態度にでるべきかと、考えあぐねて黙ってしまう。順親王が忌々し気に睨みつけるが、異母弟はつい陶然と見惚れてしまいそうなほど端正な佇まいで、異母兄の視線を受け流した。

「先日、夜間に鐘楼で物置小屋のような部屋に閉じこめられていたその秀女を発見し、兄上の宮に送り届けましたが、詳細は廉郡王の侍従文官であるゲスト家のゲルフィンよりお聞きになられましたでしょう。その秀女は先ほども、そちらの木陰で数人の他宮の秀女たちより因縁をつけられておりました。その中に、残念なことに僕の宮の者もおりましたので、お詫びと事情の説明を兼ねて、兄上をお呼びたてしたのです。その秀女には何の落ち度もない、嫌がらせの被害者です。その、石竹やら申す女が何を讒言ざんげんしたか存じませんが、その秀女を責めるのは筋が違っております」

 声変わりはしているものの、まだまだ少年の風情を残す恭親王が、淡々と説明するのに、順親王は反論もできずに奥歯を噛みしめた。つい、槐花の二の腕をギリギリと握りしめてしまい、槐花が苦痛に顔を歪めた。

「兄上、その手をお放しください。痛がっています。そのような謂れのない折檻せっかんをさせるために、彼女をこちらに伴ったわけではありません」

 異母弟に指摘されて、順親王ははっとしてその手を離し、槐花を解放した。
 コホンと咳払いして、順親王は居住まいを正すと、少し顎をあげるようにして、傲慢に異母弟を観察した。年が離れていることもあり、順親王はこの弟とはほとんど口をきいたこともなかった。ただ父である皇帝が溺愛し、皇太子を廃して次代の跡継ぎにしたいと暗に考えている、という噂を聞くばかりであった。

 確かに、目の前の少年は黒目がちの切れ長の瞳といい、通った鼻筋といい、凛々しい眉といい、他の兄弟たちとは格の違う美形である。数年前に落馬して生死の境を彷徨ったと聞いているが、今や完治して、昨年秋の撃鞠ポロでは未成年ながら順親王が目を瞠るような活躍を見せた。ただ美しいだけではないのだ。

「すまない。……では、そなたの説明を聞こう」
「その前に、まずお座りください。……デュクト、上席はどちらになる。失礼があってはよろしくない」
「は、ただいま」

 デュクトとゲルがさっと動いてその場の一番の上席になる位置に、椅子を運んできて、そこに順親王を導いた。成郡王の傅役ジーノが、素早く飲み物をその前の卓に置く。

 そこへ息を切らせて、やはり背の高い男が走り込んできた。

「殿下、お探しいたしましたよ、いったい何事ですか……」
「ユルゲンじゃねーかよ!」

 ゾラに声をかけられて、男がはっと振り向く。優男と言っていい、整った顔立ちに、少し茶色っぽい髪をしている。

「えっと……君は、フォーラ家の……」
「ゾラっすよ、ゾラ。ひでぇな、忘れちゃった?」
「……ということは、こちらは恭親王殿下の?」

 ゾラとユルゲンがそんなやり取りをしている横で、ゲルたちは手早く、順親王の配下の者たちのための席を用意する。天幕の中は二皇子の配下の者でいっぱいになってしまう。前からいた秀女たちが何事かと遠巻きにしている。そんな中で、秀女の槐花は身の置き所に困ったように、小さくなっていた。
 恭親王はお茶を注いで回っているジーノの耳元に口を寄せ、槐花の席を作ってやるように言いつけた。

 ジーノが持ってきたスツールに腰かける槐花に、ゾラが気軽に話しかける。

「あんた、北方玄武州のフランザ子爵の娘だってな。てこた、北方騎士団のミシェル中尉の妹だろ、前に巡検であっちに行ったとき、世話になったんだ!」

 槐花が驚いたようにゾラを見上げるのに、ゾラが人懐っこく笑いかける。

「ユルゲンも情けねーよな、惚れた女の妹が慣れねぇ宮中暮らしで苦労してるってのに、何の手助けもせずに放置とはね。男の風上にも置けねぇな」

 ちらり、とユルゲンを刺すような目で見た。そもそも経済的に困っていない地方の子爵令嬢であった槐花が、秀女なんていう屈辱的な身の上に堕ちたのは、ユルゲンの身の振り方が不器用だったせいだと、ゾラは暗に責めているのである。姉のとばっちりで宮中に入るハメになった槐花の状況に、もっと気を配っておくべきなのだ。

「一体何があったというのだ、レイ……ではなくて、槐花殿、殿下の前できちんと説明してくれ」

 ユルゲンが慌てたように言うのを、恭親王がちらっと見る。典型的な十二貴嬪家のお坊ちゃん育ちらしい。大方、槐花を入宮させ、順親王の自身の側室への興味が失せた時点で、全て解決したと考えて、ろくなフォローもしていなかったのだろう。毛並みはいいが、こういう無能な部下はいらないな、と恭親王は思う。

「それよりは、私どもの方より、説明をいたしましょう。このような場で女性に話を聞くのは礼に悖っております」

 険のある表情をいっそう冷たく凍らせて、デュクトが言い放った。
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